相川麗奈はJC大家さんと同棲する

エミヤ

家賃を払えません

「ど、どうしよう……!」


 それは、世間一般では何の変哲もない日常のことだった。


 しかし、とある少女にとってはこれまでの人生の中でも最も大変と言っても過言ではない、そんな日だった。


 とあるアパートの一室で、少女――相川あいかわ麗奈れなは預金通帳を片手に頭を抱えていた。


 預金通帳に記載されてる残高はゼロ。つまり今の彼女の全財産は、財布に入った千円札数枚だけだった。


「もう家賃三ヶ月も滞納してるのに……これじゃあ家賃も払えないよ」


 このままだと部屋を追い出されてしまう。そうなれば宿無し、つまりは野宿だ。それは絶対に嫌だった。


 とはいえ、今の麗奈には家賃を払えるだけのお金がない。すでに家賃を三ヶ月も滞納している以上、支払いもこれ以上は待ってもらえない。


 いったいどうすればいいのか。麗奈は頭をフル回転させて、何かいい案がないものかと思考する。


 けれどそんなものが簡単に出てくるはずもなく、時間だけが無情に過ぎていく。


「ううう、これから本当にどうすればいいんだろう……」


 どうすることもできず、麗奈の口から泣き言が漏れてしまう。


 ――そんな時だった。ピンポーンという軽快なインターホンの音が、麗奈の耳朶を打ったのは。


「…………ッ!」


 ブワっと嫌な汗が吹き出した。このタイミングでの来客となると、麗奈は一つしか心当たりがない。まさかと思いながらも、玄関の方に意識を傾ける。


『このアパートの大家です。家賃の回収に来ました。相川さん、いませんか?』


「…………ッ」


 予想していた通りの来客であると同時に、今最も来てほしくない人間が扉の向こう側に立っていた。


 麗奈は大家の言葉に応じることなく息を殺して、居留守を使う。出たところで家賃を支払えない以上、麗奈にできるのは大家が諦めて帰るのを待つことだけ。


 大家に申し訳ないと思いつつも、麗奈はその場をジっと動かない。


 しばらく互いに無言のまま時間だけが流れる。麗奈にとっては、息の詰まるような時間だ。


『困りましたね。三ヶ月も滞納していたので、直接回収に来たのにいらっしゃらないとは……』


 嘆息する気配が玄関の向こう側から伝わってきた。そろそろ諦めてくれないかと麗奈は思うが、大家はそんな気持ちなど露知らず、話を続ける。


『……相川さん、もし家賃が払えないということでしたら、代わりに私のお願いを一つ聞くことで手を打ちますよ?』


「え……」


 思いもよらぬ大家の提案に、状況も忘れて間の抜けた声が出る。


 家賃を払う代わりにお願いを一つ聞く。今の麗奈にとって、とても魅力的な提案だ。この提案を目の前でされていたら、一もニもなく飛びついたことだろう。


 けれど今の麗奈と大家には、距離がある。おかげで少しの驚愕の後、冷静になることができた。ついで、一つの疑問が脳裏をよぎる。


(こんな上手い話、普通ある?)


 大家の話は、麗奈にとってあまりにも都合が良すぎる。疑うなという方が無茶なくらいだ。


 それに肝心のお願いとやらの内容は言ってない。話に乗った後で、とんでもない無茶振りをされる可能性だってある。


 もしくは麗奈が居留守を使ってると見越して、美味しい話で釣ろうとしてかもしれない。


「でも……」


 これはまたとないチャンスかもしれない。麗奈はすでに三ヶ月も家賃も払えず過ごしている。当然ながら、家賃以外の面でもギリギリだ。ここ数日なんて、水道水しか口にしてない。


 そんな状況では、ここで大家をやり過ごしたところで現状は何一つ変わらない。それならいっそのこと、大家の提案に乗った方が何かが変わるかもしれない。


『……返事なし。どうやら本当にいないみたいですね。出直しましょう』


 麗奈がグズグズと悩んでいる間に、一向に返事がなかったことで外にいる大家は、その場を去ろうとする足音が聞こえる。


「あ……」


 けれど麗奈は、この期に及んでまだ結論を出せていなかった。どうするべきかと悩んでいる内に、一歩ずつ離れていく音が聞こえる。


 このままでは大家が去ってしまう……葛藤の末、麗奈は立ち上がった。


(お父さんとお母さんも言ってたもん! チャンスは一度しか訪れない、二度はないって!)


 両親の言葉を思い出し、覚悟を決めて駆け出す。ドタドタと激しい足音を立てながら、玄関を飛び出す。


「ま、待ってください……! その話、受けます!」


 麗奈の宣言に、立ち去ろうとしていた人影が動きを止めた。


「そうですか、それは良かったです」


 先程まで扉越しに聞こえてきた淡々とした声音と共に、人影は振り返る。同時に、大家の全貌が麗奈の視界に映る。


「……綺麗」


 思わず、そんな言葉が漏れてしまった。それほどまでに目の前の大家は美しかった。


 日の光に当てられて輝く白銀色の髪、日本人ではあり得ない海のように深い蒼色の瞳。陶器のような純白の肌と、人形を連想させるような、整った顔立ち。


 顔立ちのせいか人というよりは、芸術作品の類のように感じてしまう。


 麗奈は、これほどまでに美しいものをこれまで見たことがなかった。だから自然と『綺麗』という言葉が出てしまった。


 しばらくぼーっと眺めていたけれど、やがて麗奈ははっとすると、頭を下げた。


「ご、ごめんなさい! 初対面の人にいきなり……!」


「……いえ、別に気にしてないので大丈夫ですよ」


 言葉通り気にした様子もなく、大家は顔色一つ変えない。


「そんなことより、先程私の提案を受けると言いましたね。詳しい話をしたいので、相川さんの部屋にお邪魔してもよろしいですか?」


「あ、はい……」


 麗奈は大家の言葉に頷いた。






「ええと、狭いところですけど……」


 麗奈は大家をリビングまで案内して、互いに向かい合う形で席に着く。


 一応こまめに掃除はしていたが、普段あまり人を招くことはないので、部屋に入れるのは少し緊張してしまう。


「気にしないください。いきなり押しかけたのは、私の方なんですから。それと、私の方が年下だと思うので敬語は不要です」


「え、そう?」


 確かに大家は麗奈と比べると、頭一つ分小さい。どう考えても、高校二年の麗奈より年下だ。


 年下の子に敬語というのも変な感じがするので、麗奈は大家の言う通りにすることに決めた。


「……ちなみに大家さんの年齢は聞いても?」


「十四歳です」


「え……じゃあ大家さん、まだ中学生なの!?」


「はい、中学二年生です。それが何か?」


 大家はキョトンと首を傾げた。


 年下とは思っていたが、まさか中学生とは予想外だった。しかもそんな子供が大家まで務めている。もう麗奈は驚くしかない。


「それと、私は大家さんという名前ではありません。私には、早乙女さおとめエリカという名前があります。ちゃんと名前で呼んでください」


「あ、うん。ごめんね、ちゃんと名前で呼ばずにいて」


「いいえ、分かってくださったのならそれでいいです。それより、本題に入りましょう」


 少女――エリカは気にした様子もなく、話の続きを促す。


「私のお願いを話す前に……単刀直入に訊きますが、滞納している家賃を今すぐ支払うアテはありますか?」


「ええと、それは……」


「大事なことなので、ちゃんと話してください。どんな答えでも、私は怒ったりしませんから」


「……アテはないよ」


 観念して正直に話す。家賃を三ヶ月も滞納している上に、それを払うアテがない。エリカは怒らないと言ってはいたが、流石にこれを聞かされて怒らずにいるのは無理だろう。恐る恐る、エリカの様子を確認してみる。


 けれど麗奈の予想に反して、エリカは顔色一つ変えていなかった。感情の読めない、まるで人形のようだ。


「そうですか、ありませんか。……確か相川さんは、ご両親から毎月生活費を振り込んでもらってると聞きましたが、そちらはどうなっているのですか?」


「……三ヶ月前から一切振り込みはないよ」


 実はこの三ヶ月間、麗奈は両親から一切生活費が振り込まれていなかった。おかげで家賃は払えず、生活はかなり切り詰める羽目になった。


「ご両親からご連絡は?」


「……三ヶ月間、音沙汰なし。こっちから連絡しても、全然ダメだった」


「連絡もなし、ですか。失礼ですが、ご両親の仕事をお聞きしても?」


「それは……」


 エリカの問いに、麗奈は一瞬口を噤む。けれどすぐに答えないわけにはいかないと悟り、渋々とではあるが口を開く。


「ト、トレジャーハンターなんだ、ウチの両親……」


「……トレジャーハンターって、ちゃんと職業として存在するんですか?」


「ど、どうだろう? 私も詳しくは知らないから……」


 あくまで両親が自称していただけなので、麗奈はあまり知らない。唯一分かっていることがあるとすれば、娘の一人暮らしを許容する程度には収入があることぐらいだ。


「さっき連絡が取れないって言ったけど、多分仕事に夢中で私のことを忘れてるだけなんだと思う。昔から夢中になると周りが見えなくなる人たちだったし」


「つまりご両親と連絡が取れれば、滞納している家賃の支払いは可能……ということですか?」


「うん。けど、親がいつ連絡が取れるようになるのかは、全く分からないんだ」


「そうですか……」


 エリカが少し俯き顎に手を当て、考えるような仕草をする。ただそれも数秒ほどのことで、すぐに顔をあげると話の続きを始める。


「相川さん、私と――同棲してくれませんか?」


「…………え?」

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