第2話 「そういうわけなのでまた夜に」
暗闇の中をひとりの男が歩いている。
人としての在り方を拒絶するかのように全身を黒衣で包み、両手には同色の剣が握りられている。
男が向かう先に見えるのは、ほんのわずかばかりの光。
男がその光に歩を進める度、男はどこからか返り血を浴びる。
その返り血は何度も乾いては何度も重なり、わずかばかり見えていた男の肌は赤から黒へと変貌していた。
そして、身体から滴り落ちるようになった血は男が歩いた軌跡を示し始める。
それでも男は……
今の俺よりも大人の姿をしている俺は、光に向かって歩みを止めなかった。
全身を血塗れにしながら光に辿り着いた俺は、どこか安堵するかのような表情を浮かべながらその光へと手を伸ばす。
そして……光の中から現れた聖剣に心臓を貫かれた。
「…………夢か」
普通ならば呼吸を乱しながら冷や汗でも掻いているのだろう。
だが俺の目覚めは至って落ち着いたものだった。
何故なら今回見た夢は、俺にとって悪夢ではない。
俺が忘れることはない、いや忘れてはならない罪。それを簡略的に描いたものだからだ。
おそらく他人に話しても信じてはもらえないだろう。
俺は、かつて日本から異世界の地に多くの仲間と共に召喚された。
そこで何年もの間、人間との戦いを身に投じ多くの地獄をこの目で見た。
このままではこの戦争は終わらない。終わらせるためにはどうすればいい?
胸の内に芽生えたその感情に出した俺の答え。
それは……
俺という存在が人類全ての敵になること。
愚かだと笑う者もいるだろう。
平和を望むのに争いの火種になるのは本末転倒。人々に脅威を感じさせ、不安心を煽る行為は逆に危害を与えるのではないのか、と罵る者もいるだろう。
確かにそうだ、そのとおりだ。
でも俺は動いた。
思想や文化の違う人間が一度争ってしまえば、話し合いの場を作ることは難しい。そこに腰を下ろすのはさらに難しいのが現実だ。少なくとも俺が経験した世界ではそうだった。
だから俺はそれまで共に戦った仲間を裏切り、数年間で亜人と呼ばれていた種族をまとめ、人類に敵対する国を作った。
その結果、人類の共通の敵――《魔王》として人々に恐れられ、憎まれるようになった。
「それなのに……」
憎しみの象徴として討ち滅ぼされたと思ったら神を名乗る存在に転生させられ、失ったはずの学生時代を過ごしている。
俺のこの手は血で染まり過ぎているというのに。
あの神は、俺にいったい何を望んでいるのだろう?
何を期待して俺のような大罪者に第二の人生を与えたのだろう?
どこか懐かしくも絶対的に違うこの世界で、俺はいったい何をすればいい?
「…………いや」
神の考えなんて人間が考えて分かるわけもないか。
特にあの神は、神の中でも変わっていそうな感じもするし。
何よりこの世界は、あの世界と比べれば平和そのもの。少なくとも《魔王》なんて存在が必要になる世界じゃない。
それに俺が魔王として生きた時間を忘れることもない。
なら今は冒険者の卵であるクロサキ・クロトとして生きるだけだ。
週明けからは仮パーティーでの授業も開始される。
座学や専攻科目の授業もどんどん濃い内容に変わっていくのだから、せっかくの休日くらいゆっくり過ごさなけ……
「おはようございます。今日はずいぶんと遅い起床ですね」
確かに普段よりは遅い目覚めではありますが。
12時を回っているわけもないんだから「どんだけ寝るんですか」と言いたげな顔をしなくても。
でもそれ以上に言いたいのは
「何でお前がここに居る?」
俺が目にしている人物の名は、セラフィリアム・グランツ。
人並み外れた美貌を持ち、俺とは天と地のほどかけ離れた魔術資質に持つエリートの中のエリート。
そんな彼女が……今俺の目の前に可愛らしいエプロンを身に付けて立っている。
「何でと言われましてもお昼ご飯を作りに来ただけですが?」
それが何か?
と言いたそうな顔をされたんですが。
あなたは俺の彼女でもなければ、親戚の類でもないですよね?
事前にお昼ご飯を作りに行きますね、なんて連絡もしてなかったよね?
それなのに困惑するなとか無理があるでしょ。
「それはどうもありがとう。素直にお礼を言うから何でお前がこの家に入れているのか教えてくれ」
ちゃんと玄関の鍵は掛けていた。
魔術の中には鍵を開けるものはある。
ダンジョンのお宝を回収するために斥候科の人間は開錠技術を習ったりしている。
でもだからこそ、この世界の鍵はその手のものに破られないように対策もしているわけで。
それなのにどうしてこの女は俺の家に侵入できているのだろう。
「たった一言の礼に対してこちらの対価が釣り合っていないようにも思えますが……まあいいでしょう、教えてあげます。答えは単純にして明快、私がこの家の合鍵を持っているからです」
なるほど。
合鍵を持っているならこの家に入ることは簡単だ。
でもさ……
「何でお前がそんなものを持っているんだ?」
「私の仕事に必要なものですので」
「この世界に転生してから今日までの間、お前がここに来るなんてことは一度もなかったと思うだが?」
「昨日の一件であなたと行動を共にしていてもおかしくない口実が出来ましたので」
確かに昨日ナガレ先生から他に入りたいところがないのなら俺達で仮パーティーを組めとは言われたよ。
お前の爆弾発言でハイテンションになったアイザワには質問攻めされ、顔を真っ赤にしていたミズノには脳内で何かしら思われ、ナガレ先生にはリア充死ね! と言いたげ顔を向けられたよ。
「お前って俺のこと嫌いだろ」
「別に嫌ってはいませんよ。これといって好きというわけでもありませんが」
「なら何で昨日あんな発言をしたんですかね」
「あんな? あー、あなたに誘って欲しかったと匂わせるあの発言ですか」
そうだよ。
それ以外に何があるって言うんだよ。昨日あれ以外に俺とお前の絡みなんてなかっただろうが。言うだけ言ってずっと黙秘を決め込みやがって。
「あれはまあ……暇潰しを兼ねた嫌がらせと言いますか、クソ上司に対するストレスを発散するための可愛い意地悪です」
こいつ最低だわ。
いやまあ、あの上司がクソなのは何となく分かるけど。部下であるお前が大変そうなのは理解するけど。
ここまでのやりとりで何となく察している方もいると思う。
なのでもう言ってしまおう。
セラフィリアム・グランツは、俺と同じでこの世界の住人ではない。
何なら俺と違って人間ですらない。
たった今話に出たクソ上司……俺を転生させた物好きな女神のケツを叩いて仕事をさせていた優秀な部下。
分かりやすく言ってしまえば《天使》そのもの。
どうして神のサポートをする天使が俺と同じ世界に降り立っているのか。
それは神が鬱陶しいこいつを引き離したかったのか。俺という人間を玩具にして暇を潰そうと思ったのか。
実際のところどういう考えなのかは定かではないが、こいつに……セラに俺の生活を観察し、定期的に報告を上げるよう女神が言いつけたからだ。
そのときにセラが見せた呆れと面倒臭さと殺意が極限まで交じり合った顔を俺は多分、いや生涯忘れないと思う。
「可愛さなんて微塵もなかったんだが」
「え、可愛くないですか? エプロン姿の私」
いやまあ、確かにエプロン姿のお前は可愛いけど。
この世の多くの男性がお前みたいなお嫁さん(見た目)を欲しいとは思うけど。
でもそういう可愛さじゃなくて。
何でこいつって天使なの?
どう考えても俺に対してのこいつの言動って天使っていうより悪魔なんだけど。
「何をそんなに見ているんですか……もしかしてエプロン姿の私に欲情してます? 私のことを押し倒して『あ~ん』なことしたいとか思っているんですか。さすがは元魔王様、欲望の権化ですね」
「元魔王なのは事実だが勝手な憶測で人を変態扱いするな」
「別にしたいならしてくれて構わないんですが。その方がクソ上司が喜ぶと思いますので」
「……結構です」
言っておきますけど!
していいって言われたからあれこれ考えて生まれた間じゃないからね。
上司のために自分を犠牲にしてまで仕事をやり遂げようとするこの天使に感銘を受けただけで。
断じてあの大きくて柔らかそうなおっぱいを揉みたいとか、張りのありそうなお尻を触りたいだとか思ってないから。
だから勘違いするなよ。絶対だかんな!
キャラが迷走してないかって?
うるせぇ、転生する際に肉体年齢は10歳前後若返っているんだよ。
失った青春を取り戻すようにこの世界のオタク文化を楽しんだりしたんだよ。
魔王の時代とノリとか言動が違ってくるのは当たり前だろうが。
「……ヘタレ」
おいこら、聞こえているんですけど。
それはちょっと違うと思うんですけど。
というか、やろうとしたらお前絶対抵抗するじゃん。圧倒的な力で俺をボコボコに出来ちゃうじゃん。
お前の誘いに乗ったら俺は命が危ないんよ。
何よりあんな上司のために自分を削ってまで何かしようとするのはやめろ。
「お前はもっと自分のこと大切にしなさい」
「元魔王にそんなことを言われる日が来るとは……もしや私に代わって天使の座を狙って」
「いるわけないだろ」
人間は天使にはなれん。
外見は似ていても根本的なスペックが違い過ぎる。
その証拠にこのセラとかいう天使さんは、この世界に居る間は天使としての力を封印している。それにも関わらず多種多様な魔術資質を持ち、それらを自在に行使することが出来るわけで。
どう考えても落ちこぼれ魔剣士の俺がこの天使に成り代わるとか無理でしょ。
そもそも……この優秀な天使がクソだとか言う神の下で働きたいとは思わん。
「というわけで、さっさと帰れ」
「帰りません」
「ここは俺の家なんですが?」
「そうですね、ですが今日から私の家でもあります」
……はい?
それはあなたが今日からここの住人なるということですか?
そんな話を私は一切聞かされていないのですが。
「冗談です」
「なら真顔で言うな。冗談だと思えないだろ」
「冗談じゃないと思われないと言っているこちらは面白くないじゃないですか」
そうですね。
でも冗談だと思えないとこちらは面白いって気持ちにすらなれないんですが。
「まあまあ、あなたが私の作ったご飯を食べるところを見たら帰りますので安心してください」
本当に帰るのか。なら食べてもいいが……
いや待て、ここまで俺のことを散々からかってきた奴の発言だぞ。鵜呑みにするのは不味いんじゃないのか。
ここまで俺に自分の手料理を食べさせようとする。
この女でも観察対象である俺に毒を盛ったりはしないだろうが、限度を弁えていない激辛の何かを潜ませたりしているんじゃ……
「何ですかその疑いの目は。料理を作ってくれた相手に対して失礼ですよ」
「別に俺は作ってくれなんて」
「黙りなさい。いいからあなたは私の手料理を食べればいいんです」
この天使、ちょいと理不尽過ぎ。
まあこれ以上反抗しても話を聞いてはもらえないだろうし、あまり機嫌を損ねると実力行使に出るかもしれない。
多少なりとも空腹は感じているし、認めるのは何か癪だがテーブルに並んでいる料理はどれも美味そうだ。漂ってくる匂いだけでも食欲が刺激される。
というわけで、天使の作ったご飯を食べることにしました。
メニューはシチューを中心とした洋風のものが主体。いろどりも鮮やかで一目で料理上手だということが分かる。
「見てばかりいないでさっさと食べてください。ほら、両手を合わせて」
「お前は俺のお母さんか……いただきます」
…………。
………………。
「どうですか?」
美味しいでしょう? 美味しいに決まってますよね?
と言いたげな憎たらしい顔だ。何でこいつは俺に対してはこうなのだろう。恐る恐る聞かれた方が可愛いと思えるのに。
とはいえ……
「美味い」
としか言えない。
だってこいつの料理の味、超絶に俺好みなんだもん。
何でここまでドンピシャで俺の好みを当てられるの?
美味しいけど元魔王様は恐怖を感じちゃう。
「それは良かった。では、あなたが食べるところも見たので私は帰ります……何ですかその驚いた顔は」
「いや……本当に帰る気だったんだな、と思って」
「私が嘘を言っていたと思っていたんですか? あなたは私を何だと思っているんですか?」
「天使の皮を被った悪魔」
「さすがは元魔王、天使に正面からケンカを売るとはイイ度胸ですね」
ここまでのやりとりを総合的に見ると、先にケンカを売ってきたのはそちらだと思うんですが。
「いや……もしや今の発言は私をこの場に留まらせる誘いなのでは?」
「どう深読みしたらそういう解釈になる?」
「もしかして元魔王様は私に帰ってほしくないと思っている。私ともっと一緒に居たい、ずっと傍に居てほしいという意味合いで言ったのでは?」
「そんな意味合いでは言ってないから安心しろ」
「まさか元魔王様は、好きな異性には素直になれなくてちょっかいを出してしまうタイプだったとは。帰ってほしくないのなら最初から素直にそう言えばいいのに」
「人の話を聞け」
何でそんなにも自分勝手に話を進めちゃうの?
上司がそんなんだからお前もそういう風になっちゃったわけ?
でも仮にそうだったとしても普段はその上司に仕事をさせているんでしょう。真面目に自分の仕事を全うしているんでしょう。
ならここでもそうしてくれませんかね。
じゃないとお前のこと影で堕天使とか言っちゃうから。まあ地上に降りている時点である意味では堕天使と言えるかもしれないけど。
「ちゃんと聞いていますよ。夜も私の手料理が食べたいという話ですよね」
「そんな話は一切してない」
「え、食べたくないんですか私の手料理?」
それは……食べれるなら食べたいですけど。
コンビニのご飯とかよりも格段に美味しいし。
「うちには料理する材料なんてほとんどない。お前の料理を食べるために食材を用意するのも何か癪だ。わざわざここに足を運んでもらうのも手間を掛けるし、それはまた今度にしよう」
「途中の言葉は必要でしたか? 必要なかったですよね? 罰として夜もここに料理を作りに来ます」
何でそうなるの?
お前の料理を食べることが罰になるんですか? なりませんよね?
だって美味しい料理を食べることは何の苦にもならないんだから。
「いやマジでいいから。お前の家がどこだかは知らないけど、ここまで材料持ってくるの大変だろ」
「そのへんはお気になさらず。私の家はあなたの家の隣なので」
「いやいや気にす……はい?」
こいつ、今さらっととんでもないこと言わなかった?
「お前、今何て言った?」
「あなたが望むならこの家に住んであげますよ」
「流れるように嘘を吐くな。うちの隣に住んでるだとか言っただろ」
「ちゃんと聞こえてるじゃないですか。それなのにわざわざ聞き返すとか、どんだけ私と話したいんですか。どんだけ私のこと好きなんですか」
お前が真面目に話そうとしてくれないからこうなっているんです。
あとお前のことなんか好きじゃありません。嫌いでもなかったけど、今日で嫌いになりそうなくらいです。
「話を逸らそうとするな。隣には誰かしら住んでただろ」
「そうですね。まあでもそのへんはちょろっと」
ちょろっと……何だよ!
何をしたのかちゃんと説明しろよ。説明してくれないと何か怖いだろ!
「引っ越しの作業音とか一切なかったんだが」
「転移系の魔法を使えば一瞬ですので」
ま、あなたには無理でしょうが。
みたいな顔を何でするんですか?
絶対に必要ないですよね。俺のことバカにして楽しいですかそうですか。マジでお前のこと嫌いになるぞ。
「そういうわけなのでまた夜に」
「いやいやいや、来なくていいから。飯くらいそのへんのものを買って」
「ふざけないでください」
大声ではないが覇気のある言葉に俺は思わず黙ってしまう。
「いいですか、あなたは転生するにあたって肉体年齢が若返っています。今のあなたは人間という種族が成長するうえで最も大切な時期にあるんです。にも関わらず、あなたは栄養面を一切考えずにコンビニ弁当ばかり」
「いやでもコスパ的に」
「誰が口を挟んでいいと言いました?」
何かセラさん普段とは別のスイッチ入ってない?
「別にあなたが不摂生な生活が理由で死のうが私には関係ありません。ですが、それをクソ上司に報告して機嫌を損ねられたらどう責任を取るって言うんです?」
「どう言われても……」
人間は死んだら何もできません。
なので責任を取れと言われても無理な話では?
「ぐうたらで怠け者ですがあれでも神の一角ですよ。仕事してくれないと世界規模で面倒なことだって起きたりするんです。もしかしたら別の人間を転生させて、その人物を私がまた観察するために別の世界に行かされるかもしれないんです。そんな面倒臭いことがあっていいと思いますか?」
「それは思いませんが」
「なら大人しく朝、昼、晩、1日3食あなたは私の手料理を食べなさい」
有無を言わせない勢いに気が付けば首を縦に振っていた。
学校一と言っても過言ではない美女に毎日ご飯を作ってもらっている。何ならその美女が隣に住んでいる。
なんて学校の連中に知られた日には、俺の学校生活は壮絶なものに変わってしまうに違いない。
でもそれ以上に思ったのは……。
セラの上司である神はぐうたらで怠け者らしいが、そうなってしまった原因はセラにもあるのでは? ということ。
だってこいつ、口が悪いけど絶対に他人の世話を焼くのが好きじゃん。
ああだこうだ言いながらも他人に尽くしちゃうタイプじゃん。そんでなまじ能力が高いから基本的に何でも出来ちゃうじゃん。
俺もこいつと関わっていたらそのうちダメ人間になってしまうかもしれない。
残った昼食を食べながら俺はそう思わずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます