第2話


 樹界の建造から百と数十年。


 地界に取り残された者どもの中には、同じく地界に蔓延る無数のクリフォとともに、互いに契約を交わして人ならざる存在に成り果てることを選んだ者が居た。

 クリフォが差し出すのは「力」。人の意識そのものを取り出し、物理的な法則のもとに押し込め、「魔力」として行使することを契約相手に可能とさせた。

 人が差し出すのは「真名」。自らが生きてきた中で築いてきた繋がり、想い出、記憶といった存在そのものを明け渡し、誰からも忘れ去られたからっぽの器となることで、クリフォに人の肉体を介した世界の景色を味わわせることを可能とした。


 そうして真名契約を交わし、クリフォと人が融け合い、入り混じって新たに生まれる存在を「魔女」と呼び。

 樹界の外部――地界には、「魔女」と人が共に息づいていた。

 時に殺し合い、時にいがみ合い、時に酒を交わし合い、そしてまた殺し合い。

 おぞましいほど強い、おびただしい数の生命が、そこに満ちていた。



 *



 ひとりの女性が、小さなバーを訪れた。

 明かりに乏しい店内である。置かれたビリヤード台やジュークボックスは埃をかぶっており、天井で回るシーリングファンもタバコの煙で黄ばんでいた。

 テーブルを囲う四人の男たちは、つかつかと歩く女性には目もくれず、灰皿に吸い殻を詰め込みながらトランプに興じている。カウンター席に腰掛けた彼女に、グラスを磨く店主は唸るような声をかけた。


 「……ご注文は」

 

 「アイスミルク」


 こんと置かれたグラスに満ちるミルクと同じく、女性も白かった。

 白いコート、色素の薄い肌、背中を覆う長い銀髪。瞳だけが薄い水色をしており、仄暗い店内で彼女は異質な存在感を纏っていた。唯一、孤高とも言える。

 店主は女性の素性を知っていた。

 トランプに興じる男たちも、彼女が何かを知っていた。

 ここに彼女が居ることの意味を、店の誰もが理解していた。


 「仕事の帰りかい? 凄咲」

 「ああ。ここのところ、厄介な仕事が増えてな」

 「ほう。そりゃあまたどんな」

 「……」


 女性は、こくりとアイスミルクを一口飲み。


 「ウチは便利屋だ。金さえ積まれれば、なんだろうとやるが」

 「知ってるよ」

 「ここ数日……『なりそこない』の発生件数が増していてな。それも単なるものじゃない。魔女が故意に増やしながら、ヒトの形を真似させて、紛れ込ませている」

 「ほう。なりそこないにか」

 「なりそこないに、だ。薄い知能でよくやらせる。なりそこないとはいえクリフォはクリフォだ、大量に寄せ集めて、それから一気に自分で喰う算段だろうな」


 それ以降は口をつけず、片手に握り込んだ小銭をテーブルに並べる。


 「いいのかい」

 「ああ、もう十分だ」


 髪とコートをふわりと翻し、立ち去ろうとする彼女の目の前には、すでに四人の男たちが立ちふさがっていた。

 男たちの表情に色は無い。目の前にある水色の瞳を覗くばかりである。

 女性は怪訝に満ちた目でそれを見つめ返し、胸元から一本の煙草を取り出す。咥えたその先端に指先が押し付けられると、じりじりと熱せられて赤い光が灯った。

 

 「……私も、それほど真面目な方じゃない」


 「夜遊びも得意ってか? 便利屋。話が早ぇな」

 「ここに来て冷やかしってことは無ぇだろ。遊ばねえと損だぜ、なア」


 けたけたと声の調子だけは笑いながら、依然として目が笑わない男たち。

 

 「ヒトの真似をし続けるなら、それはヒトだ。少なくとも、私にとっては」


 彼らに対する彼女の返答を皮切りに、薄暗い店内に無数の笑い声が渦巻いた。

 渦巻く嘲笑の中心に立ちながら、女性は煙草をふかす。コートの内側へ静かに手をやり、続く彼らの言葉を待ち。


 「冗談じゃねえ――の筆頭がよぉおッ!!!」


 ひとりの男の腕が融け落ちて、鞭の如くしなりながら頭蓋を狙う刹那。

 

 「ぉぼ――――ッッ」


 ブーツの先が男の腹部を貫き、百八十度の開脚が男の身体を天井まで突き上げた。

 シーリングファンを叩き壊し、ばらばらに飛散する肉体。続けざまに両足をバネのように変形させて飛び掛かった二人目もそのまま振り下ろされる踵で頭蓋を砕かれ、コートから取り出された拳銃が二の足を踏む三人目の眼孔を撃ち貫いた。

 蹴られ、砕かれ、撃ち貫かれたその瞬間、男たちの肉体は火に炙られた氷が如く融解し、『なりそこない』の様相を露にする。残る四人目もまた、一秒とかからなかった一連の惨劇に間に合わせの精神が瓦解し、嗚咽を漏らしながら肉体の維持が不可能となっていった。


 「ぁ、ぁあぁあぁあアアッ、ッッギィィイイィイイィイィ!!!」

 

 漏れる鳴き声がボコボコと肉を泡立たせる。

 その有様を、嘲るでも嫌悪するでもなく。


 「――だから言ったろうが」


 しゃがみこんで膝を抱き、銃口をその肉塊に押し当てて。 


 「ヒトに化けている限りは、ヒトとして扱ってやると」


 ただ、酷く困ったといった顔で、引き金を引いた。



 ――地界において、その名を知らぬ者はいない。

 あらぬ噂や眉唾、悪評や怪談を通じて、いつの間にやら広まったその名。

 枚挙に暇のない二つ名を持ち、それにふさわしいだけの年数を生きた魔女。

 なりそこないの駆除において、比肩する実績を持つ者は居ない便利屋。


 同じく魔女である、この店主ですら。

 無防備な背中に向かい、カウンターの向こうから銃口を向ける彼ですら。

 溢れんばかりの冷や汗と決死の覚悟を以て、彼女に銃弾を放った。


 そこに怯えは無く、表情も崩すことなく、気丈なまま。

 振り返ることもせぬままに、それでもその姿に敬意を払った彼女は、放たれた銃弾を後頭部に受け止める。


 ……額の風穴から、赤い血をだくだくと流しながら。

 ゆっくりと膝を延ばして立ち上がり、店主に銃口を向け返す、彼女の名を。


 「なりそこないの養殖なんぞ、クソほども儲からんだろう。なあ?」



 便利屋『ヴァルハラ』の女主人、高原凄咲たかはらすざくと言った。



 *


 

 地界の一区画、バチカルと名のついた地域の中心にそれはある。

 繁華街である。平にならされたセメントの道をバイクが走り抜ける。その道に沿うようにして、小綺麗なコンクリートの屋敷も骨組みをのぞかせる廃墟も入り混じって立ち並んでいる。日中、雲一つない晴天ともなれば、ガラス球が実った大樹の姿がよく見えるのだった。

 セメントの道をしばらく歩くと丁字路に出る。その丁の字のちょうど真ん中に、電光板を吊り下げた大きなログハウスが建っていた。

 びかびかと光る板に書かれているのは「Valhalla」の文字。段差を昇って扉を開ければ、リビングの奥でけだるそうに机を睨む女主人の姿が目に入る。


 「凄咲!」


 来客の声に反応し、咥えていた煙草を灰皿に置いて、彼女は顔を上げた。

 

 「ああ、逢禍」

 「依頼人のタヌキに代わって、ギャラを届けに来たぜ。昨日潰してくれたぼったくりバーの分だ」


 そう言って来客は黒髪のポニーテールをぴょこぴょこ揺らしながら歩き、凄咲の前に一枚のカードをこんと置いた。クレジットとだけ書かれた黄色いカードである。

 その、数週間分の食料を買い揃えられる程度の電子通貨が入ったカードをひょいと指先で拾い上げて、背もたれにぐっと体重を預けながら、凄咲はまじまじとそれを見つめた。


 「しっかし、ひでえ話だな。あのバー、なりそこないだけじゃなくて魔女も居たんだろ? 魔女ひとり殺してその額かよ」

 「勘定はなりそこない四体分だ。あそこは魔女の養殖場になっていたようだが……正しく事情が広まると、都合が悪いんじゃないのか」

 「そういう事か。ネタにして脅しかけるのはどうだ、赤色ぐれーなら貰えるかもしれねえぜ」

 

 けらけらと白い歯を見せて笑う彼女は、竜華逢禍たちばなあいか

 黒髪に黒いジャケット、深い赤色をした両の眼という出で立ちは凄咲のそれとは対照的であり、両者は数十年来の友人でもあった。長命の魔女である凄咲が、千年単位で年の離れた逢禍に許している気の程は、勝手に自宅に足を運ばれようがまったく気にも留めない位のものであった。

 

 そうして報酬を渡すと、逢禍はリビングに置かれた来客用のソファにぼふりと腰掛けて、高い天井をしげしげと眺めながらぽつりと口を開いた。

 

 「――前の依頼は、災難だったな」

 「樹界に行ったときのか?」

 「ああ」


 横目で凄咲を伺い見る逢禍。

 背中を丸めて、渡されたカードをかりかりとまさぐろうとしている所だった。

 

 「金色が貰えるはずだったんだろ? 本人は五体満足だってのに、依頼主があっさり死んでちゃ世話ねえよなぁ……」

 「黒色だよ…………なあ逢禍……ええと、これは」

 「黒だっけ? ……あとそれ開かねえからな? あんたまだ電子通貨に慣れてねえの?」

 「え……現金じゃないのか……? ……どうやって使うんだ?」

 「……使う時説明するわ。それで? 品はどうしたんだっけ?」

 「頼む……あー…………品、か……」


 そう言って、わしわしと頭を掻く凄咲。

 逢禍にとって、現金以外の決済をしようと試みている時以外に凄咲がこの表情を見せるのは珍しいことだった。そして、彼女がそれだけ困っている様子を見せている要因にもまた心当たりがあった。


 数日前、凄咲はある依頼を受けた。

 依頼内容は「樹界マルクト国で発生するなりそこないの回収」。

 日時と場所、それから状況を事細かに説明した後、依頼主は姿を消したが……凄咲はその依頼を請け負い、依頼された「品」であるなりそこないの確保にも成功した。そうして地界に帰った頃には、あろうことか依頼主はすでに殺害されており、報酬金もパアになった――というのが、ことの顛末である。

 

 いくら怪しい依頼であろうが、ここは名高い便利屋ヴァルハラ。

 確かな報酬さえ約束されれば完遂してみせるのが凄咲のポリシーであるが、依頼主があっさり消されてしまうのは地界で店を構えてからはじめての経験であった。約束されていた報酬金が、これまたあっさり無くなってしまうのも、また。


 「……品は、そこの寝室にある。ちょっと様子を見ちゃくれないか」

 「あー……おう、分かった」


 そう言って指し示した先は、客室として使っていた一室。

 何も聞くことなく逢禍は首を縦に振り、凄咲の背を追ってその部屋に入る。

 狭めの一室。小さな机と衣装棚、それからベッドが置かれただけの簡素な部屋に。


 「何せ……はじめてのケースなものでなぁ……」

 「……。確認するが……『なりそこない』、だよな?」

 「ああ。ヒトの意識と不定のクリフォが内側に混在している」


 「紛れもなく――なりそこないだ」


 くぅくぅと寝息を立てる、赤色に染まった髪の少女が寝かされており。


 だらんとベッドの端から垂れ下がった右腕の先は、白銀の剣の形をしていた。

 

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