第7話 お茶会に誘われました。

昼休みや放課後に飲んでいるコーヒー。

もはやこれは習慣や癖に値するものだろうが、ひと段落着いた時や何となく落ち着きたい時などに俺はよくコーヒーを飲む。


こういった習慣がついてもう何年だろう。

小学生の頃、クラスメイトからの風当たりが強く精神的にも身体的にもやや荒んでいた時に、偶然立ち寄ったコンビニエンスストアで何の気なしに買ってみた缶コーヒーがすごく美味しかったのを覚えている。


それからはほぼ毎日のようにコーヒーを飲んでは心の均衡を保っていた。

引きこもりになっていた時でさえ母親が淹れておいてくれたコーヒーを飲んでいたから、もう自分の人生において欠かせないものになっていることは間違いない。


そんな身近で温かみを与えてくれるコーヒーを、もし同級生、それも女の子から淹れてもらえるとしたら。


果たして俺は絶対に惚れない自信を持てるだろうか。


結果から言えばこれは持てるといえる。

なぜなら”あいつ”が関わっているからだ。



「明君、今日の放課後空いてますか?」


「空いてるが・・・また俺をおちょくりに来たのか?」


いつものように何かしらのお呼ばれをされるのだろう。もう抵抗する気もさらさらないし、おそらく行かなければ自宅までついてくること間違いなしだ。


「なら、放課後家庭科室へ行きましょう!とっても美味しいコーヒーを淹れてあげます♪」


「・・・コーヒーだと?」


唯一の安らぎともいえるこの神聖なるコーヒーを淹れてくれる。それも地味子が。

こっそり惚れ薬でも入れられはしないかと不安になるが、こいつの作るお弁当は格別に美味しいしコーヒーだってそれこそプロ並みに淹れられるのではないか。


「分かった・・・」


気づけば素直にこんな返事をしてしまったものだから地味子が満足げに微笑んでいる。

やめてくれ、そんな顔で俺を見ないでくれ。


「放課後楽しみですね?極上のコーヒーで明君を、お・と・し・て・あ・げ・ま・す♪」


「・・・左様ですか」


これが休日スタイルの地味子ならどんなに眼福ものか。

酷くゆがんだアホ面で大した返事もできずに、俺はぼーっと地味子が過ぎ去っていくのを見届けていた。


あいつ、膝の裏にほくろがあるんだな。



_______________________________


放課後、軽く守と談笑してから家庭科室へ向かっていく。

何か形容しがたい居心地の悪さとザワザワした感情がどうにも俺の足を速めている気がしてならない。


あいつの事ははっきりいって信用していないしこれは地味子ではない相手でもいえることだ。


そう簡単に人を信用することはできない。だけどもしかしたらあいつなら、という気持ちがないわけでもなく、ここ最近は宙ぶらりんな気分で日々を過ごさざるを得ないし、暇があればついつい地味子のことを考えてしまう。


いっそのことあいつを信用してみるのもいいかもしれない。それでまた裏切られたらもう今度こそ人を信用せずに済む。人と人との関係に無駄な思考を巡らせる必要もない。


考え始めると最終的には自暴自棄な解決策にたどり着いてしまうからやはり俺という性分は中々変わらないものなのだろう。


そうこう考えているうちにふと、芳醇なコーヒーの香りが漂ってきた。

気づけばもう家庭科室の前。

おそるおそる扉を開けてみると、ちょうど地味子がやかんを手にしドリッパーにお湯を注いでいた。


「あ、明君。ちょうどいいところに来てくれました。今コーヒーを淹れてるので座って待っててください。もうすぐ出来上がりますよ」


「あぁ、ありがとうな」


すると地味子が急に顔を上げ、驚いた顔で俺を見つめ始めた。


「どうした?俺の顔に何かついてるのか?」


「いえ、その・・・明君がありがとうなんて、珍しいなと思いまして」


そう言われればそうだ。

俺は無意識に出た自分の言葉にやや時間差をもって驚き始めた。

思えばここ最近、いや小さい頃から、俺は誰かに感謝の言葉を伝えてきただろうか。

誰かに何かをされたわけでもないのでそうそうありがとうなんて言う機会もなかったのかもしれない。

だけどこんなにありがとうを言わない人間もそう多くはないだろうし、ありがとうを言えない人間も傍から見ればなんだこいつはと訝しがられるかもしれない。


人間の根本的な感謝という感情を持ち合わせていないのか、持ち合わさなくなってしまったのか。

いずれにしろそれを気づかせてくれた地味子には少なからず信頼を抱いてもいいのではないか。


様々な記憶や思いが螺旋のように舞い上がっては下降してくるような、相容れない感情たちが今も俺の中を駆け巡っていく。


そんな俺の気持ちが顔に出ていたのか、地味子が完成したコーヒーを差し出してきた。


「とりあえずコーヒーを飲んで落ち着きましょ?」


「そうだな、頂くとするか」


まずこの香り。

缶コーヒーなんかでは再現できない本格的ともいうべき美味を体現したようなそれに早速驚いてしまう。

口へ持っていく速度が思わず早まってしまうがいかんいかん、これじゃまるで地味子に手なずけられた犬ではないか。


愛犬よろしく息を高揚させながら次第にコーヒーは口の中へ。


「・・・なんだよ」


「いやぁなんていうか、コーヒーを飲んでいるときの明君、必ず口元が元に戻るんですね。なんだかすごく可愛らしくって」


「元に?いつもはどんな感じなんだ?」


「いつもは経営者や政治家さんみたいに口元がへの字に曲がってますよ。それはそれで可愛いんですけどね♪」


こいつは俺自身の気づかない部分をよく見つけられるな。

普段の口元なんて端から注目もしていないし見ようとも思わなかった。


というか俺の口元って普段曲がってたんだな。ややショック。


おちょくられつつもその元に戻った口へコーヒーを注いでいくのだが、これはまた驚いた。


こんなに美味しいコーヒーなんて飲んだことない。

別にコーヒーマニアなわけでもないし高級豆を使用したお高めのコーヒーも何度か飲んだ程度だが、プロでもない、それも学生がこれほどまでに旨味と苦みを引き出したコーヒーを淹れられるなんて。

地味子の進路がまた一つ増えたように感じる。


「ところで明君は、どんな人が好きですか?」


「突然すぎるな・・・う~ん、あんまり考えたことはないけど」


コーヒーを含みつつ、何となく浮かんできた理想像を告げる。


「変わらない人、かな」


「変わらない人ですか。そんな人いるんですか?」


「いないかもな。人なんてその時その時で変わっていくものだし。だけど根っこの部分で不変的なものがあるなら、好きになるかもな」


「そしたら私ですね!」


「地味子か・・・。ん~何とも言えない」


「むぅ~、何ですかその歯がゆい返答は。私は今までもこれからも明君と仲良くしていきたいと思ってますよ?」


「そうか・・・そうだといいな」


「はい♪」


今後、地味子と仲良くやっていく自信は危うい所だが、こんなに美味しいコーヒーを淹れられるのなら一考の余地はあるかもしれない。


その時の情勢や環境、立ち位置や身体的状態などで思春期の学生なんていくらでも変わりようはある。

良い方へも悪い方へも、いくらでも変わりようはあるだろう。

もちろん俺だって何かがきっかけで変わるかもしれないし、地味子だって何かの拍子に突飛な行動に出始めるかもしれない。というかもう十分突飛・・・なのか?


少なくとも今の状況は危ういながらも、人生においては確かな一歩を歩み始めているのかもしれない。

そう信じていたいし、信じられるようになるためにも、とりあえずは信じていきたい。


「もうすぐ下校の時間ですね、一緒に帰りましょう、明君♪」


「お、おう・・」


「もう、なんですかその返事は。私は明君の家まで同行してあわよくば夕食にご招待してもらおうなんて、そんな無粋な事は考えてませんからね!」


「その返答は十分考えてる証拠だろ!!」



波打ち際に漂う紙片のよう、今日も俺たちの日常は、ゆったりと進んでいく。

やがて岩部に張りつき苔と同化するまで、絶えずこの心境に抗い続けるのだろうか。


とりあえず俺は歩んでみる。

歩んだ後も歩んでみる。

歩み終わっても、また歩んでいきたいと、ほんの少しだけ笑えた気がした。

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