硝煙と血肉

@uhahahakawauso

硝煙と血肉

 濃霧はいまだ晴れる兆しを見せず。不安をたいして唾が湧きもしない舌で唇を濡らす。恐怖か武者震いか、あるいはその両方か三間半の槍が行軍時よりも重く感じる。

そんな考えを巡らせているうちに先陣の方からかすかに雄たけびと鼻につく懐かしい硝煙のにおいが辺りを埋め尽くす。その刹那、轟音が鳴り響いた。

阿鼻叫喚の図が繰り広げられているということは理解はしている。

だが、本能が追い付かない。この轟音を聞くたびに故郷、国友に残した妻子とこの音が鳴ったと同時に上半身や顔を失った過去の戦友たちだった物らとのくだらない会話を思い出す。死にたくない。武田にこの陣は破れない。事実、幼少の頃より鉄砲の恐ろしさを嫌がおうにも理解させられる私からしてみれば、織田方が絶対に勝てる。

しかし脳漿にこびりついた恐怖が理解を上回る。

またあの轟音が聞こえた。今度は敵方も撃ち返している。




勢いに酔っていた先陣の鉄砲衆はすでに半分ほど倒れている。

「足軽、前へ!」

大将の声が聞こえる。

霧はとっくの昔に晴れきっており、数多の「人であったもの」を焼きかねない勢いで照らしている。自らの肩と街道にあとを残した丸太で構築された馬棒柵は原形をとどめていないものがほとんどである。


 後詰として投入された私たちは硝煙と血肉残るこの設楽原に思いをはせつつ、声と息を残した敗残兵をしらみつぶしに刺していった。故郷に帰れる安堵感か、硝煙に酔ったせいか、自ずと血肉を刺すたびに口角が上がる。槍を通して伝わる感触が生を実感させる。生き延びた。私は。流れ矢、流れ弾当たることなく。


 硝煙のにおいは未だにこの空間を支配する。今刺しているこの血肉は人であろうか

何であろうか。私には理解できない……いや、理解しようとしていない。

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