6.『美空天文台』

「まさか瀬川先輩が美空天文台の操作資格を持っていたとはねー」


「びっくりだよ、出身高校が近くで部活動の一環で通ってたなんて。あんな環境で部活できるなんて超羨ましいな…」


「何にしてもありがたい事だわ。これで観測の実現性が見えてきたわね。日高、予算獲得に向けて頑張ってレジュメ作りましょ?」


「手伝ってくれるのか?」

「もちろんだ、ライトカーブの測定に必要な口径の計算的根拠も必要だろ。俺たちも一緒に手を動かして理解しておかないとな。日高に任せっきりじゃいけないだろう?」


「あ、ありがとう」

 日高が居心地悪そうに礼を口にする。


「ひーだーかー? なんかもじもじして気持ち悪いよ〜?」

「うるさい、何か優しすぎてムズムズすんだよ!」


「私たちがそれだけ燃えるくらい面白くなってきたって事よ。まぁ、先輩にも言われたけど実作業は期末作業終わってからね。伊勢崎先輩との連絡のやりとりは任せるけど、それ以外は一旦保留にして試験に集中しましょ」


「そうだなー」


 日高が遠い目を、桜並木の枝先に向ける。


 膨らみ始めた蕾はまだ硬く、春を信じて耐え忍ぶ覚悟を漂わせていた。


 脳裏に数々の授業の出席率、中間テストの得点がよぎる。楽しい星見生活ではあったが、随分と借金を積み上げてしまったのかもしれない。


 不意に溢れ出た成績への漠然とした不安感を慌てて心の奥に押し込むと、日高は帰宅までのひととき2人との会話に興じる事に集中した。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 2023 3/31 午前10時 


 広総大サークル棟前の車寄せに止められたミニバンに、日高と北山がせっせと荷物を積み込んでいる。


 期末試験を終えたのち美空天文台に務めるOBの伊勢崎のアドバイスも受けながら提出した応募は、無事に審査を通過し彼らは100cm望遠鏡の一晩の使用権を得た。


 同時に、大学側へは副会長の瀬川が今回の遠征観測の諸経費ーーレンタカー代、ガソリン代、宿泊費ーーを実費相当で助成できるよう交渉を成立させ、晴れて全ての条件をクリアした彼らは、何故かちゃっかり席を確保していた会長大西も含む5名でこの日、いよいよ観測へと繰り出そうとしていた。


「瀬川先輩、積み込み終わりました。ナビの設定は済みましたか?」


 日高が運転席を覗き込んでたずねる。


「あぁ、いつでも行けるぞ。ーー大西と望月さんはどこへ行ったんだ?」


「さっき、移動中のオヤツを買うんだって2人して生協へ行ったみたいですが…」


「そうか、、アイツら… ピクニックじゃねーんだぞ… うわつきやがって…」

「あはは… ーー戻ってきたら出発しましょう」


 と、そこに星の被り物をした大西と沙織が生協のビニール袋をぶら下げて走ってくるのが見えた。1人多いが酷く既視感がある光景だ。


「さぁ、行きましょう!」

「さぁ、出発しよう諸君!」


「お前らを待ってたんだよ! …さぁ早く乗れ…」



 ライトカーブの測定に使う機材は事前の打ち合わせで美空天文台からの貸出機材を使用する事になっていた筈だが、ミニバン3列目シートを倒して確保したスペースには望遠鏡や赤道儀が入ったプラスチックコンテナが複数積み込まれている。

 日高と北山が、天候待機込みの最大3泊4日の間に少しでも晴れ間があれば、宿泊施設の前で望遠鏡を出すと主張して譲らなかった結果だ。


 美空天文台のある美空町は町を挙げて、星空を観光資源とすべく様々な取り組みを行っている。特に街から夜空に余計な光を出さない事に対しては、住民も含めて高い意識を持っており、新設計の街灯などが設置されるなど星空と人々の生活の共存を目指す先進的なコミュニティーとも言える。

 事前調査の中でそれを知った日高と北山の期待感は否が応にも高まり、晴れれば3晩完徹も辞さないと宣言して燃え上がっていた。


 5人を乗せたミニバンは人口に不釣り合いなほど高規格なバイパス道路からそのまま山陽自動車道に乗り換え、春霞の白っぽい空の下、一路岡山に向けて快走していく。

 岡山県に入って30分ほど、行く手にそびえる山並みの中に、日光を受けて白く輝く複数のドームが見えてきた。


「あれが美空天文台だよ」

 運転席から瀬川が後部座席に声をかける。


「えっ、どれどれ!?」

「おい、急にこっちに寄るな!」


 2列目の真ん中に挟まれていた沙織が日高の座る左側の窓に顔を貼り付けたせいで、日高が身体を目一杯逸らせて避けている。


「あれー、ドーム沢山ありませんか? あれ全部美空天文台の施設なんですか?」


「いや、隣り合った敷地に美空スペースガードセンターがあるんだよ。そのドームも見えてると思うよ。美空天文台のドームは1個だけだね」


「スペースガードセンター…、宇宙人との接触に備えているんですか?」


「いや違うって、地球の周りを回っている宇宙ゴミの軌道とか、地球に近づく天体を監視している施設なんだよ」


「へー、そんな所もあるんですねー」


 日高も沙織の横顔越しに白く輝くドーム達を見つめる。しばらくすると、高速道路が大きくカーブし天文台群は手前の嶺に隠された。



「先輩、何時ぐらいに到着しますか?」

「14時ぐらいには着くよ。だいたい予定通りだな」


「はーい。ーーそういえば、大西先輩が妙に静かですね?」


「あぁ、昼食べてからずっと寝てるよ… 助手席で…」

「あぁ…そうですか」

「瀬川先輩、お疲れ様です」

「おつかれっす」



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「あぁー、やっと着いたかー。遠かったな〜。背中と腰が固まっちゃったよ〜」


 部屋の入り口にバッグを置いた大西が、部屋の畳に転がって腰をくねらせながらバタバタしている。


「大西先輩その動き気持ち悪いんでやめてください」


「さおりちゃん…、何か正式に入部してから一層私へのアタリがキツくなっていないかね?」


「そうですか? 大西先輩の気持ち悪さが増したんじゃないですか??」


「さおり、、気持ちはわかるがその辺にしておけって。もう止めは刺せたから、ほら」


 大西は畳に突っ伏したまま動かなくなっていた。そこに、ロビーに行っていた瀬川が帰ってくる。


「さて、チェックインは済んだ。今夜観測を行うかどうか、17時までに美空天文台に連絡が必要だ。ーー日高、天気はどうだ?」


「正直、微妙です。今日は本来曇りの予報で、明日以降日曜日に向けて天候が回復していく予想でした。昼間はいい天気でしたが霞が多いですし、夕方から雲が出る可能性は高いと思います。 もう少し待ってみて、予想通りなら今日は止めて明日にしましょう」


「わかった。じゃあ、陽が落ちて天文台の一般開放が始まったら行ってみよう。伊勢崎先輩は今夜も出勤なんだろ?」


「はい、そう聞いてます。曇りでも観測の打ち合わせができるからおいでって言われました」


「よし、じゃあ夕食の準備までは各々自由時間にしよう。おい、大西いつまでそうしているつもりだ。真ん中の襖を閉めて部屋を半分に仕切るぞ」


「瀬川先輩、気を使わなくても大丈夫ですよ? 私、別に気になりませんから…」


「いや、本来なら2部屋確保するべき所なんだ。…予算不足で申し訳ないな。せめて、空間はしっかり分けさせてもらう。そっちの奥、窓際の方を望月さんで使ってくれ」


「ーーわかりました。じゃ、そうさせてもらいますー」

 沙織が自分の荷物を引っ張っていくと、襖を片方引いた。


「で、みんな夕方までどうする?」

 北山が問いかける。


「うーん、仮眠かなぁ…」

 日高が部屋の隅を見つめながらつぶやく。


 視線の先、畳にべったりと顔を押し付けたまま微動だにしない大西からは、すぅすぅと気持ち良さそうな寝息が漏れ聞こえていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 20時


 一般公開時間に差し掛かった美空天文台の駐車場に到着すると、5、6台の車が停まっているだけで駐車枠はまばらに埋まっていた。


 幅広の螺旋階段を登って2階に進むと、写真の展示室とデッキに進む順路が示され、その奥に観測室と書かれた矢印がぶら下がっている。


 瀬川を先頭に5人が光避けの長い暖簾をくぐって観測室に入ると、中心にそびえ立つ望遠鏡に取り付いていたコート姿の男が振り返った。


「やぁ瀬川くん。久々だね、いらっしゃい」

「伊勢崎先輩、お久しぶりです。こんな形でお世話になれるとは思いませんでした」


 瀬川が頭を下げながら言う。

 伊勢崎は丸メガネの奥で懐かしそうに眼を細める。


「いい事だ。来るのを楽しみにしていたよ。それで、彼らが未来有望な1年生達?」


「もう4月から2年生になっちゃいますけどね。初めまして、望月沙織です」

「日高武夫です」

「北山海斗です」

「ーー大西剛志です!!」


「おお!大西君は留年したのか!おめでとう!」

「ちょちょちょちょっと!!何でそのリアクションなんですか、ボケ殺しやめて下さいよ〜!」

「何で来たの大西君、曇って後輩達の観測に迷惑かけちゃダメじゃないかー」

「伊勢崎先輩、もう去年までの私では無いのですよ…! 見ていてください。明日は絶対に晴れますから!!」

「あーはいはいはい」


「それじゃあ、ちょうど曇ってお客さんも途切れてるから望遠鏡の説明でもしておこうか。瀬川君以外は初めてだよね?」

「えぇ、是非お願いします」


「では、改めまして美空天文台へようこそ。これが、美空天文台の100cmクラシカル・カセグレン望遠鏡望遠鏡です。合成焦点距離は1050cm、主鏡と副鏡の鏡材にシタールガラスを採用しています。焦点は主焦点のカセグレン焦点に、フォールデッド・カセグレン焦点、それから撮像用のナスミス焦点の3つが使用可能です」


 事前に望遠鏡の構造とスペックを頭に叩き込んできた3人が無言で頷くのを見ると、伊勢崎が続けて説明する。


「普段、観望会で使っているのはこの望遠鏡のお尻にある、カセグレン焦点。君たちがライトカーブを撮るのに使うのはその高い所にあるナスミス焦点。あと、分光はもし余裕があればチャレンジする予定だけどその場合はカセグレン焦点の手前にあるミラーを動かして、フォールデッド・カセグレン焦点に光を送るよ」


「こんな大きな望遠鏡を、私たちの観測に使うのね…」

「やっぱり目の前にしてみると、ドキドキしてくるよな…」

 今更ながら観測のプレッシャーを感じだしたのか、日高に至っては無言である。


「いやー、まさかこんなに早く天研の後輩達が来てくれるとは思わなかったよ。しっかりサポートするから安心してね。明日は、楽しみにしてるよ」


「伊勢崎先輩、明日は天気大丈夫そうですかね?」


 日高が不安げに尋ねる。


「あぁ、少なくとも今夜を外したのはいい判断だったと思うよー。明日以降は回復傾向だし、一応月もどんどん大きくなっていくから

 明日やれると良いね」


「今夜はどうですか?深夜まで粘れば晴れそうですかね?」

 今度は北山が尋ねる。


「今夜かー、湿度高いし朝方はガスが出ちゃうかも。もし雲が切れるとしたら、この後0時前後じゃないかな。あんまり無理せずに明日に備えて寝たほうがいいかもよ?」


「ーーわかりましたー」

 北山がわかりやすくうなだれる。


「日高も北山くんもこんな大きな望遠鏡があるのに、わざわざサークルの望遠鏡持ってきたんですよー。だからどうしても見たいんだよね?」


「あっはっは、気持ちはよく分かるよ。普段使ってる望遠鏡にも色んな星空を見せてやりたいんだよな?」


「そうです!!伊勢崎先輩はやっぱりわかってくれるのか!」

「さすが神と呼ばれた人は違うな…」

 日高と北山が今度は感涙に震えている。


「2人とも、随分と感情が忙しいわね… 大丈夫かしら?」

「まぁ、初めての遠征で興奮が抑え切れないのだろう。少し星が見えたら落ち着くと思うよ」

 ジトっとした目の沙織に、瀬川が横から耳打ちする。


 日高と北山、大西は伊勢崎を囲んで現役時代の神伝説トークに花を咲かせ始めている。


 大きなドームの一角を切り抜く縦長のスリットの先では、墨を流した様な空が見える。

 沙織は目を凝らしてみたが、やはり星は見えず。確かに曇りの様ではあった。


「ちょっと、デッキに行ってみますね。あっちが済んだら呼んでください」

「わかった。行ってらっしゃい」


 瀬川に告げて、沙織は順路を戻り手前の分岐から今度はデッキへと向かう。


 分厚いドアの取手を下げて押し開けると、そこには柵で囲まれた円形のスペースが広がっていた。ちょうどドームを囲む、帽子のツバの様に東西南北どの方向も観望できる様になっているらしい。


 南の端に向かって足元に注意しながらゆっくりと歩み、柵に手をかけた頃には闇夜に眼が慣れだして空の様子が少しづつ把握できる様になってきた。


 ドームの中からは墨を流したように黒一色に見えた空にも微妙な濃淡があり、じーっと眺めているとそれらはゆっくりと配置を変えながら西へ西へと流れているのがわかった。


 それは確かに雲であるようだが、沙織が見慣れた大学から見る夜の雲とは全く違うものだった。


「雲が夜見えるのは、地面の光を反射してたからなのね…」


 遥か遠望には街明かりと思しき光の小さな集団がポツポツとあり、その上には確かに白くぼんやりとした雲が浮かんでいるようだ。


 日高や北山が浮つくのもわかる。

 自分もこの場所で満点の星空を見てみたい。



 背後でドアの開く音がしたかと思うと、ひと呼吸置いて声が飛んできた


「ーー望月さん? 中で機材のチェックを行うようだ。戻っておいで」


 瀬川がわざわざ呼びにきてくれたようだ。


「わかりました。今行きます」


 沙織は返事を返すと、どこかに星のひとつでも見えないかともう一度空に目を凝らすが、ついに何も見つけることができなかった。

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