2.『夜明けの報告』
掩蔽観測の翌朝、彼らは冷え切って夜露にまみれた機材を快速くんに乗せてサークル棟に戻ってきた。
施錠時間より後に機材を使うなら翌朝建物が開錠されるまで不退転の決意で夜通し観測し続ける必要があるのだ。頭を捻っても意味のわからない掩蔽観測の結果はとりあえず頭の隅に追いやって、2人は朝までしばらく前から取り組んでいるメシエ天体リレーの消化を進めていた。
メシエ天体は彗星の探索家であったフランスの天文学者シャルル・メシエが、彗星探索の邪魔になる紛らわしい天体の位置をリスト化したものだ。
当時の望遠鏡ではぼんやりと彗星に近い見え方をする天体が記載されており、その正体は星の集まりである星団や光るガスの雲である星雲だったりする。現代においてはアマチュアが小口径の望遠鏡で楽しみやすい天体の一覧として良く知られており、メシエカタログを一通りクリアするという事は観測ビギナー卒業のパスポートの様なものでもあった。
ボックスの壁には日高が貼り出したメシエ制覇リストがでかでかと張り出され、既に1/3近くに2人の名前が書き込まれている。
機材を一旦機材棚に全て押し込むと、各々サインペンを手に取り昨晩の成果をリストに書き込んで行く。更に8天体が制覇済みに加わる事になった。
「けっこう稼げたな」
「うーん、でも見逃しもあったからな……」
「どれだったっけ?M95?」
「うん、暗いとは聞いてたけどさっぱりだった。30cmもあるのに無理なのか、いや導入ミスってたのかな」
「でも、3兄弟の位置関係的にはあそこで間違いなかったじゃんよ。長過ぎるんだろ。今度は25cmドブソニアンとイーソスで探そうぜ」
「そうだな。じゃあ引き上げるか。うち寄ってくか?風呂沸かすよ」
「頼むわ、じゃあ牛丼は俺だな」
観測開けの朝は何故か学生街の端にある牛丼チェーン店で牛丼を食べて解散するのがこのサークルの流儀らしかった。食べられれば何でも良かったのかもしれないが、残念ながら田舎の学生街で24h営業している飲食店がチェーンの牛丼屋しか無かったからかもしれない。
最初のうち日高は何でそんな重いものを朝からと敬遠していたのだがしばらくすると慣れてしまった。特に寒い時期は一晩屋外で過ごすと気づかない内にそれなりのエネルギーを消費しており、しっかり腹に溜まるものを食べて休むと確かに復活が早い様な気がするのだ。
夏の終わりまでは牛丼を食べて各々の下宿に解散していたのだが、秋も深まると家に着く頃には身体が冷え切っておりそれぞれ熱いシャワーだけでは耐えきれないという話になった。しかし、仕送り学生の身で高いプロパンを使って風呂を沸かすのは中々お財布に厳しいものがある。
そこで日高と北山は話し合い、どちらかの家で風呂を沸かして交代で入る代わりに、風呂を借りた方は牛丼を奢る協定を結んでいたのだった。
牛丼を押し込み、今回は日高の下宿で熱めに風呂を沸かすとリビングに荷物を降ろした北山は浴室をあごで指した。
「たけちゃん先入ってこいよ。家主だろ?」
「そんじゃ、遠慮なく」
浴室は張った湯の熱がこもって、心地よく暖かだった。身体を洗い、小さめのユニットバスに身体を折り曲げる様にして沈めると大きく溜め息がでる。
元来寒さは得意な方ではない。冷え性なのか、しっかり着込んでいても末端から寒さがしみ込んできてしまうのだ。
機材を安全に、繊細に操作する為に手袋を外している時間が多いのも原因かもしれない。そんな事を考えている間にも、冷え切った指先からじわじわと熱が染み込んでくるのを感じるがまだまだ身体の芯の方は生煮えだ。
(俺は大根、おでんの大根だ…)
目を瞑って、黄金に輝くカツオ出汁が自らの身体の芯まで染み入ってくるイメージにしばし浸る。さっき牛丼で満たしたはずの腹が、湯船の中でギュゥゥっと鳴き声を響かせたのでハッと我に返ると、思わず苦笑する。
「さっさと北山に代わってやるか…」
そう呟くと芯まで出汁の染みた身体を引き上げて、そそくさと脱衣所に向かった。
「おさき〜」
「おう、行ってくるわ。良い湯だったか?」
「おでんの気分だ、最高だったね」
「ん? なんだそりゃ?」
北山が不可解な顔をしながら、入れ替わりに脱衣所に向かう。
日高は自分のデスクの上に鞄からノートパソコンを取り出すと、画面を起こしパスワードを打ち込んでスリープから復帰させる。
しばらく待って、Wi-Fiの接続を知らせるアイコンが浮かんだのを確認すると、日高は一旦台所へ向かってケトルのスイッチを入れる。
耳を澄ますと、シャワーの音に混じって北山が歌う昭和歌謡の鼻歌が聴こえてきた。
「この時期に夏のお嬢さんはねえだろ…」
苦笑しながら、日高は食器棚のマグカップに手を伸ばした。
デスクに戻り、ブラウザを立ち上げるとブックマークから日本掩蔽観測ネットワークのページを開く。トップページに、昨夜建てられたばかりのスレッドが更新通知として表示されていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
[TYC5941-00788-2 2022-1-26-22-53-13.4][返信数 15]
返信数を見るに、既に盛り上がっている様だ。コーヒーを啜りながらスレッドをクリックして開いた。
ID:soreIka Th Jan 26, 2023 11:16 pm
北限線を狙い東海地方まで南下しましたが、イベント時刻直前に雲が出て観測不可でした。どなたか撮れましたか?東海地方はGPVでは予報されていなかった雲が太平洋側からわっと湧いてきた感じでしたが、、、
ID:虎V7 Th Jan 26, 2023 11:47 pm
遠征乙です。こちらもダメですた。直前まで絶好の好条件だったのでガックシ。明日の会議起きてられるかな、寝ます。
ID:Shirota-k Th Jan 26, 2023 11:49 pm
下田の城田です。曇りのため観測ならずでした。北限に近かったので、制限ができず心苦しいですが…。
ID:れんちゃん Th Jan 26, 2023 11:52 pm
反省会場はこちらですか(・∀・)
仕事終わって空見たら雲が流れてきてたんで、悩んだんですが筒出すのやめました。
ひまわりの赤外見ると兵庫から西はすっきり晴れだったみたいですね。頑張って出しとけばよかったm(_ _)mスマソ
ID:toll-kL Th Jan 26, 2023 11:52 pm
toll-kL @ 下関 です。観測報告します。
(3371) Mithere 15.6 TYC5941-00788-2
2023 1/26
22:50〜22:57 ビデオ観測
GPS時計同期、モニターにインポーズ
Celestron C14 直焦点 QHY178C
快晴(雲量0/10) 透明度 最良 シンチレーション 中
減光を観測(確実性5/5)
潜入 22:53 16.75 +/-1Fr から
出現 22:53 20.32 +/-1Frまで
3.57sec +/-1Fr 間
動画貼っときます。
ほぼ、予報通りの掩蔽でした。
File // 3371-toll-kL-22-50-00.mov
ID:高知Tech-m Th Jan 26, 2023 11:53 pm
こんばんは、高知Tech-mです。
今夜のTYC5941-00788-2の掩蔽観測結果を報告します、、が、どうも予報外の事が起きている様に思われます。他の方の結果とも比較したいです。
掩蔽は予報時刻+1.85で始まり、その2.35秒後に一旦光度が戻ります。等級測定はできていないのですが、動画では掩蔽前と同等の明るさまで戻っている様に見えます。その1.45秒後に再び掩蔽が起こり、2.40秒継続した後に終了しました。
当地の観測経度、緯度とタイムスタンプは動画内に記載してありますのでご確認ください。
元々、8.3秒間の掩蔽が予報されていたので非常に戸惑っています。
どなたか同様の観測結果を得られた方いらっしゃいませんか?
File // 2023-22-53-cut3.mp4
ID:れんちゃん Th Jan 26, 2023 11:55 pm
え?どういう事?? 雲じゃないんですかね。
ID:soreIka Th Jan 26, 2023 11:55 pm
≫高知Tech-mさん 興味深い報告です。
雲の状態や機材については確認されていると思いますが、何か心当たりはございますか?
また、高知Tech-mさんは目視でこの現象を確認されていますでしょうか?
ID:高知Tech-m Fri Jan 27, 2023 00:03 am
≫soreIkaさん 天気は快晴で雲の可能性は低いと思います。掩蔽の前後もビデオを記録していましたが、他の部分で撮影が途切れるような事もありませんでした。念の為、掩蔽されている部分の背景を切り取って他の時間帯とゲインを比較してみましたがほぼ同一の値が出ているのでその瞬間撮影がブラックアウトしている可能性は低いと考えます。
拡大撮影法でビデオカメラを載せていたので、自分の眼では確認していません。
toll-lKさんが予報通りの掩蔽を観測されているので、少々自分の報告結果に自信を持てていませんが。衛星があるとこの様な結果になる場合があるのでしょうか?
ID:soreIka Fri Jan 27, 2023 00:18 am
≫高知Tech-mさん 私も映像の見え方からして、実際に起こっている現象の可能性が高いと思います。過去には限界線付近で掩蔽が起こらなかったり、予報時刻が多少ズレたりする事はありましたが今回の様なケースは初めての経験です。衛星の可能性もありますが、南側の観測結果と突き合わせるのはちょっと無理がある様に思えますね。
明日の朝以降、追加の報告者が現れると良いのですが…。
ID:高知Tech-m Fri Jan 27, 2023 00:20 am
≫soreIkaさん そうですね。明日がありますので、今夜は一旦失礼させて頂きます。
ID:れんちゃん Fri Jan 27, 2023 00:25 pm
何か不思議な事が起こっている( ;∀;)
ID:パンパンダ Fri Jan 27, 2023 01:32 am
まだ見た事のないもの〜
ID:パンパンダ Fri Jan 27, 2023 01:32 am
みて〜みた〜いな〜〜
ID:パンパンダ Fri Jan 27, 2023 01:33 am
くじらの〜じゃんぷ〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日高はスレッドを読み終えて、小さく息を吐いた。昨晩自分達が目にしたものは、幻じゃない。そう思った途端に少し目眩がして机にひじをつくと、背中から声が掛かった。
「おい、たけちゃ〜ん、大丈夫か?もう寝たほうがいいぜ。今日は午後からだろ?今から寝れば5時間は寝れるぞ」
「上がってたのか。そうだな、ちょっと観測ネットのスレッドを見てたんだ。」
「何か書いてあったか?」
「高知の観測者が動画で捕まえたらしい。」
「それで?」
「見たらわかる」
日高はそう言って、ダウンロードした動画ファイルを再生する。
「おおー、俺たちが見たのは夢幻じゃなかったわけだ」
「そうだな。ーー続きは起きてからにしよう。もう限界だ。そこの毛布好きに使ってくれ」
「はいよぉ、クッション借りるぞ」
北山は慣れた手つきで人類をダメにすると話題の大型ビーズクッションを2つ引き寄せると腰と背中の下に来るように位置を調整し、毛布を引き寄せてズッポリ頭から被った。
よくこんな装備で寝れるものだと思うが、本人曰く部活時代に学校の丸椅子を並べてその上で寝ていたので、それと比べれば楽勝との事だ。
「12時には起こしてくれ」
「はいよ」
北山という男、寝付きは良いが寝起きは絶望的に悪い。いつもスマホのアラームで先に目を覚ました日高がギリギリまで粘る北山をクッションから蹴落として起こすのであった。
どうせ今日もそうなるのだろう、そんな確信めいた予感を感じながら日高の意識はカーテンの隙間から差し込む朝日の中に溶け込んでいった。
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