Autumn Leaves

じあさん

§1 《ミス・ドーナツ》

1.『小惑星掩蔽』

「おーい、北山! ウェイト持ってきたか?」


「ん?その辺に無いか?ちょっと見てみてくれ。 …あー、無かったらボックスに忘れてきたかも」


 そう言われて額のヘッドランプに手を伸ばす。ライトを手で覆いながらボタンを3度押し込むと、LEDの強烈な白色光から順番に切り替わっていき赤い控えめな灯になった。

 

 目が眩まない様に調光された赤色LEDの光を浴びて、な吐息が立ち昇る。


 首をめぐらし、ぐるりと周りを照らしながら見渡すと、台車の横にいつもウェイトを入れているプラスチックケースが見えた。歩み寄ってケースのバックルを外し、蓋を開けるとグラム単価で国産牛より高い孔付きの円盤がお目見えする。



「なぁ北山、ミード載せる時ってウェイト2枚じゃ無かったか?」


「そうだっけ?俺は覚えてないな…」


「ーーGPS時計の同期に何分か掛かるんだろ?いいよ、組み立ては後にして先にパソコン準備しててくれ。その間にもう1枚ウェイト取ってくるよ」

「わかった、そうしよう。」




 北山が伸ばしかけた三脚から離れ、リュックからノートパソコンが入っているであろうソフトケースを取り出すのを尻目に、台車を押してボックスへの道を歩き始める。ボックスまでたっぷり片道200mはある。ウェイトは5kgもあるし快走くんーー台車の助けは必須だろう。


 今の快走くんは2代目で、ハードユースに耐えかねて脚を壊した初代に代わり、近所のホームセンターから調達されて来た奴だ。その滑らかな走りは加齢を抜きにしても先代とは一線を画すもので、お目見えの日に飛び乗った先輩を回転投げで吹き飛ばし病院送りにする大事件を起こした事は記憶に新しい。背板のラベルに輝く『耐荷重100kg』の文字が誇らしげだ。


 ボックスにたどり着き快走くんを入り口の脇に停めると、ポケットをまさぐり機材棚の鍵を取り出しながら電気も付けずに天研のブースに入る。


 ヘッドランプの光を頼りに散乱する寝袋やら段ボールやら新歓の看板やらをかき分けて機材棚にたどり着き、扉を開いて中を覗き込むがお目当てのウェイトが見当たらない。


「しまった… 下の倉庫だったかな」


 視線を上げると、星座線に埋もれた掛時計が蒼白く光っている。針は9時45分を回ろうとしていた。





 この天研のベース基地たるがあるサークル棟は22時に施錠される。天体観測をメインとし主に深夜に活動する天研ーー天体観測研究会ーーとしては、非常に不便な事この上なく改善すべく大学側に様々な工作を仕掛けているのだが現時点では実を結んでいなかった。


 地下第3倉庫、通称『下の倉庫』には使用頻度の少ない機材が保管されている。今夜使用するミードLX-200シリーズのような巨大で重たく、取り回しが悪い機材も下の倉庫に眠りがちだった。


 久々の出番だったので、セッティングがあやふやで昼間に倉庫から出した時に追加のウェイトを取り出し損ねたのだ。下の倉庫を開けるには、事務所で鍵を借りなくてはならない。大慌てで事務棟に走り込むと、奥でテレビを見ていた事務のおじさんが受付窓の向こうから驚いた様に顔をこちらに向けた。



「おお、天研さんやないか。どうしたんや?」


「すいません、忘れ物しちゃって。地下第3の鍵貸してもらえますか?」


「おー、こんな寒いのに星みるんか。あんたらも好きやなー。ええよ、そしたらここに学籍番号と名前と時間書いて」



 そう言いながら、グイッとバインダーを差し出すと部屋の中に向き直りキーボックスの中なら迷わず目当ての鍵を拾い上げる。


「はい、学生証出して。日高 武夫 ね、よし。あと10分で返してくれるか?」

「大丈夫です、間に合いますよ」



 言い切って鍵を受け取ると、地下に繋がる階段へと駆け出していく。実際、鍵を返すまで5分と掛からなかった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 真っ黒な空に枝だけを伸ばした桜並木の脇を、ガラガラと台車の音を響かせて進むと闇の奥から北山が呼びかけて来た。


「おかえりーたけちゃん、何か遅かったな」


「すまんかった。それがさ、ボックスにウェイト無くて地下まで取りに行ってたんだ」



 見ると三脚の上にEM-200赤道儀が据えられ、2枚目のウェイトの装着を待つばかりとなっていた。


「それは危なかったな、早めに気付いて良かった。でも掩蔽まであと40分しかないぞ、早く組んじゃおうぜ」

「わかった、そうしよう」


 2人で頷き合うと、残りの組み立て作業を手際良く進めていく。10分後、大学の端でほとんど使う人の居ないアスファルトの駐車場に不釣り合いな天体望遠鏡が組み上がっていた。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




 北山との出会いは、と呼ばれるサークルの勧誘活動の場だった。大学内の学生が多い通り道に、各々のサークルが占い屋の様にブースを建て、道ゆく新入生に声をかけてそれぞれの団体への加入を勧誘するのだ。


 公な場だから強引な勧誘もしづらく、何人かで固まって動けば遠巻きに話だけ聞いて気が乗らなければ退散する事も容易だ。大学入学前から天研に入ると決めていた日高は、新歓初日のオリエンテーションが終わった後まっしぐらに天研の店に向かい挨拶もそこそこに入部の意思を宣言した。


 すると、そのブースに座っていた店子は新歓ノートと書かれた大学ノートを取り出し、表紙をめくって、ーーここに名前と連絡先を書いて と言いながら差し出した。

 

 見ると、既にノートには上から5列目まで5名の名前と連絡先が記入されていた。思わず、疑問が口から飛び出る。



「ーー失礼ですが、天研って何名くらい所属されてるんですか?新入生にも結構人気なんでしょうか?」


「へへっ、一番乗りだと思った? 心配しないで、上から4人目まではサクラだよ。ノートがまっさらだと新入生が警戒して書きづらいから毎年先輩達が自分の名前書いてるんだってさ、何か大学生らしいよね」


「なるほど、それじゃあこの5人目は?」

「俺だよ、俺」

「は?」



 ドヤ顔する店子から視線を落として、まじまじと5段目の名前を見る。そこには、先の丸まった鉛筆で書いたであろうかすれた太字で『北山 海斗』と書かれていた。



「じゃあ、あなたは新入生なんですか?」

「そうだよ?俺が1番乗り!」


「ーーなんで、新入生が店番やってるんです… 先輩達は?」

「んー?メシ買ってくるからしばらく見といてってー… あ、ほら戻ってきた。あの星の人達!」



 北山が立ち上がって指差す方を見ると、ハンドメイドだろう歪な星形の被り物をした男子学生が購買のビニール袋をぶら下げて歩いてくるのが見えた。


「おーい先輩!!ポケモンゲットだぜー!」


 大声で叫ぶ北山に集まる周りの視線。

 日高は居心地の悪さを感じて身を竦めながらも、諦めて鉛筆を手に取った。





 北山という男、一番乗りを取られたぐらいだから、さぞ星に興味があるのだろうと思って密かにライバル心を燃やしていたがそうではないらしい事はすぐに判明した。なんでも、オリエンテーションに遅れて参加しようと歩いていたら星の被り物をした先輩に声をかけられ、話を聞いているうちに星って面白いかもと洗脳されて入部を即断したらしい。


 しかし、その芽生えた興味関心は本物だった。元々知識豊富だった日高とタッグを組んだ北山は1年生の内に天研の主要な機材の使い方をほぼマスターし、2年を控えたこの春いよいよ日高と2人で天研の新しい活動をスタートさせようとしていた。



 この、地方大学の文化系サークル団体に名を連ねる天体観測研究会ーー通称『天研』は、そのお堅い名前のイメージ通り大学創立初期から続く由緒正しいサークルで、積年の活動によって多くの高性能な機材を所有していた。


 入学前にその情報を掴んでた日高は、高度な観測に明け暮れるマニアの巣を期待して入部したのだが、蓋を開けてみればマニアと呼べる様な先輩はおらず、高性能な機材にもカビと埃が忍び寄っていた。


 入学して1年弱、日高は眠っている機材の掘り起こしとメンテナンス、そして唯一のサークル同期となった北山のトレーニングを行い満を辞してこの天研の天研たる本懐、観測研究に挑戦する事にしたのだった。



 最初のターゲットにしたのは、小惑星の掩蔽観測。これは宇宙の彼方にある自発的に光る星である恒星の前を、太陽系内を飛び交う小さな石ころーーとは言え直径数十kmを越えるものも多いーーの小惑星が横切り、恒星の光を何秒かの間覆い隠す現象だ。


 それだけか、と言いたくなるがこの観測の面白い所は同時に複数箇所で観測した結果を突き合わせる事で小惑星の形状や大きさを推定できる事にある。


 小惑星は見かけ上一定の速度で夜空を動いていくので、観測する場所によって恒星の光が消える時間に差が生じるのだ。小惑星の端っこをかすめた光が届いた場所は掩蔽時間が短く、小惑星の中央部を遮った光が届いた場所は掩蔽時間が長くなり、また観測地の位置関係と照らし合わせる事で断面形状のプロットができるのである。


 この様な観測は、知識があれば市販されている機材でも可能でかつ複数地点で同時に行われる必要があるので未だにアマチュアによる観測が重要な分野となっていた。

 

 日高にとって、知識の中でしかなかったこの掩蔽観測も既存の天研の機材に追加で時刻同期用のGPS時計を購入すれば実現可能な事がわかり、観測結果を観測ネットに投稿して天研の名を挙げる!と燃え上がった1年2人組の熱意に押された2,3年はついに根負けして部費での購入を許可したのだった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「掩蔽時刻まで、あと何分?」

「えーっと、22時53分13.2秒だから…

 あと15分くらいかな」


「おっけー、どうしよ導入前にもう一度極軸チェックしとこうか?」


「そうだな、俺はあんまり自信がないから日高チェック頼んだ。こっちは掩蔽時間記録ソフトのテストやっとくよ」

「よろしく」


 望遠鏡を懸架している赤道儀ーー追尾装置ーーの固定クランプに手をかけるとウェイトシャフトにもう片方の手を添えながらクランプを解放する。


「おー、バランスばっちりじゃん」

「まぁね!」


 赤道儀の角度と向きを決める為の、極軸望遠鏡を覗き込むと、チラチラと揺れる北極星と導入位置を表すレチクルが赤く浮かんでいた。


「うーん、いいんじゃないかな」


「大丈夫か?追尾がズレると困るだろ?」


「大丈夫、掩蔽は短時間だし万が一多少ズレてても直前で微調整すれば視野から逃す事は無いだろう。これで行こう!」


「導入は任せてくれ!」

「任せた、星図はそこにある。3分でやってくれ」




 北山は大判の本ーー標準星図ーーの付箋を貼ったページを開くと、赤ランプを付けて掩蔽を起こす恒星の位置を確認し始めた。この本は日高の私物だ。これまで観測した天体の位置や、辿り方、観測日などが書き込んである日高にとっては記録帳とも言えるものだった。


 ただし、年々日々位置を変えて夜空を彷徨う惑星や同様に動く小惑星の位置は記載されていない。掩蔽は恒星の場所さえわかれば良いのだが、一応今回掩蔽を起こす小惑星の大まかな軌道も調べてそれは星図に線として書き込んであった。


 書き込みが正しければ、小惑星は今ターゲットの恒星の東隣の恒星の僅かに北側をすり抜けて、じわりじわりと重なる場所に近づいている筈だった。その本体は、地球からの距離に対して極端に小さくこの口径30cmのシュミットカセグレン式望遠鏡では見る事が出来ない筈だ。



「おっけー、導入完了!確認頼む」


「りょーかい」



 視野に捉えられた今夜のターゲットを確認する。この機材は本来であれば自動で目標の恒星を視野に入れる機能があるのだが、残念ながら入部した時から既に故障している。

 その為、導入作業は手動で中々に技量を要するものだが、鍛え上げられた北山は難なく済ませたようだ。アイピースを覗き込むと少し黄色味掛かった恒星がセンターでゆらゆらと揺れている。



「シンチレーションは多少あるけど、そんなに酷くは無いな。24mmある?」

「はいよ」


 待ってましたとばかりに、24mmのアイピースが差し出される。

 望遠鏡をずらさない様に慎重に付いているアイピースを外し、24mmを取り付けると広くなった視野で慎重にターゲットの周囲の星の配列を星図と見比べる。


「うん、合ってるだろう」


「良かった。じゃあ準備完了だな」

「倍率戻して、ピント出しとくよ。パソコンの方は?」


「GPSも拾ってるし、ソフトの動作もバッチリだよ。バッテリーも充分ある。…本当に俺が観測していいのか?」


「いいんだ、テストして北山の方が成績が良かったんじゃないか。精度の良い方がやればいい。俺はビデオ観測が出来るようになるまで楽しみに待つよ」



 掩蔽観測は観測時間の精度が非常に重要になる。通常、望遠鏡にビデオカメラを取り付けGPS端末から受信される時刻情報を映像内に写し込んで記録するのが一般的だった。


 しかし、天研の予算ではとりあえずGPS時計を購入するのが精一杯だった。望遠鏡を通して集光するとはいえ、ほんの僅かな恒星の光を高いフレームレートで捉えられるカメラはアクセサリーも含めて非常に高価なのだ。


 仕方なく、掩蔽時間の測定はPCに入れたフリーのソフトを使う事にした。これは、観測者が望遠鏡を覗いて恒星を監視し、掩蔽した瞬間と掩蔽が終わった瞬間にキーを叩くとそれぞれの時間が記録されるという原始的なものだ。しかしこの方法には課題があり、掩蔽を認識してからキーを叩くまでの人間の反応遅れがどうしても誤差となってしまう。


 そこで北山と日高は、指定した任意のタイミングで画面上に点が出たり消えたりするソフトを用意し、お互いの反応時間を測定してみる事にした。その結果、北山は何故か常にほぼ0.25秒で安定して反応するという意外な才能を発揮し、反応時間が不安定だった日高は科学の為に涙を飲んで観測者の座を譲ったのだった。


 尚、現代の望遠鏡はほとんどが単眼であり日高は恒星が掩蔽されて光が途切れる瞬間も見る事が叶わないのだ。



「そろそろ5分前だからスタンバイしよう」


 北山が赤道儀のケースを縦にして腰掛け、身体を安定させてアイピースを覗き込んだ。

 日高は、ケースから双眼鏡を取り出し首から下げる。



「1分前からカウントするよ。予報がズレて早くなったとしても15秒もズレる事は無いだろうから、15秒前でカウントを辞めて双眼鏡を見てみるよ。ダメ元だけどな」


「りょーかい。まぁ任しとけって!」


 PCの時刻表示が22時52分をまわった。


「さぁ、いくぞ。1分前…… 50秒……」


 北山が片手をPCのキーボードに置き、望遠鏡を覗き込んだままの姿勢で固まる。じっとしていると、深々と冷えた真冬の空気が身体に染み込んでくる。


「……30秒…… 15秒」


 カウントを切り上げて、双眼鏡を構える。

 素早く視野を振って、コレだと睨んだ恒星を見つめながら心の中でカウントの続きを数える。日高はキーを叩かないからカウントに引っ張られても問題は無い。


(3、2、1、今ッ)


 ターゲットの光に意識を集中する。


(ーーー??消えない?)


 と思った次の瞬間すぅっとかき消すように視野の中で星が消えた。と一瞬遅れて傍からキーボードを叩く音が響いてくる。安心して、今度は心の中で消失時間をカウントし始める。


(いち、にっ!? はっ? 戻った!?)


 思わず声を発しかけて飲み込む。掩蔽が終わるのが予報より早過ぎる。事態を把握できずに固まっていると、またすぅっと光が消え、その数秒後には何事も無かったかのような恒星の光が星の海に復帰していた。




「たけちゃ〜ん。俺たち何かミスったかな?おかしかったんだよね。2回消えたよ?見てた?」


「双眼鏡でも見えた。予報より遅かったし、2回消えて…時間も短かったような。ーー記録取れてるか?」


「あぁ、記録はバッチリだ。ってかこのソフト4回叩いてもちゃんとそれぞれの時刻残るのな、優秀」



 PCの画面には、記録された4列のタイムスタンプが表示されていた。一度目の消失、一度目の出現、二度目の消失、二度目の出現。北山がそれをテキストファイルに保存すると、ポケットからUSBメモリを取り出してパソコンに差し込む。



「一応、バックアップ取っとくわ。よくわかんないデータだけど、もしかしたら貴重なデータなのかもしれないだろ?万が一に備えて」


 そう言いって画面を覗き込む北山の背中を見ながら日高はまだ考え込んでいた。観測には問題が無かった筈だ。しかし予報された掩蔽が大幅にズレた上に、複数回起こるとは一体何が起こったのだろう。小惑星は今、どんな姿をしているのだろう。




 影を纏って飛ぶ姿に目を凝らすも、漆黒の闇からは何の答えも得られなかった。



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