(終)私、思い悩む君のもとへ。



「突然病室に入ってくるからびっくりしちゃったよ。九里香」


 冷たい外気の中、私は白い息を吐きました。病院から退勤して帰宅しています。空は夕闇から夜へ。市街地の通りのネオンが爛々と輝いていました。今日の出来事を振り返ってみると、なんともヘンテコな一日だったと肩の力が抜けます。


「本吉さんっていう年上の看護師さんに聞いたんだよ、ナースステーションに詰め寄ってきた人達やナースコールを押した入院患者さんのみんなが天使の格好をした女の人に『友達を救うために今まで見聞きした酷い状況を伝えてほしい』って言われて協力したって。九里香、大胆なことしてくれたね……ありがとう。私、嬉しいよ」


「あらら、私のこと秘密にしてって言ったのに」


 そうして九里香は「にひひ」と笑みを溢しました。


「付き添いのために病院行ったら志保ちゃん見かけてね。後をついていったんだ」


「付き添い?」


 誰を付き添ったのだろうと思い、話を聞こうとしたその時、ポケットに入っていたスマートフォンが震えます。『阿久馬将暉あくばまさき』という名が表記された通知、彼氏から不可解なメッセージが届きました。


『助けてくれ! 何日も何日も逃げてるがおかしなやつに付き纏われて殺されかけてる。なるべくこの町から離れた方がいいと新幹線に乗って仙台から北上してる途中なんだが手持ちの金が底をついた。食料もない。俺を援助してほしい。十万でいいから早く金をくれ。頼む!』


 私は頭を傾げながら九里香にその文章を見せました。


「ねえ、見てよ。九里香」


「……なんだろう、ね」


「全く」


 眉をひそめてため息を吐くと少し思案して『あなたのおふざけに付き合ってる暇はもうありません。さよなら』とメッセージを送りました。


 爽やかな青春の一つを手放したことになりますが、私は悲しい気持ちになりません。心の中に清々しい風が吹いていてそっと胸を撫で下ろしました。


「ありがとね、九里香。私を支えてくれて。真っ暗闇の中から私を救い出してくれた」


「ふふっ、どういたしまして」


 本屋の前を通ると窓に貼られている小説『満ちていく憂い』のポスターを目にします。


「志保ちゃん、そろそろ小説完成しそうなんでしょ。受賞できるといいね」


「うーん……小説の大部分は完成したけど、ちょっと物足りなさがあってね。最後の文もうちょっとつき足したいなって思ってる。けどなかなか思い浮かばなくて……でも書いててすっごく楽しいの。こんな気持ちになるなんて思わなかった。これからも小説書いていきたいな」


 これが心躍るという気持ちなのでしょうか。繰り返されていく味気無い日々の輪が今、プツリと途切れたように感じました。


「あっ、九里香ねえちゃんだー」


 後ろを振り向くとオレンジ色のランドセルを背負った女の子とその子のお母さんらしき人がこちらに手を振っていました。


「やあ、美希ちゃん」と言って九里香も手を振り返します。


「誰? あの子」


「あの子は美希ちゃん。志保ちゃんに出会う前に会った子で、見失った子犬を探してあげたんだ」


「ふーん」


「あれまあ、九里香ちゃん。こんばんは」


 隣を見ると本屋から綺麗な白髪のおばあさんが出てきてお辞儀をしていきました。


「曽根さん良かったね、腰の具合良さそうで。ああ……曽根さんは付き添いで病院に一緒に行った人だよ。一人暮らしで病院行くの大変そうだったから」


 この時、私は瞳を輝かせていたに違いありません。九里香は私の知らないところで人々に救いの手を差し伸べていたのです!


「すごいね、九里香!」


「にひひ」と笑うと九里香がピースサインしました。


「さ、帰ろうよ。執筆頑張って」


「うん!」


「私、先に帰ってご飯作って待ってるね」


 九里香は純白の大きな翼を広げると、星々がまたたく夜空へ飛び立ちました。紺青の星空の中、気持ち良さそうに羽ばたいていく姿はまるで光り輝く白鳥のようでした。


 市街地の通りを歩く人々が手を振っています。皆、九里香に手を差し伸べられて救われた人々なのです。私は金木犀の柔らかな甘い香りが薄れていくまで空をあおぎました。


「閃いた、最後の一文を……!」


 小さくなって離れていく九里香を見送ると前を向き駆け出しました。夢に狙いを定め、駆け出した私を止めることは何者にもできない。この道の進む先に新たな自分に出会える予感がしたのです。



 * * *



 ありがとう、九里香。あなたとの出会いを短編小説として此処ここにしたためます。


 大翼を広げこの街の上空を飛び交い、今日も私の知らないところで困っている人、思い悩む人に救いの手を差し伸べているのでしょう。


 九里香、あなたは自身が目指すもののために日夜頑張っていますが、きっとその夢は既に叶っています。


『金木犀の天使』になりたいという夢を──。


 救いの手を差し伸べられた人々は皆その名を告げ、金木犀の花が香る頃になると天使と共に過ごした「過ぎ去っていった繰り返される悲喜の日々」を思い返し、感傷に浸りながらも心安らかにその道の先へと歩むのです。



 * * *



 第一幕 

 金木犀の天使


 終



 * * *



「またね、九里香。思い悩む人々を救うため私の元から旅立ったあなたの再訪を最愛の友としてパキラちゃんと共にあの日出会ったマンションのベランダでずっと心待ちにしています」


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