付箋

 私は地面に手を伸ばした。指は霧に触れたようにずぶりと沈んだ。今、地面は腰の高さにある。


 地面が昇ってきているのに気が付いたのは、足の指が埋まって見えなくなった頃だった。

 立っている床や地面の蜃気楼のようなものが、まるで風呂が溜まる時のように上へ上へと日々昇ってきた。やがて踝が隠れ、膝が地面に埋まるようになるまでそう時間はかからなかった。


 足の下には今までと変わらぬ床や地面の感触があった。そして地下に沈んだ体には地面に埋まった感触はなかった。

 周りの人間には蜃気楼の地面は見えていないようだった。机についた引き出しの下の段は早いうちに地面に沈み、私は手探りで物を出し入れするしかなかったが、周囲の人間は魔法のようにひょいひょいと地面から書類やら判子やらを取り出していた。


 地面が腿まで来た時、私は心を決めて地面に顔をつけた。案外元通りの光景が見えることを期待した。何か恐ろしいものが見えることを覚悟した。しかし地中は重油の中を見ているように、ただただ黒々としていた。


 今、地面は腰の高さにある。やがて頭まで埋まるだろう。

 貧乏揺すりに合わせて机が小さく振動する。机上に貼った付箋が、床のリノリウムに沈んだり浮かんだりを繰り返す。


 私はその様子を眺めながら、机がてっぺんまで埋まったら難儀するなあ、とぼんやりと考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る