第24話

「痛っ……ここは……」


 腹部の鋭い痛みに起こされるように目を覚ますと、そこは全く見覚えのない空間だった。

 天井はやけに高い。外国語で書かれたコンテナが乱雑に置かれている。どこかの倉庫だろうか。

 場違いなパイプベッドの上に長時間寝かされていたようで、身じろぎをする度に汗でグッショリ濡れたシャツが肌にまとわりつき、硬直した筋肉と骨が軋む音が響いた。

 なにがいったいどうなっているのか。なんとか痛みに耐えて上半身を起こすと、枕元に血を拭き取ったような真っ赤に染まった山盛りのガーゼと、メス、それに鉗子かんしなどの医療器具に、銀色のトレイの上に置かれた9ミリパラベラム弾が一発――


「そうだ……俺はどこぞのクソッたれに腹を撃たれたんだったな」

 腹部の突き刺すような痛みは、何者かによる銃撃を受けた際の傷によるものだということを思い出したが、肝心要の犯人の顔は思い出すことが出来ない。

 ――ということは、この弾丸は何者かの手によって処置され、取り出されたってわけか?

 真っ赤に染まったシャツを捲ると、ご丁寧に腹部には包帯がサラシのように巻かれていた。あのときの銃創は致命傷に達したはずだが

 その時、ようやく行動を共にしていた大塚の存在が無いことに気がつく。

「そうだ、大塚のヤロウは」


「やっと起きましたか。随分とお寝坊さんすね。丸々二日も寝てたんすよ」

 突然声をかけられ、驚いて声の方へ視線を向けると、椅子に腰掛けながら、ここがさも病院であるかのようにリンゴを剥いている大塚の姿があった。

「お前……無事だったのか。ちょっと待て、丸々二日だと?それじゃあ」

 もし大塚がいう通り二日間を無駄にしていたとしたら、予定ではこのあとすぐに可欣を台湾に送ることになっていたはずだ。

「そうっすよ。いい加減起きてもらわないと困ってたところっす」


 普段と変わらない姿、そこら辺の堅気の人間のような軽い物言いは癇に障るが、それを差し引いても一切の隙がなく、奴がまとっている空気そのものが、俺が知ってる男とは決定的に違うような気がした。


 ――コイツ……本当にあの大塚か?


 腹に傷を負った状態でも想定シミュレーションしてしまうのは、もはや職業病というべきか。

 もし俺が万全の状態で、それも十全な環境でベレッタを構えていたとして、奴はこちらに気づいてもないない絶好な状況だとしよう。それでも、果物ナイフ一本を手にした今の大塚にまるで歯が立たないであろうことは即座に理解した。いや、させられた。

 イメージでは数秒の間に俺の頸動脈が断たれている。そこには、以前俺に袋叩きにされていた男の面影など、まるで悪い夢だったかのようにどこにも存在しなかった。


「大塚、お前が俺を撃ったのか」

「ええ。そうっす」

 処置したのも僕ですけど、とあくまで笑顔を崩さずに大塚はそう告げた。いつもと変わらない暴力とは無縁そうな顔で。

 思い返せば、コイツはいつだって全てが違和感の塊のような男だった。

 どこにでもいそうな雰囲気にすっかり騙されていたが、俺に物怖じせずに意見をしてくるところや、時として事件の真相に導くような一言を発したり、俺に殴られても動じない無駄に高い耐久力もそうだし、逃げ場のない高速道路で短機関銃サブマシンガン相手に平然と逃げ延びてみせ、俺に悟られないように的確に急所を撃ち抜く射撃術も持ちあわせ、さらには一般人には到底不可能な医療行為まで施すとは――



「気付かないのもしょうがないっすよ。一流の殺し屋はなんでもこなせるんですから。対象ターゲットに警戒心を抱かせないように自らを偽ることなんて朝飯前っす」

 こちらの心を読んだとでもいうのか。果物ナイフをクルクル手元で回しながら、世間話をするように正体を告げる。

「お前が、殺し屋だと?」

「そうっすよ。どこにも属していないだと思ってもらえれば分かりやすいっすかね。これまで参加した仕事は数えきれないくらいっすけど、そうはいってもなんでも請け負うってわけじゃないっす」

 ボクは、ボクを楽しませてくれる仕事しか受けないって決めてるんすよ。と大塚は語る。

 こちとらお前のイカれた矜持など知ったこっちゃない。


「俺を狙ったのは辻村さんの指示というわけか」

「いえいえ、劉さんは直接的な標的ターゲットではないっすけどね。ボクが受けたのは可欣ちゃんの始末っす。どのみち劉さんは関係者として最初は消すつもりでしたけど」

 そう言うと、いつの間にか兎の形に切り分けたリンゴを差してきた。

「いらねぇよ」

 俺を殺そうとしてる人間から施しを受けるかバカが。無駄に上手い兎のリンゴを突き返す。

「え~勿体ないなぁ……じゃあ代わりに少し昔話を聞いてもらえないっすか?」

「はぁ……なんだ」


 殺し屋とカミングアウトしておきながら、こちらにまるで警戒心を抱かせないのも奴が言う一流の殺し屋の条件なのだろうか。

 それなら俺はまるで真似できない。そこにいるだけで警戒させちまうから。

 こっちは風穴を開けられた傷口が痛いっていうのに、まるで気にも留めずに喋りだす。


「ボクって、生まれた頃からなんでも出来たんですよ」

「なんだよ、自慢話なら他所でやれ」

「いえいえ、誇張でも自慢でもなくて事実を述べてるだけっすから」

 リンゴを齧りながら、目にも止まらぬ速さで手にしていたナイフを鋭く投擲とうてきすると、倉庫の隅で疾走していたゴキブリに見事突き刺さった。

 全くの視界の外にも関わらずだ。それだけで尋常な格闘センスを持ち合わせていることがわかる。


「小さい頃から周囲には神童とおだてられ、勉強もスポーツも習い事も、だいたい頭に思い浮かぶものは全て完璧にこなしました。小、中、高、大と成長するにつれ、この世の全てを網羅するということは、ボクにとっては時間の問題でしかない――そう思ってたんです。医学や法律、ハッキングの技術に世界中の言語を覚えることだって片手間で出来るつまらないもんだったすからね」


 そういえば、格闘技をいくつも齧っていたと言っていたのは――

「もちろん本当っすよ。空手に柔道に合気道、テコンドーにジークンドーにグラブマガ――ありとあらゆる格闘技を手当たり次第習ったんすけど、大概一週間も経たないうちに師匠を、結果何処も出禁になっちゃいましたけど」

 舌を出して大塚はおどけてみせる。

 なるほど、それで長続きしないと。

 まるで笑えない話だった。


「なんでも一流の成績を出し続けて、生きてるだけで完璧パーフェクトな存在だったんす。これも誇張じゃないっすよ。だけど、そんな俺でも唯一持ってないものがありました。欲して欲してやまないものが――」


 そこまで話すと、スマホを取りだして俺の前に掲げた。画面には、こことは違う倉庫の映像が写し出されていたが、

「大塚……テメェ……」

 その映像の中央。コンクリートの床の上に転がっている二人の姿が写っていた。一人は文芷夫妻が匿っていたはずの可欣と、娘に寄り添うように守っている奈穂子の姿が。

「可欣!奈穂子!おい……まさか!」

「ああそうそう。文芷さんも奥さんも消しましたよ。邪魔だったんで」

 まるで出掛けるついでにゴミを棄ててきたといった調子で話す。こいつにとっては、一人二人殺すことなど、文字通り朝飯前のようだ。


「テメェ……なにしてくれてんだっ!」

 怒りで痛みも忘れ、敵わないと知りながらも置きっぱなしだったメスを片手に大塚に飛びかかったが、まるで赤子の手を捻るように手首を軽く一捻りするだけで、勢いよく冷たい床に叩きつけられた。

「何を怒ってるんですか?これまで劉さんも数えきれないほど繰り返してきたことじゃないすか。さっき殺したゴキブリと一緒ですよ」


 ニヤニヤ笑みを浮かべながら画面を操作すると、スピーカー越しに二人の悲鳴が届く。

「二人に何をした!」

「暑そうですからね。ちょっと強めの冷房をかけてあげただけっすよ。放っておけば数十分で凍っちゃうでしょうけど」

「今すぐ、クッ……ヤメロ!」

「ほらほら、無理をすると傷が開きますよ」

 スマホをひらひらかざし、なおも話を続ける。


「さっき言いましたよね。ボクにはただ一つ足りないものがあるって。この出来すぎな才能の代価か何か知らないっすけど、僕には人間なら誰しも持つ、人を人足らしめる『感情』というものが全く理解できないんすよ」

 サイコパスというわけか。それなら感情もなにも読めないわけだ。

「生まれたときからそういった回路が欠落していて、医者もさじを投げました。だからっすかね。いくら全てを完璧にこなしても、なにも感慨が沸かないんすよ。喜びも怒りも哀しさも楽しさも、これっぽっちも味わえない無味無臭な日常の繰り返し。ただ、ある日ちょっとしたいざこざでチンピラを殺してしまったことがあったんですけど、心臓が止まったその時、それまで感じたことのない感覚が爪先からつむじまで抜けていったんです」

「……サイコパスでシリアルキラーとはな」


 そこでゆっくりかぶりを振ると、俺の言葉を否定した。

「誰でもいい訳じゃないんす。最初のは切っ掛けに過ぎなくて、それからはいくら殺してもあの快楽は訪れませんでした。それから何人も何人も殺してやっとわかったのが、手強い標的で最後に見せる足掻きが必要だったんです。それが命の輝きとして僕には輝いて見え、体の内側がナニかで満ちていくんすよ。そしたら、『そうか。これこそがボクに足りないものなんじゃないか』って思うようになって、その日から積極的に火種を撒くようになりました。より沢山の輝きを見るためにね。今回なんて特に大がかりでしたよ」

 そういうと、表面的には嬉しそうな顔で指折り数えた。

「とにかく渾沌カオスにするために、手始めに中国共産党の工作員であった王太然に可欣ちゃんの情報を横流しリークし、公安の連中を引っ張り出してから蛇頭に目を向けさせ、辻村の立場を悪化させてから内部崩壊の引き金を引かせ、日本と中国の両国を引っ掻き回したんですから」

 俺の仕事の集大成っすね、と胸を張っていう姿は、掛け値なしで十分すぎるほど狂っていた。薄暗い証明に恐ろしいほど位影が伸びている。


「お前が何処でどうしようが俺には関係ねぇよ。だがな、可欣と奈穂子に手を出す奴は何があっても許さねぇ」

 相棒のベレッタは回収され、手元に武器はない。先手必勝と素手で立ち向かったが、左フックも右ストレートもミドルキックもハイキックもタックルも、何もかもひらひら舞う蝶のようにかわされ、昔どこかで聴いたドン・キホーテのような間抜けな気分になった。


「言ったじゃないすか。ありとあらゆる格闘技をマスターしてるって。それに経験値も天と地ほど違いますよ」

 残念ながらボクの相手じゃないっすね、と冷たく言い放つ。

 呼吸する暇さえ与えないつもりで攻撃を繰り出していたはずなのに、大塚は暢気に欠伸をしながら全てを避けきってみせた。

「くそ……」

「だから言ったじゃないすか。傷が開くって」

 やたら息が荒れると思ったら、サラシが真っ赤に染まっていた。手で押さえても指の間から出血している。ドクドクと、体外に生暖かい血液が流れ出て止まらない。


「あちゃ~。その出血量だと、そう長くは持ちそうにないっすね。……これからメインゲストのお出ましってところなんすけど」

「なん、だと?」

 意味がわからないことを呟くと、外に通じる扉に目線を向ける。

「あ、勘違いさせたならスミマセン。戦うのは俺じゃないっす。そんなことしてもつまらないですからね」

 俺にはなにも聞こえやしないが、大塚は耳を済ませると、扉を指差し条件を伝えた――


「今から来る人と戦って生き残ってください。そうすれば、二人の命は助けると約束しますから」


 そう言い終えると、タイミングを計ったように倉庫の扉が開かれ、思いもしなかった闖入者ちんにゅうしゃが姿を現した。


「ハァハァ……劉……見つけたぞ」

「辻村、さん」


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