第25話

「劉英俊。やっと会えたな」

「辻村……」


 重い扉を開けて倉庫内に足を踏み入れたのは、可欣の命を奪おうと執拗に追い続けていた、辻村御幸、本人だった。


 ――なぜ、この男がこの場所を知っている。


「それはボクがこの場所を伝えたからっすよ。ボクが東方西走して色々引っ掻き回したのだって、そもそも劉さんの輝く姿を見たかっただけっすから」

 まともな思考回路では理解できない動機を、偽りの満面の笑みで大塚は語る。

「何を言ってんだ?それならどうして俺を撃ったりしたんだ。まるで意味がわからねぇ」

「それは公平を期すためっすね。辻村さん程度の戦闘力なら、修羅場だったら重傷を負ってココに辿り着くだろうと想定した上で、事前に劉さんにもパワーバランスが釣り合う程度の傷を負ってもらったんす」

 将棋でいう駒落ちっすね。と、決して上手くない例えをドヤ顔で披露した。

 それを言うなら、駒落ちは確か強い奴だけが損するんだけどな。



「何勝手にくっちゃべってるんだよ。生憎俺には時間がねぇ。テメェらまとめて殺してもいいんだぞ……」

 そう凄む辻村の様子もだいぶおかしい。

 殺気は相変わらずだが、顔には異様に汗が浮かび、息もかなり荒い。

 何があったか知らないが、全身至るところに大小様々な傷を負っている。

 激しい銃撃戦の中を掻い潜りでもしないと、こうはボロボロにならないはずだ。これが大塚が言っていた修羅場で負った傷なのか――

 ご自慢のシワ一つないスーツも、今では見る影もない。


「時間がないのは追っ手の事っすか?それとも……辻村さんの命でしょうかね」


 軽々しく言い放つ大塚の言葉通り、辻村の足元には血が点々と滴り落ちていた。その量からして相応の深手を負っているようだった。


「フン……こんなもん掠り傷だ。それより劉よ。お前を拾ってやった恩も忘れて、飼い主に盛大に噛んでくれやがって……今すぐこの手で直々に葬ってやりたいが、その前に――」

 大塚に視線を向ける。

「今は大塚って呼ばれてんだっけか。お前からこの倉庫に呼び出されたときは、まさかと思ったが……よくよく考えてみればお前ほどの男が黒幕だと仮定すれば、この一連の騒動の全てが説明つくんだよ」

 苛立ちを隠そうともせずに、懐から煙草を取り出すが、ライターがないことに気付いて投げ捨てた。


「トワイライトでくつろいでるときに襲撃された。須崎ってゆうクソヤローとその部下十数人の団体にな。大塚……テメェが裏で奴と繋がってたんだろ。それだけじゃねぇ、蛇頭を壊滅させたのもテメェの仕業だ。テメェは一体何がしたいんだ」

 大塚はどれだけ恫喝されようが、お構いなしに不敵な笑みを崩すことはなかった。

 むしろ楽しんでいるようにも見える。


「ボクは、ボクに足りないものを補いたいだけっすよ。それを劉さんなら見せてくれると思ったんすけど……」

 そこで話を切ると、俺の足元に目をより、落胆の溜め息を漏らす。

「……それもどうやら難しいみたいですし、無理ならまた新しい火種を作るだけっす」


 次々と明かされる新事実に驚きを隠せなかったが、しかし真に驚くべきは、無防備の状態で須崎とやらと対峙した辻村が、武装した多人数相手に生き残ったということだ。

 恐らく全員が、俺が立てたような稚拙な計画とは比べ物にならないくらい入念に準備して襲撃したはず……それをたった一人で切り抜けたとなると、いくら深手を負ってるとはいえ、今の俺に勝つことが出来るのだろうか――


「くくく……この俺がまんまとこんな小僧ガキ共に一杯喰わされるとはなぁ。長年コツコツと積み上げてきた梯子も、あと僅かで手が届きそうだった極道の頂点テッペンも、全部崩れ去った今、残ったのは全国に届いたであろう俺の絶縁状だけだ。この日本にはもう居場所すらねぇ……全てお前等のせいだ!」


 手負いの姿からは想像も出来ない速さで、腰のホルダーから拳銃を抜き取り、大塚に銃口を突きつけたが――

 先に発砲したのは、涼しい顔のままの大塚だった。


「……ちぃ!」

 甲高い不協和音が轟いたと同時に、辻村が構えていた拳銃は数メートル先まで弾かれ、コンクリートの床の上を滑らかに滑っていった。

「一対一でボクに敵う人間なんてこの世に存在しませんよ。ましてや青息吐息の人間なんて目を瞑ってたって負けるわけないじゃないすか。下手な真似は止してください、よっと!」


 人間場馴れした跳躍力でコンテナの上に軽やかに飛び乗ると、俺達を見下ろして大袈裟なポーズをとる。


「さてさて、それではデモンストレーションも兼ねた余興も済んだことですし、そろそろお待ちかねのショータイムと洒落混みましょうか」

 ドンドンパフパフ、と悪ふざけに拍車がかかる。

「劉さん。さっきも言いましたけど、目の前の辻村さん相手に勝利を納めてください。そうすれば、秋本奈穂子さんと可欣ちゃんは無事に返してあげると約束します」

「俺が勝った場合はどうするんだ」

「もし、辻村さんが勝った場合は、可欣ちゃんが乗船予定だった貨物船に揺られて、台湾にでもどこでも逃げればいいですよ」

 途端に背筋を怖気が走った。

 目の前には、狂気を宿した男が一人。

「ふははは……全くもって気に食わない奴だが、どのみちお前らはこの手で殺してやるつもりだから関係ねぇ。さっさと殺して、今度こそ海外で成り上がってみせるさ」


 劉さんもいいっすか?意味がない問い掛けに縦に頷く。

 どのみち、俺には目の前の男を倒す以外に二人を救いだす希望は残されていないんだからな。

 それに……大塚の言う通り、そう長い時間は残されていないことも自覚していた。すでに視界がぼやけてやがる。

 状態は五分五分で、どちらも死に体。

 俺も辻村さんも、ゴミのような人間には相応しい最後かも死れなないが……だけど、最期くらいは俺もアイツのヒーローに――

 ふらつく体に喝をいれ、負けられない闘いに挑む。



「武器なし、降参まいったなし、相手を殺すのみで決着ケリがつくデスゲーム。それじゃあ――開始スタート!」






「ママ……寒いよ」

「大丈夫よ。ママがついてるからね」

 娘の一際小さな体から、急速に体温が奪われていくのが目に見えてわかった。

 唇が青から紫に変り、体は震えが止まらないし、歯の根が合わない。それは私も同じだけど、抱き締めて上げられないことが、これ程辛いものだとは――


 親子揃って手足を堅く縛られていたため、身動きもろくに取れない。芋虫のように這いずって娘に覆い被さり、容赦なく吹き付ける冷風から我が子の身を守るしかなかった。

 このままだとそう長くは保たないことは、冷凍庫内の温度計が如実に物語っている――氷点下四十度。という残酷な数字が示す通り、刻一刻と命を落とすまでのカウントダウンが始まっていた。


「私ったら……どうしてあの男にまんまと騙されちゃったんだろ……」

 私をホテルから救いだしてくれたと、そう思い込んでいたあの優男の芝居に、何一つ疑問を抱くことなく娘共々冷凍庫に閉じ込められてしまった顛末を思い出すと、とことん間抜けな自分が許せなかった。


 ――アイツ……絶対に許さないんだから。


 怒りと自責の念で頭は熱くなる一方で、体温は確実に低下していった。なんだか頭がボーッとする……体温って31℃を下回ると不味いんだっけ……これはちょっと……寒すぎるかな……何とかして……この子だけでも……。

「ママ?寝ちゃダメだよ。起きて。おじさんが助けに来てくれるから」


 ――危ない。眠りに落ちてしまいそうだったところを娘のかけ声で救われたけど、そのおじさんって誰?

「ねぇ、そのおじさんって誰なの?」

「えっと、おじさんはね、ヒーローなの。ヒーローはね、絶対に助けに来るんだよ」

「おじさん?ヒーロー?」

「うん。かっこいいヒーローだよ」





「奥寺さん!後ろ後ろ!」

「ああわかってる!しっかり掴まっとけ!」


 まさかフィクションのなかでしか見たことがないようなカーチェイスを、この俺が自らハンドルを握って演じるとは思わなかった。

 精々木の役を演じるくらいが関の山だというのに、スタントマンなしでの本番は体に堪える。


 ――人生何が起こるかわかったもんじゃねぇな。


 バックミラーで後方を確認すると、目にも鮮やかな赤色灯が、行列をなして獲物を捕らえんと追いかけてきていた。


「キャーーーー!」


 アクセルを底まで踏むと、一気に視界が狭まり、上半身が後方に置き去りにされる。

 スピードメーターはグングンと上昇していき、追っ手を一気に突き放す。

 奪った、ゴホン、拝借したパトカーが、たまたま少数しか配備されていなかった日産GT-Rであったことが吉と出た。

 首都高に入ってからは、最大出力570馬力、3.8リッターV型6気筒ツインターボエンジン搭載

 の性能をいかんなく発揮し、一般車両の間を縫うように駆け抜けていった。

 瞬く間に川崎市から横浜市へと渡る横浜ベイブリッジに差し掛かり、大黒ふ頭も目と鼻の先というところだったのだが――橋脚の中心部に達したときに異変を感じた。


「クソ!やられた……」


 急ブレーキを踏み車を止めると、突きつけられた現実にハンドルを思いきり叩いた。

 甘かった。まさか日本の警察がこんな荒っぽい手法を使ってくるなんて、夢にも思わなかった。


 そこまでして冤罪で俺を引っ張りたいのか――


 視界の先に車両が一台も存在しないことに気づいた瞬間、そこで始めて自らが罠に嵌められたことに気が付いた。

 まさか、たかが車両一台止めるために、封鎖するなんて前代未聞だ。


「……すまんノゾミ。どうやら鼠取りにかかっちまったみたいだ」

「どういうこと?」

「ほら、方を見ろ」

 顎でノゾミに前を見るよう促すと、そこには検問というには物々しい数の特殊部隊が、横一列に整列をしていた。

 しかもこっちには一般人も乗車してるというのに、見間違いでなければライフルで照準をあわせていやがる。


「なあ……ノゾミ。さっき俺の事を信じるって言ってたよな」

「え、うん。言ったけど」

 前方では、既に勝ったつもりでいるお偉いさんが、両手を上げて投降するようにスピーカーで呼び掛けていた。

 降りれば――まぁ明るくない未来が待っているだろう。


「もし、劉ってヤローと可欣ってガキを救いだすことが出来たら、その時は俺の養子になってくれないか」

「……はい?今なんて?」


 深い考えがあって告げたわけじゃないが、伝えておかないと後悔する気がしたから話した。それだけの話だ。他意はない。

 アクセルに再び体重をかける。

 車体が動き出したことに、奴さんたちは慌てふためいていた。いい気味だ。


「だから、この一件が無事に終わったら」

「ああ~やっぱ言わなくていい!嬉しいけど……それってこの場合死亡フラグだから!」

「よくわかんねぇが頭下げとけ。怪我するぞ」


 ノゾミの絶叫と、地鳴りのようなエンジン音が聴こえたのは同時だった――


 ったく、ヒーローも楽じゃねぇな。



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