第22話

 首相官邸――総理執務室


「小澤君……例の子供はまだ排除できないのかね」

 指で弾くように机を叩き、イライラした様子を隠そうともしない男は、目の前で直立不動の姿勢を崩さない堅物な男に棘のある声で尋ねた。

「申し訳ございません。警察庁長官には、身代わりスケープゴートをたてて速やかに事件の解決を図るよう伝えてはいるのですが、時期が時期ですので、野党に痛いところを突かれないよう関東圏に検問を敷くのが精一杯でして」

「公安には朝日奈という化け物がいるんだろ!そいつがいつものように闇に葬ってくれるんじゃないのか!」


 母親に悪事が発覚するのを恐れる子供のような叫び声が執務室にこだまする。

 大泉はこれまで、自らの、それに党の不祥事が表沙汰にならぬよう公安の手を借り、秘密裏にしてきた。

 そしてそれは自分だけではなく、戦後から歴代の内閣総理大臣も慣習として行ってきたことは、この場にいる二人にとっては周知の事実だった。


 自浄作用が内側から働かぬことによる弊害として、まるで風船のように肥大化する負の歴史を、過去の総理大臣は黙々と引継いできたのだ。

 自分の任期があけると次の人間に風船を手渡し、それが連綿と繰り返され、いつしか民主国家が破綻するような大きさまで肥大化したそれは、もはや時限爆弾と呼んでなんら遜色がない。

 彼も、もちろん次の人間に手渡すつもりでいた。すくなくとも次の任期の四年を経た後に。それがまさか自分の任期中にこのような事態に巻き込まれるとは夢にも思わなんだと、この数日ですっかり男の頬は痩けてしまっていた。


 首相任期の四年が間もなく終わりを告げ、同時に衆院選挙がやって来るというこのタイミングで自由党の、ひいては先進国としての立場が揺らぎかねないレベルの出来事が立て続けに起こっていたことに、自由党党首大泉芳春は最大の国難だと頭を抱え唸っている。

 そしてそれを見下ろす男――内閣官房長官、小澤憲治は、醜い醜態を晒し続けている大泉を内心では侮蔑していた。


 ふん。この程度で精神こころが揺らぐとは、所詮お前は総理の器ではないんだよ。俺は俺で事件の解決を図るよう個人的に頼んである。

 もし万事解決した暁には……アンタの不祥事は発表させてもらうからな。そして、空いた次期総理の椅子にはこの俺が――

 まさか、腹心の部下にそのようなことを目の前で画策されているとは露とも思っていない大泉の脳内は、自らの保身をかけ忙しくなく働いていた。


 ――現在の支持率の低迷に加え、さらにスキャンダルの数々がマスコミや国民の目に触れてみろ……俺は終わるぞ!


 大泉の首筋に嫌な汗がつたう。

 その時は、総理大臣の椅子を失う程度では済まない。自由党が長年磐石の地位を築き上げてきた与党の座から、十数年ぶりに野党へ下野する可能性も大いに高く、それは三代総理大臣を輩出してきた大泉家の血が――国会議員としての生命いのちが途絶える事を意味していた。


「ならん!それだけはならんぞ!」

 重厚な机を叩くと同時に、共鳴するように小澤のスーツの内ポケットが震動した。

 自分のことで手一杯の男の視界から、自らの存在が消えたことを確認した小澤は、静かに退出し、一呼吸置いてから電話に出る。


「――私だ。随分と遅い報告じゃないか。君の気紛れには毎度ひやひやさせられる」


 小飼いの部下からの期待していた報告に、声を噛み殺して嗤う。

 これで自らの野望が一歩前進したと、肩を揺らしながら再び執務室へと戻った。



「なんだ……明日の国会答弁の電話か?」

「はい。そんなところです」

 堅物な男を長年愚物のそばで演じるのもそう長くはないと知ると、つい広角が上がってしまう。

「なんだ?良いことでもあったのか?」

「ええ……まあ」

 まだ早い。気持ちよく高笑いするのはもう少し先だ。その時は……お前の政治家としての死を見届けようじゃないか。



 警備に当たっていたスタッフは後に語る。

 その日の執務室の明かりは、夜が更けるまで消えることはなかったと。


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