第21話

 人一人分のビルの隙間に身を隠しながら、小さなスマホの画面を二人で分けあう。

「――違法風俗店の経営者を含む数名が殺害された事件ですが、本日警察庁が行った記者会見で警視庁刑事課に所属する奥寺孝警部補の犯行と認めました。現在緊急配備を関東全域に――」

 アナウンサーの横にでかでかと写し出されていたのは、歌舞伎町で起こった事件の容疑者と人物の写真だった。


「ねぇ……これって指名手配ってやつだよね?」

 隣で食い入るように見つめていたノゾミが、不安げな声で尋ねてくる。何故ならそこに写し出されていたのは、まぎれもなく横にいる俺だったから。

 ご丁寧に公安であることはふせられ、どこから引っ張ってきたのかわからない犯罪者のような顔つき。

 恐らく視聴者に悪印象を与えるように加工修正されてるはずだ。実物はもっとイケてる顔だからな。


「ああそうだな。まさか俺が全国区で指名手配される日が来るなんて夢にも思わなかったよ」

「そんな、だって奥寺さんは悪いことなんてしてないんでしょ?こんなニュース嘘だって私が証明するからさ、今から警察に行けば――」

「無理だ」


 いかにも道理を知らない子供の甘い発想を、即座に切り捨てる。

「もし馬鹿正直に近くの警察にノコノコ顔を出したとしよう。するとあら不思議、こちらの言い分など耳も貸さない連中に問答無用に手錠をかけられた俺は、表向きは身柄を確保したと報道されるだろう。実際は二度とお天道様を拝むことは叶わなくなるだろうな」

「そんな……」

「お前もあの仰々しい検問を見てただろう。あれは絶対に俺を逃がさないって公安、ひいては警察の意思の表れなんだよ」


 現在、俺とノゾミは警察の監視の目を掻い潜るように、コソコソと姿を隠しながら逃げていた。

 仕事の性質上、追いかけるのは得意としていたが、逆に追われる立場になるといつもとの勝手の違いに四苦八苦していた。

 一発で居場所が割れるホテルなど使えるはずもなく、防犯カメラが張り巡らされた都市部を移動するというのは困難を極める。

 少しずつ逃げ場をなくされてる状況は、最初から朝比奈さんが仕組んだ罠だったんじゃないかと考えると、まったくもって笑えねぇ。


「警察ってさ、正義じゃないの?悪者を捕まえるから警察なんじゃないの?」

 ごもっともな台詞だ。国民なら誰もがそう思うだろう。警察は悪を取り締まる公僕だと。

 だが、誰もが綺麗事だけじゃ生きていけないように、警察という組織も決して綺麗事だけでは維持できないのも事実だった。

「トップが一声発すれば、一事件の報道を操作するくらい造作もないことだ。俺の同僚も言ってたろ。『俺が犯人になっている』てな。首を突っ込みすぎた俺への戒めのつもりなんだよ」


 ノゾミには多くは語らないつもりだった。

 万が一、事件の情報を少しでも握っていると朝比奈さんに知られたりでもしたら、彼女にどんな拷問取調べが待ち受けているかわかったもんじゃない。


「ねえ。及川さんって警察なんでしょ?どうして警察が及川さんに罪を着せようとしてるの?それっておかしくない?」

「ああ、おかしいな。だけどひとつ覚えておけ。上が黒と言ったら、それが白でも黒になるのが警察という組織なんだ」

「そんなの、そんなの正義じゃないじゃん……」


 ノゾミの言葉が胸に引っ掛かった。

 正義とは何か――

 そういえば、俺の正義とはなんだったんだろうか。警察になりたての頃、俺は何を胸に抱いて制服に袖を通したんだっけ。公安に配属されて、俺は正義とはただ命令にしたがうことだとインプットされていただけなのではないか。

 俺の正義とは――


「私ね……昔親に虐待されてたの」

「虐待だと?」

 突然ノゾミはなんの脈絡もなく語りだした。

 まだ昔を語るほど老いていない若者が、訥々とつとつと過去を語る。


「うん。あんなお店で働いてるくらいだから奥寺さんも想像できるだろうけど、ウチってとにかくメチャクチャでさ、クソ親父はどこで働いてるのか、そもそも働いてるのかわからないような男だし、クソババアは男を取っ替え引っ替えして遊んでるような頭も股も弛い女だった。足の踏み場もないような家で私はろくに世話もされず学校にも通わせてもらえなくて……家族というものに無視され続けた。それがある日、胸が膨らみ始めた中学生くらいの頃に……」

 そこで唇を噛むと、話を続ける。

「あの男は、実の娘に手を出そうとしてきたの」

「何だそれ、反吐がでるな」

「私は仮にも母親である女に助けを求めた。そしたらなんて言われたと思う?『父親をたぶらかして、この売女ビッチが!』だってさ。それはお前のことだろうって、つい本音を口にしたら殴られちゃった」

 舌を出してわざと惚けるノゾミの姿が痛々しかった。

「それで、どうしたんだ」

「逃げたよ。じゃないといつ酷い目に遭わされるかわかったもんじゃないから。それからあっちへいったりこっちへいったり。その当時の記憶はあんまりないんだ。覚えているのは……いろんな男の家に泊まって、その都度お金のない私は……体で支払って……」

 嗚咽を漏らしながらスカートの裾を握りしめている。この少女に、一体どれだけの男が浅ましい獣欲をぶつけてきたのか想像すると、そいつらを今すぐ刑務所にぶちこんでやりたい気分になった。


「わかった。もう言うな」

 それでもノゾミは語るのをやめない。

「気付いたらあの街に流れ着いた。危ない組織が経営してる店ってわかってはいたけど、保証人もいない家出した未成年の子供を雇ってくれるところなんて、いくら歌舞伎町でもそうそうなくて……あの小さな個室で『ああ、この世に正義のヒーローなんていないんだ』って諦めていた。だけどね、奥寺さんが外に連れ出してくれたとき、とっても嬉しかったの。私にとっての正義ヒーローは奥寺さんなんだって。だから私は奥寺さんにずっとついていくし、誰よりもあなたを信じてる」


 なんとも聴いてて背中が痒くなるような台詞だった。だが、俺の娘と言ってもおかしくない歳の小娘が、俺よりも強い意思を宿した真っ直ぐな瞳で見つめてくるのを見たその瞬間――

 俺のなかでずっと燻っていた懐かしい気持ちに、再び火が灯ったような熱を感じた。


 正義とは――今この瞬間のことを指すのかもしれない。


 思いきり両頬を叩く。

 ようやく目が覚めた。

「はぁ……まさか年端も行かないガキに正義を語られるなんてな。参った参った」

「ちょっと!ガキっていうけど、同い年の子よりスタイルはいいと思うんですけど!」

 そういうところがガキだと、頭を撫でてやる。

 ふんわりと柔らかかった。


 猫のように目を細めたノゾミが、一瞬顔を曇らせて呟いた言葉を俺は聞き逃さなかった。

「あ~あ。可欣ちゃんも元気だといいんだけど」

「……おい。今なんて言った?」

「え?可欣ちゃんのこと?」

「そうだ!その名前をどうして知っている!」

 人は予想だにしないことが起こると取り乱すというが、今の俺がまさにその通りに取り乱していた。

「ちょ、痛いって……」

「あ、すまん……」

 肩を思いきり掴んでいた手を話すと、俺が行方を探していた可欣というガキとの関係を説明する。


「あれは確か私が入店したばかりの頃だったかな。ある日ボスに地下の部屋に呼び出されて、まさか何かやらかしたかって身構えてると、『このガキの面倒を見てろ』って可欣ちゃんの子守りを任せられたの」

「それって……この男もその場にいなかったか?」

 王太然の顔写真を見せると、指を指してコイツと肯定した。


「そうそうこの男だよ。ボスと知り合いらしいけど、可欣ちゃんとは似ても似つかなかったな。あの子は愛かったからね。世話役を巻かせられる度に妹のように可愛がってたんだけど、何かトラブルがあったとかでしばらく顔を見せないなぁって退屈してると……ボスが可欣ちゃんの自宅が何者かに襲撃されたって話をしてるのをたまたま聴いちゃって……」


 ――襲撃だと?そんな話は聞いてないし、ニュースにもなってないんだが。

「ボスは他に何か言ってなかったか?なんでもいい。覚えてたら話してくれ」

「ええっと……ちょっと待って。私そんな記憶力よくないからさ」

 しばらく腕を組んで、頭痛に耐えるように瞼を閉じる。

「そうだ。『ツジムラのヤローが裏切った』って話してたような。誰だろうね。そのツジムラっていう馬鹿な男は」

「ボスは、林は本当にツジムラって言ってたんだな」

「うん。間違いないよ」

「そうか……」


 青天の霹靂とはこの事か――

 思わぬビッグネームの出現に、改めてこの事件の闇の深さが窺えた。

 蛇頭と対等に付き合えるような「ツジムラ」という名前の男なんて、日本中の同姓を探したところで井筒会の「辻村御幸」の他に俺は知らない。

 暴力団は組織対策班の専門で俺は管轄害だが、それでも奴のあまりある野心の高さと、奴が犯してきたと人を人とも思わぬ所業の数々は公安のなかでも有名な話だった。

 まさか、辻村が福建マフィアの、それも蛇頭と関係があると誰が想像できようか。つまり、奴は人身売買のシノギに手を出していたという可能性が急浮上した。

 だが、疑問点は残る。井筒会は海外マフィアとの癒着は絶対に認めていないはずでは――


「うわ……なにこの事件。これ本当に日本なの?」

「どうした?」

 ノゾミが俺が見やすいようにスマホの画面を傾けると、そこには信じられない光景が写し出されていた。

「これ、歌舞伎町だよね?たぶん区役所通りかな……凄いことになってるね」

 報道カメラが写す先には、数え切れない救急車とパトカー車両と、規制線の向こうで運ばれているブルーシートに覆われたナニか――


 アナウンサーがオブラートに包んで伝えていた内容では、トワイライトというクラブが何者かに襲撃されたようだ。被害者は二桁にも及ぶ。どいつもこいつも井筒会の組員もしくは関係者ときた。

「トワイライトっていやぁ……辻村の店じゃねぇか」

 被害者に奴の名はない。

 あるのは幹部と名も知らぬ末端の構成員の名前。


 そのとき、電話がなった――

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