第20話

「オヤジ。会合はどうでしたか……失礼ですがジャケット汚れてますよ」

 長年手元に置いている腹心がドアを開いて待ち構えていた。停めてあった車の後部座席に全体重を預けると、普段は適度に体を包み込むはずの革貼りのシートが、底無し沼のように全身を飲み込んでいくような錯覚を覚えた。


「駄目だ。チャイニーズドラゴンも手を切るだとよ。ムカついたから手のひら返しした日和ったガキ共の頭をかち割ってきた」

「ああ、それでですね。その赤い染みは」

 福建「蛇頭」とのパイプが一時的に途絶えたことは、俺にとってメリットとデメリット》の双方が混在していた。

 メリットは己の手を汚さずに福建マフィアとの関係性が途切れたこと。俺との関わりがある人間が全て消えたということは、どれだけ怪しかろうが幹部連中もその事実を受け入れざるを得ないだろう。

 デメリットは、最大のシノギを失ったということ。この窒息してしまいそうな閉塞感漂う国内では、人身売買にとって変わるような金の卵は、現在存在しない。それこそバブルの再来でも起きなければ。


「あちらを立てればこちらが立たずとは、まさにこの事だな……」

 汚れた手をハンカチで吹いてから煙草を咥えると、部下によってすかさず火を灯される。とても訓練された動きだ。

 無論、肉の楯ボディーガードとしての忠誠心もそこら辺の奴より群を抜いている。でないと俺に二十年も仕えることなど出来やしない。

「しかし、どうなってるんですかね。まるで潮が引いてくように甘い汁を吸ってきた連中が次々と手を切ってくるなんて」

 アクセルを踏み、滑らかに車を走らせると口を開いた。こちらは滑らかに、とはいかない。

「まったくもって腹立たしいが、利権に群がるのは表も裏もそう構図は変わりない。むしろ裏切り者を選別できて助かる面もあるがな。ただ、短期的に見ると、これで蛇頭といいチャイニーズドラゴンといい大陸との太いパイプが途切れたことになる。幹部連中を黙らせるには、まとまった金が必要だな」


「あの、行き先はどうしますか」

「トワイライトに向かえ」

 定跡通りことが進んでいれば、今頃は組長の椅子に手が届きうるところまで到達していたはずだ。

 それが劉という脆弱な一匹狼気取りの一手で、コロコロと形勢が変わりつつある。

「俺はこんなところで終わらない」

 運転席に座る腹心にも聞き取れない声で、外を流れる摩天楼を見上げながら呟く。

 ――俺は、いずれ日本の表も裏も牛耳る存在になることが宿命付けられてるんだからな。


「オヤジ。到着しました」

「……む。ああ、もう着いたのか」

 歌舞町のトワイライトに到着するまで、どうやら眠りに落ちていたようだ。普段は他人がいる空間で睡眠を取ることがないというのに、部下に声をかけられるまで起きないとは、いくら疲労が溜まっているとはいえ情けない。

 ドアを開けられてもなお、腰から下が根っこが生えたようにシートから離れたがろうとしなかった。

 薄暗い店内に入ると、あちらこちらで下卑た笑いと、それに調子を合わせるホステス口説き文句セールストークがあちらこちらから聴こえてくる。

 ――そうやって金を落としていけよ。豚ども。お前らがあくせく働いて手に入れた金が、俺を潤してくれるんだからな。


「あらぁ、御幸ちゃんいらっしゃい。今日はちょっと混んでるから、先にVIP席で待っててちょうだい」

「ああ。さっさと来いよ」

 ヤクザ界広しと言えど、俺の事を『御幸ちゃん』と呼ぶやつは誰一人としていない。

 このトワイライトのママである野中聡美を除けば。

 俺が言わんとする意図を即座に理解した聡美は、潤んだ流し目を残し酔客の元に向かっていった。

 決して他の客に向けないだろう艶やかな目を見るのは嫌いではない。この世の全ては俺のモノになるべくしてなるんだからな。

 その後、VIP席にやって来た聡美と、その他の新人ホステスのを終わらせると、聡美が手ずから美酒を注いだ。

「思えばこの店もオープンして何年になるかしらね。全部御幸ちゃんのお陰だわ」

 肩にしなだれながら、感慨深げに語る。

「なに、俺はあくまで金を出しただけのしがないオーナーだ。聡美の経営手腕があってこそトワイライトはここまで成長したんだよ」

 そういうと、まだ物足りなさそうな唇に己を重ねた。その行為に俺は何も感じやしない。聡美もそれを理解した上で俺を受け入れる。

 女という生き物は理解しがたい存在だが、聡美だけは例外的に傍に置いといても、置物として役立つだろうと考えていた。


 何杯目か――極度の疲労が溜まっていたせいもあってか、普段は感じることのない酩酊感に違和感を感じていた。その時、重厚な扉を開いてやって来たのは、普段店の外で待機させているはずの腹心の部下だった。


 瞬間的に、全身の毛が逆立つように肌がざわつく。どうして呼んでもないコイツがここに姿を現すんだ。

 何も言葉を発さない部下の後方――愚かな客達が騒いでいるはずのボックス席から、騒音が聴こえてこないことに遅れて気づいた。

 ――なんだ、何が起こっている。まさか……酒に


 視界が揺れるなか、隣にいるはずの聡美に目をやると、いつのまにか席を離れ部下の横に立っていた。

「ごめんね。御幸ちゃん」

「オヤジ……申し訳ないっす。でもこうするしかなかったんすよ」

 二人の裏切りを示す言葉は耳を通過していった。罪悪感に歪んでいる顔も、今となってはどうでもいい。既に二人は制裁の対象として認識しているから。それよりも――


「ほんま面倒なやっちゃなぁ辻村」

「やっぱあんたか」

 正面に立つ二人の間を割って入るようにVIP席に姿を現したのは、あの憎たらしい幹部の須崎だった。

 後ろ手で扉を閉め、もう片方の手には見せつけるようにハンドガンが握りしめられていた。

「なぁ辻村ぁ。ワシは言っといたはずやでぇ。井筒会の裏切り者は許さへんでってなぁ。それが蓋を開けてみりゃ、なんやこの醜態は。支那シナのゴロツキどもと仲ようしやがってからに」

「幹部会は……まだのはずでは」

 一歩一歩近づいてくる須崎は、既に勝ち誇ったような顔で俺を見下している。

「なあ。どうや、これまで築いてきた足場が全て崩れていく気分は。あ?どや、なんか言うてみい」


 臓腑が腐ったような腐敗臭が鼻を刺激する。

 豚の言葉には耳を貸さず、辛うじて働く聴力を最大限に稼働させると、外のボックス席では複数の足音が聴こえた。

 仮にVIP席を無事に抜け出しても、恐らく武装した屑共を相手に潜り抜けなくてはならないらしい。


「おい!聞いてんのか辻村ぁっ!オドレ自分の立場っちゅうもんをわかってんのかい!」

「ちっ……ブヒブヒ煩えんだよ」

「やっと本性だしよったな。それにしても……この野中っちゅう女はホンマエエ女やな。お前にはもったいないで。なぁ聡美」

 そういうと俺が与えてやった着物の隙間から、須崎は手を入れて弄んでいた。

「なるほどな。俺は袋の鼠ってわけだ」

「そや、わかっとるやないか。さすがに頭のキレる男やで。なぁ、悪いことは言わへん。ここはワシに全部任せぇ。そうすれば組長にもナシをつけてやるさかい。ただ、お前さんの実権はそっくりそのままワシが引き継ぐさかい、堪忍したってな」

 言葉とは裏腹に、下卑た笑いと俺を嘲笑う素顔を隠そうともしない須崎は、乳繰りながら銃口を額に突きつけてきた。


「さて、十秒時間をやる。生きるか、それとも死ぬか。好きな方を選ぶんや」


「十」掌が正常に働くか確認する。

「九」いざという時に脚に力が入るか確認する。

「八」懐の拳銃が奪われていることを確認する。

「七」室内を見渡して鋭利なものを探す。

「六」最短で脱出ルートを頭の中で叩き出す。

「五」須崎と部下のハンドガンの弾薬数を想定する。

「四」通報が入った警察がここまで乗り込んでくる時間を計算する。

「三」これまで重ねてきた屍の山を思い出す。

「二」自らの野望が遠退いていくことを実感する。

「一」タダで殺されてなるものか、スイッチをオンにする。


「さぁ~聴かせてくれ。お前はどっちを選ぶんや」

「俺は……」

 一メートル先のアイスクーラーに刺さっているアイスピックに目をやる。

「死んだように生きたくねぇんだよ」

「あ?あ、あぁん?」


 咄嗟に手を伸ばして掴んだアイスピックを、須崎の耳の穴の中に突き立ててやった。

 根元まで容易に深々と突き刺さり、一番奥でかき混ぜてやる。

 すると、まるで人語を介さない豚のように、意味不明な鳴き声を放ちながら崩れ落ちた。


「う、動かないでください!」

 腹心だったはずの部下が拳銃を向けてくるのと、俺が豚のハンドガンを奪い取って銃口を向けるのは同じタイミングだったが、勝敗を決したのは感情の有無だった。

「オヤジ……無駄な抵抗ハギャ」

 何か言いかけていたが、あまりに無防備な頭ががら空きだったので、シューティングゲームのように的目掛けて撃たせて貰った。

 眉間のど真ん中に真っ黒な風穴を開けた部下は、派手に脳漿をぶちまけてソファに倒れた。

 まぁ百点ってところか。


 防音設備が整っているとはいえ、外の連中も違和感を感じてるところだろう。

「あ、あ、あ」

「おっと、忘れてた」

 腰が抜けて立てないでいる聡美は、折角の仕立ての友禅にうっすら染みを作っていた。

 その顔面は、もはや一流クラブのママとは思えないほどに、醜い体液で崩れ、一気に二十は年老いたような相貌に変化していた。

「御幸ちゃん!堪忍して!あの人に脅されてただけなのよ!」

「ほう。そうか」

 みっともなくすがり付いてくる女に、わざわざ銃弾を消費するのは勿体ないと思い、抱きつくように頭に手を回す。

「み、御幸ちゃん?」

 助かったと思ったのか、一時の希望が生まれていた聡美に、最期の言葉を告げる。

「悪いな。お前のことは商品以上でも以下でもないんだよ」

「ん!」

 頸椎を勢いよく折ってやると、不自然な方向に首を曲げた肉塊を放り投げる。


 まだ痺れが残る肉体は五体満足とはいかないが、それでも短時間ならなんとかなりそうだと判断し、ドアを開く。

 須崎の死体を肉の盾にし、わかりやすいほど戸惑う連中にありったけの銃弾を見舞ってやった。

 照明や調度品が砕けていくなか、全てがスローモーションに見える。

 脳内麻薬ドーパミンがドバドバ溢れ出てくる感覚を堪能し、久しぶりの命懸けの乱闘に本能のまま身を委ねることにした。

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