第18話

 前方をノロノロと走る車両どもを縫うように、俺達を乗せたハイエースは首都高を疾走していた。目指すは新宿歌舞伎町。

 ――すっかり荒々しい運転も板についたもんだ。

 運転中の大塚の横顔を助手席から眺めていると、向けられた視線に気がついたようで、横目で確認してきた。


「なんですか?さっきからジロジロ見つめてきて。あ、あの俺そういうのに否定的な訳じゃないんですけど、自分はちょっと……その勘弁してください」

「バカヤロー。その頭今すぐぶち撃ち抜いてやろうか」

 気色悪いことを言うな。食ったもんを吐き出すかと思ったぞ。

「案外打たれ強いんだなって関心してたんだよ。格闘技でも習ってたのか?」

「えっと……少しだけですけど。どうにも長続きしなくて、そもそも飽き性なんですよ。結局いくつも格闘技を習って全て辞めてしまいましたけどね」

 なるほどな。三日坊主ってわけか。


 別に誉めたつもりはなかったのだが、大塚は間違いして頭を掻いては照れ臭そうに笑っている。

 その顔は堅気カタギそのものだ。

 ――しかしまぁ……さっきは本気ではなかったとはいえ、無事では済まさないつもりで殴ったってのに、けろっとした顔しやがって。

 涼しい顔でハンドルを握る大塚は、初対面の頃とはまるで別人に見える。


「それにしても……可欣ちゃんのお母さんは無事ですかね……」

 横浜港から京浜工業地帯に景色が流れていくなか、懸念していたことを口にした。


「さぁな。安否はどうであれ、辻村さんに直接聞けばわかるだろ」

「あの、本当にあんな計画とも言えない計画をですか?あの血も涙もない辻村さん相手ですよ?もし万が一俺達が失敗したら、そのときは可欣ちゃんまで……」

「そんときゃそんときだ。死ぬつもりで生きてりゃ案外死なねえんだよ。メモっとけ」


 しかし、大塚のいう通り勝算があるかと問われると、勝率は三割を下回るだろう。なにせ辻村さんは喧嘩ステゴロなら井筒会で右に出るものがいないといわれている、文字通りの化け物だ。

 あの人が関わってきた人間は必ず破滅する。あれを人間だなんて思っちゃいけない。積み上げてきた屍の数が、即ち辻村御幸という男の強さに繋がるのだから。

 人を喰らって生きる、まさに獣のような男。

 これまで何年もの間、辻村さんを側で見てきてわかったのは、あの人には理性とか、人間性とか、普通の人間に備わっている部品パーツというものが最初から存在しないということだ。

 一旦スイッチが入ってしまえば、目の前の敵が息絶えるまで攻撃をやめない。その苛烈さは常軌を逸してると言えるし、最大の武器とも言える。


 いつでも殺りあえるように何度もシュミレーションを重ねてきたが、理想的な状況シチュエーションで一対一に持ち込んだとして、不意打ちを狙ったとしても……高確率で敗北するだろう。

 上手く逃げ場のない空間で多対一に持ち込めたとしても、あの人の格闘技術の前では、寄せ集めの戦力では何人いようが関係ない。

 はっきりしているのは、敗者はこの世から跡形もなくなるということだ。


 ――だからこそ、一瞬の隙を狙うしかないんだがな。



「計画は伝えた通りだ。抜かるなよ」

「本当にやるんですか?なんならもう少し行動パターンを把握した方が」

 愚図る大塚の横を黒いワゴン車が横切っていった。

「俺が何年傍についてたと思ってるんだ。辻村さんは必ず月に一度『トワイライト』へ顔を出す。何があってもだ。それが偶々明後日……その瞬間を狙って――」

「拉致する、ですね」

「ああ。わかってるじゃねえか。いいか、チャンスは一度きりだからな」


 バックミラー越しに誰もいない後部座席を見つめる。

 本当なら後部座席に乗っているはずのあのガキは、今頃あの幸せそうな夫婦に面倒をみてもらってるところだろう。

 一瞬、心臓の辺りが痛んだ。何故?

 この方法しかもう助けられない。奈穂子の子供を救うためには――


 中華街のネットワークというのは、こういう非常事態の時こそ役に立つ。

 世界中に散らばる同胞との結び付きは、日本人には理解が及ばないほど固く、そして太い。鉄鎖のようだ。

 俺は中華街を離れる前に友に頭を下げた。人生で一度も下げたことのない頭を。

 その姿を見た文芷は、随分と驚いた顔をしていたが、胸を叩いて「二、三日あれば見つけてやる。ニューヨークのチャイナタウンに知り合いがいるんだ。そいつに頼んでみるよ」と請け負ってくれた。


「俺はお前がまた誰かの為に動こうとするのが嬉しかったんだよ」

 あんな反吐が出るような台詞を残しやがって。

 どうせ日本にいても危険が及ぶ可能性が高かったから、逃げるなら海外に、それも日本のヤクザの手が届かないほど遠くまで逃げた方がいいに決まっている。


 それと、血吸蝙蝠にも正式に仕事の依頼をした。

「まぁ、私としては劉ちゃんがそれでいいならすぐにでも話を進めるけど……それでいいの?」

「なにがだ」

「だって、秋本奈穂子の一人娘と離ればなれになるのよ?」

「阿呆が。別にそれだけのことだろ。それと俺になんの関係がある」


 依頼した十分後には奴からメールが届いた。内容は――

 ・四日後に横浜港から台湾に向かう手筈となっている貨物船に乗り込むこと。

 何の因果か『希望シーワン号』って名前の船だから間違えないでね。

 ・付き合いのあるなかで比較的、ブローカーに依頼したから、快適とは言えないかもしれないけどそこは許して。

 ・希望号が台湾に到着後、可欣ちゃんは私が責任を持ってニューヨークへ送り届けるから安心して。

 ただ無理言って頼んだ話だから、足元みられて高くついちゃった。

 ・最後だけど、これが劉ちゃんにとって一番大事かしら。

 このあと私が先方に返信したら、その時点で契約は成立する。この世界信用をなくしたらやっていけないのはわかるわよね?

 つまり、キャンセルは絶対に出来ないということ。

 さて、どうする?


 内容にざっと目を通した俺は、すぐに返信した。悩む必要なんか何処にもねえってのによ。

 返信の完了を見届けると、即座に手元の携帯が震えた。

「もしもし」

「あ~もう疲れたわよ!凡人が百年かかっても出来ないことを一時間足らずでやりきった気分よ!」

 そんな大げさな、とはとても言えやしない。

 これまでとても返せなさそうな借りを奴から借りてしまったのだから、本来は礼の一つでもするべきだろう。

「飲まなきゃやってられないわよ!」

 これまで聴いたことのない血吸蝙蝠の嘆きが、なんだか何処にでもいる人間のように聞こえておかしかった。

 つい最近までは殺意すら覚えていたというのに、自分の心境の変化に驚かされる。


「で、血吸蝙蝠よ。なにか情報は掴めたのか?」

「あ~あのね、その血吸蝙蝠って名前よしてくれないかしら。これからは『マドカ』って読んでちょうだい」

「あ?どんな風の吹きまわしだよ。お前が自分から名乗るなんて。『マドカ』ねぇ……」

「あ、ちなみに何処かの組織に売ったところで、素人がどうこう出来るもんじゃないから。いざとなれば戸籍なんて根っこから変えちゃうしね。そもそも血吸蝙蝠って名前が嫌いなのよ。乙女に向かって蝙蝠って失礼だと思わない?」

 おい、血吸蝙蝠ってこんなに喋り倒すやつだったのかよ。

 耳元でギャンギャン喚くマドカは、放っておくと延々と喋り続ける気配がしたので先を促すと、取り乱していたことを恥じたのか、咳払いをしてから何事もなかったかのように話を再開する。


「あーごほん。どうして可欣ちゃんが王大然の家族に引き取られていたかというと、それは今は亡き王に拉致されたからなの」

 それから事件のあらましを全て聴いた。

 なんのことはない。俺はまんまと辻村さんに操られていたというわけだ。哀れなマリオネット――どうやら俺も使い捨ての駒の一つだったらしい。

 そして辻村さんも、この舞台上では主役ではない。到底俺がどうこうできる規模の話ではなかった。


「ちょっと劉ちゃん……ここで割かし最悪な部類の情報があるんだけど」

 スピーカーの向こうから聞こえていた、キーボードを叩く音がピタリ止まる。

「なんだよ。今も割かし最低な気分なんだがな」

「今ね、劉ちゃんの車のカーナビから位置情報を掴んでるんだけど、それ、私以外にハッキングされてるわよ」

 カーナビに視線を向けるが、そういえばその可能性をすっかり見落としていたことに今更気が付く。

「俺達の動きが余所にバレてるってことか」

「……ちっ、ごめん!私としたことが相手の力量を完全に見誤ったわ……どうか無事に逃げ切っ、」

 マドカの焦り声が聴こえてきたと思った瞬間、通話が途切れた。何者かの声が背後で聴こえたような気がしたが、恐らく今電話を掛けたところで出る余裕もないだろう。

 民間の車両の位置情報をつぶさに追うことができて、かつ個人の通話を強制的に遮断できる。そんな権限があるのは――


「劉さんっ!しっかり捕まっててください!」

「なんだよ、って、うおっ!」


 体が横にかかる負荷で窓ガラスに頭を強かに強打したが、どうやらそれだけでは済まないようだ。

 後方から衝撃と轟音が轟く。サイドミラーで確認すると一般車両が外壁に衝突したらしく、派手に大破炎上していた。

「頭を伏せてください!」

「ちぃ、奴等何でもありかよ!」

 前方にフルスモークの黒いワゴンが確認できたが、車体横のスライドドアから身を乗り出していた黒服の男は、俺達に物騒なMP5の照準を合わせていた。

 射線から逃れるように急いで上半身を隠すと、車体を貫かんとする一斉掃射が車体に直撃する。

 この国は一体いつから無法地帯になったんだ。


「あいつら、マドカが言ってたハッキングしてた連中だろ。こんな公道のど真ん中で短機関銃サブマシンがンブッぱなすなんざ、今時頭のイカれたヤクザにもいねぇよ」

 元から防弾仕様でないフロントガラスが銃撃に耐えられるはずもなく、瞬く間に粉々に割れてしまった。

 前輪のゴムタイヤは被弾したせいで片輪がパンクしてしまったが、大塚は器用にも頭を下げながら車を止めることなく運転を続けていた。

「この道はよく走ってるんで、コースは頭のなかに叩き込んであります!」

「くそ、派手にドンパチしてくれやがって……公安って奴はこんなに無計画なのかよ」

 まさか臆病者と罵っていた男に命を託すことになるとは、人生何が起こるかわからないもんだ。


「本当にただの公安なんですかね」

「どういうことだ?」

 右左にハンドルを切りながら、大塚は隣でぼやくように洩らした。

「いや、いくらなんでも一般人を巻き込んでまで一斉掃射なんてするでしょうか。というよりあれって機動隊の装備ですよね?それを使用できる裁量はとてもないと思いますが……」

「さぁ、どうだろうな。俺にはさっぱりわからねぇ」


 曲芸のようにパンクしたタイヤで見事なハンドル捌きをみせる大塚のおかげで、俺達はなんとか下道へ降りることが出来たが、見事な運転技術をもってしてもここまで運転してきた車体はとてもじゃないが自走不可能な状態に陥っていた。


「仕方ない。身を隠しながら歌舞伎町に向かうぞ」

 人目につかない路地裏に車を停めさせ、車を降りた俺は違和感を感じた。

 ――どうして俺達は


 パン――


 腹部に衝撃を感じた次の瞬間、焼きごてをあてたような熱を感じた。


 ――なんだ……こいつは?


 声にならない声で、手に付着したそれを凝視した。真っ赤な血が、腹から溢れている……。



「悪いっすね。どうやら旅はここまでっす」

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