第17話

「あれ?無事だったの?ていうか……無傷?あんたボスと何話してきたのよ」

 目を丸くするとはまさにこの事で、まるで俺が地下から生きて帰ってきたことに、ノゾミは大変驚いているようなおかしな顔で出迎えた。

 さて、本当の事を話すべきか――カーテンで仕切られた店内を見渡すが、聴こえるのは嬌声と肉と肉がぶつかり合う生々しい音だけ。

 どう考えても下で起きている猟奇的殺人事件に気づいてる者がいるとは思えない。


「なぁノゾミ」

「なあに?」

 いかにも十代らしいつぶらな瞳を向けてくる。

「お前、林の姿を目にしたか?」

「ボス?そういえば昨日の夜から見てないけど、下にいるんじゃないの?」

 どうやら彼女も詳しいことは知らないようだった。それもそうか。あんな地獄絵図を見ていたら発狂ものだ。


「あ、でも……」

 何か思い出したノゾミは、拳で手の平をポンと古めかしいポーズをとると口を開いた。

「そういえば昨日の夜中だけどね、営業時間中にいつものように個室のなかで時間を潰していたの」

 そう話しながら、画面がバキバキに割れたスマートフォンをかざす。そこもいかにも十代というべきか。

「それで何時か覚えてないんだけどね、お店は満員でみんな加齢臭臭いジジイとヤってたんだけど、カーテン越しに誰かが地下に降りていく気配がしたんだよね」

「ああ?あのボクサー犬じゃないのか」

「違う違う」


 つい自分がつけたあだ名が口を突いて出てきたが、どうやら彼女も奴をボクサー犬と認識していたらしく、それが通じたのが妙に愉快だった。

「あれは滅多にフロントから離れないから。前に一度、営業中に従業員の女の子に手を出しかけたんだけど、その時ボスに半殺しにされてたから懲りてると思うよ」

 子供が語るには生々しすぎる現実を、ノゾミは坦々と語る。

「それに、あんな顔見たら勃つもんも勃たないでしょ」

「まぁ……無理だろうな」

 激務のせいか、バイアグラなしではやる気も起きない俺も、さすがにあの厳つい顔面を見た日にはうんともすんとも言わなくなりそうで、想像すると笑ってしまった。


「なんだ、笑った方がイケてるよオジさん」

「まだオジさんってほどの年でもねぇ」

「そう言ってる時点でもうオジさんだって。で、そのときはまぁ気にしなかったんだけど、しばらくするとまたその気配を外に感じてね、今度は誰なんだろうとカーテンの隙間から覗いたんだけど……」

 ノゾミはほんの少し顔を曇らせると、本題に切り出した。


「そいつ……若そうな男だったんだけど、ボスと話が出来るような貫禄とか一切なかったんだよね」

「どういうことだ?」

「うーん。なんていうかな……その手の筋の人とは思えなかったんだよ。だってそいつはボスの一番嫌いなタイプの人間だったし。なんか非力な?そんな感じ」

 なんとも要領を得ない物言いだが、情報は情報だ。話の腰を折らないよう会話を続ける。

「しかしボクサー犬がわざわざ通したんだろ。だったら奴等の仲間と考えた方が自然じゃないか」


 そこで俺は話を止めた。止めざるを得なかった。

 何故なら話題の渦中にあったボクサー犬が、外へ通じる扉の前で仁王立ちしていたからだ。

 思ったより頑丈タフだったかと、己の想定の甘さに辟易したが、奴は額の血管がぶちギレてしまいそうなほど顔を真っ赤にさせていた。

 どうやら無事には返してはくれなさそうな殺気を放っている。


「テメェら……絶対許さねぇ!」

 懐からバタフライナイフを取り出すと、狭い室内に反響するほどの怒声を撒き散らしながら突っ込んできた。

「阿呆が……ご自慢の腕力を棄ててどうする」

 格闘術とはなんぞや、と基本のイロハを教授してやっても良かったが、なにぶん騒ぎを起こすことをよしとしない立場の為、襲いかかってくる猛犬の手首を捕まえ外側に捻る――それだけで手にしていたナイフが床に落ち、即座に無力化することに成功した。

 流石に事を荒立て過ぎたか、各個室から恐る恐る顔を出す従業員たちが、今し方店内で起きた乱闘を見るなり、悲鳴をあげて続々と飛び出していく。

 つられて萎びたイチモツを垂れ下げた愚かな客も、着のみ着のまま声にならない声をあげて出ていってしまった。


「ぐぁ……っ!」

「ったくよ、攻撃の一つ一つがお粗末なんだよ」

 勇んでナイフを突きつけていたボクサー犬が、苦悶の表情に脂汗を浮かべて膝をついている。

 握られた手首の先は青黒くなっていた。俺が見上げるほどの高身長だった男の顔面は、苦悶を越えてもはや泣きそうだったが、それは関節の可動域を越えていたからではない。

「は、はなせ」

「ああ?どうして離してやらなきゃいけない」

「テメェ、ぜってぇぶっ殺す」

「そんなこと言われたら、余計離すわけにはいかねぇな」

 握力を強めてやると、最初の威勢はどこへやら、とうとう詫びを入れ始めた。

「なぁ。昨日ここに林紹威に会いに来た奴がいるだろ」

 その一言に、ボクサー犬はわかりやす表情をなくす。

「し、知らない!そんな男は知らない!」

「いいから教えろ。なんなら半年はギブスが外せない体にしてやろうか」

 その一言が効いたのか、ポツポツと男について語りだした。


 ボクサー犬曰く――その男は「佐藤栄作」を名乗っていた(よりにもよって佐藤栄作かよと突っ込んだが、ボクサー犬はその名を知らなかったらしい)。そして、有無を言わさず止めようとしたところ、赤子の手を捻るかのように倒されたと。舐めてかかっていたが、外見は至って普通。誇張しても調子に乗ってる程度の若者にしか見えなかったとのこと。

 その田中なにがしに手も足もでなかったコイツは、渋々ボスの元へ通すことを選択したらしい。


「言っておくが、そいつは林を殺した奴だぞ」

「「へ?」」

 二つの声が重なる。ボクサー犬と、カーテンの隙間から目敏く様子を窺っていたノゾミの声が。

「地下で見事な地獄絵図が待ってるぞ。良かったら見てこい」

 そう告げると、気が動転した番犬は階段を飛び降り、ほどなくして嘆きの咆哮が階下から届いた。


「しかしまぁ、半殺しにされたわりにボスに忠実なんだな」

「ああ……アイツはボスのボディーガード兼情夫もやってたからね」

「ゲッ」

 そんな会話を交わしていたその時――

「……っ、こっちにこい」

「え、ちょ!」

 ノゾミを個室に押しやり、カーテンを急いで閉めた。俺の腕の下で少女は無駄な抵抗をしている。

「え?なに?どうしむぐ!」

「いいか……黙ってろ」

「もがが」


 店内には現在二人しかいなかったはず――ところが、フロントから何者かが侵入してくる気配がした。

 それだけならただの変態親父の客である可能性が高いが、咄嗟に姿を隠したのは、その場馴れした足音の消し方のせいだった。

 常に気配を殺して歩いている者独特の歩行は、嫌と言うほど覚えがある。

 これは――


「いるんだろ。奥寺」

 抑揚を感じさせないAIのような音声が、カーテン越しに聴こえてくる。

「朝比奈さんがお前を泳がせてるってことくらいわかってるだろ。これ以上首を突っ込むな」

 どうせ居場所はバレているんだろう……なら黙っていてもしょうがない。

「うるせぇな。朝比奈の飼い犬が」

「そういうとこだ。お前は個が消しきれてない。だから朝比奈さんは危惧しているんだよ」

 そこで乾いた発砲音が轟く。

 続いて何かが階段を転げ落ちていった音も。

 どうやらボクサー犬は愛する人のもとへ旅立ったようだ。

「そうそう。この大量殺人は奥寺、お前がしでかしたことになっている。行動を改めるのなら朝比奈さんに連絡入れておけよ」

 そう言い残すと、店内の空気が軽くなった。どうやら気配が消えたようだ。


「ねぇ……そもそもアンタ誰なの?いったい何が起きてるのよ」

 いったい何が起きてるって?

 それは俺の方こそ聞きたいよ――

「とにかく俺はここを離れる。アイツが話してた限りでは、この事件は最初から仕組まれてたようだ。お前も逃げるならさっさと逃げた方がいいぞ。恐らく関係者は口を封じられるからな」

「そんなこと急に言われても、私に逃げ場なんてないよ」

 まぁ、そんなところだろう。十代でこんな違法風俗店に勤めるくらいだ。それなりの人生を歩んできたのだろうが、あいにく俺にしてやれることなどない。


 ないが――


「当面の身の安全は守ってやる」

「本当?ありがとうオジさん!」

 そう抱きついてきたノゾミを、俺は厄介な荷物を拾ったなと早速後悔した。


 とにかく今はここから逃げるしかない。

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