第9話

「――もしもし」

「おい。俺だ。話がある」

「俺?まさかオレオレ詐欺っすか? も~勘弁してくださいよ。金なら持ってないっすよ?あ、なんなら金融会社でも紹介しましょうか?ただですけど。アハハ」

 電話に出るなり途端にふざける声を聞いた瞬間、やはりコイツに連絡を入れるべきではなかったかと、感情任せに手元のスマートフォンを床に投げつけてやりたい衝動に襲われた。

 この男はいつもオレをイライラさせる天才だ。

 普段は感情など不要なものだと割りきっている俺でさえ、いとも容易く怒りをあらわにさせられてしまう。


「ふざけてないで聞きやがれ。いいか。またオマエに頼みたい仕事がある」

「またっすか?つーか、このトバシの番号どこで手にいれたんすか」

「人一人の番号を突き止めるくらい、この俺には造作もないことだ」

「人一人見つけられないクセに?」

 それまでふざけ半分だった男の口調が、皮肉半分をさらに混ぜた口調で答える。

「……俺が誰を探してるのか知ってるのなら話は早い。可欣というガキを見つけろ。そして消せ。それが今回の仕事だ」

「うーん。いいっすよ」

「そうか、それなら」

「と、言いたいところっすけど、少し時間をください」


 この男――

 威嚇、恫喝、脅し、これまで自分以外の人間を手懐けるのに使ってきた天賦の才は、この男の前ではなんの役にも立たない。

 部下にいくら調べさせても、日本国で生活していればいくらでも調べようがある血縁関係の一つも見つからない。

 それどころか、男に関する情報が何一つ出てこないのだ。

 普通、どれだけ身分を隠そうとしたところで、金を詰めば今現在どこで何をしてるのかは知ることができる。

 逆にいえば、この国に住んでる限り、一生隠れて過ごすというのは土台無理な話なのだ。

 指名手配犯を刑事デコスケが追い回す以上の執拗さで、俺達ヤクザは標的を追い詰める。

 それなのに、まるで最初ハナからこの国に存在してないような――いや、されたと言っても過言ではないほど、ヤツの個人情報が手に入らない。


「ダメだ。すぐに動き出せ。可及的速やかに処分しろ」

「じゃあ無理っす。あんまし調子乗ってると、組長の座は永遠に手に入らなくなりますよ」

 俺の野望を話したことはないが、全て見抜かれているというのはどうにも気に食わない。

「……はぁ。どれだけ時間がかかるんだ」

「そうっすね……だいたい一週間もあれば片はつくと思いますよ」

「わかった。最大限の譲歩をしてやる。五日だ。五日以内にあのガキを消せ。わかったな」

 返答は無用と通話を終わらせると、これからの計画を脳内で再構築し始める。

 本家への根回し、関係者の排除、潰した福建ルートの補修作業……やることは無限にある気もしたが、これも組長の椅子を手に入れる最後の壁と考えれば、さして苦ではなかった。

 自らの命をベットする必要があるが、そんなことはこの世界に身を投じたときから繰り返してきたことにすぎない。


 再び冷静を取り戻すと、重厚な扉をノックする音が聴こえる。

「入れ」

 どうやら大塚の自宅から部下が帰ってきたようだった。辻村は悪魔のような笑みで仕事に取りかかる。




 奥寺は歌舞伎町に訪れていた。

 無駄についた皮下脂肪は、見事に断熱材の役割をしてくれ、カンカン照りの太陽の熱を効率よく吸収してくれる。

 これは少し痩せるべきだろうかと、毎年飽きもせずに繰り返す無駄な思考と並列して、これから訪れる予定の、とある事務所について計画を練っていた。


 朝比奈さんに黙って、与えられた任務のを調べていくうちに、その可欣という少女と、既に亡くなっている王泰然という父親との間に血の繋がりは存在しないことがわかった。

 それだけなら養子縁組でもしたのか、奇特にもどこかの孤児みなしごを引き取ったのか、その程度にしか思わなかったかもしれないが、少し掘り下げて調べていくうちに、どうにもその王という男が怪しい動きを見せていたことがわかった。


 その一つが、歌舞伎町に存在する福建マフィアの事務所への立ち入りだ。

 もちろん阿呆みたいに表だって事務所を構えてるわけではない。新宿署ですら把握していない事務所だ。

 そんなところに立ち入るのは、頭のイカれた人間か、必要があって訪れる人間の二通りしかいない。

 そして王はどちらかといえば、不法滞在とはいえ実直に中華料理店を切り盛りしてきた男だ。

 それなら後者しか考えられないが、その目的を知るためにわざわざ歌舞伎町まで訪れたのだ。



 昼間から猥雑なネオンが灯っている一角。

 この界隈なら普通に目にする違法風俗店「ヘブン」の暖簾のれんを潜ると、目の前の小振りなカウンターにサイズの合ってないゲージに押し込められたボクサー犬のような男が、剣呑な目付きで奥寺を出迎えた。男の片耳は、わかりやすく上半分が欠損している。


「いらっしゃい。朝っぱらからお客さんも好きだね」

 男なりの接客スマイルだろうか。

 常人が見れば震え上がりそうな形容しがたい笑顔で話しかけてくる。

 一応は客の振りをして、壁に飾られた加工修正された写真を眺める。全員が全員不法入国者だろうが、日本人が好みそうな顔ばかりなので、一見すると日本人にしか見えない。

 どうせ原形を留めてないくらいに加工修正がなされているんだろうが。


「ナンバーワンはレイコちゃん。最高の技術テクの持ち主だよ。でもこの時間は出勤してないね」

 ボクサー犬と勝手に命名した男は、横からぬっと顔を出してきた。

 立ち上がると、改めてその巨体さが目についた。目測で――およそ二メートルか。

 きっと大陸の軍隊あがりだろう木の幹のような腕を伸ばして、几帳面に従業員の説明をしてくれた。

「このアカリちゃんはウチの三番手だけど、接客には定評があるよ。少し待ってもらえれば案内できる。この子は――」


 そんな感じで十名ほど説明し終えると、女性というには若すぎる女の子が店内に入ってきた。

「おはようノゾミちゃん。今日も頑張ってね」

「はーい」

「今の子は?」

 見た目は明らかに十代だった。それも高校生程度の。いかにも大人ぶってますといった服装と化粧で誤魔化そうとはしていたが、長年人の顔を見続けてきた俺の目は誤魔化せない。

「あの子はノゾミちゃんと言って、先月入ったばかりの新人ですよ。まあ性格に難があるんで客はついてませんけどね。あの子が気に入りましたか?」

 もしかしてロリコン気質でもあるんですか?と下卑た嗤いで彼女を進めてくるボクサー犬に、殺意を覚えながらも本来の任務を思いだして思いとどまる。


「それよりも指名を入れたいんだが」

「はいはい。どの子にしましょうか」

 リンゴなど軽く握り潰せるような拳を揉み手させるボクサー犬に伝える。


「林紹威に会いに来た」


 その瞬間、ボクサー犬が浮かべていた愛想が嘘のように霧散し、内に潜めていた暴力性が姿を現す。


「オマエ……ただの客じゃねぇな。ウチに何の用だ」

「いやね、少しお宅のボスに尋ねたい事があって窺ったんだが」

「五人」

「は?」

「お前のような招かれざる客を排除した数だ。俺にはその役割があるんだが……オマエはどう死にたい。選ばせてやるよ」

 わかってはいたが、名前を出した瞬間に導火線に火がついてしまったらしい。

 ゴキリゴキリと、さっきまで揉み手をしていた拳を鳴らせて、正面に立ちはだかる。


「なんも言わねぇなら撲殺だ」

 そう告げるなり、岩のように固めた拳が顔面に迫ってくる。

 当たれば頭蓋骨陥没か、それとも顎間接が永久に外れてしまいそうな殺傷武器が、あと数センチの距離まで近づいたとき、がら空きだった懐に潜り込んで鳩尾みぞおちに持っていたボールペンを突き刺してやった。

 半分はめり込んだだろうか。するとボクサー犬は、それだけで呼吸困難となって前のめりに倒れる。


「日本人なめんじゃねぇぞ」

 当分起き上がれないであろ大男をその場に残し、店内に侵入を試みる。

 間接照明で微かに照らされたフロアは、それぞれ簡易的な個室に分けられていた。

 マッサージ店のように薄いカーテン一枚で隔てられた向こうから、朝っぱらから淫靡な嬌声が漏れている。どうやら稼働率は良さそうだ。

 その室内の奥に目を向けると、「関係者以外立ち入り禁止」とプレートが貼られた扉が確認できる。

 恐らく、あの扉が地下に通じているはず――

 生臭さを掻き消すように焚かれているお香の煙を、一身に浴びながら突き進む。

 ドアノブに手をかけようとしたその時――一番奥のブースから先程のノゾミとやらが顔を出してきた。


「ボスに会うの?」

「そのつもりだが……俺に何の用だ」

「無事に帰ってこれたら、ウチがタダで相手してあげよっか?」

 突然の誘い文句に唖然とした。

「アホ言え。誰が未成年とヤるか」

「ちぇっ、残念。タイプだったのに」

 おい。ボクサー犬。ノゾミは客がつかないんじゃない。タイプを選んでるだけだぞ。しかもよりにもよって俺みたいな男をな。


 扉を開くと、湿気を帯びた淀んだ風が流れてきた。異質、異空間、肌が伝える空気が、地下へ続く階段の先がいかに危険な場所かを五感で伝える。


「ボスはヤバイから気を付けてね」

「わかってる。それを承知で来たんだからな」

 俺達公安は、ヤクザとは対局に位置している。

 だが、形は違えど命を懸けているという点では差異はない。

 ヤクザは組の代門に、俺達「公安」は桜の代門に命を懸けているのだから。




「しっかし日本の総理はコロコロとまぁ変わっていくな」

「それに比べて中国は一党独裁ですもんね。日本とは大違いです」

「おいおい。坊や。変な言いがかりは止してくれよ。中国共産党はで選ばれてるんだからな」


 いつの間に打ち解けたのか、文芷ぶんしと大塚が頭上のテレビを見ながら、時の政権について会話を交わしていた。

 同じようにテレビを眺めていたところで、俺には誰が誰なのか名前も顔も区別がつかない。

 せいぜい下半身が反応した女の顔くらいしか覚えられないだろう。それももって数日の短期記憶に過ぎないが。

 隣に目をやると、朝から食うには胃がもたれそう排骨パーコー麺をペロリと平らげた可欣が、椅子に座ったまま足をバタつかせている。


「オマエ……よくそんな不味そうなメシ食えるな」

「オイ。誰が突然押し掛けてきたダチを匿ってやってると思ってんだ。次フザけたこと言ったら追い出すぞ」

「このラーメン美味しかったよ?」

「そうかいそうかい。嬢ちゃんはよく味がわかってるね。そこのナニ食っても不味いしか言わない男とは大違いだよ」

「ラーメンも排骨麺の違いもわからないガキだぞ。それにそのガキは菓子パンだってウマイウマイ言いながら食う変人だ」

 可欣をそう見下しながら、自分もガキの頃は菓子パン一つ与えられたら喜んでいたことを、不意に思い出した。

 ろくにメシも食わせてもらえず、常に飢えていた俺は、メシを食うために生きていたと言っても過言ではない。

 いつからだったか、味なんて感じなくなっていたのは――


「ほれ、お前も食え」

「は?俺はいらねえよ」

「お前の顔はそうは言ってないんだよ。延びちまうからさっさと食え」

 文芷が目の前に出したのは、可欣と同じ排骨麺。

 そういえば、ガキの頃に文芷のオヤジに食わせてもらったことがあったな――あのときはクソ不味かった記憶があるが。

 割り箸を手にして、暑い湯気が立ち上る麺を勢いよくすすった。

 肉汁とスープが絡まった麺が、口の中で踊る。


「ふん……親父よりかはマシなんじゃねぇの」

「ほんと素直じゃねぇよな」

「俺もそう思います」

「アタシも!」


 三人が三人ともこの俺様をいじってくるとは……ここでベレッタを撃てないのが悔やまれる。


「あ、あのおじちゃん見たことある。あと、隣のおじちゃんも」

 頭上のテレビを眺めていた可欣が、画面に写る人物を指差して言った。

「ああ?あれは……誰だ?」

 俺には単なるジジイにしか見えなかった。

「あれは現総理大臣の大泉芳郎と、隣が自由党内閣官房長官の小澤憲治ですね。可欣ちゃんよく知ってるね」

「へへへ。お仕事のお手伝いで覚えたの」

 仕事の手伝いだと?

「えっと、可欣ちゃん。それって中華料理店でのお手伝いの事?」

 大塚が尋ねると、可欣は大きく頷いて答えた。

「うん。パソコンでね、たくさんお顔見せられて、あと、たくさん文字も見せられたの」

「その文字って覚えてるかな?」

「こんな文字も習ってなさそうなガキが覚えられるわけねぇだろ」

 まだ五歳のガキが字なんて覚えられるわけないことくらいは、さすがに俺でもわかるが、可欣は「わかるもん!全部書けるもん!」と、可欣はテーブルを叩いて主張する。

「ほら嬢ちゃん。よかったらこの紙に書いてみなよ」


 文芷がそう言ってメモ用紙を手渡すと、宣言通りにメモ用紙を瞬く間に文字で埋め尽くしていった。

 辿々しい手つきだが、メモ用紙の余白が残り僅かになっていくにつれ、その場にいた全員が固まってしまった。

 文字というには字体もグチャグチャだが、書き終わって満足げにしている可欣から引ったくるようにメモ用紙を奪うと、辛うじて読み取れる範囲でこう記されていた――



「自由党総裁、大泉芳郎。政治資金規正法違反――」

「自由党内閣官房長官、小澤憲治。未成年に対する婦女暴行罪、強姦罪多数――」


 著名な名前と数々の犯罪名、そしてその日付けと詳細な内容まで書かれている。

 隣で大塚は言葉を失っていた。


「これ……とんでもない爆弾じゃないですか……」

「おい。可欣。お前本当にこんなことを教わったのか」

「覚えろって言われたから覚えたの」

 ――そんな馬鹿な。

 大人でさえ覚えきれない量の情報量がそこにはあった。いくら記憶力がいいとしても、まだ知らない文字を形として一度に大量に覚えられるものなのだろうか――

 そもそも王泰然はどうしてこの情報を知っていた。


「なにがなんだかわからねぇが、嬢ちゃんって天才なんだな」

 こんなときに文芷は適当なことを言いやがる。

 そんなことで片付けられるかと、怒鳴り付けてやろうとすると、大塚が「もしかして……」と小声で話始めた。


「もしかして……可欣ちゃんはサヴァン症候群なのでは?」

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