第4話

 翌日、またもや朝早くから歌舞伎町に赴いていた。表の世界では通勤時間だからか、歌舞伎町をショートカットで使うサラリーマンの姿がちらほら見受けられる。

 そのなかには酔い潰れた風俗の女を介抱するホストの姿も。その横ではゴミ捨て場ではカラスがゴミを漁っている。

 欲望と金で淀んだ街が、朝陽で照らされるこの一瞬だけ、この界隈はほんの少し、穢れを落とすように静けさを取り戻す。

 そしてまた、夜には再び人間の欲望を際限なく飲み込んでいく。一年中その繰り返しだ。



 ビルの隙間からギラギラと射し込む光が、手元の写真を白く照らす。

 あずま清光、姓は日本名を名乗っちゃいるが、歴とした中国からの不法入国者だ。

 本名はワン泰然タイラン。同じく不法入国の嫁との間に、日本で生まれた三人の子供がいるようだが、ろくに学校には通ってないらしくもっぱら家業の手伝いをしてるとか。

 まぁよくある話だ。特別不幸な話って訳でもない。ブローカーに多額の金を積んで日本にやってきたとしても、ほとんどの阿呆は裏家業に身をやつすか、強制送還されるか、それとも異国の値で野垂れ死ぬだけだ。

 アメリカンドリームならぬジャパンドリームを掴もうと勇んでやってきたところで、日本社会の壁の高さを不法入国者は知るよしもないからな。


 ただ――大半の連中がドロップアウトするな環境のなかで、珍しく日本で自立した生活を送っていた。勝ち組だといってもいい。

 家族五人を養う程度には日本円を稼ぎ、母国に残した親兄弟にもキチンと仕送りをしている。


 ――不法入国者の鑑だな。


 だいたい不法入国を犯してる時点で、全うな職に就くのは至難の技だというのに、腕一本で店を切り盛りするまでに至るのは、生半可な覚悟ではできない。

 店舗からなにまで面倒を見てもらわなくちゃならないヤクザには、毎月割高なみかじめ料は支払わなければならないし、お上にはバカバカしい税金だって支払わなきゃならない。

 そんで極めつけは、このクソ暑いなかでも三百六十五日、仕事シノギを続けなくちゃならないことだ。

 朝から深夜まで律儀に働き続けるなんざ、裏の世界にドップリ浸かった俺には想像すらできない。考えただけで昨晩の酒がせり上がってくる。



 日陰を選んで歩いてはいるものの、既に三十度を超える太陽熱は、アルコールで腐った体の内側からじゅくじゅくと焦がしていく。

 一瞬の唸りと共に、ゴミ漁りに勤しんでいるカラスの頭上めがけもどすと、驚いて街金の看板まで飛んで逃げていった。

「それにしても暑すぎだろ……」

 運動とは無縁の生活を送ってるせいで、滅多にかくことがない汗をかき、スーツに染みができていた。


 出きる限り日光を避けつつ進んで行くと、この時間は死んだようにひっそりとした、無料紹介所の脇から小路に曲がる。すると、古ぼけた店が軒を連ねて建ち並んでいる。

 周囲のギラギラしたネオンからは距離を置くように、この辺りはゴールデン街のような雰囲気が漂っていた。

 歌舞伎町の移り変わりをつぶさに見てきたであろう、その一角に目当ての店はある。


「萬金楼……ここだな」


 店には閉店の看板が掲げられてはいたが、お構いなしに扉に手をかける。なにも食事を取りにきたわけじゃないしな。

 鍵がかかっていない引き戸は、なんの抵抗もなく訪問者を迎え入れる。もっとも、招かれざる客に違いないが。


 店内をざっと見渡すと、真っ赤なテーブル席が六席に、カウンター席が八席。

 ――クソ。冷房がついてねぇじゃねぇか。

 店なら冷房が利いてるかと期待したが、油で汚れた壁には「電気代節約」と標語が掲示されているのを見て、舌打ちをした。

 他には、どうせケツモチのヤクザからリースされてる観葉植物に、コピー品の絵画。それと若かりし頃の中年女優のビールのポスター。


 パッと見、金回りは良くはなさそうだが、案外こういう店が旨かったりする。と、今は亡き堂島の兄貴は言ってたことを思い出す。

 普段は客で賑わう店も、今日で店じまいかと思うと――やはりなにも感じることはなかった。

 終りは終わり。ただそれだけの事。

 何をしたのか知らないが、辻村さんの目に留まってしまったのが運のツキなんだよ。

 まだ俺の存在に気付いていない店主が、厨房で小気味良く仕込みをしている最中だった。


「よお。大将」

「あん?まだ開店の時間じゃねえぞ。後にしてくんな」

 王は素人カタギらしからぬ視線で一瞥してきた。流石に歌舞伎町で長年腕一本で店を守ってきただけあって、俺にも臆さずにタメ口を利いてくるその度胸は誉めてやってもいい。

 手にした牛刀が、一際大きな音でニラを断ち切る。


「いや、俺は客じゃねえんだよ。ちょっとした使やって来た」

「……お使いだと?まさか、」

「そのまさかだと言ったら」

 仕込み作業から、一転して臨戦態勢に入った王は、よく研がれた包丁の切っ先を向けて凄む。

「この距離なら、お前がどうこうする前に牛刀で一発だ」

  まさか、この俺が下っ端の小僧とでも勘違いしてじゃねぇだろな。だったらその余裕なツラを歪ませてやるよ。

「やけに落ち着いてやがるな。じゃあもう少し焦らせてやろうか。二階には家族がいるんだよな」


 すると、瞬く間に冷静だった王の眼に焦りの色が生れた。俺が何をしようてしているのか、理解したのだろう。理解したところで現実はなにも変わらないが。


「ま、待て!家族は関係ないだろ!金だよな。金を用意すればいいんだろ!?」

 厨房から飛び出してきた王は、油でギトギトの床に額を擦り付け、必死に土下座をしていた。

「頼む。どうか妻と子供達だけは……」

 どうぞ撃ってくださいと言わんばかりに後頭部を見せつける王を見て、少しは骨のある男かと期待していた気持ちが冷えきっていくのがわかった。


 ――所詮、弱点を突けばこんなもんか。


 家族なんて幻想まやかしは、足枷になっても利点にはなりえない。そして、ヤクザはそこにつけこむ。つけこまれた結果――こうなるんだよ。

「あなた、二階まで声が聴こえてるわよ……え?あなた誰。旦那に何してくれてんのよ!」

「おっと、騒がしすぎたか」

 寝ていた家族が降りてきてしまったが、さして動揺もしない。ただ段取りが変わるだけに過ぎない。


 ――いや、サプレッサーを装着してるとはいえ、発砲音は不味いか。


 一定の距離を保ちつつ罵声を浴びせてくる女に意識を集中させる。王がカウンターに置いた牛刀を手にすると、それをみた女は血相を変えて二階に逃げ込もうとしたので、投げた。牛刀を。放物線を描いて、背中の中心線にグサリと刺さった。


 糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた妻を見て、王は髪を毟りながら絶叫した。あまりに五月蝿かったので、後頭部めがけ引き金を引く。

 悲鳴に発砲音が書き消される形になったのでちょうど良かった。

 だが、外に声が漏れてると仮定すると、あまりここに長居はできない。早々にに後始末をしてもらわなきゃならないことを考えると、今すぐ二階で眠っているガキどもを速やかに始末するしかなかった。


 背中に真っ赤な華を咲かせている女を跨いで二階へ昇る。

 ギシギシと軋む階段を昇りきると、突き当たりに穴が開いた襖があった。躊躇いもせずに開け放つと、二人の子供が怯えながら俺を見つめてきた。

 恐怖からか、お互い身を寄せあって抱き合っている。普通のヤツがこの光景を眼にすれば、十中八九「子供を手に掛けようなんて、人の心はないの!」とでも思うのだろうが――あいにく俺にはその気持ちが一欠片も理解できない。



我爸妈怎么了お父さんとお母さんをどうした!」

 なんだ、日本語は話せないのか。面倒だな。

你的父亲和母亲正在旅行。在那个世界お前の両親は一足先に旅立ったぞ。あの世にな


 泣かれても面倒だ。だからそれぞれ一撃で始末しよう。せめて痛みは無いように――


 これで標的の四人は始末した。だが、残りの一人、末っ子のガキだけがその場から姿を消していた。

 もう起きて隠れてるのか?だとしても、唯一の収納場所である押し入れには……。

 粗末な襖を勢いよく開いて銃口を向けるが、そこには家族の服が収納されてるだけで、ガキの姿は見当たらない。


 時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 ――どうする……ガキ一人ならなにもできやしないだろうし黙って立ち去るか。いや、そんなことをすれば、任務失敗と見做みなされる恐れもある。そうなると俺までヤバくなるな。


 考え事をしていたその時、天井裏から、微かに何かが動いた音が聴こえた。

 最近この辺りに出没するアライグマや野良猫のような、そんな軽い哺乳類によるものではない。

 もっと大きいナニかが、僅かに身じろぎをとったような音だ。


「ああ、そういうことか」

 誰もいないはずの押し入れの天井を探ると、四隅のうち一ヶ所の天井板が外れ、そこから屋根裏部屋が覗けるようになっていた。

 隙間から頭を入れると、辺りは闇に包まれていてなにも見えない。

 だが、文字通り一寸先も見通せない暗闇のなかに、何者かの気配がする。


「だーれ?」

 ほらみろ、ビンゴだ。聴力だけは昔から良かったんだ。

「パパの友達だよ。さぁ、おいで」

「うん!」


 ――うげぇ。気持ちワリィ。

 我ながら気持ち悪い猫撫で声だ。恐喝するときに敢えて優しくすることもあるが、コレはその比ではない。

 もしこんなところを組員に見られでもしたら、一生のお笑い草になるに決まっている。

 さっさと出てこい、と四つ足で這い寄ってくるガキに悪態をついていると、やっとその姿がぼんやりと見えてきた。

 両親のどちらに似てるとも言えない顔の作りは、どことなく日本人にも見えるが、それは気のせいだろうか。


「おじさんだぁれ?」

 俺がおじさんだと!?コイツ……命が惜しくないのか。と思ったが、よくよく考えれば俺のこと知らないんだから無理もねぇか。

「ちっ……オニイさんはね、パパに用があってきたんだよ。だから一度そこから出てきてもらえるかな」

 クソッ。なんで俺が下手に出なくちゃならないんだよ。さっさといつも通りに処分しちまえば良いだろが。


「ちょっと、まってね」

 天井裏からおっかなびっくり降りる様を見て、恐らく兄弟の手で無理矢理にでも屋根裏に隠されたんだろうと推測した。

 まだ五歳だったか、それにしてはずいぶん小さく見えるガキは、天井板に掴まっていた手を滑らせて落ちかけた――おっと危ねぇ。危ねえ?


「いてて。おじさん大丈夫?」

「アホが、お前は運動神経がねえのか」


 咄嗟に襟首を突かんでガキの落下は防いだが、そもそも処分する予定のガキを助けてどうする。

 それに……なんであの瞬間、つい手が伸びたのか――考えても愉快な答えは出そうになかった。

 昨日の酒が残ってるせいなのか知らんが、鳥肌がたってしょうがねぇ。


「おじさん!助けてくれてありがとう」

「お、おい、離れろよ」

 不器用だと思いきや、空中で器用に身をよじると、首筋に腕を回して抱きついてきた。

 なんだ、この小っこいのは。なんでこんなに柔らけぇんだよ。なんでこんな甘ったるい臭いがすんだよ。俺はこんな生物知らねぇぞ。

 俺の胸板にすっぽり収まる程度の謎の生き物は、俺の二十数年の人生で感じたことのない戸惑いを俺に与えた。

 ガキ自体は何度も眼にして来た。転がり込んだ先で女のガキがいることはさして珍しくもなかった。

 ただ、いつも視線を合わすことはしないと決めていた。俺はあの眼が嫌いだ。メンチを切るのとは、また別種の、なんでも見通すようなあの眼が気に食わない。

 だからいつも手を出した。屈服さえさせれば怖くはなくなる。恐怖に歪んだ眼を見て、初めて俺は優位に立てる。


「お前、俺が怖くねえのかよ」

 自分でやっといてなんだが、同じ空間には二体の死体が転がっている。それもついさっきまで生きていた兄弟のだ。

 なのにそれを見ても泣き叫ぶどころか、俺にくっついて離れない。

 この地獄を作った俺にだ。

「こわい?こわくないよ。ヒーローなんでしょ?」

「ヒーロー、だと?」

 なんだ?何かの比喩なのか?わからねぇ。ガキの考えてることはナンもわからねぇ。俺がろくなガキじゃなかったからなのか。

「こわいこわいは、この人たち」

 そう言って指差したのは、骸に成り果てた兄妹だった。



 ――この一件、なんだかおかしいな。匂うぞ。今ならなんとなくだが匂う。

 時間が無いのは確かだったが、ガキを一人消すくらいは、ヤろうと思えばいつでも出来る。

 ガキを一階に、階段の途中で派手に血を滴り落としている母親と、正座の形で事切れた父親のもとに連れてくると、それぞれ指差す。

「悪い人!」と、力強く言ってのけた。

 どういうことだ?ここは家族を殺されて俺に激昂する場面だろうが。

 それなのに、どうしてお前はこんな俺にすがりつくんだ。

 足元にはパンツにしがみついて離れようとしないガキが一人――


 壁時計に視線を送ると、予定の時間を大幅にオーバーしていた。もうそろそろ、いつものように原状を回復するために始末屋がやって来る時間になっちまう。

 それまでにホトケは五体揃っていなければならない。

 そうだ、冷静になれ。いつも辻村さんが言ってるように考えるな――詮索はするな――



「――クソ、おい、ここを出るぞ」

「ほぇ?」

 バカ面下げてこっち見るな。バカが移るだろうが。

「どこに連れてってくれるの?遊園地?動物園?」

「んなとこ行くかよ。ここから逃げ出すだけだ」


 何を期待してるのか知らんが、眼を輝かせているガキを肩にひっさげ、このきな臭い現場から立ち去ることにした。

 本能が、殺すなと叫んでいる。本能が?自分でも意味がわからないが、だいたい直感を頼りに生きてきたのだから、無視することもないか。


 そうそうしてるうちに、慣れ親しんだエンジン音が外から聴こえてきた。

 全ての証拠を消し去る部隊が到着しなさったようだ。

 その光景を見て、つい、面白そうだなと――天秤はついに一方へ傾いた。好奇心は猫も殺すというが、果たして俺はどうだろうか。

 二階へ勢い良く駆け上って窓から顔を覗かせると、入り口から始末屋どもが侵入してくるのが確認できた。


「いいか。しっかり捕まってろ」

「はーい!」

 声が大きい。黙ってろ。

 二階へ上ってくる足音が、徐々に近づいてきている。

 まあ……なんとかなるだろ。


 太陽が上る空めがけ、隣の屋根へと跳び移った。

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