第85話 ルーデリカ王女 前編
「つまらなそうな場所ですこと」
王女様がつかつかと歩いて、厨房に向かう。ミルカとフィムの仕込みを凝視していた。物珍しいのかな。ミルカが王女様に気づくと、笑いかけて答えた。
「危ないのですので、食堂でお待ち下さい」
「危ない? このわたくしを侮辱していますの!?」
「ちょいやぁぁぁぁ!」
フィムが包丁で食材をめった斬りにしてる。驚いた王女様が転びそうになったところで、ミルカが支えてあげた。
厨房はミルカに任せてあるけど、フィムのアレは教育しなくていいのかな。
「このように床が滑りやすくなってます。お客様の身に何かあっては大変ですので、そちらでお待ち下さい」
「さ、触らないで下さいまし!」
「あら……」
「大体、こんなもの! わたくしにだって出来ますわ!」
王女様が勝手に包丁を手にとったところで、ミルカの顔つきが変わった。
「危ないと言ってるでしょうッ!」
「ひっ……」
こっそり覗いていた王様、じゃなくてレグリーじじいとシェイルさんも目を見開いた。
私だってこれには驚く。これまでの付き合いの中で、ミルカが大声を上げるなんて考えられなかった。
「包丁一つで指を切断してしまう事があるのですよ! 指一つがなくなったところを想像して下さい! 痛いだけではありません! お客様の今後の人生に関わるのです! 当宿でそのような悲しい思いをさせたくありませんので、どうかあちらでお待ち下さい!」
「は、い……」
さすがの王女様も涙目になる。私も泣きそう。ミルカがあんなに怒るなんて。
でもここで疑問があった。王女様はなんでムキになって包丁を手にとったんだろう。料理でもしたかったのかな。性格?
「わたくしだって、やれますわよっ……!」
涙声でそう漏らしたところでわかった。あの子は魔術が使えなくて、学園で孤立しているんだっけ。
それでもあの勝気な性格のせいで認められない。だとしたらレグリーじじいとか呆けた事を抜かしてる場合じゃない。
「王女様。大変、申し訳ありません」
「なんで、あなたが謝るんですの……」
「私は亭主……この宿の責任者です。どのような経緯であれ、お客様が気分を害されたのであればお詫びするのが筋なのです」
「別に、なんてことありませんわ」
「つきましては当宿にて、体験サービスを行っております。例えば料理体験などいかがでしょう」
「え……?」
「ア、アリエッタ様?」
もちろんそんなサービスはない。宿としての一般業務も大切だけど、同じくらい見過ごせないものがある気がした。
誰かに認めてもらおうとするのは簡単じゃない。ましてや、認めようともしない。いや、見ようともしてない人達が周りにいたとしたら八方塞がりだ。
「料理体験……」
「えぇ、しかし簡単ではありませんので強制はしません」
「あなたもわたくしを侮辱しますの!」
「いえいえ、どうしますか?」
「やりますわ!」
ミルカにウインクして合図を送った。意図をくみ取ってもらえたと信じて、後はお任せしよう。
そそくさと退散すると、レグリーじじいと目が合った。
「……ふむ。なかなかの宿じゃな。やり手じゃの」
「ありがとうございます」
「しかーし、料理の質が落ちていいとは思わん」
「王……レグリーさんは落ちるとお考えですか?」
「ぬ……」
あらゆる意味を含んだ質問を王様も察したみたいだ。娘である王女様を信じていないのか、という意味も含んでいる。
それとは別に初めて包丁を握る子どもにまともな料理が出来るとは考えにくい。
「いいだろう。待たせてもらう」
「ご安心下さい、陛下。このシェイルが必ず毒見を遂行します」
護衛として当然の行いだけど、気分は良くない。毒見ね、こうなったらあのシェイルさんの鼻っ柱を叩き折ってほしい。
ほら、もういい匂いがしてきた。これはカレーだ。
「ルーデリカが料理とはな。そんなものに興味を示しているとは、まったく気づかなかった」
「いえ、レグリー様。料理そのものに意味があるとは思えません。彼女は自分で何かを成したいのです。認められたいのです」
「魔術以外で、か?」
「悔しいという気持ちは極めて健全ですから」
「……ルーデリカを学院に通わせるのは反対だったのだ。魔力に恵まれないのは事前にわかっていたからな。上の兄達の真似をしたかったのだろう。なるほど、普通の子どもだな」
「えぇ、どこにでもいる普通の子どもです」
七歳の頃、お父様に宿をやりたいと言った時の事を思い出した。何がなんでもやってやる、出来ると信じていたっけ。
謎の自信に満ち溢れてるのも子どもの特権だ。それがいつしか現実を知って大人になる。
「あの子をここに連れてきたのは単なる気まぐれだった」
「宿ソムリエとしての本命はそこではありませんか?」
「まさか……。そこまで計算できんよ」
はてさて。謙遜しているけど、どうかな。宿ソムリエの設定上、王女様は必要ない。
跳ねっかえりの彼女を満足させられる宿かどうか。それこそが真の狙いに思えた。
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