第70話 高級宿『翡翠亭』 後編
ビュッフェ。いろんな料理が陳列された中から、お客様が好みのものを取り分けて食べるという未来魔術だ。
私の宿で実現するにはハードルが高すぎる。しかも何がすごかって、この品の多さだった。
メジャーな料理から、遥か遠い国の料理までカバーしている。中でもアズマ料理、スシが異彩を放っていた。
なんと料理人が握っているのだ。実演してその場で提供するという未来魔術。
「アリエッタ様、あちらでステーキを焼いてますよ!」
「またも未来魔術!?」
「はい?」
「いや、なんかクラクラしてきた……」
「お体の具合いでも!?」
「未来魔術がね……」
成立しない会話にアミーリアさんが笑ってる。すでに大量の料理を集めてきたみたいで、食べ始めていた。
あの量からして私達の一日分以上は食べてるな。スシなんかどれだけあるの。
「スシはいいわよ。この脂身が口の中でトロっとね。あぁもう! あと三十貫は食べたい!」
「三十貫も料理人に握らせる気ですか。太りますよ」
「大丈夫、魔術師は太らないの。あ、ステーキ持ってくるの忘れてた!」
席に着いたと思ったらまたいなくなった。忙しい人だ。私達も負けてられない。
フィムがすでにステーキを数段重ねにしているし、食べなきゃ損だ。
私はというと、宿で提供できそうな品を選ぶ。そんな中で注目したのは海産物を扱った料理だった。
「このエンペラーロブスターのソース炒めは絶品だね! でも高いよねぇ」
「高級品ですからね。密漁者に人気なので、国も厳しく取り締まってます」
「あらら、提供できそうだと思ったんだけどな」
「キラークラブの甲羅グラタンはどうでしょう。こちらは四級の魔物なので常に討伐対象みたいですよ」
「ミルカもだいぶ詳しいね」
「私も日々、お勉強してますから」
セイバーシャークのヒレスープやランサーウオの刺身と、いくつか注目した料理があった。
味と手軽さはもちろんだけど、栄養価もかなり高い。特に魚介類は肉に含まれていない栄養素があるから、冒険者の人達にも喜ばれるはず。よし、次の狩場は海に決定した。
「悔しいけど、どれもおいしい……。料理人も一流なんだろうね」
「私もこれには敵いません。さすがは王都内でもトップクラスの宿です」
「こっちの山菜料理も何気にいいかも。動物系の素材ばかりに目がいきがちだけど、こっちもおいしいし栄養価が高い」
「でも山菜は毒草も多いので、見分けるのが難しいんですよ」
「そっか。じゃあ、とりあえず料理は魚介系に挑戦してみよう」
ステーキとスシの実演は思わず魅入ってしまう。淡々と手早く何枚も焼いて、何貫も握っている。
手元が速すぎて見えないし、これの何が怖いって一見して誰でも出来そうと思えてしまうところだ。
「ミ、ミルカ……あれはさすがに無理だよね……」
「私なんかが出来たら、職人さんが泣いてしまいます」
「食って食って食らいつくすのです!」
テンション爆上がりのフィムを近くに転移させて落ち着かせる。一瞬の事だけど、周囲の人達に何事かと見られた。気のせいなのでスルーして下さい。
今度はアミーリアさんが顔を赤くしながら千鳥足で来た。
「食べてるー? あぁ、なんか気持ちよくなってきたわぁ」
「ア、アミーリアさん。飲みすぎでしょ」
「だいじょーぶ! 魔術師は酔わないの!」
「さっきの格言もそうだけど適当だよね!?」
「さて、とぉ。なんだかサービスしたくなっちゃったわぁ」
「サービス?」
アミーリアさんが体をくねらせて、なんだか怪しげな動きをしている。なに、何をやっちゃうの。
「ア、アミーリアさん! まさかはしたない事を!?」
「あぁん、ミルカちゃんったらもう……。そういう事を考えちゃう年頃なのねぇ」
「なっ!」
ミルカの顔が一気に赤くなった。
「ミルカもお酒を飲んだ?」
「飲んでません!」
慌てるミルカをケラケラと笑ったアミーリアさんが両手を揃えて跳ぶ。酔っ払って床に落ちようとしてる、と思ったけどそのまま水平に移動した。そう、この人は空中を泳いでいる。
「皆さぁん! 気持ちよくなったのでぇ! 見てくださぁい!」
アミーリアさんが空中遊泳を始めた。それはまるで水の中にいるかのような動きで、あらゆるポーズを実現している。
私達が水の中に入ったのかと思えるほどだ。
「綺麗ですね……」
「あれがあの人の魔術式かな。空中を泳ぐ魔術……というだけじゃないよね」
メギド隊の隊員がその程度で終わるはずがない。だけど今はそれだけで十分と思えるほど、優雅に泳いでいた。
だからあんな水着で動いていたのかと納得しかけるけど、別に水着である必要性もないような。
「ヒューヒュー!」
「いいぞー!」
「なんて美しい……嫁にほしい」
大衆受けしているけどなんか一部、変な発言が聴こえたような。
「まるで人魚のようだなぁ」
「美しい歌声に惹かれたものは海に引きずり込まれる……」
「歌ではないが、見とれている我々も何かに引きずりこまれそうだな」
お客様も宿の人も、今やアミーリアさんに見とれている。転移でパパッと移動じゃなくて、あんな風にゆったりと動くのも悪くない。
そう、魔術なんて適材適所だ。私に出来ない事が出来る魔術師なんていくらでもいる。今ほどそう強く思った事はなかった。
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