第50話 術戦部隊ミドガルズ総隊長ヴァンフレム

 入院しているエバイン隊長の代わりにコキュートス隊の副隊長である私が報告せねばなるまい。

 ミドガルズを統括しているメギド本隊の隊長は今、地下の訓練場にいる。階段を下りて近づくごとに私はその魔力を肌で感じた。

 喉が渇き、呼吸がやや苦しくなる。ヴァンフレム隊長がいらっしゃるのは確かだ。


「く、訓練中のところ失礼します」


 広い訓練場の床や壁が激しく損傷している。壁は魔獣の襲撃にも耐えられる鉱石で作られているはずだ。

 王家代々使用されているミドガルズ専用の訓練場がここまで痛めつけられたのも、すべてあの男のせいだった。

 十五歳という最年少の若さでミドガルズに入隊して、たった二年で部隊長の地位にまで上り詰めた異能。

 現在、三十に届こうという年齢の間に嫌というほど才覚と実績を見せつけられたものだ。

 当時、総隊長だった雷獅侯に引導を渡すきっかけになったとも囁かれている。その男が私に背を向けて、訓練に一区切りをつけていた。


「本日は」

「報告書の中身を喋りに来たのなら帰れッ!」

「う、あ……いえ! つきましては今後の対応を」

「猿退治はコキュートス隊の任務だ! 貴様は俺に何を求める! 助言か! 泣き言を聞かせるか!」


 魔力も相まって常に声を張り上げる為、隊内でも萎縮する者は多い。

 入隊当時、若かった彼がエバイン部隊長を下したエピソードは今でも語り草だ。あの出来事がヴァンフレムという存在を決定づける瞬間だったのかもしれない。


「助言です! ご、ご指示をぜひいただきたいのです! 件の宿への対処についていかがなされますか!」

「よし! では次に貴様達がどうしたいのかを言え!」

「はい? あの、件の宿は危険性ともに未知数であり、経緯はあれどコキュートス隊に被害を与え」

「ならば潰せと命令すれば再戦を挑むのか!」

「それは極めて難しく」


 気がつけば私は尻餅をついていた。ヴァンフレム隊長が何かをして、私がこうなったのだ。

 魔力の放出か、魔術を使ったのか。それすら認識できずにいた。


「しょ、正直に言いますと。実害がなければ放置で……よろしいかと……」

「ならば、そうすればいい! 猿退治が終わったなら、次の指示を待て!」

「お言葉ですが! ヴァンフレム総隊長は宿についてどう思われますか!」

「見てもいないものに、どうもこうも言いようがない! 入院中のエバインに伝えておけ! 次に醜態を晒すようであれば、すべての任を解くとな!」

「醜態……」


 人格に問題はあるものの、私はエバイン部隊長を尊敬している。

 あの人とて己を磨き上げて、その地位にまで上り詰めたのだ。年下にここまで言われてしまえば、快く思わないのも仕方ない。


「エバインは判断を誤ったのだ! 当然だろう!」

「お言葉ですが、エバイン部隊長は確かに負けました! ですがあのような立地に宿、そして極めて高レベルの魔術師とくれば何を企んでいても不思議ではないかと!」

「では聞くが、なぜ退かなかった! 或いは探らなかった! すべてはエバインの下らんプライドが招いた惨事だろう!」

「う……そ、それは」

「俺が何も知らんとでも思ったか! コキュートス隊が民の間で何と囁かれているか! なぜ俺が何も言わなかったかわからんか!」


 広い室内だというのに、今度は壁際まで吹っ飛ばされた。背中を打ち付けた痛みで立ち上がれないでいると、ヴァンフレム総隊長が近づいてくる。


「いい大人と認めていたからこそ、いつか己を見つめ直して反省できると信じていた! 貴様らは俺が年下だから気に入らんかもしれんがな! 貴様らが好き勝手をした場所に俺が赴いて何をしたかも知らんだろうが!」

「そ、そ、そのような事を……」

「何故、年下であるはずの俺が貴様らの尻ぬぐいをするはめになるのだ! 答えろッ!」

「申し訳ありませんでしたぁ! すべては我々の未熟さが招いたのです!」


 このお方はすべてを知っていた。すべてをフォローしていた。

 確かにこのお方が就任する前は一部、隊内が荒れていたものだ。一新されて実績が上向いたのも、ヴァンフレムという人のおかげだった。

 才能と実力でトップに上り詰めただけではない。ただ強いだけの者に王族が信を置くはずがない。そんな事にすら、この瞬間まで気づけなかった。


「俺は軍人に情などいらんと考えている! 貴様らはあくまで軍規に定められた範囲で行動していた! 素行不良に憤慨して任を解けば、全体の実績や任務に支障が出る! 腹が立った程度でいちいち罰してなどいられん! わかるか!」

「は、はい!」

「今回は判断を誤り、多くの者を危険に晒した! たかが格上に遭遇した程度でな! よって貴様らの処遇が決定した!」


 心臓が高鳴り、脂汗が止まらない。凄まじい目力に圧倒されて動けずにいる。この場で殺されてもおかしくない雰囲気だ。ダメだ、逃げないと――


「俺をその宿へ案内しろ!」

「……はい?」

「宿へ案内しろと言ってる! この任務を達成すれば、今回は見逃してやる!」

「は、ハッ! すぐに!」


 腰が砕けたかと思うほど力が抜ける。厳しくも優しい。このお方に対するもう一つの評価を思い出した。

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