第13話 自慢の大浴場は温泉

「あの……男女で分かれてないんですか?」


 その言葉に私もしばらく固まる。確かに安らぎの涼風亭では浴場が男女で分かれていた。

 混雑緩和の目的でそうしていると判断して、私の宿では採用しなかったんだ。なぜなら混雑するほどの客数を想定していなかったから。

 だけどネーナの問いかけから察するに、あれは混雑緩和が目的じゃない。


「ネーナさん。クルスさんと一緒では不都合でも?」

「あ、あ、あなた、それ本気で言ってる!?」

「すみません」

「男女が一緒にお風呂に入るなんて非常識だよ!? あなたまさか」


「アリエッタ様はお不潔ではありませーん!」


 ミルカの大声がネーナさんの発言を阻む。こっちもちょっと顔が赤い。一体何が起こってるのか。誰か説明してほしい。


「アリエッタ様は幼い頃にお兄様やお姉様と一緒に入っていたからそういうのに疎いです!」

「家族は当然だよね!?」

「それとずっと研究で忙しかったので、そういった事情にも疎いんです!」

「どれだけ研究しっぱなしだったの!?」


「すみません」


 なんか謝らなきゃいけない雰囲気だと思った。一気に場が静まり返ってしまう。

 男女は別々に風呂に入る。そんな俗世の事情なんて知らなかった。いや、考えてみたら確かにその辺の男の人とお風呂に入れとなればお断りだ。

 なんで今の今まで気づかなかった。お嬢様にもほどがある。


「ネーナ、先に入れ。その後で俺が入る」

「いいの?」

「あぁ。それとアリエッタ、最初の客が俺達でよかったな」

「すみません」


 クルスさんの言う通りだ。優しい二人組でよかった。増築は時間がかかるし、当分は男女交代で入ってもらおう。

 そうなるとますます人手が足りなくなる。


「アリエッタ様もお疲れでしょうし、どうぞ。宿のほうは私が対応します」

「そういえば、完成してから一度も入ってなかった。悪いけど、お願いできる?」

「はい、お任せ下さい」


 ミルカのありがたみが身に染みる。


「クルス、ミルカちゃんに変なことしたらダメだよ」

「す、すすすす、すりゅわけねーだろ!」


 ヘンテコな踊りのような動きで狼狽するクルスさんが面白かった。もしやったら転移破壊も検討する。


                * * *


 水に強い天然石を加工して作った自慢の大浴場だ。数人程度ならゆったりと浸かる事ができる。

 お湯はダランド地方の温泉を空間転移で繋いで注いでる。疲労回復、美肌効果、関節痛、その他もろもろに効能があると評判だ。

 少し熱いけど、体の芯からほぐされるようで気持ちがいい。いやこれホント癖になる。暇があったらちょくちょく入りたい。


「キゼルス渓谷からこんな温泉が出るなんて……」

「熱いですか?」

「平気。これで熱がってたらクルスに馬鹿にされちゃう」

「あの人とは幼なじみですよね?」

「うん。口は悪いけど、からかうと面白い」


 両手で水鉄砲を放ちながら、ネーナさんはケラケラと笑う。今になってクルスさんの様子がおかしかった理由がわかった。

 風呂や部屋が一緒になるかもしれないと思っていたからだ。あんなに強がっても、こういうシチュエーションには弱いと。いや私も嫌だけどね。


「アリエッタさんはなんでこんなところで宿を?」

「ある人に影響されてまして。こういう場所で宿をやりたくなったんです」

「ある人?」

「名前も知らない人です。綺麗な女性で、その人こそ優れた魔術の使い手でした」

「そんな人がいるんだ。すごいなぁ……。魔術は才能の世界というけど……」


 魔術式があっても、すんなりうまくいくわけじゃない。そう言いたかったけど、ネーナさんはその魔術式すらない。無粋な発言は飲み込んだ。


「こんな状態でクルスの邪魔になってないかって、時々思うんだ。あいつの剣術は粗削りだけど、才能は認められている。放っておくと、どんどん先へ行っちゃいそうだから不安で……」

「口は悪いけど、ネーナさんのことは好きなんですよね」

「す、好きとかそういうのはどうかな……」


 突然、慌てられた。クルスさんといい、たまに挙動が理解できなくなる。

 湯から上がったネーナさんが体を洗い始めたから、私もサービスとして背中を流してあげた。


「あ、ありがと。ここまでしてくれるなんてなんだか悪いな……」

「頑張る冒険者さんにはサービスします」

「……頑張る冒険者、か」


 あの人もこんな気持ちで宿をやっていたのかな。またお話したい。

 宿のほうが落ち着いたらもう一度、あの場所へ行ってみよう。一人前になった姿を見てもらうんだ。


                * * *


「どうしてもさぁ! 素直になれなくてなぁ!」

「わかります! わずかにある破滅への恐れ! それが恋の障害なんです!」


 上がってみればミルカとクルスさんが盛り上がっていた。楽しそうで何よりと思ったけど私達を見るなり青ざめる。

 特にクルスさんが椅子を横転させて床に転げ落ちた。


「おわぁぁぁぁ! なんでいるんだ!」

「そりゃいるでしょ」

「どこまで聞いてた!?」

「あなたが素直になれなくて恋が実らないってところまでかな」

「ぜぜ、ぜ、ぜん、ぜん、全然、ち、ちが、違うー!」


 何かと思えば恋の話か。ミルカは特にその手の本が好きだから、引き込んだに違いない。

 クルスさんの様子はもうわからないからスルーしよう。


「違いすぎて話にならねぇ! あぁならねぇとも! 宿屋さん、俺も風呂に行ってくるぜ!」

「案内します」

「アリエッタさんがサービスしてくれるって!」

「ぶふっ!」


 ネーナさんが何か言い出した。もちろん私はクルスさんと一緒にお風呂に入らないし、背中も流さない。ミルカのおかげで冷静になれたんだから。


「ア、ア、アリエッタ様ぁ! そういうサービスはいけません!」

「ごめん。ちょっと理解が追いつかなくなってきた」


 すがりついてくるミルカを引き剥がして、クルスさんを大浴場へと案内した。

 それでも後ろにピトリと張り付くようについてくる。熱すぎる視線を受けつつ、私は今日一日を振り返った。

 世の中には私が知らない事で満ち溢れている。転移の魔術式を理解したところで、それは世界のほんの一部でしかなかった。

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