第一章 キゼルス渓谷
第11話 宿屋完成!
着工から一ヶ月、ついに完成した。まだ一階建てだけど部屋数そこそこの冒険者の宿屋。
あの女性がやっていたログハウス風の建物にそっくりだ。外観も素朴な感じがして、親近感があると思う。
「アリエッタ様! 素敵な宿屋ですね!」
「うん。なんか涙が出てきた……」
「拭きます!」
「遠慮する」
断ったのに私の頬を拭くミルカ。立札の周辺を見たけど、この間に野営を試みた冒険者はいなかった。
やっぱり遠回りでも安全な街道を行くらしい。それもそのはず、今の猿達のボスである激昂する大将は過去最強という噂だ。
ボスを倒しても、入れ替わりでボスが誕生する。それがキゼルス渓谷から人を遠ざけている理由でもあった。
「入ってみよう」
「はい!」
ドアを開くと、そこには私が望んだ空間があった。いくつかのテーブル席と一人用のカウンター席。あの日、私が見た光景がうっすらと浮かぶ。
冒険者達が楽しそうにくつろいでいるイメージが展開された。
ここから左の廊下に行けば客室、洗濯室、浴室と宿泊客に必要なものが一通りある。カウンターの奥が厨房と食糧庫、アイテム保管庫、管理人室。私の部屋や住み込み用の部屋。
右がマッサージ室、の予定。これもそうだけど、私一人でこなせる業務じゃない。つまり人材スカウトも視野に入ってくる。
「はぁー……。落ち着く」
「ここなら冒険者の方々も気に入ってくれますよ!」
「そう願いたいね」
実のところ不安だ。もし気に入られなかったら、と思うと喜んでばかりもいられない。
だからやれる事はやっておきたい。各部屋のチェックなんかを済ませた後は資材搬入だ。発注しておいた資材もそろそろ納品されるはず。
王都に転移して、まずはベッドだ。
「はい! 揺り籠商店です! アリエッタ様ですね! お待ちしておりました!」
「受け取りにきました」
「かしこまりました! それでは運送の手配を」
「あ、それはいいです。こっちで運べますので」
「へ?」
有無を言わずベッドを宿屋に転移させる。店主が呆気に取られている間もサクサクと作業を進めた。
「私の魔術式なので気になさらず」
「ま、魔術師でしたか……ハハ……」
この店主は魔術に疎いみたいだ。魔術師ならこのくらい出来るかと、強引に自分を納得させていた。
あとは絨毯や食器、調理器具。揃えるものはたくさんある。それと忘れちゃいけないのがアイテム製造だ。
こっちもそれなりにコストがかかる。調べたら軽量化に成功したライトポーションというものがあった。必要素材の厄介さと製作難易度が壁になるかもしれない。
揺り籠商店を後にして次々と資材を受け取りにいく。その度に驚かれてちょっと参ったけど仕方ない。
「君なら宮廷魔術師も夢じゃないだろう!?」
「あのルシフォル家のヴァンフレム様が率いる王国術戦部隊ミドガルズにだって入隊できる! このバカ息子にも才能があればなぁ!」
「オヤジの息子だもんよ!」
「なんだとコイツ!」
大量の食器や調理器具を転移させたところで、店の親子が興奮した。親子ゲンカは勝手にやってもらう。
こんな風に活動していれば嫌でも噂になる。むしろ宿の宣伝をしなきゃいけないから、自分の力を隠すにも限界があるわけだ。
だからいっそ隠す気はないと始めから決めている。
昔、私がやる気を出して間もない頃の話だ。お母様が研究棟にやってきて、お兄様の事を話してくれたっけ。
ヴァンフレムお兄様の圧倒的破壊力を持つ魔術式は畏怖の対象で、始めから順風満帆というわけでもなかった。
周囲からは恐れられて妬まれて、時には嫌がらせも受けたらしい。宮廷魔術師見習い時代には命を狙われた事もあるとか。
魔術だけじゃなくて、貴族の地位が絡んでくるから権力争いからは逃れられない。それでも一家の長男として、決して弱音を吐かなかった。
宮廷魔術師になれば、ある程度の身の安全が保障される。後にお父様は私にそう言ったけど、お母様はもっと昔に否定していた。
つまりどこで何をしようが突出した力を持つ者、魔術師の宿命だ。お母様はそれだけ言って屋敷に戻っていったのを思い出す。
「才能なんてないほうが幸せかもよ」
「え?」
「じゃあ、ありがたく受け取るね」
そうは言ったけど私は今のところ幸せだ。夢の為に力をつけて実現に向かう。苦しい事もあったけど楽しい。
あの親子にはあんな風に言ったけど、宿屋の内部が充実していくのを見るだけでも生まれてきてよかったと思う。酸いも甘いも受け入れてこその本当の幸せだと私は思ってる。
宿内のテーブル席でくつろいでいると、ミルカがドリンクを運んできてくれた。キンキンに冷えたカプルの実をミキサーしたソーダだ。塩分も含まれているから、水分補給には最適。
「お疲れ様です。少しお休みになったほうがよろしいのでは?」
「そうだね。魔力はともかく、肉体と精神は別だもの」
「お客さん、来るといいですね」
「ボチボチ宣伝もしていかないとダメだね。冒険者の人達がキゼルス渓谷を通れるようになったら、かなりの近道になるもの」
冒険者には猿達や他の魔物を狩る拠点として、ここを使用してほしい。あの人達も仕事がやりやすくなるはずだ。
魔物の数が減ったなら、国も街道として整備してくれるかもしれない。
そうなれば、ここに冒険者の宿を構える必要もほぼなくなる。次なる場所を求めて、冒険者の宿は旅立つ。それが私の狙いだ。
「ふふ、うまくいくかなぁ」
「誰かいるのか?」
その時、ガチャリとドアが開けられる。
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