第二夜 | 夜直の舌戦 Ⅰ

「私、この街の治安を守りたいんだよね」

「では今すぐにでもお引き取りください。貴方がピエトラにいらっしゃるとロクな事がない」

「では、本日はこれにて閉会──」

」男の一言。青年は振り上げた木槌を下ろし損ねた。「君達は特になんとかしたい筈だよ?」

「それは……」

「それは貴方が差し向けたでしょう?」

「──今の発言は君か?ルナ。どうしたんだ、今日はヤケに……」若い令嬢は青年の制止を無視して続けた。「そのような存在が本当に実在しているのなら、とっくのとうに氏が討滅している筈です。彼は兄君に負けず劣らずの腕利きですから、吸血鬼の一匹や二匹余裕かと。そうでしょう?ヴァルデック」


 議場中の視線が青年に集まる。

 青年は気扱きあつかいを拗らせながら強く頷いた。


「これは私達の──我がピエトラ公国の問題です。例えそれが正解だったとしても貴方の手は借りませんよ、


 

 今、確かにそう呼ばれた男は「ふうん」と唸って足を組み直した。翡翠の色をした瞳をギロリと見開き、不満げに机をつついて令嬢を見詰める。


「なんて言うか、君は本当にお兄さんそっくりだよね。私を前にして怖気付かないところとか、私には笑わないところとか……でもね、妹さん。君は太陽ルイじゃない。風骨だけ真似したって虚しいだけだね。ルイは──」


 その時、青年はおそらく彼のパトロンですら聞いたことのないドス黒い声色で──氷塊の底から甦った悪鬼がこれからその豪腕で仇を殴り殺すかのような気迫で男にそう吐き捨てた。今に握り殺されそうな木槌が小刻みに震える。


「ヴァルデック……?」

「黙れ……!」


 そうして青年は牙を剥いた。

 暗がりでもないのに開いた瞳孔が彼の視野を狭めた。常人なら途端に青ざめて逃げ出す悪魔のような形相と、同じ人間ヒトから放たれたものとは思えない密度の瘴気が彼を鬼胎の対象にした。そこには我に続けと暗雲を切り裂き、亡き太陽に代わり廃都を護った頼もしい青年の姿はなく。恐怖のあまり息を止める者いれば、「やはりそうであったか」と大きく頷く者もいた。


「──ああ、君か。久しぶり。そんなに怒らなくても覚えてるよ。君はヴァルデック。デュロア・フォン・ヴァルデック。……弟さんは見付かったの?私ね、別に君でも良かったんだよ。ただ、ルイに聞いたらこれ以上はってうるさいから……」


「その耳は飾りか?」青年は威嚇の手を止めない。「取れるものなら取ると良い。そんな長さでは、まるで──」


  ◆


(……なんだ?中は綺麗だ──)


 遠方で舌戦が続く中、セヴォンは青年の書き置きを無視してとある廃墟に乗り込んでいた。──一条旧邸。捜索班の遺したメモに記された秘密の館。そう言えば、ルイはあまり実家の話をしてくれなかったな。また会えたら話してくれるのかな──そんな事を考えながら侵入したのが数時間前の話になる。

 解体作業の進まない廃屋の内部は息を吞むほど綺麗だった。

 花瓶の水は新しく、蛆や蠅も湧いていない。触れれば壊れそうなレースカーテンには塵一つ絡んでいないし、ダークオークの勾欄も艶やかに輝いている。その美しさは人の手なしでは生まれない珠玉だった。頻繁に此処へ通い詰めて、清掃を行うプロがいる──


 ……でも、一体誰が?


 心を奪われないように気を付けながら多すぎる客間を散策する。ふと立ち返ってバルコニーなんかに出てみてもルイはいなかった。そろそろ邸へ戻らないと辻褄が合わなくなる──時間切れだった。とは言え、まだきちんと確認できていない居間も多くある。まだ可能性はあるのだ。セヴォンは何とか自分にそう言い聞かせて急いで邸を抜け出す──筈だった。


 その微かな音をふと捉えた時、セヴォンはすぐに自分以外の誰かが──いや、『』が此処へ来たと悟った。もう少し気が付くのが遅れていたらこの首は繋がっていただろうか?姿が見えずともありありと溢れ伝う、不気味で不吉な黒い気配──まさか、吸血鬼……?


 セヴォンが思わずそう口にしそうになった時、邸中の扉が一挙にとざされた。

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