被告 | デュロア・フォン・ヴァルデック


 翌朝。

 青年の自宅で目を覚ましたセヴォンは呆気にとられた。何故か。あれほど良くできた人間だと思っていた青年の邸が非常に散らかっていたからである。並べ立てられた椅子やカーペットこそ意匠の凝った一級品だったが、その秀逸さも却って部屋の汚さを誇張するばかりだった。せめて足の踏み場の一つくらいはと思ったセヴォンが片付けを始める。セヴォンは床一面に散らばった紙切れが何かの調書らしいという事に気が付いた。セヴォンはピエトラの異字に明るくない為にその全容までは掴めなかったものの、八重歯が誇張された誰かの似顔絵や遺体らしき挿絵を眺めて何となく読み流していた。写真を撮ってサミュエルに送ろうか──そんな事を考えながら整頓の手を進める。掃除も終盤に差し掛かった頃、セヴォンの手の中にはどの調書群にも属さないはみ出しが残っていた。


  訴状 ████年██月██日

   テベーレ地方裁刑事部御中

   ピエトラ共和国ヴァルデック家領 

    【原告】██████████

    【被告】 デュロア・フォン・ヴァルデック

   各家領内連続殺人事件に於ける───


「君──」

「!」

「──ああ、やっぱりこの部屋に通していたのか。足の踏み場もなかっただろう?悪かった。つい、うっかり……どうかしたか?別に、自由に見て構わないぞ。読めない字があれば聞いてくれ」

「……ありがとうございます」

「ああ。ところで、朝餉を作ったんだが食べられそうか?君の口に合うと良いんだが」

「そんな、頂けるものなら何でも美味しいです。──何から何まですみません。本当に、何でお返しすれば良いか……」

「謝礼か?君に笑顔が戻ればそれで充分だ。いつか笑った顔を見せてくれ。ただ、そうだな……それでは気が休まらないようなら、食事の感想でも尋ねようか」


 ──を丸めて袖に隠し、何食わぬ顔で返事をする。青年はセヴォンに訴状を盗み見られたのに気付いていないようだった。


「それじゃあ、私はしばらく散歩でもしてくるよ。何かあったら呼んでくれ」


 こう言い残された時に「はい」だなんて言わないで、一緒に食べてとねだればよかった。──なんて後悔したところでもう遅かった。青年が用意したという朝食らしきものは目を見張るほど酷いもので、その様相はまるでカバの餌だった。毒芽の取れていないジャガイモと根本を切り忘れた葉物、皮を剥きそびれて斑になっている人参がぶつ切りで湯に浸されている。青年には申し訳ないが、これではかの僻地で出されたスープの方が断然だった。──辛うじてつまめそうな部位を食んで考える。もしも、各家領内連続殺人某の容疑者として控訴された者のデュロア・フォン・ヴァルデックという名が青年のものだとすれば、自分は今、殺人鬼に飼われている事になる。仮にあの青年が殺人鬼だったとして、人質である自分にこうも身動きを取らせるだろうか。もしもあの青年がデュロア・フォン・ヴァルデックではないのなら、何故他人宛ての訴状を持っているのだろうか──考え込んでいてもキリがない。去り際にたった一言「デュロアさん」と零せば済む話だ。


  ◆


 青年はセヴォンの演技ブラフをすっかり信じ込んでいるようで、セヴォンの事を死別した親類を捜し彷徨う孤児みなしごだと思っているようだった。青年が騙されやすい性質たちなのか、自分の演技が上手いのか……


「──もう発つのか?何処へ?」

「みんなを捜しに……」セヴォンはここぞとばかりに色目を使う。「ダメでしょうか?」

「いや、別に駄目と言うことはないが……」青年は歯切れ悪く続けた。「……実は、君に会ってほしい者達がいるんだ。君のよく知る、君と親しい者達だよ。彼らは午後に鐘が突かれる頃にはもう遠くへ行ってしまうから、出来れば彼らに別れを……ほら、もう馬車が着く頃だ。君の捜し人は家の者に捜させるから、良ければ……」


 そうやって連れ出された目抜き通りは昨夜と変わらない静けさだった。閑古鳥すら飛び去った空を暗澹あんたんの雲が覆う。勝ち誇ったような鴉共の合唱と、何処かで植木鉢が倒れた音、馬の蹄が力なく動く音の他に聞こえるものはなかった。


「煙」セヴォンはそれらしく呟いた。「すごい、ずうっと高い所までのぼってる。もしかして、あの煙が空の色になるのかな」

「まあ、あながち間違いでもないな」

「あそこで雨雲を作ってるんですね」

「……雲を作る、か。そうだと良かったんだが。アレはそんなに楽しいものではないよ。──肉と骨を焼いているんだ。叶う事なら、もうこれ以上燃やしたくない」

「肉と骨?」セヴォンは演技を忘れて聞き返した。「どうやって?」

「どう、と言われてもな。……難しいな。少し時間をくれ」


 青年がそう言ったのを皮切りに、世界は再び静かになった。青年の返事を待つ間、セヴォンは自分が如何におかしな問いかけをしたのかについて考える時間がたっぷりとあった。幽霊の肉と骨を燃やすだなんて無理だろう──自分のよく知る、自分と親しい人などルイくらいしかいないから、つい、そのように思ってしまった。(昨日出会ったばかりの青年が自分とルイの惨い関係を知る筈もないし、青年が自分とルイを引き合わせてくれるだなんて事も起こる訳がないのに。)

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