泥犂の聖者【終】

「それでそんなに走ってきたんですか?やっぱり莫迦なんですねえ、ジュヴァンの子って」「僕らがそんな低性能な訳ないでしょ」「ボクが僕を殺すと僕が死んで、僕がボクを殺すとボクが死にます」「僕がボクを殺すなんて有り得ない以上、ボクが僕を殺すのもあり得ないよ」「自分が二人いるって楽ですよ~。安心して仕事を任せられるし、心を通わせる為の苦労もない。何せ、自分ですから」「セヴォンも先生に自分を造ってもらいなよ」「わあ!良いですね、それ!流石ボク!天才!大好き!」「ありがとう。僕も僕が大好き」「きゃ~!」──


「……毎日こんなんで疲れないんですか?」

「クソ疲れる」

「でしょうね」

「私と貴方が親じゃあこういう子供になるだろうから、産むなら一人だけって話だったんだ。それが増えやがった。朝から晩まで僕ボク僕ボク僕……ああ、全く、アイツがこの状況に置かれたら何て言うかな。きっと大喜びだよ。で、ソレを見た俺も喜ぶ。──ああ、そうだな。笑わなきゃ。嬉しいんだから」


 数日後。最悪の事態を想定して病院へ向かったセヴォンは言葉を失った。──勿論、良い意味で。墓のように静かで冷え切っていたサミュエルの部屋が世界で一番賑やかな場所になっていたり、二人のザックが殺し合うどころか大親友になっていたり。別に自分ザックが何人いたって良いだろう、自分と話せるのはすっごく楽しい──セヴォンには到底理解できない高位な感覚で二人はじゃれ合っていた。


「ねえ、父さん。ボク達あの子にお礼を渡さないと」

「先生と呼びなさい」

「せーんせ!」

「ザック」

「はあ〜い」

「先生のケチ〜!吝嗇家りんしょくか〜!」

「ケチで結構。悪いな、本当に毎日こんな感じで──あれ、此処に置いといたのに。ゴミと間違えて捨てたかな。待ってろ、すぐに復元するから。よし、ザック──あー、えっと。小さい方。確か今朝……おい、お前は大きい方だろ。俺と小さい方で取りに行くからお前は此処で待ちなさい。……「でも」も「だって」もない。頼むから安静にしててくれ。……お前ならできるだろ。頼むよ」


「安静だって」ザックはつまらなそうに天井を仰いだ。「ボクはこんなに元気なのに。変なの」


  ◇


「──ボクからも何かあげたいんですけど、何が良いかな。何か欲しいもの在ります?力とか資本とか……ああ、知恵か。知恵にしよう。欲しいでしょう、ボクらの叡智。みなまで言わなくても分かります。貴方はそういう目をしてるから」ザックは淡々と続けた。「ねえ、女神って何なんですか?そう呼ばれてるだけの人間?それとも、本物の幻想生物?巷じゃあ絶世の美女だとか、救世主メシアだとか、ホシだとか、傾国の怪物だとか言われてますけど。ボクにとっての女神って、ボクらを引き裂いた憎き女狐なんです。だから、殺す理由がある。復讐の権利がある。でも、セヴォンさん、貴方はどうだろう?セヴォンさんは女神に何かされたの?君を傷付けたのは女神じゃなくて君のお父さんじゃない?──セヴォンさん、貴方はどうして女神を殺したいの?貴方が今やってる事って、貴方の意志なの?」

「……ええ。全く以って僕の意志ですけど、それが何か──」

「なら、言える筈ですよね。女神を殺したい理由」

「勿論です。僕は──」


 言いかけて、セヴォンは口を噤んだ。

 己に驚き、次第にじわじわと汗をかきはじめた。なぜ女神を殺したいのか。何故あの日の自分は計画への参加を決めたのか。何故、あの日の自分はのか?…──それらを説明してみせようにも、まるで他人事の様に思い出せない。


「……?」

「ほらね!」ザックは嬉しそうに笑った。「魔法も洗脳も、いつかは解けるんだ。大切なのはあの後の事。つまり、今!」

「──こら、ザック。あんまり苛めてやるな」

「苛めてるですって!彼を苛めてるのは父さんの方でしょう。本当の事を教えてあげないなんて、氏と同罪ですよ!」

「へぇ、アイツと同じ罪か。それも良いな」

「げえーっ、嘘でしょ。そこは嫌がってくださいよ」


「セヴォン」サミュエルは諭すように続けた。「ザックと二人きりにして悪かったな。アイツが言う事は真に受けなくて良い──それより、コレだ」

「……ピエトラ?」

「なんだ、読めるのか。余計なお世話だったな」サミュエルは尚も続けた。「ルイの霊がいそうな場所と特記事項だ。これが俺からの。お前以外の構成員みんなはとっくに知ってて、何ヶ月も前からなんて名乗って入国してる。だが、音沙汰がない。──誰一人帰ってこない。どうして一回ミスった奴に仕事を渡すんだってアイツは怒ってたけどな。俺としては……いや、長くなる。何でもない。アイツに俺に教わったってバラしてくれるなよ。あと、土産を買ってきてくれ。それから──」

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