カエル狩り Ⅰ
「早く『プログラムの続き』をやらせてくれ」
そう訴えられた職員はセヴォンに袋を被せると、段差がありますとか声をかけて彼を歩かせた。ほんの数分の出来事だっただろうか。セヴォンの視界が回復したのは何処かの室内でのことで、一足先に着いていたザックがちょうど書き物をしているところだった。ザックはセヴォンの懇願を聞き入れると、棚から白衣を取り出してセヴォンに放り投げた。
「着て」
『研修中』と書かれたネームタグに、心音を聞き取れるらしい器械。仕上げに伊達眼鏡と呼ばれる器具まで付けられると、セヴォンは自身が囚われの身であることを忘れるようだった。
「どうせだから色々やってもらおっかな。アレの補填でしょ、アレの入力とかも……」
「……それが『プログラムの残り』?」
「かもね」
「……」
◇
『躾に必要なものは恐怖ではない。忍耐だ』──かつてのセヴォンがそう理解するまで、650もの日数が犠牲になった。まだサミュエルに両腕があった頃──セヴォンの記憶力を信じるなら、ザックとセヴォンもその頃からの付き合いだった。正しくは、迎えの校長とサミュエルが何やら話し込んでいる最中──その数分だけ話して、それきりだった付き合い。互いの素性や所属などを確かめる間もなく、二人は決別した。だから、もしかするとザックなんて存在ははじめからなくて、彼との会話は全て夢だったのではないかと考えていたセヴォンだったが──ご覧の通り、ザックは実在していた。
ザックは当時と寸分狂わぬ背丈でちゃんと立っていた。
「天使!?」
「えっ?」
「天使だ!死ねぇえええーー!!どぅるるるる」
「……ここ入口だから。もっと中でやろう、中」
「ふぉおおおおお!!」
「……」
「天使か。可哀想。僕はシャチだった」目の前の生物をどう処理しようか──洗礼を受けながら考えているセヴォンを他所に、ザックは少しだけ笑っていた。「じゃあね、天使先生。せいぜい頑張ってください」
◇
「先生、死体やってよ!へへ、死体!これ毒のリンゴね!」
「やだ!私やる!ね〜ええ!」
「馬鹿お前先生にやらせてやれって!本当馬鹿だな!ねぇ先生!これ毒リンゴ!食べると毒が混ざってびゃーーって死にます!ぶへへ」
「林檎ね、分かった。皆いるから静かに……ううん、何でもない。ごめん、分かった、待ってね。わあー、林檎だ。美味しそう。いただきまーす」
「数えるのに飽きた」とほざくサミュエルと違い、ザックはきちんと自分の年齢を言うことができた。「たぶん14くらい」歳である彼は老若男女のあらゆる層から気に入られており、服薬を嫌がる子供たちからはその何事にも動じない性格がウケていた。危篤患者の忘れ形見になりきるのも得意で、子供ながらに、と言うか、子供だからこそ活躍しているような人物だった。そんな彼がこなす雑務の一つには「子供お預かり」というものもあり、セヴォンが押し付けられたのはこれだった。
毒入りの食事など、セヴォンにとっては決して笑い事ではなかったが。一々気にしているようでは身が保たない気がした。毒喰みのプロとして生々しい演技で答えるより、面白おかしく倒れた方が良い。子供の遊びなのだから、生臭い現実は要らない。そう思って無難に死んだセヴォンだったが、子供たちはあまり盛り上がっていなかった。葬式ごっこでも始めるのかと思って黙っていたセヴォンだったが、どうもその類いの静けさではない。「起きろ」と叩かれたセヴォンが生き返ると、彼らは驚くべき事に「なぜ目を閉じたのか」とセヴォンへ問いはじめた。「シャチはずーっと目を開けていた」「いつもの先生はちゃんと冷たかった」「下手くそ!」と。でも、瞬きはしていただろうと聞くと、シャチはそんなことしなかった、だから死ぬのが上手いんだ!と熱弁された。
◇
空が暗くなり、徐々に子供が減っていく。迎えの親達は我が子と遊んでいる見慣れない男に敵意を示したが、セヴォンが正規の職員らしいと分かると途端に態度を変えた。ここの職員になった覚えはないが、親たちの目には自分が善人のように映ったらしい。
「……あの、お迎えは…」
「……」
「此処はもう閉めるので、ロビーに出てもらっても……」
「……あ、僕ですか?すいません、すぐ出て行きますんで」
青年はへこへこと会釈をすると、大人しくキッズスペースを後にした。
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