僻地の異神【終】

 数日後。

 ドゥグナは栄えある豊かなとして人々に記憶される事となった。古ぼけた家屋は瞬く間に一新され、僻地と称された日々は全て嘘だったかのように息を吹き返した。ドゥグナ再建のきっかけ──約束の通り異神を見つけ出し、見事に連れ戻してみせたセヴォンは街の英雄ヒーローのように慕われた。何がハッピーエンドだ、馬鹿馬鹿しい──そう零す暇もない程に食事を運ばれ、しばらくの間、至れり尽くせりといった生活を強いられた。


 たった一晩で花が芽吹く理由を、街の中でセヴォンだけが知っていた。

 ドゥグナの名物がジビエに──なぜ小鹿達が付近に出没するようになったのかを、セヴォンだけが理解していた。


 癪に障るのは町長の手腕だ。家屋の立て直しも、花壇の整備も、調理師の雇用も──事前にこうなると分かっていたかのような手際の良さで、町長は動いていた。はじめから全て手のひらの上だった。セヴォンはまんまと一杯食わされた自分に腹が立ち、手渡された感謝状を丸めて捨ててしまった。


「どうしたの〜?こんな隅っこで。こーゆーの慣れない?まぁアンタ見るからにパーティー経験なさそうだしね〜、私もないけど。……あのー、今の笑うところなんですけど?」

「名前──」セヴォンは少女を見て続けた。「アンタの名前、そう言えば聞いてなかったなって」

「ああ、言ってなかったっけ。……フリダ。かわいい名前でしょ?よろしくー。──じゃなくて、そんなのどうでもいいから!主役が行かないと始まらないの。ほら、早く行って!」


 少女に背中を押され、セヴォンは躓くように前へ出た。セヴォンは突如として舞台に上げられた代役の如く戸惑ったが、町民は拍手で出迎えた。


──)


 ソーレを本にするとしたらなんて書くかな……ふとそんなことを考えながら、セヴォンは階段を登って行く


(足元で二十四の炎を焚かれ、冷水に浸した足に花弁を撒かれて……)


(何重もの着物と装飾品と、それから、味のない食事。照り返す空気が肌を焼き、意識が遠のくたびに裸足の冷たさが牙を剥く───こんなものが幸福だと言うのなら、俺は一生不幸でいい……いや、ソーレだから『私』か)

「……聡明なる、我らの現人神様──」

 

 異神は返事をしなかった。

 当たり前だ。神が人の子を相手に微笑む筈がない。異神は黙って手を前へ突き出し、セヴォンの頭上に影を作る。何か話して良いという合図だった。──以前、この男に「何か悩み事はないか」と問われた時。セヴォンはどの憂いを口にするかの選別に飽きて「ない」と答えたが。今は違う。王国を出て、ドゥグナへ逆戻りするまでの間──その数日間にセヴォンが抱いた憂いはただ一つだけだった。


「……いえ、どうか親愛なる現人神様と呼ばせてください。今日こうしてお目にかかる事ができるのは、大変光栄な事と存じます。私が生を受けた地は、雪に閉ざされた常冬の国──ええ、ええ、そうですとも。かの女神めが住み着いている純白の都です。彼奴きゃつの治世は飯事ままごとそのもの。このままでは、三日と待たずに国が傾くでしょう。悪名高いかの大国は、腐っても私の故郷。災禍の前触れを、おめおめと見過ごす訳にはゆきませぬ──」


「……ねえ、長くない?あの人」

「あの方は街の英雄だ。だからこそ、お悩みも尽きないのだろう」


「──かの玉座に坐る神が彼奴である以上、国難は免れませぬ。あの玉座に坐るのは、女神めに代わる新たな統治者──貴方であるべきだと、私は考えています。ああ、しかし、貴方は隣国の異神。深森を隔てていては、届く威光も届かないというもの。ですので、ああ、現人神様。どうかこの、浅ましき考えをお赦しください」


 ほんの少しの沈黙。

 セヴォンは短く息を吸って覚悟を決めると、異神へ手を伸ばして力任せに引っ張った。


 アドレナリンでも分泌されていたのだろうか。その瞬間は、全てが鈍速に見えた。勢いに負けて脱げてしまう着物と、四方へ飛び散る花弁たち。宝玉や冠さえも脱がされた異神は次々と見慣れた顔へ戻って行く。


 こんな事をして、自分に何の利がある?いや、利が無ければ動いてはいけない等という規則はこの世に無い!


「セヴォンさん──…!」


 ソーレは堪らず何かを叫んだが、セヴォンの耳には届かなかった。何故か?王族でもないのに魔法を乱用した為に、ついに意識が途絶えてしまったからだ。


 ◇


 ◇

 ◇

 ◇

 ・

 ・

 ・

 ◇


「──はあ。何かバカデカい音がしたと思ったらお前かよ、セヴォン。まあ随分ド派手な来院で……そう言うの嫌いじゃないけどな。えーっと、はじめまして!どちら様?と言うか、何してるんですか?仲良くおててなんか繋いじゃって!」

「先生、患者は混乱しています。……僕もしてますけど」

「俺だってしてるよ。魔法だかなんだか知らないけど、直接テレポートして来る奴なんてコイツらが初めてだ……」


 白衣を着た男はソーレ達に近付くと、目線をあわせてにこりと笑った。


「えー、こんばんは!俺はその子の主治医のサミュエル。サミュエル・カーター。……嫌だなあ、そんなに怖い顔しないで。ですよ」


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