未知を求めて
頭に水瓶を乗せた女や、牛車が道を踏みしめて進む音。空気は湿り気を覚え、常にぬるま湯に浸かっている感じがした。鈍風が吹いて、止んだ。
体が熱い──これは気候によるものか、
はたまた感動によるものか。
目が爛々としているのだから、おそらく後者だろう。セヴォンは通行人が寄越す舌打ちに気が付かない程に感極まっていた。
「……この門だけで、どれくらい知れることがあるんだ?」
何故この紐はほつれている?なぜ空に布を飾っている?どうしてこの絵に描かれた女は籠の中に鳥を飼っている?知的好奇心が煽られる、歓声を上げたくなるような喜び。それをなんとか言語化した言葉が、はらりはらりと口から溢れる。普段はクールなキャラクターを決めてる癖に、こういう時は崩れるんだからなあ──急にスケッチを始めたセヴォンを眺めながら、ルイがけらけらと笑っていた。
◇
「あのー、いつまで突っ立ってるんですか?もう門閉めるんですけど」
セヴォンがスケッチを終える事になったのは、自身にそう呼びかける声が聞こえた時だった。
「すみません。でも、あと少しだけ……せめて、何故このレリーフにだけ傷が付いているのかだけでも……」
「ああ、それね。誰かが何か引っ掛けただけ。……あー、もう!そろそろ夕ご飯なの!入るなら入る、入らないなら入らない!どっちなの!?」
「入ります、入ります。だって──」相変わらず譫言のような返事をしている途中で、セヴォンは本来の要件を思い出した。「そうだった。今晩、泊まる宿がないんですよ。一泊させてください」
「あら、お気の毒。宿なら全部埋まったのよ。アンタが絵描いてる間に」
どういう訳か、少女はやけに喧嘩腰だった。
「……とりあえず、今日はもう諦めて。みんなアンタに怯えてんの。自分の家の前に、ずっーと立ってる人がいたら怖いでしょ」
「別に……」
「怖いの!アンタ、頭おかしいんじゃないの!」
その猿のような金切り声を最後に、街の門が閉まった。セヴォンは途方に暮れた。別に、セヴォンの体はたった一晩宿が取れなかっただけで野垂れ死ぬほど脆くなかった。問題は、明日からどのような顔をしてこの街を調査すればいいのかという事だった。セヴォンに課せられたファースト・ミッションはザッハブルク、及び国内の主要都市の旅行記を完成させる事だ。こんな所で立ち止まっている間にも、個人的に課していたタイムリミットは近付いていた。では、何故とっとと動かないのかと言えば──目の前の街の方が、より多くの未知に溢れているからだ。門の隙間から覗く景色は、街というより寂れた集落。生前何かの折に訪れたと語ったルイが話した様相とはかなり異なっていた。この真相を確かめずして、何が学者だろう。セヴォンは、自身に向けられる「学者」という言葉が殆ど皮肉であるという事をすっかり忘れていた。
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