第6話 奇跡と暇乞
ウィンタースペシャルバケーションも無事に終わり、十二月ももう終わろうとしていた。
冬休みに入った僕は大抵、家で宿題をしているか彼女の病院に行くか、どっちかだった。
その日、僕はどうしても彼女と見たいものがあったため、病院へ向かった。
僕が病室に行くと彼女が笑って出迎えてくれた。
「どうしたの?」
「君とどうしても見たいんだ。大晦日にあるブルームーンが」
「ブルームーンって出ない時期もある噂でしか聞かない月じゃないの?」
「うん。そう言われてる。でも、今日出るかもって発表されてるんだ」
「そうなの?」
「うん。2009年には大晦日に確認されているらしいけど」
僕は今朝のニュースを思い出しながら言った。
今朝、ニュースではブルームーンのことで大盛り上がりだったのだ。
——「なんと今年の大晦日、つまり今日の夜、ブルームーンが出るかもしれないことが気象衛星から発表されました」
「2009年に確認されて以来ブルームーンは未知の月だったんですよね。とても楽しみですね〜」
「そうなんだ!ブルームーンって見た人は幸せになれるって言い伝えあるもんね」
彼女は弱々しい微笑みを浮かべてそう言った。
「私、今日、退院するから集合場所はあの丘でいい?」
彼女が病院の窓から少し遠くに見える小高い丘を指さした。
「うん」
「楽しみだね。ブルームーン」
僕が先に丘についた。
星が綺麗な夜だった。
それを思って思い出した。
キャンプの時も星が綺麗な夜であったことを。
星がどんどん輝きを増す中、僕は彼女を待った。
「ごめん!遅れて。待った?」
彼女が軽く息を整えながらやって来た。
「いや、全く」
「そっか。よかった。わぁ。星が綺麗ー」
彼女は感嘆の吐息を漏らした。
僕は彼女をずっと見つめていた。
すると彼女が突然大きな、動揺を隠せないという声を上げた。
「あれ!青い月!ブルームーンじゃない!?」
「え!?」
僕は気が動転しそうなのを抑えて、夜空を見上げると雲影から出てきた月が青い光を放っていた。
微かな青い光は普段見る月とはまるで違っていた。
美しかった。
すごく。月は結晶のようだった。
透き通った色の月は淡い青い光で優しく僕たちを包み込んでいた。
僕はその月から目が離せなくなった。
「本当に綺麗。誘ってくれてありがとう」
彼女がブルームーンを見ながら嬉しそうに目を細めながら言った。
僕たちの影が濃くなっていく。
「実はこれから大きな手術をしなくちゃいけなくなったの」
彼女の思いがけない発言に僕は驚いて隣を見た。
「私ね、病気になって分かったことがいくつもあった。普通の人にとっては些細なことでも私にとっては新鮮に見える物も沢山あった」
彼女は僕が黙っているのを見て続けた。
「生きる理由も生きる意味も私が生きるためのもの、全てを君がくれたんだよ」
「え……?」
彼女は月から目を離さず、僕の手をゆっくり握った。
「人が生きることを人生とはいわない。人と生きていくことを人生というんだ。だって、人は一人じゃ生きてはいけないから。そうじゃない?」
彼女が僕に問いかける。彼女の瞳にブルームーンが映っていた。僕は黙ったまま浅く頷いた。
「君が自分を大切にしてくれるからこそ君を大切に想うのではなく、私が君を大切に想うから君を大切にするんだ」
彼女は突如、話題を逸らして複雑な言葉を発した。
「君はどうしたの……?」
僕は何か嫌な予感がして彼女に尋ねた。
「どうもしないよ。ただ君に伝え忘れたことがあるのは悲しいから」
彼女は少し笑いながら言った。
「私ね、歩いてきた道に後悔はあっても歩いていく道に後悔はしたくないって思って日々生きてきたんだ」
「うん……」
「でもさ、後悔って大切なことだよね。それをバネにして飛び上がることができるようになるのは後悔っていう経験をしたから」
彼女は真っ直ぐ月を見つめたまま言った。
「後悔は人生にすごく重要なことだって最近気がついたの」
彼女は僕がかける言葉に困っているのに気がつくと突然に話題を変えてまた変なことを言い出した。
「生を恐れ、死に憧れ、死に恐れ、決められた時間の中を生き、死ぬ、それがまた人間の定め」
「え……?」
「私の好きな作家の名言なんだ」
「へぇ……」
「私これを読んですごく勇気をもらったんだ。何か自分の中の忘れ物を見つけたような、そんな感じ」
「君さ、さっきから意味不なことばかり言ってるけど本当にどうしたの?」
僕は流石に心配になって声をかけた。
彼女はさっきよりも強く僕の手を握りしめて、そして微かな声で呟いた。
「ありがとう。本当に。君のおかげで自分の人生に確信が持てた」
「ねぇ……!」
彼女はやっと僕の方を振り向き、手を解いた。
そして背伸びをし、月に手を伸ばした。
彼女の指の隙間に青白く光を放つ月があった。
「楽しかった。君がいる毎日が当たり前のようで。でも、それと同時に怖かったこともあった。君と一緒にいる日常が当たり前になっていく自分も、世界も。
でも、私は君が好きだった。君と一緒にいたかった。君といる日が幸せだった。本当にありがとう。……もう少しだけ、君の隣にいさせてください」
「え……?」
僕がもう少し、という言葉に反応し、隣を見ると彼女の目に涙が膨れ上がっていた。
「え、どうしたの……?」
僕が尋ねても彼女は何も答えなかった。
その代わり彼女は僕を引き寄せた。
僕と彼女の体が一体化していた。
世間ではハグ、と呼ばれるものを僕たちはしていた。
彼女の温もりがすぐ側で感じられる。
「本当に、ありがとう……」
涙が一粒、彼女の目から丘の土に落ちた。
僕はそんな泣いている彼女を見ているのが辛く、理由は尋ねずに黙って彼女にされるがままになっていた。
彼女は僕から体を離し、「ごめんね」という言葉を発した。
まるで歯と歯の隙間から必死に絞り出したような声だった。
僕が彼女の謝罪に不思議に思って隣を見るとキャンプの時と同じような光景が僕の眼下に広がっていた。
彼女は真っ青な、ブルームーンと同じ色の顔をして倒れていた——。
僕の心は空っぽになった。
月はいつしか見えなくなり、暗い雨雲が立ち込めていた。
僕は何も思わなかった。
彼女は——死んだ。
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