第5話 離れていく距離
僕が彼女の病室に近寄ると中から大きな怒声が聞こえた。
病室の外まではっきりと聞こえる声だった。
「どうしてくれるんですか!?外に出ないように、とあれだけ釘を刺しましたよね?それで、倒れたらあなたの責任になるんですよ!?先生はどうやって責任をとるおつもりですか!?」
それに続いてか細い怯えたような声が聞こえる。
「すみません……。本当に申し訳ありません……。でも、彼女から外に出たいと言ったんです。私は止めたんですけどもし何かあったら自分でなんとかするからって……」
「それで、先生は外へ出した。私の許可も取らずに。私の子供なんですよ!?先生のおもちゃじゃないんですよ!?」
するとさっきまでのか細い声の主が大きな声を上げた。
「彼女の思い出なんです!水谷さんが初めてクラスメイトと共に一日を過ごした大切な思い出なんです!」
僕は中に誰がいるかすぐに見当がついた。
担任と彼女の母親だ。
するといきなりドアが開き、彼女の母親が怒ったように舌打ちをしながら外へ出てきた。
そして脇目も降らずに真っ直ぐ歩いて行った。
それに続いたのか担任も病室の外で一礼し、急いで病室を後にした。
僕は誰もいないのを確かめて病室の中へ入った。
彼女は意識不明の状態だった。
沢山のチューブを身体につけ、口には呼吸補助器、腕には点滴の針が刺さっていた。
僕にとってその光景はただただ痛々しかった。
見ていられなかった。
僕はお見舞い用に用意した花をサイドテーブルに置き、病室を出た。
彼女は身体が弱い、病気だということは分かっていたはずなのに。
側で支えてあげなければいけなかったのに。
彼女を外に出したのも彼女が外に出ることを止めなかったのも僕だ。
全部、僕のせいだ——。
いつも通りの毎日が過ぎていく中、僕はキャンプが終了したの次の日以来、彼女の病院に行かなかった。
行くのが怖かった。
僕のせいで倒れた彼女の顔を見るのが辛かった。
彼女に迷惑をかけた自分が憎かった。
好きな人ができた彼女のことを考えるのも苦しかった。
家に帰る時、どうしてもその病院が目に入ってしまう。
でも、寄ることはなかった。
寄って、彼女に嫌われるのが怖かったのかもしれない。
僕は今までの関係でいたかったから。
この関係を壊したくなかったから。
その日、僕は久しぶりに病院に寄った。
彼女に会いに……、ではなく健康診断のためだ。
勿論会いに行きたかったが会いに行くことは今の僕には許されていなかった。
僕は待合室の椅子に浅く腰掛けながら自分の順番を待った。
「河原様、河原様。診察室三までお越し下さい」
異常なし、と診断され、僕は診察室を出た。
すると遠くに彼女を乗せたストレッチャーが見えた。
多数の看護師が焦ったようにストレッチャーを動かしていた。
僕が近くに寄ると彼女の母親がいた。
「あの……水谷さん、どうされたんですか?」
僕が少し心配になり、そう尋ねると彼女の母親は彼女の病室で会った時とは対照的な顔で僕に冷たい目を向けて言った。
「美雪にこれ以上近づかないで」
そう吐き捨てると彼女の母親は足早にその場を去って行った。
それ以来、僕から彼女に近寄ることはなかった。
「皆さん!冬といえば何を思い浮かべますか?」
担任が嬉々としてホームルームの時間に言った。
「えー何―?」
「スキーとか?」
一人の女子生徒がそう言うと担任は「そう!」と大きな声で言った。
「冬はイベント続きで、再来週には[ウィンタースペシャルバケーション]があります!」
「ウィンタースペシャル……バケーション?なにそれ?」
「カタカナばっかり」
「めっちゃ面白そう〜」
「そう。去年から始めたイベントなの。概要としては三泊四日でスキーを楽しむって感じかな〜スキーのやり方を学ぶのが目的で行きます」
「スキー!?めっちゃやりたい!」
「三泊するの!?楽しみすぎる〜」
クラスメイトの声ががどんどん大きくなる。
「そうよ。宿泊場所はスキー場からバスで少し行った場所にあるの。新潟県に行きます」
「新潟!?」
「ヤバっ!めっちゃ楽しみ〜」
僕はため息をついた。
どうして彼女に近づいてはいけないのだろう。
自分から安易に近づきたくはなかったけれど、でも、面と向かってそう言われると逆に会いたくなるのだ。
もっと彼女に外の世界を教えてあげたかった。
悲しそうに俯く僕とは裏腹にクラス中は活気に燃え盛っていた。
僕は決意を固めて高く空まで聳えている建物を見上げた。
これ以上逃げていられない、そう感じたからだ。
自動ドアを通り抜け、ある部屋に向かった。
すると誰かに強く肩を掴まれた。
「あなた、どこに行くの?」
「僕は……水谷さんに会いにきました」
「水谷さん?あなたは水谷さんの彼氏?それとも友達?」
「僕は……ただの知り合いです。」
看護師は長いため息をついて「帰ってちょうだい。もう来ないで。分かった!?」
怒気を含んだ声でそう言うとナースステーションに戻って行った。
僕は——帰らなかった………。
帰りたくなかった。
僕は看護師の目を盗んで走って彼女の病室に向かった。
ドアもろくにノックせずに室内に入ると彼女は横になって本を読んでいた。
「あれ?河原君……?」
彼女は半分身体を起こして驚いたような目をして言った。
「もう来ないかと思った……」
彼女の思いがけない言葉に僕は「なんで?」と聞いた。
「私が倒れて、それを君が責任、感じてるんじゃないかなって思ったから」
「うん。責任はすごく感じてたし、君のお母さんにも会うなって止められたよ」
「お母さん、今、私に誰にも会わせたくないんだって」
彼女は寂しそうに俯いた。
「一人で病室にいてもつまらないし、息苦しい」
僕は彼女の言葉を黙って聞いていた。
「誰かと話すから、誰かとコミニュケーションをとるから、人間って言う人類が誕生したんじゃないかな」
「感情も、コミニュケーションも全部ひっくるめて人間の権利を果たせたことになる。私はそう思ってるんだけど」
彼女は窓の外を見て黙ってしまった。
「ねぇ、学校でまたイベントがあるんだけど、無理強いはしないからバスまで乗らない?」
僕は彼女を誘っていた。
「いつ?」
「再来週」
「ごめん。行きたいけど無理」
「なんで?」
「再来週は毎日手術なの。最近少し悪化してるから」
「悪化って……大丈夫なの?」
僕が眉間に
「大丈夫。悪化って言ってもそんなに酷くないから、大丈夫」
大丈夫、を繰り返す彼女に僕は少し安心して病室を出た。
これまでの関係でいよう。そう思えた瞬間だった。
これ以上彼女との距離を縮めてはいけない気がした。
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