第138話 良い夢
――好きなものを好きだと言うのは、そんなにも間違った事でしょうか。
―■■年前、バルトメロイ海域―
『……また、お前はそんな事をしているのか』
『……』
呆れたように、嘆くように、もう何度も聞いた言葉を投げかけられる。
その言葉を受けた少女はきゅっと神妙な表情になった……が、その場から動こうとはしなかった。まだ身の丈にはあっていないピアノの椅子に座ったまま、じっとその言葉を聞き続けている。
『もう何度も言っただろう。演奏なんて、何の役にも立たない事は止めなさいと』
『……』
『そんな事をしている暇があるなら少しは魔術の勉強をしたらどうなんだ。……聞いたぞ、この間の試験もまた一番を取れなかったそうじゃないか』
『……』
『……、……全く』
何も言い返そうとしない少女に、もうこれ以上話続ける気はなくなったのか。最後に目一杯の軽蔑と失意の込めた一言を呟いて、男は部屋から出て行った。
そしてそのまま部屋に一人残される少女。彼女はその後もしばし神妙な面持ちのままであった……が、やはりその場から動こうとはしない。
ただ、
『……』
ただ一言。
『……どうして?』
どうしても理解出来ない、理解したくない事実に少女は疑問を浮かべるだけで。
△▼△▼△▼△
少女は音楽が好きだった。
それが、いつの頃からだったかはもう覚えていなかったが、昔からずっと音楽……特にピアノで自分の好きな音楽を演奏する事が、少女はたまらなく好きだった。
自らの気持ちを指に乗せ、順番に、リズミカルに、鍵盤を叩いていく。すると奏でられていく一つの旋律。それは言葉とはまた違う、だが同じ音による他者とのコミュニケーションだ。
音楽は、言葉のように具体的な気持ちを相手に伝えることは難しい。……だが、その分音楽は言葉にはない芸術性やそれぞれの曲特有の色合いがある。
少女はそんな音楽の美しさ、優雅さ、そして多様性が……好きだった。
……だが、両親はそんな少女の『好き』を理解してはくれなかった。
それどころか彼らは音楽を『生きていく上では不必要なもの』として切り捨て、見下し、蔑んだ。
まるでそれを好きだと言った少女もまた、そうなのだと言っているかのように。
『演奏なんかが出来て何になる? そんなもので将来生きていけるとでも? 今からでも遅くはない、そんな事をするくらいならもっと意味のある事をしなさい』
『……どうして? どうして貴女はいつもそうなの? どうして私達がこんなにも心配しているのが分からないの? 私達は、貴女の事を思って言っているのよ?』
否定される。否認される。
少女の気持ちは無視されたまま。
嘆かれる。苛立たれる。呆れられる。
一方的に言葉を投げかけて来るばかりで、少女の言葉は何も聞き入れようとしないくせに。
『……どうして?』
ただただ、自分達が正しいと妄信して――、
『……どうして、そんなに』
『こどもは大人の言う事を聞いていれば良いんだ。第一、好きな事をして生きていきたい、なんて強欲が通じる訳がないだろう。そんな事も分からないからお前はいつまでも「こども」なんだと、私達は言っているんだよ』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――好きなものを好きだと言うのは、そんなにも罪深い事でしょうか。
―とある雨の日―
『……』
とある、雨がしとしとと降る日。少女は町外れのオンボロな倉庫で、今日もまた一人演奏をしていた。
自宅にあったピアノはとうの昔に捨てられてしまったが、少女はここに古いピアノが置かれている事を知っていた。なので、最近は両親に『魔術の勉強をしてくる』と嘘をついて、一人この倉庫に足を運んでいたのだ。
……ここならば、そう簡単にはバレやしない。
第一、両親は少女にいろいろと言ってくる割に本人にはそこまで興味がないのか、彼女が一人で何をしているのかまでは詮索しようとしてこなかった。
『……、……あ』
乱れる指先。
ふと心に込み上げてきた苦い感情が、少女の手の動きを僅かに鈍らせ目的とは違う鍵盤を叩かせる。結果、奏でられたのは明らかに外れた不可解な音。
……とはいえ、別に演奏をしていればこれくらいはよくある事だ。第一ミスしない人間なんてこの世に居ないのだから、誰にでもたまにはこうやって間違えてしまう事もある。
だが――、
『……、……』
そうと分かっていても、少女はそのミスに暗いものを感じてしまう。……その理由は明白だ。
彼女が暗いものを感じてしまったのは、ミスをしたという『結果』に対してではない。それよりももっと根本的な、ミスをした『理由』そのものに対してである。
『……』
分かっている。
今、この場で独りで演奏をしている。
その事自体に『悲哀』のような感情を抱いてしまうのは我儘でしかないと。
自分は、自分の意思で両親に逆らっているのだ。……ならば、それを認められず、呆れられるのは当然の事。これは分かり切っていた結果のはずだ。
だが、それでも――、
『どうして……? どうして、私が私の人生の生き方を決めちゃいけないの……? 自分の好きな事を好きだって言うのは、そんなに間違った事なの……?』
疑問は晴れない。
……両親の言っている事も理解は出来る。
確かに、常に凶悪な魔物たちが蠢き、いつこの安定した平穏が崩れるかも分からないこの世界では、演奏よりも魔術や武術の方が生きていく上で役に立つだろう。
きっとこちらを身に着けた方が、安全で安定した生活を送れるのだろう。
……だが、それは本当に一番大事なことなのか?
たった一度しかない人生で、自分の叶えたい夢を追うのは間違いなのか。
例えそれが厳しい道であったとしても、己の夢見た自分になりたいと願うのはそんなにも愚かな事なのか。
『生きる為』には、自分の『生きたい理由』さえも否定しないといけないのか?
疑問は、晴れない。
『……、……ッ』
と、壁の隙間から入り込んて来た冷たい風に思わずぶるりと身が震える。
特に今日は雨なのもあってか一段と隙間風が冷たかった。まあ、そもそもこの倉庫自体古すぎて保温性なんてあったものではないので、まずここがかなり寒いのだが。
『……、……はぁ』
……これ以上、ここに居ると体調を崩してしまいそうだ。
それに正直今のこの乱れた心境では、今日はもうまともに演奏出来る気もしない。なら、続きはまた明日にして今日はこの辺りで――、
『あれ、今日の演奏はもう終わり? なんかいつもより短くない?』
『……え?』
と、家に戻ろうと思ったその時。背後から聞き慣れない声が飛んでくる。
少女はその声に驚きつつも、そっと背後を振り返るとそこには――、
『まあ、無理にとは言わないけどさ。良ければもうちょっと聞かせてくんない? アタシ、アンタの演奏好きなんだよね』
ニカッと、外の空模様とは真反対な快活な笑顔を浮かべた女の子が、今まで一度も言われた事のなかった言葉を少女へと向けていた。
△▼△▼△▼△
『……え? えっと、貴女は?』
初対面の割にかなり気さくに話しかけてくる女の子に対し、少女は少しどもりながらも冷静に聞き返す。
そんな少女の言葉に対し女の子は、
『アタシ? アタシはアンタのファン……みたいなもんかな。アンタ、最近毎日ここでピアノ演奏してるでしょ? 実は数日前から勝手に聞かせてもらっててね、今日もそれでここに居たの』
『そう……なんですか』
全く知らなかった意外な事実に思わず赤面してしまう少女。
てっきり少女も我ながら完璧に隠れられていると結構自信があったのだが、まさか親でもない赤の他人に、しかも数日前からあっさりバレていたとは思ってもいなかった。
『そう、そうなんですよ。なのに今日はなんかいつもよりも演奏短かったからさ、思わず「え? 何で?」ってなっちゃった訳で。……なんかあったの?』
『え。いや、別に……特には……』
『そう。まあ、なら良いんだけど。……あ、てかそもそもなんかごめんね。アンタからすれば「いやまずお前何なんだよ」って話だよね』
『あ、いえ! そんな事は決して! ……その、褒めてくれて凄い嬉しかったです』
『そう? でも別にそれはそんなお礼言うような事じゃないよ。アタシはただ純粋に思った事言っただけだから』
と、そう言いつつも女の子は、少しだけ照れくさそうに笑いながら頭をかく。
……そんな彼女の様子につられてしまったのだろうか、少女も先ほどまでの暗い気持ちは何処へやら、一緒になって思わず笑ってしまった。
『……でも、そっか。アタシはてっきり「迷惑だ」って言われるかなぁとか思ってたけど、アンタがそんな感じって事はさ……もしかしてまた明日からも来ちゃって良い感じだったり?』
『ええ、もちろん。また来てくださると言うのならぜひ』
『! ほんとに? マジで!? じゃあ、また明日も楽しみにしてるね!』
『はい、ありがとうございます』
ぱあっと最初の時のような明るい笑顔を浮かべ、まるで小さな子供の様に大きく手を振りながら去って行く女の子。
そんな彼女を少女は、今までに感じたことのなかった温かな穏やかさのようなものを抱きながら見えなくなるまで見送った。
そして、また一人になる少女。
……それは先程まで賑やかな彼女が居たためだろうか。再びこの場に舞い戻ってきた静寂が、少女はより一層深くなっているように感じた。
しかし――、
『……ふふ』
静けさに反比例して少女の表情もまた和やかで……そして賑やかであった。
その様はまさに、いつの間にか雨も止み赤一面の綺麗な夕日を掲げる空模様のように。
『本当に……ありがとうございます』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――好きなものを好きだと言うのは、そんなにも愚かしい事でしょうか。
―とある朝―
『じゃあさ、今日はコレ! コレ聞かせてくれ!』
『もう、また新しい曲ですか? こんなにハイペースでぽんぽん渡されてもすぐに弾けるようにはなりませんからね?』
『またまた、そんな事言っちゃって。前のは3日くらいでマスターしたくせに』
『……ん。いや、それは……まあ……その……』
『ん?』
『貴女に……喜んでもらいたかったので……』
『……。あ、そうなの……。ふーん……』
予想外の返答に思わず顔を赤らめる女の子。
だがそんな恥ずかしそうな顔の中には、思わず口角が上がってしまう程の喜びの表情も見え隠れしていた。
『……あはは、まさかそんな風に思ってくれてたとは。なんだかんだ言ってアタシも幸せもんだねぇ。……なんか、アンタに何もしてあげられてないのが申し訳なくなってくるよ』
『そんな事ありませんよ? 私は、貴女が毎日演奏を聞きに来てくれている。ただそれだけで十分満足ですから』
『それは……いくらなんでも無欲すぎない?』
『……そうでしょうか』
『そうだよ』
皮肉でも自嘲でもなく、本心からそう問う少女に女の子は思わず苦笑い。
まあその無欲さもまた少女の良いところの一つだと女の子は知ってはいたのだが、改めてこうやって示されるといろいろと思うところはあるようだ。
『……。……ねえ、さ』
『ん?』
『凄い今更……っていうか、多分言いたくないからずっと言わなかったんだろうけどさ。それでもやっぱどうしても気になるから1個聞いても良い?』
『……、……どうぞ』
『……ありがと。……それじゃ聞くけど。アンタ、なんでこんな所で演奏してんの? せっかくこんなにピアノ上手いのに』
『……』
心底不思議そうに問われた女の子の質問。それに少女はつい黙ってしまっていた。
……分かってはいたことだ。当然彼女は少女の事情なんて知らないのだから、そういった疑問を抱いてもなんらおかしなことはない、寧ろそれが普通のことだろう。
だから、少女はそれにちゃんといつかは答えないといけないと、そうずっと思っていた。……いた、が。
『……、……』
その事実を認めたくないからなのか、その事実を見つめたくないからなのか。
答えは少女の口から出ていこうとしなかった。
口を開いて話そうとしても、どうしても言葉が上手くまとまらない。少女の意思に反して身体が嫌がっているかのように、口が言葉を作ろうとしてくれないのだ。
『……あ、そっ、えっと……』
『いや、ごめん。やっぱ大丈夫。その……今のアンタの感じで確信出来た。……嫌な事聞いてほんとごめん』
『そんな……別にこれは貴女が謝るようなことでは……』
『でも嫌な思いさせちゃったのは事実っしょ?』
『……』
無言の返答。
肯定も否定も出来ない……もしくは、したくないからなのか。女の子の問いに少女は再び言葉を返せなかった。
そんな少女の様子を見かねたのか、女の子はそっと少女の惑う瞳に視線を合わせると、一言。
『……。……まあ、その。こういうのは多分お節介なんだろうし、何も知らないお前が何を偉そうにって思うかもしれないけど――』
『?』
『アンタはさ、本当にそれで良いの?』
鋭く、少女の心に突き刺さる3度目の問いを投げかけた。
だが、少女はその問いに、三度答えることは出来ず――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――好きなものを好きだと言うのは、そんなにも難しいことでしょうか。
―夜―
その日は、やけに暗い夜だった。
別に何か天気が特別だったりとか、そんな事があったわけではない。
強いて言うのであれば少し雨と風が強くはあるものの、だからと言ってそのせいで特別外が暗くなっていたりはしない。
きっと少女以外の他の大勢からすれば、その日は何でもないただの夜であったはずだ。
だから、彼女がやたらと今日を暗く感じるのは、少女の外に原因があるのではなく。
それは少女の中の――、
『……、……?』
と、暗い夜に一人寝室に居た少女に、何か奇妙な音が聞こえてくる。
最初、少女はそれは外の風が原因だと思っていたのだが……それにしては少しおかしい。これは風が引き起こした音というよりは、誰かが人為的に起こしているような……。
『……そんな、まさか……』
あり得ない、だがどうしても捨てきれないとある一縷の可能性が脳裏によぎる。
それは自分の弱さが作り出した甘えだと、そう言い聞かせて忘れようとするも……やはりその考えが少女は捨てきれない。
故に、少女は夜風の吹きすさぶなか、そっと窓を開いてしまい……、
『や、久しぶり。元気してた?』
『――ッ!!!』
数か月ぶりにかつては毎日顔を合わせていた女の子と再び出会った。……出会ってしまった。
△▼△▼△▼△
『……どうして。どうして、貴女がここに……』
もう二度とないと、そう思っていた再会に、少女は驚きのあまり涙を流してしまっていた。
だがそんな少女に対面する女の子は、少女とは対照的にいつかの日に見たあの笑顔と同じ、優しい表情を崩さない。
『どうしてって……そりゃ、会いたかったからとしか』
『なんで? 私は……私は貴女を……裏切ったのに……』
『……』
さも当たり前のように話す女の子に、少女はますます涙が止まらなくなる。
しかし、それでも女の子の姿勢は変わらない。
『数カ月前……お父様とお母様に私が隠れて演奏をしていた事がバレました。それから私はお父様とお母様に「金輪際、外出禁止」だと「もう次はない」と言い渡され、外に出る事は出来なかった……』
『……』
『貴女が、私を待って、あの小屋に来てくれていると知っていたのに!!! 私は!!! お父様とお母様が怖くて、我が身可愛さに貴女を裏切った!!!』
『……』
『なのに……どうして……?』
『……そんなの簡単だよ。それでも、アンタに会いたかったからさ』
『――ッ!!!』
変わらない。
裏切られたという、許されざるはずの事実を再確認しても変わらない。
裏切りという、傲慢で強欲で怠惰な罪を改めて示されても変わらない。
女の子の優しい表情は、それでも変わらなかった。
『ごめんなさい……ごめんなさい……。私は……私は……』
『そんなに謝んないでよ。それに別にこれはアンタのせいじゃないだろ? 悪いのアンタの親の方さ。だからアタシは別にアンタを恨んだり、怒ったりなんてしないよ』
『違うんです、そうじゃないんです……。せっかく、せっかくこんな私に会いに来てくれたのに……もう……遅いんです……』
『……どういうこと?』
『……明日、私は遠くに引っ越すんです。お父様とお母様が私はここ居てはダメだと、だからもっと遠く悪いものがない場所に住むことにしたって……』
『……』
『だから……もう、貴女とは会えないんです……。また、会えたのに……もう、この先、二度と……』
だが、少女の涙もまた変わらなかった。
だってもう何もかも全てが遅すぎたから。もう何もかも全てが終わりだから。
楽しかったあの日々はもう遠い昔の話なのだ。
もうあんな毎日は帰ってこない。もうあんな日常は戻ってこない。
それを少女は知っていた。だから、情けないと分かっていても、少女は涙を止める事が出来なかったのだ。
『……』
『……』
――沈黙。
小さな泣き声と、雨音と風音だけが聞こえるなか。
少女と女の子は暫し暗い暗い沈黙にただ佇んでいた。
少女は深い嘆きと絶望を抱えながら。
一方、女の子は……、
『……そっか。……それじゃあしょうがないね』
『……』
『うん、やっぱりアタシの判断は正解だった。生まれつき運は良くないくせに、こういう時だけはミスらないから不思議なんだよな』
『……、……?』
『アンタ』
『は、はい……』
『アタシは決めたよ』
『……何を、ですか……?』
『一緒に行こう、アタシと』
『……え?』
『アタシと、この広い世界に一緒に行こう!!! アンタはここに居るべきじゃない!!!!!』
『!!!!!!!!!!!』
一方、女の子は遠い夢のような未来への、期待と希望を抱えながら。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――好きなものを好きだと言うのは、そんなにも……
『ちょ、ちょっと……待って、ください。それは……それはどういう……』
突然、投げかけられた熱い決意の言葉に、少女は以前とは異なる理由で返事が出来なかった。以前は葛藤と迷いが理由であったのに対し、今回は混乱と動揺が少女の答えを遮っている。
だが、それでも、やはり女の子の方は以前とまるで変わらない。
『どういうもこういうもないさ。これからアタシと一緒に海に出て、世界を一緒に旅するんだ。そしてその先でいろんな事をしよう、やりたいことをやりたいように。好きな事を好きなように。……もちろん、人に迷惑をかけない範囲でね』
『……』
『アンタは演奏が好きなんだろう? なら、アンタの演奏を旅をしながらいろんな奴に聞かせてやろう。あんだけ上手な演奏なんだ、きっとたくさんの人を笑顔にして、いろんな人を救うことが出来る。それはアタシが保証する。だから――
『ちょ、ちょっと待ってください!!! そ、そんな! いくらなんでも急過ぎます! なんの準備もなしにいきなり旅に出るなんて!!!』
『でも、もう時間がないんだろ? 明日出発しちまうならもう今から行くしかない。……それともこのまま親と一緒に引っ越して、やりたい事も好きな事も出来ない人生を歩んでいくか?』
『……そ、それは』
変わらない。……変われない。
こんなにも女の子が少女に信頼と未来を語ってくれているのに、少女はどうしても変われない。答えが出せない。
好きなものを好きだと言うのは、好きなものと共に生きていくのは、好きなもので生きていくのは――、
『…………ねえ。アタシがさ、なんでアンタの演奏が好きかって。そう言えば、多分まだ言ってなかったよね』
『え? えっと……はい、まだ聞いたことは……』
『良かった。……まあ、そんな難しい理由じゃなくてね。アタシもさ、アンタと同じなんだ。アタシは歌を歌うのが好き。楽しい歌も嬉しい歌も、たまにはちょっと悲しい歌も。いろんな歌をたくさん歌うのが好きなんだ』
『……』
『でもね、アタシの母親はそれを認めてくれなかった。なんでもそんなの生きてくうえでどうせ役に立たないから、だとさ。……でも、そんなのあんまりにも自分勝手だろ』
『……』
『自分の人生の主役は自分だ。誰かに迷惑かけて、やっちゃいけない事をしてるのならまだしも、そうでないのになんで他人に人生を指図されなきゃいけないんだ。自分の人生、自分の生きたいように生きて何が悪い!!!』
『……』
『アンタが生きたい人生の生き方はなんだ!? アンタが夢見る人生はどんななんだ!? ここで、このまま親と一緒に無難で、夢も、希望もない、望まない人生を送っていくことか!? アンタはそんな人生で本当に良いのか!?』
『私は……』
『教えてくれ。アンタの歩みたい人生を、アタシに教えてくれ。……アタシは出来ることなら、許されるのなら、アンタの演奏で歌を歌いたい。諦めかけていたアタシを救ってくれたアンタの演奏と共に歌を歌いたい! そして今度はアタシがアンタと一緒に誰かを救いたい!!!』
『私は……!』
『教えてくれ!!! アンタは、どう、生きたいんだ!?』
『……私は! ……私も!!! 貴女と一緒に!!! 自分の好きな演奏で、生きていきたい!!!!!』
『――ッ! ――!!!!!』
叫ぶように、全てを吐き出すように。
ずっと、ずっと出せなかった答えが、ようやく少女の口から飛び出した。
そうだ、そうなんだ。
例えそれがどんなに間違っていて、どんなに不安定で、どんなに難しい道だとしても。
やっぱり、自分の夢は捨てられない。抱いた夢は忘れられない。
――好きなものが好きだから。だから少女は、そして女の子は、好きなものを好きだと、堂々と言ってみせるのだ。
『……良かった。アタシと一緒は嫌だって言われたら、どうしようかと思った』
『そんなこと言う訳ないじゃないですか。世界を旅するのなら、一緒に旅をするのは貴女以外にあり得ません』
『そっか。……それは嬉しい限り』
照れる女の子に、少女はふっと優しい笑みを浮かべる。
それはいつかの日の女の子の表情のように。優しく、そして穏やかな笑顔であった。
『……よし、それじゃあ行こうか! きっとこの広い広い世界が、アタシたちを待ってるぜ?』
『はい!』
『……っと、その前に。そう言えばさ、一番大事なこと。ずっと忘れてたよな、アタシたち』
『え?』
『名前。こんなにいろいろお互いに本音ぶちまけたのに、まだアタシたちお互いの名前知らないだろ?』
『あ。そう言えば……いざ改めて名乗るタイミング。今までありませんでしたね』
『そうなんだよ。だから、今このそのタイミングでしょ? 一蓮托生の相棒に名前名乗ってないってのも変だしさ』
『確かに』
『うんうん。……よし! それじゃあまずアタシから名乗らせてもらおうかな! 言い出しっぺだしね!』
そう言うと女の子は少し距離を取り、改めて少女と向き合うと、恭しく慣れない一礼をした後一言――、
『アタシの名前はシンディ・コルン! アンタの演奏に歌と紡ぐ、いつか世界の歌姫になる女さ!!!』
自らを、歌姫だと名乗った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
―現代―
『シンディ……』
かつて、一人の少女であった幽霊少女は、ハルカと共に作り上げた『夢の舞台』の上で遠い遠い記憶を思い出していた。
それは、もう本当に、気の遠くなるくらい昔の話。
自分という存在が、自分という存在になった懐かしい、そして大切ないつかの先の日の思い出。
『……私、馬鹿ね。……なんで、死んだくらいでこんな大事なこと、忘れて……』
体温はもうないはずの霊体に熱い涙が走る。
だけどその表情は涙とは対照的に、抑えきれない喜びの笑顔を浮かべていた。
「……幽霊さん?」
笑いながら涙をぽろぽろと流す幽霊少女にハルマ……もとい、ハルカが心配そうに声をかける。
……無理もない。なにせ突然演奏が止まったかと思えば、幽霊少女が涙を流していたのだから。いくら相手が幽霊であってもいくらか心配になって当然だろう。
だが――、
『ごめんさない、ハルカさん。大丈夫、大丈夫です。……お陰様で大事なことを思い出せただけですので』
「! ということはこの『夢の舞台』に満足出来たという事ですか!?」
『あ、いえ。出来る限り再現しようとしてくださったのはとても嬉しいですけど、まだまだ全然想像したいたものには程遠く』
「えー……」
そう。あの日。彼女と……シンディと夢見た舞台とは、今のこの舞台はあまりにも程遠い。
お客さんはあまり多くない方が良いとは言ったけど、それでも流石にたった二人はちょっと寂しいし。場所も小さな島のとある宿屋の一室だし、そもそも自分たちも演奏と歌役しかいないし、何より歌を歌っているのが共に夢を目指した彼女、シンディではないし。
だが、それでも、彼女の『心』を満たすにはこれで十分であって。
『……ありがとうございます。お陰様で、ようやく成仏出来そうです』
「え、ええ!? なんで!? 満足出来てないんじゃなかったんですか!?」
『それはそれ、これはこれというやつです』
「はぁ!?」
幽霊少女の発言に素っ頓狂な声をあげるハルマ。
そんな彼に幽霊少女は消えゆく身体のまま少しだけ笑いながら、最後の言葉を投げかけた。
『改めて、本当にありがとうございました。……これは私からせめてものお礼です』
「……ん? これは、ペンダント?」
『はい。それは何故か私が幽霊になっても持っていたペンダントです。もう私にもそれが何なのかは分かりませんが、今私にお渡し出来るのはそれしかないので……。せめて何かの役に立てば良いのですが』
「……良いんですか。きっとこれも貴女の大事なものじゃ……」
『はい、構いません。寧ろ大事なものだからこそ、このまま一緒にあの世に持っていくのではなく、今を生きる貴方に持っていてほしいのです。……わざわざ女装までして私に手伝ってくれた優しい貴方に』
「……分かりました、では大事にさせていただ――え? ちょっと待って? 今なんて言った!? ……え!? 気づいてたんですか!!?」
『いや、その……気づいていないのかもしれませんが、途中からウィッグ外れてたので……』
「え!!? あ! マジじゃん!!!」
自分の頭を慌てて触り、本当にウィッグが落ちている事にようやく気が付くハルマ。
恐らく必死に歌っている途中でうっかり落としてしまったのだろう。そしてそのまま集中していたが故にハルマは気づくことが出来なかったようだ。
「……その、すみません。騙すような事をして……」
『いえいえ、お気になさらず。結果的にちゃんと成仏出来た訳ですし。……あ、ただもし申し訳ないと思うのでしたら、最後に一つ我儘を言っても良いですか?』
「?」
『その、貴方のお名前を教えていただきたくて。まだ、聞いてませんでしたよね?』
「あ、確かにそう言えば……」
確かに、ハルマは女装した後『アメノチ・ハルカ』と偽名は名乗ったが、まだ自分の本名は名乗っていなかった。
……ならば、当然その頼みを断る必要などハルマにはなく。
いつものようにハルマはそっと空を指さすと、一言。
「俺は六音時高校生徒会長代理、天宮晴馬!」
『アメミヤ・ハルマ……』
「それ以上でもそれ以下でもない。ただの今夜限りの歌姫さ」
『はいっ、はい……! 本当にありがとうございました! アメミヤさん!!!』
いつかの日の、彼女とはまた違う、笑顔と口上で。
されどいつかの日の彼女と同じように。
自らを、歌姫だと名乗った。
【後書き雑談トピックス】
シャ「……だから言ったじゃないですか、そうやってふざけながらも堂々と名乗りを上げるときの貴方は珍しくカッコイイんだって」
次回
「なんであんたは平気なんだよ。何なの? 人間じゃないの?」
「いや、薬ってちゃんと効くんだなって」
「僕は9歳の頃にキンキとシキザキと竜の逆鱗を取りに行ったことがあってね」
「何だよぉおもおおお! またかよぉおぉぉおおおお!!!」
第139話「いろいろ思い出話」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます