第126話 嵐の海域

「これはこれは。どうやらちいとばかり、のめり込み過ぎてしまったか……」


 緊迫感に満ちるハルマの声先にあったを目にし、これまでのハイテンションからは想像出来ないほど冷静な表情でそう呟いたシーキッド。

 その表情のなかにまるで『敵意』のような感情を混ぜる彼が睨む先にあったのは、さながら一匹の巨大な魔物のように見える程に巨大で凶悪な嵐の海域だった。


「やれやれ、まさか海に生きる俺達が一般人に嵐の発見で後れを取るとは。これは互いになかなかやらかしてしまったなぁ、小僧」


「るせえ、それぐらい一々言われなくても分かってら。それと同じ海に住んでるってだけで海賊と騎士とを一緒にすんな、気色悪い」


「おっとこれは失礼。ついな、つい」


「……」


 しかし、この危機的な状況で冷静な表情を浮かべていようと、やはりこの男はそう変わらない。シーキッドはこの大嵐を前にしてもなお、ヘルメスに軽口を叩きつつ自らの不甲斐なささえも心の底から楽しそうに笑っていた。

 もっともそれに巻き込まれたヘルメスは、対照的に既に最高潮に達していた不快感とストレスが更に限界突破してしまっていたのだが。


 ……と、こんな状況でもそのマイペースさを崩さないシーキッドだったが、もちろん彼もただ軽口叩いているだけではなかった。

 そこは流石は海賊船長と言うべきだろうか。彼は冗談を交えつつも、的確に現状を見極め次に取るべき行動を定めていたのだ。

 その証拠に一しきり笑い終えた彼は、その次の瞬間――


「と、まあそういう訳だ! 俺もまたどうしようもなく心惜しいが、今回の勝負はひとまず預けておくとしよう!」


「――なッ!? て、てめえ!!! 逃げる気か!!?」


 なんと、先程までの荒れ狂う闘争心をいとも簡単に押さえ込み、神風に乗って自らの船に颯爽と駆け戻っていたのである。


 この予想外の行動には流石のヘルメスも対応しきれない。

 結果、彼がシーキッドに向けて怒声を浴びせた頃には、もう彼は船の中に戻ってしまった後であった。


 ……が、当然ヘルメスもそのままシーキッドを逃がしはしない。


 そもそもの話、自分の船に戻られたくらいならシーキッドはまだ余裕でヘルメスの射程圏内。他の人間ならともかくヘルメスなら剣を届かせるにはまだ十分過ぎる距離である。

 ならば、ヘルメスが取る行動は自然と決まってくるだろう。……つまり、


「――ッ!!!」


「ヘ、ヘルメスさん!?」


 そう、追跡である。


 ヘルメスは戸惑うハルマの声を背に受けながら、シーキッドの船に向けもはや何事でもないかのように猛ダッシュ。

 そしてその速度もやはり凄まじいもので、既に距離を取り始めていたシーキッドの船にヘルメスは易々と辿り着いてしまった。

 

「逃げられると思ってんじゃねえぞ!!!」


 そして、そのままヘルメスは船に乗り込もうとした――のだが、


「――――、―――――――――、――――」


「――! ……ッ」


 ヘルメスは突然、何故かその足をピタリと止めてしまう。

 いや、そればかりかそのまま距離を取っていくシーキッドを、彼は歯痒い表情をしながらも見逃そうとしているではないか。


「……ヘルメスさん?」


 この突然の豹変は、ハルマ達にも一体彼に何が起きたのかまるで理解出来なかった。

 故に、ハルマ達はその困惑を晴らそうにも、出来た事と言えば行きとは対極的にどこか重い足取りで戻ってくる彼をただ見つめる事のみ。

 その様子から察することも、直接問いただして聞き出すのも、今はそう簡単に出来るような状況と雰囲気ではなかったのである。


「……、……」


「……えっと。ごめんね、みんな。突然戦い始めた挙句、急に逃がしたりしちゃってさ。ちょっと、まあ、いろいろとあって。今回は僕も心底嫌々だけどアイツは逃がす事にした。……次は絶対にとっ捕まえるからさ、今回だけは出来れば見逃してもらえると助かる」


「え? あ、いや……まあ、ヘルメスさんにもいろいろとあるんでしょうし、その事自体は俺達は別になんともないですけど……」


「そう言ってくれるか、それは本当にありがたい! ……うん、まあなんとなく分かってるよ。ハルマちゃんもシャンプーちゃんもジバ公君も、いろいろ聞きたい事があるだろうけど悪いがそれは後回し! まずは目の前の嵐をどうにかしてからにしよう!」


「――! そ、そうだった! 短時間の間でまたいろいろあり過ぎて忘れかけてたけど――って、近っ!?」


 思い出したかのように振り返ると、魔物の如き嵐の海域は既に目の前に。

 もうここまで近づいてしまったからには、逃げることも避けることも出来はしない。

 ならば――、


「いや待て待て待て! てか、これは流石にヤバいんじゃないんですか!?」


「うん。実は割とヤバい。けど、もうどうしようもないからね。皆に怖い思いをさせるのは僕としても非常に心苦しいが、どうか我慢してほしい! なぁに、万が一の事があれば僕が命懸けで助けるからさ!」


「命懸け!? ってま、まさかヘルメスさん!?」


「ああ、その『まさか』だ! これから、この嵐に突っ込むぞ!!!」



「「「ええええええ!?!?!?!?!」」」



 彼らは無謀にも、そして同時に勇敢にも。

 この嵐へと挑むしか、もうその道はもう残されていなかった。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「う、ぬああああああああああ!!!!!!」


「ハルマ君!!! 手を! 絶対に離さないでくださいね!!!」


「わ、分かってる!!!」


 魔物の如き嵐の中は、まさに地獄としか言い表しようがない世界であった。


 そこにあったのはひたすらに続く苦痛と恐怖。

 吹き荒れる暴風はその轟音と衝撃で身体を引き裂こうと蠢き、滝のように降り注ぐ豪雨が息をする事すら奪い去ってしまう。


「ぐああああああああああああ!!!!!」


 この魂ごと蹂躙されているような感触。

 この少しでも気を抜けば全身が砕け散ってしまいそうな感覚をハルマは知っていた。……否、正確には知っていたというより既に味わった事があった。


 それは、マルサンク王国でアルマロスに全身の骨を砕かれたあの時に。

 それは、竜の谷でアルファルドに腹を引き裂かれたあの時に。



 ――それは、大切な人を自分のせいで失ってしまったあの時に。



 その身体に流れ込んだ、暗くて、冷たくて、そして悲しいあの感触。

 思い出すだけでも身の毛がよだつ……暗い暗い《死》の感触を。


「――! う、ぐっ……!!」


「ハルマ!? おい、しっかりしろ!!!」


「だ、大丈夫。問題ない! これくらいなら、まだまだ……!」


「みんな、もう少し! もう少しだけ耐えてくれ!!! もう少しで一番近くの島にたどり着ける!!! そこまで行けさえすれ――ッ!? な、なんだ!?」


「!?」


 と、その時。ヘルメスの正確な操縦により確実に島へと向かっていたこの船に、全体が震える程の巨大な衝撃が響き渡る。それは果たして海底で何かがぶつかったのか、それとも何かがこの暴風に飛ばされてきたのか。

 どちらにせよ衝撃は収まることを知らず、ただでさえ危険な状態にある船をさらに追い込むかのように襲い掛かる。


「クッソ!!! あと少しだってのに一体何だって言うんだ!!! ……みんな! 衝撃に気を付けろ! この調子だとまだ続くぞ!!!」


「は、はい! ……しかし、本当になんなんでしょうね、この衝撃!!! 風で何かがぶつかってきてるんでしょうか!?」


「……いや、違う」


「……え? ……ハ、ハルマ君?」


「これは……この衝撃は……」


 突然の追い撃ちに皆が困惑するなか、ハルマは一人何かを察したのような様子でじっと静かに嵐の向こうを睨んでいた。

 一体、彼に何が起きたのか。それは至極簡単な事である。


 ハルマは気づいてしまったのだ。

 最強の騎士たるヘルメスにも、英雄の子たるシャンプーにも、言葉を理解するスライムのジバ公でも、気付いていないとある事実に。

 

 ――これは、この衝撃は、攻撃だ……! 誰かが、俺達に攻撃してきてる……!


 限りなく自然現象のような雰囲気を漂わせるこの衝撃に潜む、邪悪で悪辣な悪意の存在に。


 ――目を、目をもっと凝らせ! 嵐の向こうに誰かが居るのは確かなんだ! それさえ見つけられれば!!!


 暴風と豪雨に視界を遮られるなかハルマは船体に必死にしがみつきつつ、嵐の向こう側へとその視界を集中させる。

 今なお続く衝撃の向かってくる先、一見人の手で発生しているようには思えないこの攻撃の向こう。……そこに必ず居るはずの存在を見つけ出すために。


 ――もう少し、もう少しだ!!!


 ぼやけつつも、少しづつこの地獄にされていく視力。

 そしてそのままその瞳は、ハルマが探し求めていた、嵐の、向こう側の――


「ハルマ君!!!」


「!?」


 と、その時。

 船を揺らす衝撃とは全く別物の衝撃がハルマの後頭部を襲う。

 それは、今までの揺れとは違う。正真正銘の自然の産物。この暴風に吹き飛ばされてきた何かが、ハルマの意識を急速に奪い去ったのだ。


「が、あっ――!!! ち、ちくしょう……! あ、あと、少しだった……のに……!!!」


 凄まじい速度で薄らいでいく意識。

 先程まで近くで聞こえていたはずのシャンプーとジバ公の声が、だんだんと遠ざかっていく感覚をハルマは感じ取っていた。

 だが、それでも彼は、その意識が全て闇に呑まれるその瞬間まで、諦めはしない。


 ――何かが……居る……! 嵐の……向こうに……!


 気が揺らいでいくなか、最後の意識を振り絞って睨みこんだ地獄のその先。

 嵐など知らぬ平穏で静かな青い海に居たを、ハルマはついに目に写す。


「――ッ!!!!!」


 そこに居た……いや、あったのは、人智を超えた何か。



 血の気が引くほどの悪意に満ちた赤い瞳が、こちらをじっと見つめながらケラケラと一人嗤っていた。




【後書き雑談トピックス】

 時間に置いてかれている気がするここ最近の毎日。



 次回 第127話「オーブ捜索、前途多難」

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