第102話 死にたくなる声
――死にたい。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
早く死んで地獄に堕ちて、悍ましい拷問の中に呑まれてしまいたい。永遠に苦しみ続けたって贖いきれないと分かっていても、それでも少しでも苦痛に満ちた世界に喰われてこの身にこの世のものとは思えぬ罰を与えたい。一秒でも一瞬でも早く『天宮晴馬』という存在をこの世から消して全てを終わりにしたい。
――そう、ずっとあの日から俺は願ってきた。
願って、祈って、求めて、切望して、懇願した。
早く死にたいと、早く終わりたいと、歪んだ願望を強欲に叫び続けてきた。
……だが、その願いは今もなお叶うことはない。
ではなぜ、これほどまでに『死にたい』と願うのに死なないのか。なぜ、これほどまでに終わりを望むくせに自ら終わらないのか。なぜ今もなお笑顔を振りまきながら毎日を生きているのか。
……そんなの、理由は一つしかない。
俺が今もなお生きている理由。それは、あの日に残された、最後の――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『晴馬ー! おめでとう!!!』
『いえーい。ありがとーございまーす』
『って! テンション低っ!?』
……それは、まるでよくできた演劇のように。『夢』という名の記憶は暗転と共にパッとその場面を切り替えた。
そして次に見えてきたのはまた別の過去の記憶。そこには、まるで自分のことのように俺の何かを祝う姉さんの姿と、それとは対照的と言えるほどにテンションが低い幼少期の俺の姿があった。
『どうしたの? せっかくの誕生日なんだから、もっと喜べばいいのに』
『そんなこと言われても、別に僕からすれば『だから何?』って感じなんだよね。しかも自分の誕生日なもんだから、なおさら……』
『普通は自分の誕生日だからこそ喜ぶものじゃない?』
なんともごもっともな姉さんのツッコミ。
しかし、それでも幼少期の俺はその感覚がどうも理解出来ないのか、少し難しそうに首を傾げ「うーむ」と唸る。
……ああ、そうだ。
やはりこれは過去の記憶だ。その証拠に俺の脳裏にしっかりと焼き付けられた記憶と、今目の前に広がる『夢』は完璧なまでに一致している。俺の言動も姉さんの言動も、少し気味が悪いくらいに一言一句間違うことはなかった。
――これは間違いなく過去の俺の誕生日、俺が8歳になった9年前の8月3日の記憶だ。
『うーん……。どうにもな……結局、別にただ『生まれた日』ってだけだし……』
『ダメよ晴馬、そういう考え方は。誕生日って言うのは、本当にとっても大事な日なんだからね? ほら、昔の偉い人も言ってるでしょ? 『人生で一番大事な日は二日ある。それは生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日だ』って』
『……いや、でもそれだと二日あるから『一番』大事な日ではなくない?』
『え? あ、確かにそう言われると……。って。違う、そうじゃない』
『?』
微妙に噛み合わない会話。
姉さんは俺に対して『誕生日の大切さ』を一生懸命教えようとするのだが……妙に大人びている、というよりは現実的な考え方ばかりする俺には、どうにもピンと来ないようであった。
『……そもそもさ、僕からすると誕生日を祝う理由がどうにも分からないんだよね。そりゃまさに生まれたその日を祝うのは分かるよ? でも、その1年後や2年後の日まで祝うのはおかしくないかな? だって、結局その日には何かがある訳じゃないでしょう?』
『そうね、まあ確かに目に見える形で何かがある訳じゃない。でも、それでも誕生日はやっぱり大事な日なのよ』
『なんで?』
『誕生日っていうのはね、『生まれてきてくれてありがとう』って気持ちを伝える日だからよ。まあ、本当なら毎日伝えたいところだけど……365日全部そうするのは流石に疲れちゃうし鬱陶しいでしょう? だからちょうどキリのいい誕生日の日にまとめてギュッと伝えるのよ』
『……じゃあ姉さんはただ生まれてきただけなのに感謝してるの? 僕なんかに?』
『当たり前でしょう!? 姉さん、かなり晴馬にはいろいろ感謝してるのよ!?』
『そうなの?』
心底意外そうな顔をする俺。……まあ、こればかりは無理もないだろう。
だってこの頃の俺にはただ『姉さんに迷惑をかけている』という思いしかなかったのだから。
……病弱なせいでよく病気になって、そのくせ頑固なせいでよく怪我もする。特に何か家事を手伝うことも出来ず、ただただ相手の仕事を増やすことしか出来ていない。だからこそ、そんな足手纏いでしかない自分に姉さんが感謝しているなんて、この頃の俺は夢にも思ってなかったのだ。
だが――、
『そうなのよ、本当に晴馬には凄く感謝してる。なんたって姉さんが今もこうやってちゃんと生きて、生活してるのは晴馬のおかげなんだからね。晴馬が居なかったらきっと私はこんなに明るく生きていくことなんて出来なくて、きっと……お母さん達が死んじゃった時に私もそこで終わってた』
『……』
『でも、晴馬が居てくれたから私はそうはならなかった。……だから、今日はこの1年の……いいや、8年間の感謝をギューッと詰めて盛大にお祝いするのよ』
『……そう。……てか、その理論で行くと年が増えるにつれて、誕生日が豪華になっていかない?』
『そりゃあね。9歳の時は9年分の感謝、10歳の時は10年分の感謝だから。ほらあれよ、ゲームの『〇周年記念!』が年々豪華になっていくのと同じ原理。……あれって実際100周年とか迎えたらどうするのかしらね? ログインボーナスだけでもえげつない物貰えそうじゃない?』
『うーん、なんか急に俗っぽい会話になってしまった。話の温度差が凄すぎて風邪ひきそうだよ』
しんみりした会話から突然のゲームトーク、これには流石に俺も対応しきれなかったようだ。まあボケる要素を提供してしまったのは俺なのだが……。
だとしても、あのシリアスな会話の後に間髪入れずゲームの周年記念の話をされても反応がしづらい。つい、ビシッとツッコミを入れていいのかも迷ってしまう。
故に、俺はさりげなーく弱めのツッコミをする程度に留めておくのだった。まあ8歳でここまで気配りが出来れば上出来だろう。
……と、そんな訳で開始早々脱線した誕生日祝いだったが。これで話も一段落付き、ようやく軌道修正。
ここで姉さんは思い出したかのように誕生日プレゼントを取り出した。
『……まあ、そういう訳だから。今日は遠慮なく盛大に祝われなさいな。という訳で、なんと今年は姉さんから誕生日プレゼントがありまーす!』
『おお! 今年からはついに!』
『そう、ついにです! ようやく生活もちょっと落ち着いてきたからね、今年はやっと用意出来たのよ』
『へえ……。って、落ち着いてきたってことは、何か新しいこと始めたの?』
『え!? あ、うん、まあ……』
『姉さん?』
『……』
『……』
俺の質問に対し、気まずそうに姉さんは目を逸らす。
……なんだ、この人何始めたんだ。もしかしてなんかヤバいことなのか?
『え? 大丈夫……だよね? なんか警察沙汰になるようなこととかしてないよね?』
『さ、流石にそれは大丈夫よ! ……それよりもほら、今はプレゼントの方に注目しなさいな!』
『この前置きの後だと素直に喜びにくいんだけど……』
あはは、と微妙な苦笑を浮かべながらずいずいっとプレゼントを押し付ける姉さん。そんな様子に俺は何か気まずいものを何かを感じながらも、とりあえずはプレゼント受け取った。
そしてそのちょっと豪華な包装を剥がしていった先にあったのは――、
『……これ、電話?』
『そう! 記念すべき初めての誕生日プレゼントは携帯電話でした!』
綺麗な青色をした結構古い型のガラケーだった。
『なんで電話? いや、まあ嬉しくないって訳じゃないけど』
『なんでって、そんなの決まってるでしょう? いつでも晴馬と話ができるようにする為よ。ほら、姉さん時々帰りが遅くなったりすることがあるでしょ? だからその為にね。それに、それがあればいつでも助けも呼べるし』
『……っ。出来れば、そんな情けない使い方はしなくたいけどね……』
『はいそこ、意地張らない。……今後はちゃんと何かあったら、それで姉さんを呼ぶのよ? 分かった? アンダスタン?』
『……ん、分かった。あ、それとありがとう。これ、大事にするよ』
『うむ、よろしい!』
俺の返答に対し、パッと明るい笑顔を嬉しそうに浮かべる姉さん。
こうして、ささやかながらも俺は初めての誕生日プレゼント……つまり、今もなお使い続けている携帯を姉さんから受け取ったのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
さて、という訳で誕生日の一番の要と言える『プレゼント譲渡』は無事に終わった訳だが……。だからといって誕生日が終わる訳ではない。
つまりどういうことかと言うと……、
『……さて、それじゃあそろそろご飯時になって来た訳ですけども。今日の晩御飯は晴馬の好きなおうどんにしよっか。それも姉さんお手製のね!』
『! マジで!?』
先程までとは一転、パッと表情が明るくなる俺。まあそりゃそうだ、この頃の俺にとってもうどんは大好物……いや、大好物を超えて超大好物。しかも姉さんお手製の物となればそれはも格別とかそんな領域ではないのである。
『やった! え、じゃあさじゃあさ! 今日は鍋焼きうどんにしよう! 肉うどんは此間食べたしさ!』
『はいはい、そんなに焦らなくてもちゃんと作るから。よし、それじゃあ今日はお望み通り鍋焼きを……って、あちゃ。しまった、うどん切らしてた。ごめん、ちょっと買ってくるね』
『分かった。あ、僕どうする?』
『晴馬は留守番してて。今日は特に暑いからまた体調崩すといけないしね。……あ、そうだ。だからって何か余計なことはしなくていいからね? 姉さん、こないだみたいに帰ってきて早々卵大掃除は流石に嫌よ?』
『――ッ! いや! あ、あれはちょっと失敗しただけで……』
『ちょっと、ね……。その割には見事に卵1パック全部割っちゃってたけど?』
『……うう』
あまり思い出したくない出来事を掘り返されて縮こまる俺。
そう、それは約1週間前の事だ。その時も姉さんは買い物に出ており、俺は留守番をしていた。そんななか俺はふと『姉さんが帰って来たときに料理が出来ていたら物凄く楽になるのでは!?』と思い付いてしまったのである。
てな訳で幼き俺は姉さんの見様見真似で料理を作ろうとしたのだが……まあ、それが酷い有様だった。野菜は大きさバラバラの形ゴロゴロ、肉や魚も焼き加減を間違えまくって炭を量産し、あげくの果てに卵が見事に1パック全部床に落とす始末。
そんな状況の所に姉さんは帰って来たのだから……まあ、そりゃ楽になるはずもない。いや、寧ろ仕事が増えたくらいだった。
『……とにかく、特に何かしようとはしなくていいから。晴馬はそもそも料理上手じゃないんだし。ちゃんと大人しくしててくれることが、一番のお手伝いだからね』
『はーい……』
『うん。それじゃ、姉さんはうどん買ってくるから』
『いってらっしゃーい』
てな訳で、姉さんを見送り俺は家に一人で留守番開始。
……しかし、特に荷物が届いたり、来客が訪れたりすることもない留守番というのはなんとも暇でしょうがないものだった。夏休みの宿題も姉さんに言われ7月中に終わらせており、割とギリギリの生活をしている我が家にテレビなんてものも置いてはいない。つまりこの暇を潰す方法がないのである。
それでも、最初の方は読み尽くした漫画を再度読むなりで時間を潰していた俺だったのだが……8歳の忍耐力はそう強くはなかった。
『……ダメだ! やっぱりなんかしよう!』
結果、耐え切れずに『するな』と言われた手伝いをし始めてしまうのだった。
……一応少しでもフォローをするのなら、こういう風な思考になってしまうのにはまあ、理由があると言えばある。それは先ほども言ったように、この頃の俺は姉さんに対し強い負い目を感じていた、ということだ。
自分は姉さんの足手纏いでしかない、とまではいかなくとも、確実に姉さんの足手纏いになってしまっていることは確か。故に何かをする時間があるのに、何もしないでただ怠惰を貪っている……というのはどうにも我慢出来なかったのである。だから俺は何か自分に出来ることをして、少しでも姉さんの負担を減らしたいと思ったのだった。
……それが、余計に手間を増やすだけだということには、一度の失敗を経てもなお俺は気付くことが出来なかったのだが。
『大丈夫、要するに自分の領分を越えないようにすればいいだけの話じゃないか。こないだは料理、なんて無茶をしようとしたから失敗したんだよ。つまりもっと簡単な手伝いにすれば何の問題はない!』
そんな独り言を言って自分を正当化する幼い俺。
まあ確かにその理論は正しくとも、なら幼い頃の俺に果たして『自分の領分』をしっかり把握出来ていたのか? と言われれば答えは『NO』としか言えないだろう。
だが、無知という傲慢に満ちた幼い俺は、そんなことに気付くことさえ出来なかったのである。自分ならこれくらいなら出来るだろうと、思い上がった考えをもってしまっていたのだった。
『さて、それじゃあ何しようかな……。って、ダメだなぁ姉さん。キッチンちゃんと片づけてないじゃないか』
まず一番最初に俺が向かったキッチンで早速問題発見。
確かに俺の言う通り、キッチンは昼の料理跡のまま片付けも掃除もされていない状態だった。多分、姉さん的には後でまとめて片づけるつもりだったのだろう。
『……よし、決めた。ならこれは僕が片づけてあげようじゃないか。流石に片付けくらいなら僕にも出来るしね』
だが、もちろんそんなものを今の俺が発見すれば、そこに手を付けないはずはない。てな訳で、俺は足りない高さを補う土台を持ってきて、早速キッチンの掃除を開始。……いや、開始してしまった。
『箸とフライパンは流しに入れて……それから調味料はこっちの棚に……。っと、割と油汚れもあるな。これもちゃんと拭いて行こうか』
まあ、一応横で姉さんが料理を作っているのを普段見ているだけあって、どうやって片づけるのはくらいは理解しているようである。
現に現状はまだ特に大きな間違いをすることはなく、まあ片付けもそれなりには出来ている様子だった。
『で、これはこっちにしまって……。よし、綺麗になった! これなら結構キッチンも使いやすくなったでしょ!』
そのまま片付けは何事もなく完了。結果、それなりにキッチンは綺麗になった。
……と、ここで大人しく終わりにしておけば良かったものを。俺は無事に片付けを完了させたことで、少し調子に乗ってしまう。
それで終わりにしておけば『手伝いをした』で終われたのに。
『ほら、僕だってちょっと気を付ければ別に何にも出来ない訳じゃないんですよ。さて、それじゃあもう少し何かを……。……』
さて、良い気になってしまった俺が次に目を付けたのは……すぐ近くにあるガスコンロ。そういえば確かこれは……。
『こないだ、姉さん片方のガスコンロが動かなくなったって言ってたっけ。……でも、真実はどうだろう? もしかしたらこないだはちょっと調子が悪かっただけかもしれないよ、ワトソン君』
よく知りもしないくせにホームズの真似なんてしながら、ふむふむと探偵のようにコンロを調べる(ふり)をする俺。
そして少し眺めた後、ニヤッと笑いコンロに手を伸ばす。
『つまりだね、僕が導き出した答えは『ただ単に回し方が良くなかっただけ』説さ。要するに、もうちょっとちゃんと回しさえすれば……きっとこれも着くと思うんだよね』
ただ火が付く確かめるだけ。何かをしたりする訳ではない。
ただ確かめるだけだから問題はない。そんな愚かしく、浅しい思考で俺は余計なことをしてしまう。
そして、少しだけ悩んだ後、好奇心と褒められたいという気持ちに負けた俺は……それを実行してしまった。
結果――、
『おうわ!?』
皮肉なことに推理は的中。
壊れてしまったと思われていたガスコンロは元気に火を吹き上げる。特に今回は加減が分かっていないが為に、一気に最大までつまみを回してしまったのでなおさらだ。まあ、これは前に魚や肉を炭にしまくった時点で、なんとなく察せることだったのだが。
『びっくりした……。なんだ、火着くじゃん。ほら、僕の思った通りだった。……でも、これは姉さんも喜ぶんじゃないかな。これでまた2個とも使えるんだから料理も便利に――』
と、その時。
ついに酷い思い上がりを抱える俺に罰が下る。
……着火するの確認したらすぐに火を消せば良かったのに、俺はしばし満足そうに火を眺めしまいそうはしなかった。結果、さっきの片付けで捨て忘れた『ある物』に火が移ってしまう。それは――、
『――って! やば! さっきのキッチンペーパー捨て忘れてた!』
そう、先ほど油汚れを拭き取ったキッチンペーパーだ。
俺はそれをコンロの近くに置きっぱなしにするという、本来あり得ない愚行を犯してしまったのである。
結果、最大レベルで放出される火は当然のようにキッチンペーパーへと燃え移る。まあ油を吸った紙なのだからそりゃ当たり前のことだろう。
『――ッ! い、いやまだ大丈夫。さっさとこれを消せば――!』
だが、まだ被害は小さい。
火が燃え移ったとはいえ、それはまだ小さなキッチンペーパー一枚にだ。なら、まだそれをすぐに消火すれば良いだけのことだろう。
……しかしだ。では果たして『火が燃え移る』なんて不測の事態のなか、動揺した8歳児がそんな冷静な判断を出来るだろうか? 例え出来たとして、そのまま落ち着いて行動なんて出来るだろうか?
それは人によって違うかもしれないが――俺の場合、答えは……NOだ。
『とりあえずみ――ずっ!?』
一刻も早く消火しようと、慌てて俺は流しに手を伸ばす……のだが、慌てたせいで自分が土台の上に立っていることを忘れてしまっていた。結果、何もないところに足を延ばした俺は見事に転倒。おまけに運動能力もないので受け身なども取れる訳なく。何かをに掴まろうと手を伸ばしても少し手が触れただけで、結局ビターンと良い音を立ててそのまま床に倒れてしまった。
『痛ってぇ……! そうだ、今台に乗ってるんだった……ってそうじゃない! それよりも水――ッ!?』
それでも俺は走る痛みを抑え込んで、すぐさま再び流しを見上げる。だが、そこには先ほどまでとはまったく違う光景があった。
なんと、ついさっきまではまだ小さな火でしかなかったはずなのに、見上げたその時にはその火は比べ物にならないくらいに大きくなっていたのだ。
突然の火の成長に再び驚き、動揺する俺だったが……その割には答えはすぐに理解出来た。それは――
『あ、油……!』
火の中に見えるのはキャップが外れたサラダ油。そんなものが火の中に突っ込んだのだとすれば……それはまさに文字通り『火に油を注ぐ』である。
そして、どうしてそんなことになったのかもすぐに分かってしまった。そう、さっき倒れた時に掴もうとして結局触れただけで終わった何か、それは調味料を置いていた棚だったのだ。
『そうか、倒れた勢いでキャップが!』
その通り、そしてそのままサラダ油は無慈悲に火の中にダイブしていき……。大炎上という訳である。
……と、原理はやけに冷静に理解出来た俺だったが。だからといってどうしようもない。
『あ、ああ……! ――ッ!? 痛っ!?』
火が……いや炎が大きくなるのに比例して、同時に大きくなっていく『恐怖』と『動揺』の感情。それでも俺はまだ何かしようと思えていたのだが、その最後の心も針を刺されたかのような鋭い痛みが打ち砕く。
その痛みが何なのか、それはもうこの場では一つしかなかった。
……それは圧倒的な熱、燃え上がる炎の容赦ない灼熱だ。それはもはや『熱い』を通り越して『痛い』になっており、しかもその強さが今までに味わった痛みとは比べ物にならないくらい強い。
結果――、
『ひっ……』
俺は、恐怖心に負けて立てなくなってしまった。
それでも炎の勢いが弱くなることはない。寧ろ、怯える俺を嘲笑うかのように炎の勢いは増していく。
『姉……さん……』
俺の愚行から生まれた炎は、その愚かさに報いるかのように。
容赦なくその勢いを増しながら、目に映る全てを燃やし始めていった。
【後書き雑談トピックス】
幼少ハルマと秋葉姉さんがどういう生活をしているのか補足すると、二人は……というより秋葉姉さんは両親を失ってもハルマと暮らすのに施設に入ることを嫌がったため、今まで住んでいた家にそのまま二人で暮らしています。
ですが、もちろんそんな生活でまともに生活費が稼げるはずもなく、秋葉姉さんは14歳でありながら年齢を誤魔化してアルバイトをしているのでした。ちなみに電話渡した時の気まずそうな様子の正体はこれ。
なお二人の両親がなくなったのはハルマの物心が着く前、つまりは遅く見積もっても5年ほど前であるのは確実です。つまり秋葉姉さんはその頃はまだ9歳。
確かに親の残したお金などがあったとはいえ、まだ小さな弟を支えながら10歳にも満たない子供がほとんど一人で生活とは……一体秋葉姉さんはどれほどの苦労をしてきたのでしょうかね。
(一応言っておくと、流石に18禁的な領域には足を踏み入れてはいないので)
そしてまあ言うまでもないですが、秋葉姉さんが異常に大人びているのは明らかにこういう過去が原因です。別に毎日に辛さを感じていた訳ではないけど、多分年相応の笑顔とか振る舞いは両親を失ってからは一度も出来なかったんじゃないでしょうか。ちなみにアルバイトの年齢詐称がバレなかったのは、この雰囲気が原因の一つだったり。
次回 第103話「そして絶望に『夢』と名付けた」
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