第99話 嫉妬の色

 ――何かが弾けた感覚が、身体中を駆け抜ける。


 歩むごとにしっかりと足跡を残していくかのように、醜悪に意地悪くその感覚は全身に己が痕跡を植え付けていく。まるで『既にこの身体の全ては支配した』とでも言っているかのように。

 ……それは【嫉妬】の欠片を手に入れたあの日以来、一度も感じることはなかった感覚。それはあの男、ギルガメッシュという存在をこの心に強く刻み込んだ感覚。


 13年ぶりにその身を駆け巡ることになった、『痛み』という感覚だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「が……あぐあっ――!!! ……ぐっ!」


 傷口を抑えながら、よろよろと距離を取る牛老角。

 その傷はそこまで深いものではなかったのだが、それでも牛老角には十分効いたようだった。その証拠に、彼の顔には分かりやすく苦悶の表情が浮かんでいる。


「……よし! やっと、やっと上手くいった!」


 そしてそんな牛老角の様子を見てハルマは内心ガッツポーズ。まあ、こうなるだろうと確信は出来ていたのだが……なにせ牛老角はここまでその確信をことごとく覆してきた。故にどうしても最後まで一抹の不安があったのだ。

 しかし、今回はようやくその不安も杞憂に終わり、やっとこちらの思惑通りに事が進めることが出来た。


【嫉妬】の欠片によって一切こちらの攻撃を受けつけなかった牛老角。だが、その彼も今はハルマの策に屈し、13年ぶりにその身に傷を負うこととなる。


「まさか……本当に当たるとは。ハルマ、一体これはどういう原理なんだい? 僕には攻撃を当てた今なお、いまいちピンと来ないのだけど……」


「ああ、それはちゃんと今から説明するよ。……と、ちょうどいいタイミングに」


「ハルマ! これ、どういうことなの!?」


 まさにベストタイミング、という時にホムラ達もハルマとソメイの元に合流。もちろん彼女たちも現状が把握出来ていないので、この状況には困惑している様子だった。まあ、ついさっきまで当たらなかった攻撃がよく分からない指示でいきなり当たったのだから、困惑するのも無理はないのだが。


「よし、これでみんな揃ったかな?」


「はい。ホムラさんに、ジバ公さんに、エンキドゥさん、エリシュさんに、私。ここにソメイさんとハルマくんが居るので、これで全員揃っています。……それでハルマくん、これは一体……?」


「分かってるよ。それじゃあ、アイツの権能について……答え合わせをしようか」


 そしてハルマは困惑する仲間達を前に少し自慢げな表情を浮かべながら、この謎の答え合わせを始める。


「……つまりはこういうことだ。牛老角の持つ【嫉妬】の欠片が齎す力、それは100%回避だっただろ?」


「そうですね」


 まあ、それはもう今更確認するまでもないことなのだが。実際、ここまでにこの力は嫌というほどに見せつけられてきた。

 当たるはず攻撃さえことごとく回避され、物理も魔術も一切届かない詰み状態。そんな状態でずっと戦っていたからこそ、今回ハルマ達は今まで一番くらいの苦戦を強いられたのである。


「で、この100%回避なんだが……これ、そのまま聞くとメチャクチャ便利に聞こえるけどさ。実は一つ、とんでもない欠点があるんだよ。で、今回はそれをついたってわけ」


「……欠点でございますか?」


「ああ、そうさ。……この100%回避は確かに強力だ。だけどな、それは同時に『絶対に避けてしまう』ってことでもあるんだよ」


「……え?」


 当たり前のことを改めて言い直しただけのハルマの説明に、ホムラたちは揃って首を傾げる。そんななか唯一エンキドゥだけは少し考えこんだ後、パッと納得したような表情になった。


「……なるほど、そういうことか。だから牛老角は『雨』で撤退したのに、『水』はなんともなかったんだね」


「はい、そういうことだと思います」


「え、ちょっと待って。エンキドゥさんは分かったのかもしれないけど、私達はまだだ何がなんだか全然分からないわ。その、もうちょっと具体的に説明してくれない?」


「あ、ごめん。まあ、つまり分かりやすく言うと『避けなくていい攻撃まで避けちゃう』っていう欠点があるのさ」


『回避しなくても良いものまで避けてしまう』、その欠点にハルマが思い至ったのには確かに明確な根拠があった。

 その一つが、牛老角がハルマの攻撃をも避けていたことにある。

 だってそうだろう。『最弱』のハルマが放つ傷一つつかないような、文字通り『痛くも痒くもない』攻撃を逐一しっかりと避けるのは少し不自然だ。

 確かに他の人が放つ攻撃には確かなダメージがあるので、避けるのはなんらおかしなことではないだろう。しかし、ハルマのような弱すぎる攻撃になると、寧ろわざわざ避ける方が都合が悪いはずだ。なのに、牛老角は全てしっかりとハルマの攻撃まで回避していた。


「だから思ったんだ。多分、牛老角は【嫉妬】の権能の対象を選べないんだって。……なあ、そうだろ牛老角? だからお前はさっき俺にトドメが刺せそうだったのに、わざわざ距離を取った……いや、取っちまったんだよな?」


「……ああ、その通りだ」


 ニヤリと笑いながら放った確認に、牛老角は憎たらしいものを見るかのような視線で睨みながら静かに返す。

 未だ牛老角は距離を詰めることはなく、その傷口を抑えながら忌々し気にハルマの説明を少し離れた場所から聞いていた。


「と、ご本人も言う通りそういう訳だ。……で、ここから本題に入るんだけど。じゃあ、どうして牛老角にとって『雨』は弱点なのに『水』は弱点じゃないのか。……分かる?」


「流石にここまで言われればな。つまり、牛老角『水』自体が苦手な訳ではなく、『雨』という……なんだ、形が弱点だったってことだろ? 要するに『絶対に避けてしまう』力を使ってるのに、『絶対に避けきれない』ものが降ってきたから」


「そういうことだ。ご名答、ジバ公」


 そう、つまりはそういうこと。

 牛老角の【嫉妬】の欠片の真の弱点は『水』ではなく、『回避しきれないほど無数にあるもの』なのだ。

 そういったものを前にしたとき、牛老角のなかでは『絶対に避けきれないもの』を『絶対に避ける』という矛盾が発生する。その【権能】は結果どうなるか、その答えは『矛盾を処理しきれず権能が機能しなくなる』だ。

 だから前回牛老角は雨で撤退し、今回も意図的に降らせた霧雨によってソメイの攻撃を受けたのである。


 それはなんとも皮肉な弱点と言えるだろう。

 だって『強すぎる』ことが弱点になっている、というのは前回の戦闘で牛老角がエンキドゥに言い放ったばかりの言葉だ。それがまさかこのタイミングで自分に戻ってきてしまったのだから……彼のなかで渦巻いているであろう苦々しい気持ちは容易に察しが付く。


 ……だが、それでもハルマは一切手を緩めることはしなかった。


「さて、まあそういう訳だ牛老角。一応言っておくと、ホムラ達がこっちに合流してもこの霧雨はしばらく続けられる、つまりお前はもう【権能】は使えない。……それでもまだ続けるか?」


 遠まわしに降参を促すハルマ。

 実際、先ほどまでと違い牛老角にはもう絶対に勝てる根拠はない。それどころか、【権能】に頼り切っていたせいで『痛み』や『避けること』が苦手になっている分、避けることが出来なくなった彼は相当不利な状態だった。

 だからこそ、ハルマは一応まずは口で説得してみることにしたのだが……。


 牛老角がそれを受け入れることはなかった。


「……ふっ、ふはは。図に乗るなよ、アメミヤ・ハルマ。確かに【権能】はなくなったが、だからとって戦えなくなった訳ではない。それなのにどうしてここで諦める必要がある?」


「……」


「私が負ける? ……あり得ない、それはあり得ないのだよ。7年、7年もの間私はずっと鍛錬し続けたのだ。それでもまだ私はあの男に届くことはなかった。だが、それでも……」


「――っ!!!」


「私が負けるのは、貴様らなどにではない――!!!」


 瞬間、怒号と共に一気に距離を詰める牛老角。

 凄まじいまでの感情が込められた表情のまま、牛老角に振るう大剣は真っすぐとハルマに――


「おっと」


「――き、貴様!」


 当たらない。

 その大剣は、エンキドゥが繰り出した風の剣によって難なく抑え込まれた。


「申し訳ないが、戦うのなら相手は私にしてもらおうかな。……ぜひ、リベンジマッチをしたいと思っていてね」


「リベンジマッチ……だと? ふざけたことを!!!」


 と、そうは言いつつも牛老角はターゲットをエンキドゥに変更。

 その屈強な肉体にピッタリの強烈な攻撃を惜しみなくエンキドゥに向けてはなっていく。しかし、もちろんエンキドゥもそのままやられはしない。

 器用に風にまたがりながら、その大岩すら簡単に叩き潰す一撃をひらひらと回避し続けて見せた。


「ちっ――! ちょこまかと!!!」


「攻撃を避けられることに対する怒りを君が叫ぶのはどうかと思うけどね。……それと熱くなり過ぎだ、牛老角。攻撃はもう少し冷静に狙わなくちゃ。そのままでは絶対に私には当たらないよ?」


「黙れ――!!!」


 エンキドゥのアドバイスを受け入れることもなく、牛老角は怒りと――焦りに身を任せたまま攻撃を繰り返す。

 それは確かに一撃一撃が当たれば致命傷レベルの一撃だったが……それでも的確な狙いが付いていないのであれば、それは大した脅威ではない。実際まさに先ほどまでの彼のように攻撃が当たらないのだから。


「くっ――! ぬあああああああああああああああああ――!!!


「……それなら、そろそろこの長い戦いも終わりにしようか」


「おのれ、おのれ、おのれ――!!!」


「確かに私の攻撃は一発一発が強すぎる。だけどね?」


「――!!!」



「一撃で決めたいときには、まさにもってこいの力なのさ――!!!」



「ぐっ、ぬおあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 目にも留まらぬ速度で放たれた風撃を、回避慣れしていない牛老角が避けられるはずもなく。結果、牛老角は弾丸のように凄まじい勢いで吹っ飛ばされ、全身を嫌というほど大木に叩きつけられることになった。


 ――その一撃はまさに嵐。

 森の王が放った嵐の一撃は例え他の王より弱くとも、確かな威厳と迫力をもっていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「……すげえ」


 さて、そんな牛老角とエンキドゥの一騎打ちをハルマ達はただ見ていることしか出来なかった。

 もちろん、手助け出来るのならしたのだが。彼女たちの戦いにそんな余地はなく、結果ずっと驚きながら眺めていることしか出来なかったのだ。

 まあ、例え余地があったとしてもハルマには何も出来ないだろうが。


「エンキドゥさん……やっぱ凄く強いんだな」


「……そうですね。でも、覇王や聖王より弱いというのも確かなことでございますよ?」


「マジか。……マジでどうなってんだよ、異世界ってやつは」


 あれでなお弱い方、という異常さ。

 ハルマからすればやはり信じがたい事実である。


「……で? 今度こそ勝った、でいいのかな? 牛老角、まだ気絶してないけど……」


「どう……だろうか」


 未だ慎重な顔つきは緩めず警戒を続ける面々。

 そんななか、エンキドゥは特に恐れることもなく吹き飛ばした牛老角の元へ、歩み寄っていく。


「エンキドゥさん!?」


「大丈夫。アメミヤ君はそこで見ていなさい」


「いや……でも」


「大丈夫だから」


「……」


 根拠はない。

 だが、その一言に込められたエンキドゥの強い思いに、ハルマは言い返すことは出来なかった。故に、ハルマ達はその場でエンキドゥ達を見守り続けるしかない。


 さて、ゆっくりと牛老角の元へと歩いていったエンキドゥは、特に何事もなく牛老角の元へと辿り着いた。

 その時、牛老角は――


「……君」


「……」


「泣いているのかい?」


 泣いていた。

 恥じも誇りも忘れ、彼はその場で小さく泣いていたのだ。

 それはまるで小さな子供のように。


「……分かるか?」


「え?」


「分かるか? 私の気持ちが。7年もの時間を費やし、外法にまで手を出して得たこの『強さ』をよりにもよって『最弱』の少年に打ち砕かれたこの気持ちを」


「……」


「分かっていた。確かにこの程度ではまだあの男には届かないだろう。だが、それはあくまであの男には、だ。他の存在はそうではない。あくまであの男、ギルガメッシュに届かないので、あってその他に届かないという訳ではないのだ。……なのに、なのに……」


 その実は、『最弱』にすら出し抜かれるようなものでしかなかった。

 ギルガメッシュはおろか、自分に傷を付けることも出来ないような少年にすら届かない程度のものだったのだ。


「私の7年は全て無駄だった。狂ったかのように嫉妬を叫び続け、鍛錬に身を堕としたあの日々は結局全部無意味だったのだ。……そんな事実を叩きつけられた気持ちが分かるか?」


「……さあ、分からないね」


「……」


 牛老角の放つ重い一言。

 それにエンキドゥは驚くほどあっさりと返答する。しかもばっさりと容赦なく切り捨てて。


「申し訳ないけど、生憎そういう気持ちは味わったことがないから私には分からない」


「……ふっ、そうか。そうだろうな」


「ああ、そうだとも。……だけどね、きっとそれは君も同じだよ」


「……なに? それはどういう意味だ?」


「そのままさ。だって、君の7年は決して無意味ではなかったからね。……ギルは、ちゃんと君の事を覚えていたんだよ?」


「――なッ!!!」


「……?」


 交わされるエンキドゥと牛老角の話に、ハルマ達は着いて行くことが出来ない。

 だが、それでも構わず二人は会話を続けていく。


「よく言ってたよ、『森に住んでいるモンスターが俺に復讐をしようと、日々鍛錬に励んでいるらしくてな。いつ来るのか実は楽しみにしてるんだ』ってね」


「そんな……そんな馬鹿な!!! あり得ん! あの男が私の事を覚えているなど!!!」


「そんなことはないさ、結構ギルは君を気にかけていたよ。『最初に会った時は全然大した奴ではなかったが、きっと次に会う時は面白い奴になっているだろう』ってね。ちなみにその時、私が『何故?』と聞いたらギルはこうも言ってた、『簡単だ。復讐ほど強い感情はない。ならきっと復讐に身を任せる奴は、いつの日かそうとう面白い奴になるだろう』ってね」


「……!!!」


 エンキドゥの、否ギルガメッシュの言葉に牛老角は驚きを隠せない。


 忘れられていると思っていた、歯牙にもかけられていないと思っていた。

 きっと彼は自分の事なんてなんとも思っていないと、この20年ずっとそう思っていたのに。

 実際は忘れられているどころか、期待されていた。そんなことを知らされて、どうして驚かずにいられようか。


「君に初めて会った時は、君がギルが言っていたモンスターだとすぐには分からなかった。けど、途中から多分そうなんじゃないかなって思ったんだ。これはただの勘だけどね。まあ、実際ちゃんと当たってたみたいで良かったよ」


「……あの男は、ギルガメッシュは本当に私を覚えていたのか? 私を、私などを?」


「しつこいなぁ、本当に本当さ。……『いつか迎え撃たなければならない好敵手』って、いつもギルは言っていたよ」


「――!!!!!」


 その言葉を聞いた瞬間、牛老角はその場に崩れ落ちる。

 しかしそれは悲しみからではない。……それは抑えきれない程の歓喜からだった。


 そう、牛老角は何もギルガメッシュはを倒したかった訳ではなかったのだ。

 ただ自分の存在を刻み付けてやりたい。自分を何事もないかのように打ち負かした彼に、自分は只物ではないと思わせたかっただけなのだ。


 しかし、その願いはもう知らないうちに叶っていた。

 自分が気が付かないうちに、いつの間にか、よりにもよってその相手本人の手によって。


「そうか……そうだったのか。……ふっ、ははははは。まったく、なんともまあ……酷い話だ。それなら、そうと早く言ってくれれば良いものを……」



 武者の瞳から零れる涙。

 そこに映るのは淡くて虚しい【嫉妬】の色。彼から少しづつ零れるかのように、20年経っても色褪せることないその色は、零れる歓喜の涙を嫌というほど輝かせていた。




【後書き雑談トピックス】

 初めて完膚なきまでの敗北を味あわされ、いつか見返してやると叫んだ嫉妬の武者――それが牛老角なのでした。

 ちなみに今回のバビロニア襲撃を魔王から引き受けた理由としては、結局果たせなかった復讐の為の力がどれくらいなもんか、ちょっと試してみたかったからって感じです。



 次回 第100話「そして、これからも」

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