第98話 牛老角
――嫉妬した。
あの輝きに、あの栄光に、あの強さに心の底から嫉妬した。
嫉妬して、嫉妬して、嫉妬して嫉妬して――嫉妬した。
ただただどこまでも純粋に羨み、妬んだ。
きっと、私はあの男を初めて見た日を死ぬまで忘れることはないだろう。
私とその男に特に深い関係がある訳ではなく、あちらからすれば恐らくもう記憶にすらないであろうが、それでも私は一生あの男を忘れることはない。
それは狭い森の中で、世界の一割をも知ることなく『自分が最強だ』などどふざけたことを抜かしていた私に『強さ』とはなんなのかを嫌というほど叩きつけた男。
その名を、先代森王――ギルガメッシュ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
出来る限り的確に彼の事を説明しようとすれば、最終的には間違いなく『彼はまさに王であった』という説明に誰もが行き着くだろう。
それくらいあのギルガメッシュという男は、人の上に立つべき存在だった。
私が初めてギルガメッシュの存在を知ったのは、もう今から20年近くも前の話になる。その頃の私は己が強さを持って自由かつ横暴に振る舞う……言うなれば森の暴君だった。
まだその時には【嫉妬】の欠片は持っていなかったが、それでも私は森に住むモンスター達よりは強かった。故に私はその強さを持って好き放題な生活をすることが出来たのだ。
……そんなあの頃の私はまさに『愚か』という言葉がピッタリの存在だったと言えるだろう。
まあ、今もそう偉そうなことを言えた身ではないのだが。それを考慮してもなお、あの時の私はどうしようもなく酷かった。
確かに私はこの森では最強であったが、そんなのはこの広い広い世界の中の狭い森だけでの話だ。それなのに、私はそんなことにも気付かず『自分が世界で一番強い』なんてとんでもない妄想に浸っていたのである。本当に……なんとまあ傲慢なことか。
……そんな、まさに愚の骨頂と言える存在であった私。
ギルガメッシュはそんな私を、堂々と真正面から叩き壊した存在であった。
× ×
「お前か。ここ最近騒ぎを起こしているモンスターは」
「ん?」
旅人から奪い取った食料を頬張っていた時、後ろからその声は聞こえてきた。
振り返ってみると、そこに居たのは一人の男。珍しい黒い髪をし、どことなく壮大な雰囲気を纏う美形の青年が、こちらをなんとも面倒くさそうな表情で睨んでいた。
「……貴様。何者かは知らんが、この森に土足で上がり込むとは命知らずな奴だな。おまけにそのなっていない口の利き方、余程死に急いでいるとみえる」
「お前は言葉が分からないのか? 質問をしているのだから答えろ、お前が最近騒ぎを起こしているモンスターか」
「……、……ほう」
こちらの話など聞く気もない真っすぐな返答。それを聞いた私は、一種の『驚き』を感じていた。
驚いたのは言葉の内容ではない。その言葉を全く怖気づくこともなく言い放ったその男……ギルガメッシュの態度にだ。
今まで私が出会ってきた相手は、皆こうやって言葉に少しの敵意と殺意を混ぜていれば、すぐに怯んで逃げるなりなんなりとしたというのに。この男は一切怯むことなどなく、それどころか堂々と自らの言葉を続けてみせたのである。
「――ふっ」
その、恐れを知らぬ堂々とした態度に面白味を感じた私。
故にその頃の私は、相手の力量を図ることも出来ない愚か者でありながら、愉悦に呑まれこんな返答をしていた。
「ああ、そうだとも。それで? それを知って貴様は何をする? まさかこの私を倒す、などと訳の分からない夢物語を語るのではあるまいな? もしそのつもりだというのなら、それは余りにも愚かすぎる。少しは身の程を弁えろよ、人間」
挑発と嘲りをたっぷりと混ぜた返答。相手が相手ならその瞬間に戦闘が始まってもおかしくはない、侮蔑に満ちた返答を私はギルガメッシュに投げつけたのだ。
まあ、まだギルガメッシュは『お前を倒す』などとは一言も言ってはいなかったが、それでもその為にここに来たのであろうことくらいは流石に私にも見抜ける。
故に愚かな私は、こうやって相手の怒りを買うような返答をわざわざ返してしまったのだが……それに対して返ってきた言葉は、私の予想の斜め上をいくものだった。
「阿呆が、どうして俺がわざわざお前を倒さなくてはいけないんだ。お前の命なんぞ取ったところで俺の価値が下がるだけだろが、まったく馬鹿馬鹿しい……。少しは身の程を弁えろよ、モンスター」
「……」
返ってきた言葉があまり予想外過ぎて、私はすぐに返事が出来なかった。
確かに、期待通り『怒り』が込められてはいる。だがそれは決して私が予想していたものではなかった。私が予想していたのは私の侮辱に対し敵意や殺意を覚える怒りであって、間違ってもこちらに呆れや憐みを覚えさせる怒りではない。
「ほう……。貴様、やはり……」
「……」
さて、そんな予想外の返答を返された過去の私がどうしたかは、もうすぐに分かることだろう。
答えは簡単だ。それは、
「相当死に急いでいるようだな!!!」
怒りに身を任せた突貫。許しがたい発言を放った彼を殺すべく、私は怒りのままにギルガメッシュに襲い掛かっていた。
……相手がどんな人間なのかも理解出来ないままに。
「はっ。何が死に急いでいるだ」
「何……?」
「それは……お前の方だろうが!」
「――!?!?!?!?!?!」
一振り。
たったそれだけのことで、戦いは始まりそして終わった。
もちろんその頃の私が、今何が起きたのかなんて理解出来るはずもない。何故なら私からすれば襲い掛かっていたはずなのに、気が付いたら地面に横たわっていたのだから。
「な、にが……? 一体……どうして……」
「分からないのか? まったく、随分とデカい口を叩いて割りに、実力はさほど大したことないな」
「なッ……!」
「せっかくだ、お前の後学のために教えてやろう。今、俺がお前にしたのはただの斬撃だ。一発軽くお前を斬った、ただそれだけのことに過ぎない」
「……、……!!!」
わざわざ教えてもらい私はようやく気付く。自分の身体を横断する一直線の切り傷に。
そしてそれを認識した瞬間、その痛みがようやく身体に流れ始めた。
「ぐ、あああああああああああああああああ!?!?!?!? あ、があああ……! あ、ぐうううううあああああ!!!!!」
「……その程度の傷でうるさい奴だ、どうやら余程傷慣れしてないみたいだな。なに、安心しろ。そんなの致命傷でもなんでもない傷だ、数週間すればすぐに治る」
「ああああああ……。ぐ、ああああああ……」
痛みが、圧倒的な痛みが全身を支配する。
実際それはギルガメッシュの言う通り大した傷ではなかったのだが、今まで自分より強い者と戦ったことのなかった私にとっては、それは今までで一番大きな傷だった。
故に走る痛みも今まで一番大きく、私はその時初めて激痛というものを知った。
――あり得ない、あり得ない、あり得ない! これが、これが大したことがない傷だと!? そんなことがあるはずがない!!! これは、どう考えても……!
痛みに慣れていない私に初めての激痛は余りにも辛かった。結果、私は立ち上がることも出来ず、無様に横たわりながら呻くことしか出来ない。
感じたことのない苦痛が、ただただ身体に広がるのを必死に堪えながら。
「まあ、これに懲りたらこれからはしばらくは大人しくするんだな。大人しくしていれば傷もすぐに治るし、もう今後傷を負うこともない」
「が、あああああああ……」
「……やれやれ。森に強いモンスターが居るなどと騒ぐから、わざわざ出向いたというのにやはりこの程度だったか。これならば最初からエンキドゥの奴に……」
そして、何かぶつぶつと文句を言いながらギルガメッシュは去っていく。
しかし、それでも私は立ち上がれない。反撃することも一矢報いることでも出来ず、ただその場で痛みに呻いていた。
……そうすることしか出来なかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……」
それから、私がようやく落ち着きを取り戻したのは5時間以上経ってからのことだった。ギルガメッシュが訪れた時には明るかった空も、その頃にはもうすっかりと暗くなっており、暗い暗い闇の中で私は一人蹲る。
「……」
屈辱だった。
どこまでも、ただただ屈辱だった。
誰よりも自分は強いと信じて疑わなかったのに、そんな私をギルガメッシュはあっさりと叩き潰した。しかも、私に対して何かを感じることもなく、どこまでも無関心に。
「……」
言葉は出ない。強すぎる悔しさがそんなものを零す余裕を与えてはくれないのだ。
涙は流れない。圧倒的な屈辱がそれ以上の恥を意地でも拒絶しているのだ。
故に出来ることは一つ。強く強く拳を握りしめ、その感情を抑え込むことのみ。
「……」
そして未だ消え切らぬ痛みを感じながら、巨大な悔しさと屈辱のなか私はこの時決心した。
必ずあの男より強くなり、復讐をしてみせると。
× ×
それから、私は狂ったかのように鍛錬に明け暮れた。
強くなりたい。ただそれだけの望みの為に有り余る時間を全て費やしていった。
強く、強く、ただ強く。
どこまでもどこまでも。
倍強くなったとしてもまだ終わらない。3倍になったとしても止まらない。
あの男よりも、ギルガメッシュよりも強くなるまではどんなに強くなろうと何も変わらないのだから。
故に強く、強く、ただ強く。
それだけを願って、ただ強く。
……そうやって、私は長い長い年月を重ねていった。
1年、まだ足りない。2年、まだまだ足りない。3年、まだまだまだ――
時間は過ぎ去っていく。
4年、5年、6年……。
そして、そうやってただひたすら鍛錬を続けて7年。私はあの頃とは別人のように強くなっていた。
しかし……。
「まだだ……この程度の強さでは……。まだ……!」
それでもまだ足りないことを私は理解していた。
分かるのだ。たった一撃、軽い一振りを受けだけだが、それでもあの男が一体どれほど強いのかは。
故にまだ足りない、まだ届かない。
あの妬ましいまでの強さには――まだ―――
「では、力をお貸ししましょうか?」
そんな頃だった。
その言葉を掛けられたのは。
× ×
狂ったように鍛錬に挑む私に、その言葉を投げかけたのはまだ幼さを感じる外見の少女だった。
銀色の髪に特徴的なとがった耳をした少女は、異様なまでに無感情な声で私にそう言ったのだ。
「……それはどういう意味だ」
「言葉の通りですよ。まさに文字通り、私が貴方に力をお貸しするのです」
「……何故、私に力を貸す。お前の目的はなんだ」
「別に特には。それでも強いて言うなら、貴方からは私と同じ雰囲気を感じたから。とでも言うべきでしょうか」
感情の無い機械のような声で少女は言葉を続ける。
私はそんな彼女に警戒心を緩めることなく、さらに言葉を投げかけた。
「同じ雰囲気……だと? 私とお前がか?」
「はい。貴方からは痛々しいまでの『嫉妬』を感じました。貴方、誰かを妬んでいるのでしょう?」
「……」
「それが私と同じだから、そして今までに見た嫉妬のなかで一番私に近しかったから。身勝手ながら親近感が湧いたんですよ。だから力をお貸ししましょうか、と声を掛けた訳です」
「……貴様、何者だ?」
相手の言葉の意味はよく分からない。しかし、それが嘘でもハッタリでもないことは、話を聞いて入れば雰囲気で分かった。
この少女は、私と同じかそれ以上の『嫉妬』をした者なのだと。
その外見や雰囲気と全く似合わないが、それが事実であることは確かなのだろう。
そんなズレに違和感を覚えた私は、思い切って単刀直入に質問してみた。何者なのか、と。
その質問に対し、少女は――
「あ、そういえばまだ言っていませんでしたね。これは失礼」
「……」
「私は7つの大罪、【嫉妬】の罪。……ただ、それだけの存在です。どうかお見知りおきを」
自らを大罪だと名乗った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それから私がどうしたのかは言うまでもない。
私はその甘言に躊躇うことなく飛びついた。あの凄まじい力を発揮すると名高い【権能】を身に宿すことが出来るのだ、これを受けない手はないだろう。
そして私は約束通り【嫉妬】の欠片を手に入れ、他にはない特別な力を身に宿した。
その時に感じたは圧倒的な歓喜。当然だ、これでこれでようやくあの男に――ギルガメッシュに復讐出来るのだから。
あともう何年もの鍛錬を得た先の話だと思っていた復讐を、7年間切望した復讐を行えるのだから。喜ばないはずがない。
故に私はただひたすら歓喜し続けた。
……だが、結果としてその復讐が叶うことはなかった。
それは【嫉妬】の欠片を得てなお、敗北したからではない。そもそも根本的に復讐が出来なかったのである。
ギルガメッシュは私が7年間鍛錬に励んでいる間に、他の襲撃者によって命を落としていたのだ。
あの時に感じたあの感情はなんというのだろうか。
衝撃と喪失感の入り混じった感情。素直に喜ぶことも嘆くことも出来ない複雑な状態。
ただ一つ言えることがあるとすれば、それは少なくともそれが私の望むものでなかったのは確かだった。
× ×
それから私がどうしたのかというと……特に何もしはしなかった。
もはやギルガメッシュの居なくなった森王国に行く理由はなく、これ以上鍛錬を積詰む必要もない。授かった【嫉妬】の欠片も結局持て余し、私はそれから10年以上虚ろに過ごし続けた。
……そんなある日だった、魔王を名乗る『彼』と出会ったのは。
そこからはもう特に語る必要はないだろう。
その『彼』との出会いの末、一つの依頼を受け今に至る。
そして私は依頼の内容のもと、私はアメミヤ・ハルマ達と戦い彼らを追いつめた……はずだった。
そのはずだったのに。今、私は逆に窮地に立たされている。
7年の鍛錬と、そして授かった【権能】。それらを有していながら私は今、『最弱』であるはずの男に追いつめられかけていた。
あの妬ましいまでに輝く男を追い続けていたはずなのに、『最弱』であるはずの男に――追いつめられていた。
【後書き雑談トピックス】
先代森王国にして、現森王のエンキドゥの夫。ギルガメッシュ。
この名前を聞くとどうしてもあの金ぴかを思い出してしまいますが、全然違うキャラです。ホントに、金色とかまったくないから。
ちなみにですが、牛老角さんは例え【嫉妬】の欠片があったとしてもギルガメッシュには勝てないと思います。多分戦ってる途中で【権能】の弱点を看破されて普通に負ける。
なお、めっちゃ強いみたいな感じで書いてるギルガメッシュさんの強さは、大体オーブ4個分の魔王くらいの強さですね。比較対象としてホムラやエンキドゥが1個、ソメイが1.5個くらいです。ギルつおい。
次回 第99話「嫉妬の色」
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