第96話 再戦、嫉妬の武者
牛老角との交戦、そして撤退から一晩。突如として降り注いだ雨も夜のうちにすっかり止み、空には雲一つない快晴が広がっていた。
普段ならその陽気さと清々しさにご機嫌になって、ピクニックの用意でも始めたくなるものなのだが……今日はそういう訳にもいかなかった。
何故なら、
「うむ、良い天気だ。まさに絶好の交戦日和と言うやつよな」
「そもそも交戦日和、なんて単語初めて聞くんだけど?」
「ん? おっと、これは失礼」
雨が止んだのなら、再び奴がやって来るということだからだ。
事実、ハルマ達の予想通り牛老角はしばらく間を空けたりすることなく、雨が止み夜が明けた途端すぐさま再びやって来た。
そして彼は再び昨日の場所まで舞い戻り、呑気な口調で皮肉を一つ。しかしエンキドゥは特に気を害することなく、それにすんなりと返答してみせる。
「……ふっ」
そんな彼女の態度が彼には面白かったのだろうか。思わず彼は小さな笑みを零し、その表情には呆れたような、はたまた感心したような表情を浮かべていた。
そして、そんな表情のまま再び朗々とハルマ達に語りかける。
「それにしても。昨日あれ程分かりやすく力の差を見せつけられてなお、その微塵も心が折れていない様子は最早流石としか言いようがないな。……それで? 一応聞いておくが、素直に降参するつもりはないのか?」
ニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべながら、牛老角は答えの分かり切った質問を投げかける。それを聞いて、正直ハルマはそんな分かり切った質問には、一々答えるのも馬鹿らしい気もしたのだが……。
この戦いの活を入れる意味合いも込めて、敢えてハルマは堂々と言い返す。
「当ったり前だ! 言っただろ? 最後の最後まで生き足掻くってな!」
「……ふっ、ふはははははは!!! そうか、そうだよなぁ!!! はははははは!!!」
思っていた通りの答えに、思わず爆笑する牛老角。
それは……まさに牛老角からすれば期待通りとも、予想通りとも言える返答だった。故に彼は普段よりもさらに大きな笑い声を上げ、盛大に笑い笑い笑い――
「――なら、やってみるがいい」
一瞬で、その身に戦意と殺意を迸らせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――ッ!!! 来た……! よし、みんな作戦通りに頼むぞ!!!」
「了解!」
身体中を走るような迸る震えが、戦いの始まりの合図だ。
その合図と共にハルマは全員に指示を出す、そしてその指示に従いまず前線に立ったのは――、
「はっ!」
「おっと! ……なるほど、まずは汝か。白昼の騎士」
「その通り。これよりしばらくは僕がお相手仕ろう」
ソメイだ。
ただし昨日の戦いとは違い今回はソメイだけ。要するに前線の維持は彼一人に託された訳である。
「……どういうつもりだ? 昨日はただでさえ数人がかりでも勝てなかったというのに、何故この期に及んで単騎で前線に立つ?」
「さて……その辺りは申し訳ないが、ご自分で考えていただこうか。いくらなんでもベラベラと全部話す訳にはいかないのでね」
「なるほどな、当然のことだ」
ソメイのもっともな言い分。それに牛老角も納得出来たが故に、それ以上語りかけることはしない。
その代わりに、
「っ――!!!」
「――ぐあっ!」
「ならば、汝を振り払ってこの作戦を考えた張本人に、直接伺うとしよう」
その剛腕から、大地を簡単に引き裂く一撃を、ソメイに向けて容赦なく振り下ろした。
× ×
「ソメイさん……本当に一人で大丈夫なのでございましょうか……」
その頃、ハルマの作戦に従って行動していたシャンプー、エリシュ、エンキドゥは前線から離れた場所を走っていた。
しかし、エリシュはどうにも一人前線に残してきたソメイが心配なようである。
何度も心配そうな顔で後ろを振り返るエリシュだったが……。
「心配はいりませんよ、エリシュさん。だってこれはハルマくんが考えた作戦なんですからね。ハルマくんは出来ない事をさせるような人ではありません」
「随分とアメミヤさんを信用なさっているのでございますね。……あ、いや別に私も信用ならないという訳ではございませんが」
シャンプーの絶対的な自身に少し驚くエリシュ。
実際その様子は『絶対に間違いない』とでも言いたげな様子であり、不思議とエリシュもなんとなく大丈夫なような気がしてしまう程だった。
そんな彼女たちの様子にエンキドゥは少し微笑んだ後、すぐに真面目な表情に戻り改めて作戦を振り返る。
「……さて、それでは事前の打ち合わせ通りに。私とエリシュは国民たちに連絡を回し水の準備を。シャンプーちゃんはホムラちゃんの合図を待ちながら、体勢をと整えておくんだよ」
「はい! ――では失礼!」
元気よく返事をした後、シャンプーは一旦離脱。見晴らしのいい場所まで移動し、自らの準備に取り掛かる。
もちろんエリシュとエンキドゥもそのまま走り続けている訳ではなく、国の真ん中まで移動した所で別行動開始だ。
「ではエリシュ。西側は任せたよ」
「はい!」
勢いを止めず二手に分かれる二人。
着実に、準備は整ってきていた。
× ×
「SIN陰流、日本晴れ!!!」
「無意味な――何!?」
「どうだい? 何も攻撃技は攻撃しか出来ない訳ではないんだよ」
「……」
地面に技を打ち込み、大きく牛老角と距離を取ったソメイ。
結果、牛老角の渾身の一撃は見事に空振りすることになり、ソメイには微塵もダメージを入れることは出来なかった。
――……おかしい。
牛老角の脳裏によぎる一つの違和感。
一体何にそう感じたのか。それは初めは彼自身も分からなかったが……、
「ぬっ――!!!」
「――ッ!」
「ちっ――!」
戦いを続けていくことでその答えは自ずと見えてきた。
それは、
――おかしい……。なぜ、なぜ仕留められん。
戦闘が長引くことへの疑問だった。
思えばそれは同然の疑問だ。
だって昨日は数人がかりでもすぐに振り払うことが出来た相手に、今日は一対一でそれ相応の苦戦を強いられている。少なくとも、確実に昨日よりは長いこと戦っていた。
……そんな不自然なことが起これば、おかしく思うのも当然だろう。
――何故。まさかこやつには単騎で挑む方が強くなるような力でもあったのか? いや、それなら昨日の時点で短期決戦を挑まなかった理由が分からん。では、何故?
ソメイと戦いながら、冷静に考えを進めていく牛老角。
昨日より苦戦しているとはいえ、未だに【嫉妬】の欠片は健在だ。故にそれだけの余裕が彼にはあった。
――……ふむ。
身体は戦いに動かしながら、脳内では冷静に状況を分析するという器用なことをやってのける牛老角。
そして、そのまましばし戦いを続けることで、彼は昨日との決定的な違いを見つけ出した。それは――、
――なるほど。こやつ、そもそも勝つつもりがないのか。よくよく見てみれば先程から守りに集中してばかりだ。故に戦闘が長引くのか。
ソメイの戦闘スタイルの変化だ。
実際、昨日のソメイは攻防のバランスが取れた『勝つつもり』の戦いをしていた。しかし、今日の彼の戦いっぷりはほぼほぼ防御することにのみ意識を向けており、攻撃をすることはほとんどない。言うなれば今日の彼は『負けない』ことを意識した戦いをしているのだ。
実際、これは牛老角相手には有効な手段だろう。
確かに牛老角は【嫉妬】の欠片によって常識を凌駕した回避力を持っている。しかしそれはあくまで『回避』、彼には身を守る手段があっても相手を攻撃する手段はなかったのだ。
もちろん、素の実力でもかなり強い牛老角であったが、そういう勝負になるのであればソメイだって負けてはいない。伊達にソメイも『騎士王』などとは呼ばれていないのだ。
つまり、牛老角との戦いにおいては絶対に無駄になる攻撃にリソースを割くことなく、その分を全て防御に割り振ることすれば、案外戦いを続けることは容易なのである。(もちろんそれなりの実力が必要だが)
「これはなんとも言えん気分だ。まさか私が防戦に弱いとはな」
「まったく、僕も初めて言われた時は少し驚きはしたよ。でも、すぐに納得も出来た。確かにハルマの言う通りだとね」
「ふふっ、やはりこの点を見抜いたのは奴だったか」
嬉しいのか悔しいのか、微妙な表情をしながら牛老角はソメイとの交戦を続ける。
しかし、防御に意識を集中させたソメイはそう簡単には崩せない。迫りくる攻撃をソメイは器用に躱し、時に受け流しながら戦場を駆け抜けていた。
「ちっ――! なるほど、攻撃を一々避けられるというのは案外腹が立つものだな! 避けられる側になって初めて理解した!!!」
「なら、その厄介な権能を解いてくれても構わないのだけどね!」
「生憎、それはごめんこうむる」
ニヤリと笑う牛老角。
彼は今、権能の欠片を手にして初めてと言っていい程の苦戦を強いられていた、が……未だにその顔から余裕の笑みが消えることはなかった。
当然だ。だって、どんなに防戦に徹しようと、結局牛老角にとっては面倒なだけで『負けうる』相手になる訳ではない。
今のソメイも体力の限界を待てば、それで勝てる相手でしかないのである。
故に、牛老角から余裕が消えることはなく――
ハルマ達の作戦がここで終わることもない。
「はあっ――!!!」
「……何?」
ソメイの行動に、牛老角は再び疑問を抱く。
なんと先程まではずっと防戦に徹していたソメイが、ここで突然攻撃を仕掛けてきたのだ。しかもそれは牽制の一撃などではなく、しっかりと全力を込めた渾身の一撃である。
もちろん、牛老角は【嫉妬】の欠片によって回避するが……この行動には違和感を感じざるを得ない。
――なんだ、何を企ん――……ッ!!!
再び、思考を切り離し熟考をしようとした……その時。
今度は権能ではなく、彼の本能がその身体を突き動かした。そしてその瞬間、直前まで自分が居た場所に輝かしい光帯が降り注ぐ。
「――! ……ふふっ、そういうことか。アメミヤ・ハルマ」
「……」
その光帯の正体をすぐに理解した牛老角は、不敵な笑みを浮かべながら上を見上げる。そこには、剣を手に取ったハルマが木の上から戦場を見下ろしていた。
「先ほど騎士が放った当たらない攻撃はブラフ、その行動に私が一瞬悩んだ隙に私が避けられないその技を放つのが狙いだったのか」
「……」
「しかし、残念だったな。いくら権能の対象外でも同じ技を二度は喰らわんよ。まあ、喰らったところで何がという話ではあるがな」
「……ふっ、どれはどうかな? 牛老角」
「……何?」
不意打ちを避けられたというのに、一切焦ることもなく平然とした様子のハルマ。
その余裕の表情に、三度牛老角は疑問を抱く。
「お前さ、やっぱいろいろと甘いな。強い力を持ってるから油断してるのかどうか知らないけどさ。……王でもない限りは油断とか慢心はどんなに強くても捨てた方が良いと思うぜ?」
「どういう意味だ」
「簡単なことさ。まず、はっきり言ってお前がエクスカリバーを素で回避することぐらいこっちも考慮済みなんだよ。ていうか正直寧ろ回避してくれない方が面倒だった」
「……なんだと?」
「いいか? 俺達の狙いはエクスカリバーによる目眩ましじゃない。今のエクスカリバーの狙いは『回避慣れしてないお前に素の回避』をさせることだったのさ」
「……、……!!!」
「はっ! 今更気づいても遅い!!!」
ようやくハルマ達の意図に気付き、その場を離脱しようとする牛老角だったが……。まさにその時既に遅し。
牛老角は地面から無数に生えた氷に行く手を阻まれ、その場から動けなくなってしまった。
「く、くそ――!!!」
「どうだ? それはお前に直接向けた攻撃じゃなから回避も意味がないだろ? そして生憎だがそれは簡単には壊れないぜ? なんたってさっきからずっとシャンプーが準備していた特大の氷なんだからな」
「お、おのれ!!!」
完全に嵌められ、悔しさから怒号を上げる牛老角。
その姿を見て、ハルマはようやく安堵の笑みを浮かべていた。
つまり、ハルマ達の作戦を纏めるとこうだ。
まず、前線ではソメイが一人で牛老角を抑える。牛老角は驚異的な回避力を持つが、攻撃面は普通であるが故に、屈指の実力を持つソメイなら十分時間稼ぎ可能だ。
そして、その時間稼ぎの間にシャンプーは氷魔術の準備。すぐに壊されないように入念に整える必要はあるが、氷自体は牛老角に直接当てなければ避けられることはない。
なお、姿が見えなかったホムラが担っていたのは伝令役。ジバ公と連携して情報を集め、『味方陣営のみ気付ける合図』を出すが彼女の役目だ。この『味方陣営のみ気付ける合図』をすることが出来るのは、全ての属性に適性を持つが故に特殊な魔術を行使できるホムラしか居ない。
そして作戦を考えたハルマ本人は、シャンプーの氷を確実に当てる為に牛老角に隙を作るのが役目だ。まずソメイが気を引いている間に手近な木に登り待機、そのままホムラの合図を待っていたという訳である。
なお、この役目をこなすことが出来るのも、牛老角が素で避けるしかない『光』の攻撃を使えてかつ、恐らく彼が回避することが可能であろう技が使える、ハルマにしか出来ないことであった。
……そして最後になったエリシュとエンキドゥの役目こそが、この多大な時間稼ぎと手の込んだ牛老角捕獲の肝である。
二人が行っていたのは国民たちへの呼びかけと、準備の指示。ハルマは国の人達も良く知っている二人こそが、この役に相応しいと判断したのだ。そして、二人が呼びかけて準備してもらっていたものが――、
「喰らえ牛老角! お前の弱点、嫌と言うほど味合わせてやるよ!!!」
「――ッ!!!」
そう、水だ。
前回の反省から判明した彼の弱点である水。国民たちはエリシュとエンキドゥの指示によって、これを準備していたのだ。
そしてハルマの指示によって集められた水は、牛老角に一斉に発射。凄まじい量の水が濁流となって彼を容赦なく押しつぶす。
「よし! 作戦大成功だ!!!」
ここまで全てが思い通りに行くことなんて、なかなかそうはないだろう。
だがそれ故に、そうなったときの爽快感はなんとも言えないものだった。
「流石に……これだけの量の水を掛ければ、牛老角もひとたまりもないだろ」
そのまま流れゆく水を暫し眺めるハルマ達。始めは凄い勢いだった水も、段々と量がなくなるにつれ次第に勢いは弱くなっていく。
そしてそれと同時に水の中に呑まれた牛老角の姿が、再び少しづつ見えてきていた。
「……」
そして全ての水が流れ去った時。
そこには牛老角がピクリとも動かないまま、堂々と仁王立ちしていた。
「あれは……倒したのか?」
死んでしまったかのようにまったく動く様子のない牛老角。まるで時間が止まったかのように彼の周りには、動くものが何一つとしてなかった。
一見、それは討伐に成功したようにも見えるが……。実際にどうなのかはただ上から見下ろすだけでは分からない。
「いや、流石に弱点の水をあれだけ浴びたんだ。流石に牛老角も倒せ――、……!!!」
一瞬安心しようとしたハルマだった……が。突然、一瞬で表情が変わる。そこに浮かんでいたのは驚愕。それは、ある衝撃的な事実に気付いてしまった証拠だ。
確かに牛老角は死んだように動かず、彼の周りでは何一つとして動くものはなかった。故に、それは一見討伐出来たかのようにも見えるだろう。
……だが、冷静に考えればそれはあり得ない話だった。何故なら――
全身ずぶ濡れになったはずの彼の周りで、何一つ動くものがないのはあり得ないからだ。
そんなことは常識的にまずあり得ない。普通頭から水を被れば誰だって濡れ、その身体からは水滴が垂れるはずだから。
……しかし、牛老角にはそれすらもなかった。それはつまり、彼があの量の水を浴びてなお濡れていないということになる。
つまり――、
「……ふふっ。気付いたか、アメミヤ・ハルマ」
「――ッ!!!」
「いやはや、一瞬本気で心の奥底から冷ややかなもの感じたよ。しかしなんだ、どうやら汝らは大変な勘違いをしているようだな。……残念ながら、水は私の弱点ではないぞ」
「そ、そんな……!!!」
「……さて、それでは今度こそ万策尽きたか? ならここからは私のリベンジマッチとさせてもらおうか」
ニヤリと、牛老角は凶悪な笑みを浮かべる。
この瞬間、まさに見事なまでに希望が絶望へと裏返った。
【後書き雑談トピックス】
まあそんな訳で牛老角の弱点は『水』ではありません。
でも、牛老角が『雨』を恐れたのは事実。
さて、一体どういうことでしょうね。
次回 第97話「信じる理由」
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