第84話 英雄の子

「伝承の英雄、レンネルとマキラの血を引く英雄の子! シャンプー・トラムデリカ!!!」


 高らかな声が雪原に響く。……それは、まだどこか幼さの残る可憐な声だった。だが、それでもその声色には確かな『勇気』と『覇気』がある。

 そんなまさに『英雄の声』とでも言うべき言葉を前にして魔王は――


「……ふふっ」


 笑った。

 それは別に嘲った訳でははない、されど諦めた訳でもない。

 シャンプーの声を聞いた瞬間、魔王は僅かに激しく燃える憤怒を忘れ、強者への愉悦が零れ出てしまったのだ。


 壮大にして荘厳なる魔王でも己の感情には抗えない。

 例えどんなに切羽詰まった状況であっても、彼の内側で脈打つ『戦いへの愉悦』は衰えることはないのだ。

 だからこそ、彼は笑う。

 ただ、ただ、ただ、ただ――笑う。


「そうか、シャンプー・トラムデリカか。うむ、ではその名は忘れないようにしておこう」


「忘れないように、とは随分変わった物言いですね。魔王ともあろう方でも100年も経てば流石にボケてしまいましたか?」


「奴の罵倒を聞いた後では皮肉も大して腹立たんな。……別に名前を覚えておこうというのは、忘れてしまうからという意味ではないさ。何故なら、私はほとんどの場合最初から名前を覚えようとはしていないのだからな」


「……どういうことです?」


「何、簡単なことだ。……私は強欲なのさ。強欲であるが故に私は全てを知りたい、全てを理解したい、全てを手に入れたい!!! ……だが、いくら私でも記憶できる量に限界はある。なら、価値のない情報は切り捨てるしかあるまい」


「なるほど……それで名前ですか」


「そういうことだ。私は価値があると思えた者の名前しか覚えんのさ。そして光栄に思うといい、私が名前を覚えるのはお前が……4人目だ」


「……」


 彼の記憶に留まる4人。そこには、確実にあの勇者ユウキも居るのだろう。

 それはまあなんとも……確かに光栄な話だ。

 恐怖に震え10年も戦えなかった怠惰な少女が、まさか伝説の大勇者と同列に語られるとは……。

 まあ、それを言ってしまえばハルマなんてもっと肩身が狭くなるのだが。


「……どうも。そんな方々と同列に見てくれた事には、素直に感謝しておきますよ」


「ふふ。そうだ、それで良い。私の記憶に留まることが出来ることを喜び、歓喜し、震えながら――死ね」


「――ッ」


 笑いながら、演説するように魔王は高らかに語る。

 つい数分前とは打って変わった上機嫌、分かりやすく彼は今を喜び楽しんでいた。


 だが、それと彼の怒りはまた話が別だ。


 魔王は容赦なくどす黒い殺意をこちらに向ける。

 例え愉悦に頬が緩もうと、同時に憤怒に燃える今の彼には先ほどまでの容赦など一切ない。

 どんなに喜び、楽しみ、上機嫌になろうとも――彼は必ずこちらを殺す。

 ならば――


「申し訳ありませんが……その要望には答えられません。私も、アメミヤさん達も、集落の皆も! 誰も殺させはしない!!!」


「良い気概だ。実に面白い。……ならば、少女よ。やってみせろ。この私をこの場から退けてみせろ」


「言われなくとも!!!!!」


 そして少女は、氷炎の拳を振るった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――繋がっていく。

 千切れたものが繋がって、崩れたものが積み重なって、割れたものが重なっていく。

 繋がって、繋がって、繋がっていく。


 そして同時に意識は上へ。

 暗い闇の底から光り輝く上空へ。

 登り、昇り、上り―――


「ああぁぁあああぁああ!!!」


「うわっ!!!」


 意識が戻った瞬間、無意識に飛び出したのは絶叫だ。それが何故かは分からないが、何故か絶叫が口から飛び出した。

 別に何か苦しさを感じた訳でもなく、何処かが痛い訳でもない。

 強いて言うなら命が再び動き出した合図、とでも言うべきか。


 ――だが、そんなことをが他者には伝わるはずもなく。


「……あ、えっと……」


「び、びっくりした!!! 急に大声ださないでよ! もう!!! でも良かった! 大丈夫!? まだどこか痛んだりしない!?」


 結果として、文字通りホムラの腰を抜かさせてしまった。

 だが、その状態でもこちらへの心配も飛んでくる辺りは流石である。


「あー、うん! 身体は大丈夫! そしてごめん! なんかこう、無意識に絶叫が飛び出してさ!!!」


「それはそれで怖いのだけど!? どういう機能なの!?」


「……命の再起動音?」


「豪快すぎない!?」


 そう言われても実際そうだったのだから、どうしようもない。

 ハルマだってもう少し落ち着いたものに出来るのならそうしたいところだ。だが、それが出来る程ハルマは器用でもない。

 故に、今は前向きに考えた結果、これが屁やゲップではなかったことに感謝しておくことにした。


 と、そんな馬鹿な思考をしているうちに、落ち着いてきたハルマの脳は状況の奇妙さを理解する。

 それは、


「あはは……。……ん? あれ? ホムラ、怪我は?」


 重体だったはずのホムラが元気になっていることだ。

 まだ全回復にはほど遠いが、それでも傷は大分良くなっていた。確か、彼女はその複雑な魔術適性ゆえに、癒術が効かないはずだったのだが……。


「え? ああ、これはジバちゃんが治してくれたの。あの子、もしもの時の為にたくさん薬草を持ち歩いていたんだって。で、それのお陰で助かったわけ、薬草なら私の身体にも効果があるから」


「体内に薬草常備したスライムって、某ロマンを愛するスライムかアイツは……。まあ、それやったのホントに最初期だけど。で? その功績者ご本人はいずこへ?」


「今はソメイのところ。彼も結構重傷だったから」


「なるほどね。……、……で、さ……。ちょっとこの話題に触れるの怖いんだけど……」


「ん?」


「えっと、この腕はどういうことなんです?」


 とりあえず謎を一つ解決し、落ち着いたところで本題へ。


 まあ気が付いたその時から気が付いてはいたのだが……。なんだか左側にもうないはずの感覚をハルマはひしひしと感じていた。

 そのあるはずのない感覚に、ハルマは恐る恐る左側を見てみると……。


 やはりそこには、亡くなったはずの左腕が存在していた。


「……あ、ああ、それね……」


「なんか凄い目になってるんだけど。え? 何なの、この腕。なに、どっかから移植してきたの?」


「いや、なんかね……癒術かけたら……それ……」


「……」


「生えてきて……」


「――は?」



 ハエテキテ。



 ――今、ホムラは確かにそう言った。

 ハエテキテ、はえてきて、生えてきて。

 つまりそれは失った腕がまたニョキニョキと再生した……ということである。


「トカゲの尻尾か! え、何!? 癒術ってそんなことまで出来るの!?」


「いや、普通は流石にそこまでは……」


「ですよね!!! ……え、ええ!? 俺の癒術適性ヤバくない!? 腕がまた生えてくるとか正直キモいんだけど!?」


 非常に助かるのは事実なのだが。

 それでも新たに生えてきた腕というのはなんとも不気味だ。なんだかここだけ自分と違う物なような気がしてならない。

 ……勝手に動いたりしないだろうな。


「俺の腕にヒダリー寄生ってか……?」


「ヒダリー?」


「そ、左腕だからヒダリー」


「まんますぎない?」


「それは俺も思う。でも複雑な名前って案外難……、……って! んな馬鹿な事言ってる場合じゃなかった!!! シャンプー! シャンプーを助けに行かないと!!!」


 冷静になり、ようやく一番大事な事を思い出すハルマ。

 彼女を助けるため、すぐさま駆け付けようと立ち上がった彼だったが――


「ストップ」


「へうげっ!?」


 すぐさまホムラに引き止められた。

 結果、冷たい雪に顔面ダイブ。初めての雪は、冷たい『血』の味がした。


「何してんの!? 今はふざけてる場合じゃ――」


「ふざけてる場合じゃないから止めてるの。今、私達が行っても何も出来ない。出来ないどころか足手纏いになること確実だわ。だから、シャンプーさんを助けたいのならここで大人しくしていなさい」


「うぐっ……。で、でも!!!」


「それに――大丈夫だから」


「え?」


「あの人、どうやら相当強かったみたいよ? ほら」


「……、……マジか!!!」


 ホムラの指さす方向へ顔を向けるハルマ。

 そしてその先に見えたものに、彼は心の底から驚きの言葉を零す。



 その視線の先には―――魔王と互角に戦う『英雄の子』の姿があった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ぐっ、ぬうううううううううう!!!!!」


 未知の苦痛に魔王はその顔を歪める。

 熱いとも冷たいともとれる奇妙な感覚、それがシャンプーの攻撃を受け止めた彼の両腕に走っていた。


 ――これはなんと……形容のし難い!!! この私ですら初めて味わう苦痛だ!!!


 それもそのはずだ。

 何故ならこれは本来交わることのない『氷』と『炎』の交わった一撃なのだから。いくら百戦錬磨の魔王でも、そうそうこの苦痛は味わえるものではない。

 ……故に、彼はこの苦痛への対処方法が分からなかった。

 しかもそれは、


 ――おのれ……! 苦痛の味があまりにも未知すぎて、無意識的な治療すら始まらないか!!! 自然治癒すら出来ない傷とは……恐ろしい武器を編み出したものだな!!!


 自然治癒が始まらないのも当然。この氷炎の苦痛は、遥かから積み上げられてきた本能ですら知り得ないものなのだ。



 本能すら混乱させる領域外の苦痛――まさに、これこそが氷炎舞流の真の力である。



「氷炎線牙!!!」


「――くっ!!!」


 流れる風のように雪原を駆け抜けながら、何もない場所に鋭いストレートを放つシャンプー。だが、その行為にはしっかりと意味がある。

 空気を殴る、ただそれだけのことで彼女の技は放たれるのだ。


 拳に押された空気は、与えられた『氷』の冷寒と『炎』の灼熱を均等に保ちながら、まさに『線』となって大気を走る。

 そして、その見えざる一撃は凄まじい速度で対象に叩きつけられ、くらった相手に耐えがたい未知の苦痛を与えるのだ。


 それこそがシャンプーの氷炎舞流、壱の奥義『氷炎線牙』である。


「はっ! やっ! たっ!」


「ぐあっ――!!!」


 シャンプーは次々と軽快に線牙を放っていく。

 魔王もなんとか応戦しようと様々な魔術を撃ち放つのだが……これには、流石の魔王も厳しい戦いを強いられていた。

 彼の圧倒的な強さの半分はその『知識』と『経験』によるものだ。多くの敵と戦い培ってきたそれがあるからこそ、彼は己の力を十二分に発揮できる。

 だが、流石に彼も見たことがないどころか、どんな戦い方に掠りもしない戦闘スタイルまでには対処出来なかったのだ。


「これならどうだ!? シャンプー・トラムデリカ!!!」


「――!」


 解き放たれたのは7属性全てを取り混ぜた混合魔術。

 属性と属性が絡み合いスパークを起こす殺意の塊を、魔王は容赦なくシャンプーに投げつける。

 サイズはドッチボールくらいでしかないが、これが直撃すれば例えシャンプーでも木っ端みじんになるのは確実だろう。

 そんな、凄まじい魔術をシャンプーは――、


「はあああ……やあっ!!!」


「――!?」


 両手で放った線牙によって弾き飛ばした。


 両手を組み、スイングするかのように放たれた氷炎線牙。

 それは今までよりさらに強力な力を纏いつつ、さらに素早い速度でシャンプーから放たれていった。

 そして、それは簡単に魔王の殺意の塊を消し飛ばす。


 ……これには流石の魔王も驚愕せざるを得なかった。


「――ッ!!! つ、強い……!」


「純粋なお褒めの言葉ありがとうございます。でも、まだまだこんな程度でっといった感じですよ?」


「……ふふ、なるほど。まあ私は人のことを言えた身ではないが、どうやらお前も十分化け物のようだな……」


「みたいですね」


 冷ややかに応答するシャンプー。

 そんな彼女に魔王は薄笑みを浮かべつつ、熟考する。

 このままでは勝てない。それを悟った魔王はこの刹那の時間に自らの頭脳をフル回転させた。

 今一番取るべき行動、今一番するべき行い、今一番適した動き。それを考え、考え、考え――結論に至った。


「はっ!!!」


「なっ! しまった!!!」


 魔王は何の躊躇いもなく自らの足元に風の魔術を放つ。

 そんなことをすればもちろん、足下の雪は空気中に吹き上がり――白い壁となった。

 さて、魔王がわざわざそんな白い壁を作った理由、それは何か。

 答えは――


「逃げるですか! 魔王!!!」


 逃走だ。

 この瞬間、魔王は躊躇いなく逃走を選んだ。

 戦っても勝てず、これ以上強くなる方法もない。だが、強さを無視して勝てる方法も思いつかない。

 なら、逃げるしかないだろう。


「しかも風の魔術に火を混ぜて水蒸気まで! ……魔王! 貴方にはプライドもないのですか!!!」


「……プライドならある。だが、それの為に正しい判断を失う程私は愚かではない」


「くっ……!」


「故に私は今日の屈辱は絶対に忘れない。そして同じ失敗も二度としない。今回の戦いでよく分かった。……人間は危険だ、それは転生者に限らない。だから私はこれからは絶対に油断しないし、気を抜きもしない。目に映る人間全てを最大限に警戒するべき対象として扱い、全て確実に殺すことにする」


「――!!!」


「……そのために今回は引こう。もともとの目的だったオーブは手に入れたしな。誇るといい、シャンプー・トラムデリカ。お前は今回の戦いでは魔王に勝った。それは他ならぬ私が認めよう」


「……」


「だが次はない。次にその顔を見た時は――確実に殺す。故に、それまでにせいぜい腕を磨いておくんだな」


 雪の向こうから聞こえて来る声はそれで最後だった。

 その後はしばし静寂が続き、雪が晴れた頃にはもう彼はそこには居ない。

 どうやら本当に逃げ出したようである。


「……これで、誇れとはまた難しいことを。ええ、たっぷりと腕を磨いておきますよ」


 苦笑いしながらもう居ない魔王に一言返答を。

 彼女の中では取り逃がした悔しさはひしひしと込み上げてきていた――が。


「シャンプー! 大丈夫か!?」


「アメミヤさん! はい! 私は大丈夫です!」


 今は純粋に喜んでおくとしよう。

 確かに失ったものは大きいが……同じくらい手に入れたものも大きかった。

 だから、彼女は屈託のない笑顔を浮かべ、ハルマの声掛けに答える。


「えっと、アメミヤさんも腕……え? 生えてる!?」


「あ、えっと、はい。……生えました」


「ど、どういう身体なんですか!?」


「いや、別に何もしないで生えた訳ではないからね!? 癒術、癒術だから!!!」


「それでもですよ!!!」


 雪原に響く少女の声。


 ――それは、10年ぶりに熱く輝く、明るい光に満ちていた。




【次回予告】

 ハル「うーん……。やっぱりこの左腕、違和感半端ないな……」

 ソメ「? 動かしにくかったりするのかい?」

 ハル「いや、そうじゃないんだけど……。こう理性が受け付けないっていうか」

 ソメ「どうしてだろう……。自然界の生き物達はそういうことはないのにね」

 ハル「トカゲとかカニと同じにしないでくれないかな!? ソメイちゃんよ!」

 ソメ「心配しなくても、再生する生き物は他にも居るよ? スライムとか」

 ハル「種類の問題じゃねえんだわ!!! 俺、人間なんだわ!!!」

 ソメ「え?」

 ハル「おい! 『え?』ってなんだ!? 『え?』って!!!」


 ソメ「……次回、第85話『明日の話』」

 

 ハル「おい、コラァ!!! 逃げるなあああああああ!!!!!」

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