第83話 【シャンプー・トラムデリカ】
「ぐっ、がああああああああああ!!!」
「はっ! 所詮はその程度か、アメミヤ・ハルマ! 随分と大口を叩いた割りには情けないものだな!!!」
「う、うるせえ……! てめえだってそんなこと言いながら……まだ俺を殺せてねえじゃねえか……! 偉そうに勝ち誇った顔をするのは……俺を殺してからにしろ……! まあ、魔王様とも在ろうお方が『最弱』を殺して勝ち誇るってのも、なかなか笑える話だがなぁ!!!」
「……ちっ」
赤い雪の中。2人は苛烈な言葉を交わしながら互いに命を削り合う。
火炎、剣撃、閃光、水流、罵倒……多種多様にして千差万別なる数々の武器が、色濃い殺意に染まりながら飛び交っていく。
さながら、その姿は『戦いの展覧会』とでも言ったところか。現に二人は己の持ちうる攻撃手段を出し惜しみすることなく振りかざし、1つの戦いのなかで様々な戦法を見せていた。
「――ッ!」
右腕が折れバランスが崩れたハルマに、魔王は7属性全ての魔術を纏いながら一瞬で距離を詰める。
その速度や凄まじく、駆けるたびに踏みつけられる雪は一歩ごとに巨大な亀裂を走らせ、大地はその勢いに敗北し大きくめくれ上がっていた。
飛び交う雪と土を纏いながら、魔王はハルマの目の前まで到た――
「るぁああぁぁあぁぁあぁああああ!!!!!」
「―――」
次の瞬間、ハルマの怒号と共に魔王の視界に映るのは空。命懸けの攻防が行われている戦場にはまるで似合わない透き通るような青空だ。
――何故。
自らの視界に映る光景を魔王は理解出来ない。
自分はアメミヤ・ハルマに必殺の一撃を叩きこむべく、彼に向けて一直線に駆け出したはずだ。ならば、今視線の先にあるのは彼の姿のはず。
だが、実際に映るのは青空だ。雲と、太陽と、青の広がる透き通る空が見えている。
それは、つまり――
――何故。
そして、空を見上げる魔王にようやく小さな感覚が走り抜けた。
遅れて流れてきたそれは何かが触った感触だ。まるで痛みない、脆弱で弱々しい感触。
それが今、流れ込んできた。――顎の下から。
――!!!!!!!!!!!!!!!
その感覚をもってして、やっと魔王は自らの状態に気づく。
魔王は今、ハルマの飛び膝蹴りをくらって吹き飛ばされているのだ。
「――ッ」
気付いた瞬間、時間は再び矢のように流れていく。
あれほどゆっくりと流れているように感じた時間は一瞬で過ぎ去っていき、凄まじい速度で雪と地面に魔王の背中は迫っていた。
だが、流石に彼もそのまま倒れこんだりはしない。
咄嗟に突き出した左手で受け身を取り、そのまま華麗に着地しなおしたのだが……。
「何故」
溢れ出る言葉は先ほどまでと何ら変化はなかった。
「何故、何故、何故!? 何故今私は蹴り飛ばされた!? こ、こんな奴に! こんな奴如きの蹴りに!!!」
「そりゃあお前、油断してたからに決まってるだろうが」
「――は?」
「右腕が折れた『最弱』の子供、なんて侮りながら俺を殺そうとしたんだろ? だから油断しきったお前は、俺の蹴りに気が付かなかった。知らないのか? 生き物って顎の下から蹴られると上を向いて吹き飛ぶんだぜ?」
「」
言葉が出ない。
眼前のハルマは子供のような笑みを浮かべながら、当然のことのようにそんなことを言うが……魔王がそれを理解出来るはずがない。
一度その圧倒的な力によって世界を征した自分が、右腕が折れた『最弱』の子供の蹴りをくらって吹き飛ぶなど。
どうやって理解――
「らあっ!!!」
「――!」
思考が纏まるよりも早く、次の一撃が魔王に襲い掛かる。
それはあまりにも弱いせいでまるで痛くないが、それでも彼をその場がら動かすくらいの勢いはあった。
殴られ、よろけ、立ち直す前にもう一発殴られる。
痛くない、痒くもない、だがその一撃に確かに身がよろけている。
理解が出来ない。
どうして魔王たる自分が右腕が折れた『最弱』の子供如きの一撃でよろけているのかどうしてあの世界を一度征した自分が右腕が折れた『最弱』の子供如きに殴られているのかどうしてかつて世を恐怖で覆った自らが右腕が折れた『最弱』の子供如きと戦っているのかどうしてこの世の真の支配者であるはずのこの身を右腕が折れた『最弱』の子供如きに見られているか。
右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱』の子供右腕が折れた『最弱
「魔王様よ、お前の一番の弱点はその差別意識だ。弱い奴、臆病な奴をゴミのように扱うその根本的な思考回路だ。……お前は何も分かっちゃいない」
「――」
「弱い奴が無力だと思ったら、大間違いだ!!!!!」
鋭く魔王の頬に突き刺さる左ストレート。
それでも所詮は足が多少もつれるだけで、魔王に身体には微塵もダメージは与えることは出来ていない。が、
「……、……、……」
心には、それはそれは大きなダメージを叩きつけられる。
いくら油断したからって、いくら呆けていたからって、いくらダメージがないからって。
あんな惨めで、矮小で、脆弱で、無能で、愚かな子供に殴られ続けた。そして足をもたつかせ、よろめいた。
ああ―――あああ、なんと、なんという――――
屈辱
「……ごぶっ。――?」
瞬間、正面から魔王を見下していたハルマは突然大量の血を吐く。
意思を持って自ら口の外へ出て言ったかのように、突然。
あまりにもそれが突然だったから、ハルマの身体もそれを理解しきれず噎せる咽る。
それでもなんとか止まらぬ咳き込みを抑えようと、ハルマはまだ動かせる左手を口の前に持って行こうとして――気が付いた。
左腕が、ない。
「ば?」
血が混ざり、濁った呆けの声を出しながらハルマは自らの左部分を眺め続ける。
そこにはあるはずの左腕がない。
あるのは噴水のように飛び散る赤い血と、ぐじゅぐじゅと気色の悪い筋肉の断面のみ。腕はおろか、左肩さえ半分ほどなくなっていた。
「――
――
――
――
――
――
――
――
――
――
――
――」
それを認識した瞬間、ハルマは糸の切れた人形のように雪の中に倒れ込む。
自らの血で赤く鉄臭くなった雪の中へ。どぶりずぶりと堕ちていく。
意識は既に遠く、命はもう消える直前にまで追い詰められて。
「……理解、した。理解したよ、アメミヤ・ハルマ」
「――」
「お前の言う通り、お前は弱いが無力ではなかった。……故に私はお前を警戒する。出し惜しみはしない。全力でお前を叩き潰そう」
「――」
「……だから、死ね」
ハルマは……天宮晴馬は判断を過った。
端的に言えば彼はやり過ぎたのだ。彼は途中で止まっておくべきだった、彼は途中で緩めておくべきだった。
だが、彼のなかに流れた憤怒の感情がそれを許さなかったのだ。
故に勢いは緩まることを知らず、結果――
ハルマは魔王を本気にさせてしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「はぁ……はぁ……」
――動け。
「はぁっ……はぁっ……」
――動け、動け。
「はぁっ……! はぁっ……!」
――動け! 動け! 動け! そうじゃないと、そうしないと!!!
「アメミヤさん!!!!!」
――彼が、死んでしまう!!!!!
× ×
シャンプーはその光景を目にして震えていた。
目の前でハルマの左腕が消し飛ばされるところを見て震えていたのだ。
10年前から彼女を縛る一つの感情……即ち、恐怖によって。
「お願い……動いて! 動いて、私の足!!!!!」
分かってる。
今、自分が行動を起こさないといけないのは。
分かっている。
このままではいけないと。
だが、それでもその足は前に進むことが出来ない。
『恐怖』と言う名の呪いが、シャンプーが前に出ることを許してくれないのだ。
「どうして……どうして動けないの!? 今ここで動かないと。絶対一生後悔するに!!! そうしないといけないって分かってるのに!!!」
これ程までに懇願しても、これ程までに勇気を振り絞っても。
届かない、届かない、届かせない。
恐怖はそんなことでは振り払えない。恐怖はそんなことでは振り払われない。
「――ぐっ! が……あぁ……」
「アメミヤさん!!!」
その時、吹き飛ばされたハルマがシャンプーの目の前に倒れ込む。
もうその命はまさに風前の灯火だ。一刻も早く行動しないと、本当に死んでしまう。
だが、だが……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……。こんな、こんな大事な時に……私は……」
「……」
「分かってるのに……このままじゃダメだって分かってるのに……! どうしても……足が……動かなくて……!」
「……、……シャン……プー……」
死に掛けのハルマが、なんとかその命を手繰り寄せて言葉を零す。
もう彼の目は遠く虚ろになっていたが、それでもそれは確かに意味のある言葉だった。
決して、死に際の妄言ではない。
僅かに残る意識から振り絞る、確かなハルマの言葉だ。
「……君は……本当に……戦うのが……怖い……のか……?」
「……え?」
「言ってた……よな……。人が……傷ついていくのが……、人が……死んでいくのが……怖いって……」
「……」
「でも、それは……本当に……戦うのことへの……恐怖なのか……?」
「――!!!」
言葉の欠片を一つ一つ繋げてハルマはなんとかそれを文にしていく。
死ぬ前に、命が全て落ち切る前にそれを伝えきる為に。
文字通り必死で、欠片を継ぎ接いでいく。
「……ごめん……。さっき……大丈夫なんて……言った……けどさ……」
「……?」
「頼む……。無力で……弱っちい……俺を……助けて……くれないか……?」
「――ッ!」
「もし……君が……本当に……戦うことが……怖いなら……、この頼みは……断ってくれて……構わない……」
「―――」
「でも、もし……君が……違うことで……恐怖しているの……なら……! 違うことに……恐怖……してるなら……!」
「……」
「俺を……助けてくれ……! 頼む……!!!」
「――――――」
……なんと無様なお願いだろうか。
あれだけ意気揚々と挑み、煽り倒した挙句。左腕を失って、血反吐を吐き、泣き喚きながら「助けて」と叫ぶなんて。
惨めで、矮小で、脆弱で、無能で、愚かで――弱いにも程がある。
なのに――
「――、―――! う、動く! 足が、動かせる!!!」
そんな言葉が、シャンプーから震えと恐怖を消し飛ばしていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
シャンプー・トラムデリカが本当に恐れたもの。
それは、確かに大雑把にいうのであれば『戦い』だろう。
だが、その本質は普通の『戦いへの恐怖』とは少し違う。
何故ならシャンプーは本質的には『戦うこと自体』は恐れていなかったのである。
彼女が本当に恐れたのは、戦いそのものでもなく、戦うことでもなく、戦いの光景でもなく……。
自分のせいで誰かが傷付き死んでいくことだった。
自分が足手纏いになって誰かが傷付いてしまうのが怖かった、自分の弱さのせいで誰かが死んでしまうのがたまらなく恐ろしかった。
10年前のあの日のように、自分が誰かの足手纏いになることが怖くて怖くて仕方がなかった。
だから、彼女は戦うことが出来なくなってしまったのである。
もし自分が一緒に戦うことで誰かの迷惑になってしまったら、もし自分のせいで余計に苦しむ羽目になってしまったら。
そう考えると、どんなにピンチで危ない状況でも戦いには参加できない。
だって痛みや辛さに下限はないから。どんなに絶望的でも、彼女の『恐怖』は自分が状況をさらに悪化させてしまう可能性を考慮してしまうのだ。
故に、彼女は自分から戦いに参加することが出来なかったのである。
だが……だからこそ、ハルマの弱くて弱くてしょうがない懇願が、彼女の『恐怖』を吹き飛ばしたのだろう。
理由は簡単だ。
彼女は『自分のせいで誰かを苦しめること』を恐れるせいで、戦うことが出来ない。だが、そんな彼女でも『当の本人から苦しみから救うこと』を頼まれれば、『自分に誰かを救うこと』を懇願されれば、『助けてくれ』と言われれば――
その心には、必ずや勇気と戦意がやって来るはずだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……ありがとうございます、アメミヤさん」
「……?」
「お願い、引き受けました。あとは大丈夫ですから、どうか……あと少しだけ、死なないように頑張ってください」
「……あ、ああ……。任せとけ……」
「お願いしますね。……、……さて」
「……ほう」
スッと立ち上がるシャンプー。
そして、そのままこちらと向き合うシャンプーを見て、魔王は思わず感嘆の声を漏らした。
先ほどまでとは明らかに雰囲気が違う。
まだ僅かに恐れや怯えが見え隠れしているが、今はそれ以上に溢れる覇気が彼女の姿に迫力を感じさせている。
「吹っ切れたか。まさかこのタイミングで立ち直られるとはな……まったく私も運が悪い」
「……」
「……そう言えば、まだお前の名前は聞いていなかったな。少女よ、お前の名はなんという?」
魔王のちょっとした質問。
別に、それに答えなければいけない義務などはない。だが……それでもシャンプーはその質問に律義に答えた。
「私の名前は、シャンプー」
「……」
「伝承の英雄、レンネルとマキラの血を引く英雄の子! シャンプー・トラムデリカ!!!」
【次回予告】
ハル「痛ってえ……! こんな痛み、人生で味わったのはこれで2度目だ!」
シャ「! ア、アメミヤさんは前にも左腕をなくしたことがあるのですか!?」
ハル「いや、実は俺の地元にはこれと互角の地獄のダブルトラップがあってな」
シャ「地獄のダブルトラップ……ですか」
ハル「ああ、そうだ。ハッキリ言って、その痛さは常識を凌駕している」
シャ「――! ちなみにそれは……どんな内容で」
ハル「聞いて驚くなよ。まず、タンスの角に小指を思い切りぶつける」
シャ「……、……え? タンス?」
ハル「そして悶え跳ねまわっているところで……なんとレ●に着地!!! これが地獄のダブルトラップだ……」
シャ「……レ●? えっと……それは……」
ハル「ああ、恐ろしい……。あの激痛は想像するだけでも鳥肌が立つ……」
ハル「それこそ次回、第84話『英雄の子』のように特別な人間じゃねえと耐えられねえよ……」
シャ「えっと……。よく分かりませんが……怖いですね、レ●」
ハル「ああ、そうだとも。だからちゃんと出した物は片づけるんだぞ!」
シャ「……」
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