第81話 懐かしい絶望

「……ん?」


「? どうした、ソメイ」


 最初に、その違和感に気付いたのはソメイだった。


 直前まで皆の間で交わされる雑談に、にこやかな表情で参加していたソメイ。

 しかし、『雪の集落』近くのこの場所に辿り着いた途端、突然その表情が切り替わる。

 ……彼の顔に浮かんでいたのは、大きな緊張感と少しの不安の混じる複雑な表情。それは何か良くないことが起きた時にする、嫌でも他人にも緊張感を走らせる表情だ。


「……なんか、あったのか」


「僅かにだが……集落の方から、血と炎の臭いがする」


「――ッ!!!」


 血と、炎の臭い。

 たったそれだけの言葉でも、その先にある最悪の可能性がハルマ達にはすぐに思い浮かぶ。

 もちろん、まだ確証をもってそうだとは言い切れないが……どちらにせよ良い予感はしない。


「……、……ハルマ、僕とホムラは先に集落に戻ることにする。悪いがハルマ達は後から僕達と合流してくれ。……流石に君とシャンプーさんの2人を抱えて素早く移動というのは僕にも少々キツい。それに――」


「それに?」


「体力は、少しでも温存しておくべきかもしれないからね」


「……」


 いつになく神妙な顔つきのソメイ。

 普段のどこか余裕と落ち着きがある雰囲気も、今はどこかに消え去ってしまっていた。

 ……それだけ、彼も眼前の状態に緊張しているのだろう。

 故にハルマは、冷や汗を流すことはしても、ソメイの意見に反対したりはしない。


「分かった、そうしてくれ。……それにしても、暴魔竜すら打ち倒した騎士サマの本気の緊張とか、冗談でも笑えねえな……」


「……この状況でも笑おうと思える君の勇気には、僕はただただ感服するばかりだよ。相変わらず流石だね」


「止めろ、悪いけど皮肉にしか聞こえないよ」


 まあ彼のことだから、多分本気で賞賛しているのだろうが。

 まったくこういうことをサラッといってしまうのだから、『天然』というのは恐ろしい。


 非常時にも変わらぬソメイに苦笑しつつ、ハルマは次にホムラの方へ。

 そしてその表情に隠すこともなく不安と心配の感情を乗せ、


「ホムラ」


「ん?」


「一応聞くけど……大丈夫、だよな?」


「……」


 ホムラに問いかける。なお彼の不安は決して戦力的ものから来た訳ではない。

 その点については、ホムラは寧ろ世界的に見ても指折りの強者なので心配することなど何一つなかった。

 ……問題は彼女自身、言うなれば彼女の心のほう。


 前に、ホムラはグレンの事実を知り、嘆きから自暴自棄になりかけ一人で飛び出してしまったことがある。

 それからいろいろとあって、無事ホムラはそのショックから立ち直ることは出来た……のだが。

 それでもまた改めて相対するとなると……心配ではあった。

 だから、ハルマは改めてホムラに問いかけたのだが――


「うん、大丈夫。もう私は逃げたりはしないから。心配しなくても平気よ」


 返ってきたのは予想以上に心強い返事だった。

 その返事を返すホムラの表情には、恐怖も動揺もない。


「……。そっか、それなら……うん、良いんだ」


「ありがとう、ハルマ。貴方の心配はありがたく頂いておきます。……でも少しは自分の心配もしてね? 何かあってもあんまり無茶しないで集落に向かって歩くのよ?」


「流石にそれくらいは大丈夫ですよ!?」


「どうかしら……。……ジバちゃん、シャンプーさん、ハルマのことよろしくね」


「合点承知! どーんとお任せあれ!」


「はい、分かりました。アメミヤさんのことは私達にお任せください」


「どんだけ!? 俺ってそんなに不安か!?」


 こんな非常時にもブレない自分の扱いに、流石にツッコまざるを得ないハルマ。

 しかし、当人たちは至って真面目なのでそのツッコミが届くことはない。

 ハルマの『最弱』と子供っぽさは、ちゃんとホムラ達も把握しているのだ。


「ふふっ。……、……それじゃ、行ってくる」


「……ああ、気を付けてな」


「分かってるって。……ソメイ!」


「ああ!」


 さて、話すべきことも話し終わったホムラは、くるっと振り返り今はまだ見えない集落を見据える。

 そしてまだ少しだけ不安の残るハルマ達の視線に見送られながら、2人は全速力で集落へと駆け出していった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「――ぐあっ!!!」


「ふむ」


 リンスの乾いた呻き声が、炎と血の臭いに溢れた集落に響き渡る。

 そんなリンスの様子を見て、グレンは「感心した」とでも言いたげな様子で小さく頷いた。そして、『彼』は呻き声と共に倒れたリンスの頭を踏みつけつつ、独り言とも語りかけているとも言える口調で話し始める。


「存外やるじゃないか。私はてっきりお前達の抵抗など、大したことはないだろうと思っていた。……しかし、実際戦ってみれば、あのマルサンクとか言う王国より何倍もマシな抵抗をしてくれる」


「……ぐ、あぁ……ぁ」


「流石、下手に『命より大切』とは言っていないな。その心意気は十分賞賛に値するものだよ。おまけに、これでもなお『発電機が壊れる』というアクシデントがあった状態なのだから……なかなか人間の妄執は凄まじい」


「お……ぉぉぉ……」


「もっとも、それは私も人の事を言えた身ではないか」


 グレンの口調は非常に穏やかだ。

 襲撃を受けボロボロになった集落の様子とは釣り合わな過ぎて、不気味に感じるほどに。実際、血と炎のなかで平然としている者が居たら、誰でも恐ろしく思うだろう。

 彼もそれを分かっているのか、はたまた自ら不気味さを自覚出来ていないのか。

 その後も、雰囲気に合わない不気味な穏やかさで話し続けていく。


「……さて。それで、お前たちの抵抗が予想以上に良かったのは良いんだが……これからどうする?」


 長年の友人に問いかえるように、親し気な口調でグレンは問う。

 ただし踏みつける足の力はさらに強めながら。


「がっ! ぐ……ああああ……!!!」


「もう終わりにしないか? これ以上は意味がないだろう」


「うっ……だ、誰が……終わりに、など……!」


「やれやれ……。少しは自分の歳を弁えたらどうだ、老人」


「な、何を……!!!」


「はぁ……頑固なことだな」


 思わず、憐れみと呆れが混じった溜め息が零れる。

 されど、リンスを痛めつける足の威力は決して弱まらない。踏みつけ、押し付け、叩き潰す。そこに慈悲はなんて存在しない。

 だが、それでもリンスはまだ止めないので、今度は『踏みつけ』ではなく『蹴り』を入れることにした。


「お! おぶっ……!」


「諦める、というのも時には大事なものだぞ。別に私は命が欲しい訳じゃないんだ。周りに転がっている連中もまだ死んでいないのだし、今のうちに止めておくべきじゃないか?」


「お! がっ! ぶぁっ!」


「ちょ、長……老……!」


「おっと、お前達はそのまま転がっていた方が良いぞ。大切な長老を庇おうとして長老が死んではお前達も報われまい」


「なッ……! それは……どういう意味だ……!?」


「言葉の通りさ。長老を庇いたいなら、お前達はそこで大人しく転がっていろ。ああ、寝そべって雪が冷たいというのは我慢してくれ。それはこんな所に住んでいるお前達が悪い」


「……!」


 フッと微笑しながらグレンは冗談のようなこと言う。

 足下ではリズミカルにリンスを痛めつけ続けているというのに、その口調と表情にはそんな恐ろしさがまるで存在しなかった。

 ……それが、何よりも彼らには不気味で恐ろしく感じてならない。


 集落の住民達がグレンの不気味さに震えている間にも、リンスを痛めつける足は止まることはなかった。

 ポンっ、ポンっ……いや、ドガッ、ズガッと鈍い音を響かせながら、両足は動き続ける。

 しかし――


中級火炎魔術フレイア!!!」


「おっと」


 もう少しで50回に到達するというところで、火炎が容赦なくグレンに飛び込んで来た。

 しかし、彼はそれを前にしても焦ることはない。寧ろ面白いとでも言わんばかりにニヤリと笑った後、軽く片手でそれを払いのけてしまう。

 そして、その火炎が飛んできた方を向き、苦笑しながら、


「随分と手荒な再会だな、賢者よ」


 久しい賢者に再会の言葉を投げかけるのだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「ん? 同行者の顔が違うな。あの少年とは縁を切ったか?」


「違うわよ。アンタが突然出てきたから、ハルマには後で来てもらうことにしただけ。今もしっかり一緒に旅をしてるに決まってるでしょ」


「そうか、それは失礼」


 グレンはニヤリと笑い、ホムラとは鋭い目つきで睨みながら互いに言葉を交わす。

 思えばこうやってしっかりと素顔を晒した状態での会話は初めてだったが、互いにそうは思えない程普通の会話を交わすことが出来ていた。

 それは魔王が憑依しているグレンが他ならぬホムラの兄だからなのだろうか。


「……それで? では代わりにそこに居る男は?」


「申し遅れた、我が名はソメイ・ユリハルリス。聖王国キャメロットにて『白昼の騎士』を務める者……と言えば、理解出来るだろうか」


「ああ、それで問題ない。丁寧な自己紹介に感謝しよう。……しかしなるほど、『賢者』の次は『騎士』か。うむ、なかなか面白いな」


「私達は何も面白くないけどね。……魔王、その身体からさっさと出ていきなさい」


「――!」


 ホムラの怒りに満ちた言葉に、グレンは初めて驚きの感情を見せる。

 まさに文字通りを目を丸くしその言葉を放ったホムラを見ていた――が、すぐにいつもの余裕を取り戻す。


「気付かれていたか。まあ、オーブ集めなんてことしていれば、ある程度聡明な者になら気づいてもおかしなことはないな。――で、肉体を返せという要望だが、それには答えられん。というか、簒奪者に『返せ』という言葉が通用するとでも?」


「分かってるわよ、一応言っただけ。それじゃあ無理矢理追い出すから……覚悟なさい」


「そういう訳だ。魔王よ、もうそれ以上は罪なき者の身体に罪を犯させはしない。ここで白昼の彼方に去ると良い」


「ほう……」


 自身に向けて全力の敵意を向ける『賢者』と『騎士』。

 その様子にグレンもとい魔王は……笑った。

 動揺するでもなく、焦るでもなく、怒りを覚える訳でもなく、笑ったのだ。

 ただ、どこまでも純粋に。ただ、どこまでも真っすぐに。


「では、来ると良い! この魔王が直々に貴様らを見極めてやろう!!!」


 ただ――魔王は笑う。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



上級風神魔術バマフーガ!!!」


「はあっ!!!」


 飛び交う戦意と戦意。

 賢者と騎士、そして魔王の戦いは苛烈を極めていた。

 だが、そんな様子のなかでも同時に優雅さのようなものが見え隠れするのは、強者同士の戦いだからだろうか。


「面白い! 考えたな賢者よ! それはまさにお前にしか出来ない戦い方だ!!!」


「お褒めに与り光栄ね!」


 器用に雪上を滑りながら移動するホムラ。

 滑るように、ではない。彼女は本当に雪上を滑っている。

 その原理は簡単だ。彼女は今、自ら生み出した氷の上を滑りながら戦っているのだ。


 そもそも魔術の属性に『氷』は存在しないが、それでは世の氷魔術はどのように使われているのだろうか。

 答えは、『水』の応用だ。

 氷、水、そして水蒸気。これらは全て元を辿れば同じ『水』になる。

 故に水流魔術を使うことが出来る者は、その応用で氷の魔術を使用することも出来るである。

 そして、それはもちろん全ての属性を扱えるホムラも同じことが言える。


 水流魔術を応用して氷を作り、火炎魔術で氷の形を整え、そして風神魔術で氷の上を滑っていく。

 まさに多種多様な魔術を振る舞える賢者故の戦い方だ。

 だが、もちろん『騎士』だって引け取ることはない。


「SIN陰流……日本晴れ!!!」


「おっと! 騎士が扱うは勇者の遺産か! これもまた面白い!!!」


「笑ってる暇があるのかしら!? 上級火炎魔術レフレイア!!!!!」


「――!!!」


 吹き荒れる雪から勢いよく飛び出したソメイの鋭い斬撃。

 それすらも魔王は難なく受け止めてみせるが、その行動は失敗だった。

 何故ならその攻撃には初めから傷つける意思はなかったから。本命はホムラの火炎の方である。故にソメイの一撃はあくまでこのための罠に過ぎなかった。

 まあ、それでもその一撃には簡単に命をかき消せる程の威力があったのだが。


「ぐっ……! ……ふふ、ははははは! ああ、面白い、面白いな! まさか致命の威力を持った一撃を囮にするとは……出し惜しみがないな!」


「当たり前でしょ? 出し惜しみして負けたら、それこそただのアホじゃない」


「僕は普段から誰であったも『戦い』ならば、手加減はしないつもりだ。『稽古』などなら話は別だが、『戦い』において手加減は相手への侮辱でしかないからね」


「なるほど。どちらもそれ相応の理由ありか。まあ、理由などなくても私は面白ければそれで良いのだが」


 まともに火炎を受けたはずなのに、魔王はさしてダメージを受けた様子はない。

 それを見て2人は改めて眼前の相手の恐ろしさを再認識しつつ……それでも戦意を衰え去ることはしなかった。


「ソメイ」


「分かっているさ。心配しなくても平気だよ」


「うむ、上出来だ。これでもまだ全く戦意を失わないその気概、実に良い。さあ、来い! もっと、もっと私を魅せてみろ! 賢者、騎士!!!」


 高らかに、上機嫌に魔王は叫ぶ。

 その愉悦に応えるつもりは、賢者にも騎士にも毛頭ないが。

 それでも二人は魔王に向かってその力を振りかざすのであった。




【次回予告】

 ハル「懐かしい絶望……。それはきっと皆の心にも潜んでいるはずだ」

 ガダ「どういうことだい?」

 ハル「分からないか、ガダルカナル。……つまり黒歴史、だよ!」

 ガダ「クロレキシ」

 ハル「あるだろうお前にも! 思い出したくない過去が!」

 ガダ「なるほど。確かに私にも少しあるね」

 ハル「賢者の黒歴史!? 失礼だけど、すげえ気になる!!!」

 ガダ「聞きたい?」

 ハル「え、教えてくれるの?」

 ガダ「別に構わないよ。そうあれはまだ私が子供の頃の話だ」 

 ハル「ふむ」

 ガダ「その日、私は学校でテストを返された……返されたんだが」

 ハル「ふむ!」

 ガダ「なんと! たったの82点だったんだ!!!」

 ハル「……、……は?」


 ガダ「次回、第82話『大丈夫だから』と同じ! たったの82点しか!」


 ハル「お前……! それ、思い切り自慢じゃねえか!!!」

 ガダ「テヘッ♪ でもまあ恥ずかしかったのはホントだよ」

 ハル「これだから天才は……」

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