第80話 帰路

「それじゃあ、帰ろうか」


 すっかり元の気温に戻った洞窟から出てきたハルマは、帰路に着く前に振り返って皆に一言。

 終盤はかなりカオスなことになったが……無事、発電機修復ミッションは達成できた。

 ダジャレ爺さんもあれだけ酷い目に合えば、もう同じことはしないだろう。


「……うーん、結局どういうことなのかよく分からなかったわ」


「なんでさ!? あんだけ僕が説明しても、まだ分からないの!? そんなところもまた可愛いけどさぁ!」


「それよりも僕はみんながあのダジャレに笑わなかったことをだね」


「はいはい。各々集落に戻ってからにしてな……」


 面々のブレない様子に流石のハルマもため息が零れる。どうやら発電機は修復出来ても、こちらのズレは修復出来なかったらしい。

 ……こちらの修復のは発電機の100倍くらい難しいだろうから、当然と言えば当然だが。


「……」


「ん?」


 わいわいがやがやと騒ぎながら帰路に着くハルマ達、そんな雰囲気の中シャンプーだけは後ろの方で静かにしていた。


「どうかしました? ……あ、もしかしてウチのパーティのズレっぷりに言葉も出ない感じで?」


「え? あ、えっと、そうではなくて……。なんでもないですよ、大丈夫です」


「そう、ですか……」


 なんだか少し暗い表情をしていた気がしたのだが……。

 まあ、本人がそう言うのならば、深く詮索するべきではないだろう。

 何かあるのだとしても、言って来ない以上は『触れてほしくない』ということなのだろうから。


「……ハルマ。『帰路は何キロ?』なんてのは良いと思うのだが、君はどう思う?」


「この極寒の中でクッソ寒いダジャレ言うのは止めてくれませんかね!? てか、キロってこっちでも共通の単位なのな!」


「な――ッ! これも寒いのか……! ダメだ、皆のセンスが分からない……!」


「……マジでお前どうなってるの?」




「……」


 ハルマがソメイ達の会話に参加した後も、シャンプーは一人黙っていた。

 そしてその顔はハルマが思った通り、やはり暗い表情。だが、それも仕方ないことなのかもしれない。

 何故なら、彼女にとって『雪の帰路』は、否が応でも懐かしい記憶を思い出させるものだから。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ――シャンプー・トラムデリカという少女の話をしよう。



 彼女は16年前、雪の集落にて生まれた『英雄の子』だ。

 英雄……それは伝承の勇者ユウキと旅をし、共に魔王の脅威から世界を救った英雄のことを指す。

 その名を伝承の戦士レンネル、そして伝承の武人マキラ。

 両者共に100年経った今でもその戦いぶりが世界に伝え続けられる、まさに正真正銘の『英雄』だ。

 そして、そんな本物の『英雄』の子孫こそが……シャンプー・トラムデリカ、その人なのである。


 故にだろうか。少女シャンプーは、幼い頃から敗北を知らない子供だった。

 大人でさえ苦戦するようなモンスターを簡単に追い払い、集落で一番力のあるはずだった青年も片手で簡単にねじ伏せる。

 しかも彼女の『不敗』は単純な力だけに留まらなかった。

 努力家なシャンプーは日々勉学を怠ることもなく、また家事全般もそつなくこなし、おまけにこれ程の力を持って生まれても非道に走ることもない。

 力も、心も、知恵も、生活も、性格も誰も彼女には勝てなかったのだ。


 故に、少女シャンプーは幼い頃から敗北を知らなかった。

 英雄の血筋と共に齎された『不敗』の祝福、だが、それは同時に―――



 ―10年前、喉かな昼下がり―

「ほらほら! こっちこっちー!」


「はぁ……はぁ……。シャンプー……また、足速くなったんじゃないか? もう、お父さんは全然追いつけないよ……」


「情けないぞー! ほらー!、お父さんも男の子でしょ! もうちょっと頑張るのー!」


「き、厳しいなぁ……!」


 少女の無邪気な願望が今の父にはとても重い。

 しかし、愛する娘のお願いを前にして、こんなところですごすごと引き下がれようものか。いや引き下がれない。

 ならば――


「うおおお!!! 頑張れ、俺の足! 最悪もげる覚悟で走るんだ!」


「あはは! お父さん顔凄いよー?」


 足と顔を犠牲にしてでも娘を追うまで。

 せめて、なるべく早く彼女が追いかけっこに飽きることを願いながら。


「良ーし! ……ほっ! よっ! そりゃ!」


「身軽!? シャンプー、いつのまに木登りなんて出来るようになったんだい!?」


「え? うーんと……忘れちゃった」


「少なくとも忘れるくらいは前なのか……」


 6歳の娘がするすると木を登っていく姿を見て、自分は15歳でやっと木登りが出来るようになったことを思いだす父。

 結果、彼の脳内は娘の成長を喜ぶ感情と、自分の情けなさを嘆く感情で溢れかえってしまった。

 どちらの感情も『濃さ』と『強さ』が大きすぎる。こんなの処理しきれるはずがない。


「くっ……! 二つの意味で涙が……」


「!? お、お父さんどうしたの!? どこか痛いの!?」


「え? ああ、違う違う。嬉しくて(本当は半分悲しみも混じっているが)泣いただけだから、どこか痛い訳ではないんだ」


「そうなの。良かった……」


 心底安堵した様子のシャンプー。

 そんな涙を流せばまず真っ先に心配してくれる娘の優しさに、思わず父親は再び涙腺が緩んだがそれはなんとか堪えて。

 あと、そんなに心配しつつも、ちゃんと追いかけっこに勝つまでは木から降りないところに対する涙も堪えて。


「もう、本当に心配したんだからね? もしかしたら誰かにイジメられてるのかと思っちゃったんだよ?」


「ごめんごめん! でも、そんなことないから大丈夫だ。……あと、もうお父さんの負けでいいから降りといで」


「はーい」


 父に言われ、軽く2メートル近い高さから華麗に着地するシャンプー。

 そんなことをしても心身ともになんともないのだから……改めて驚きだ。

 こうまでいろいろと凄いと父親の面目丸つぶれである。


「よっと……。それじゃあそろそろ帰る? あんまりお母さんを一人にするのは可哀そうだし」


「そうだね。もしかしたら寂しくて泣いてるかも……!」


「あ、それ後でお母さんに言っちゃおー」


「!? 待って、待ってシャンプー! 頼むからそれだけでは勘弁してくれ! でないと、お父さん明日からご飯が全部凄く冷たいか凄く熱いかの二択になっちゃうから!!!」


「ええー? どうしよっかなー」


「シャンプー!!!」


 まさに『失言』とはこのこと。

 見事に自分で自分の首を絞めた父親なのであった。


「それじゃあ、また今度も遊んでくれるなら内緒にしてあげます」


「分かった、約束しよう。……まあ、それくらいなら別に約束しなくても、って感じでもあるけれども」


「え? じゃあ違う約束にしようかな……」


「しまった! また余計な一言を!!!」


「あはは、ジョーダンだよ。私は優しいからこれくらいで許してあげます」


「あ、ありがとう!!!」


 本気で娘に感謝する父親。

 ……傍から見れば、なんともまあ情けない父親だ。

 だが、まあ当の本人たちは幸せそうなので、横から何かを言うのは野暮というものかもしれないが。




 ……さて、そんな訳で再び遊びにいく約束を交わした父と娘は、仲良く雪の帰路を歩いていく。

 目指すは母の待つ暖かい家、きっと今日も美味しい料理が待っていることだろう。


「今日のご飯はなにかなー? お父さん知ってる?」


「確かシチューって言ってた気がするけど。お母さん気まぐれだからなー、お父さんにもちょっと分からないや」


「そっか、そうだよね。こないだもお母さんお肉にするって言って、結局出てきたもはお野菜だったもんね」


「ははは、そんなこともあったね。あれにはお父さんもびっくりしたよ……」


 今日は肉が食べられると期待していたのに、仕事から帰ってきて食卓にサラダが並んでいればそりゃ驚きもするだろう。

 父は未だにあの時のシャンプーの表情を鮮明に覚えていた。

 あの、苦虫を嚙み潰したような顔を。


「でも、ホントにあの時なんでサラダになったんだろ。お母さん、お肉ゲット出来なかったのかな?」


「その言い方だと、お母さん本人がお肉ゲットして来てるみたいに聞こえる……。ほら、あの日は雪が強かっただろう? だから多分狩人さんがお肉が取れなかったんだと思うよ。だから急遽サラダになったんじゃないかな。……多分」


 ここで確証が持てないのが悲しいところ。

 残念ながら父は自分の妻のフリーダムっぷりを重々理解していたので、最悪ただの気分でああなった可能性があることも否定できないのだ。

 ……流石に自分と娘の期待を思い切り裏切ったあの行為が、故意だとは思いたくないが。


「そっかー。お肉取れなかったんだ」


「多分ね。結構ここいらのモンスターも強いし、吹雪いてる日は危ないし」


「ふーん。でも、それなら……」


「?」



「私に言ってくれれば良かったのに」



「――!!!」


「そうしたら私が――


「シャンプー!!!」


「――!? ど、どうしたの!?」


「あ。えっと……」


 突然大きな声を出して自分の言葉を遮る父に、流石にシャンプーも心底驚く。

 そんな娘の様子を見て、父は自分の行動に少し罪悪感を感じたが……それでも彼はシャンプーの言葉を遮らずにはいられなかった。

 何故なら――



 今、あの場面で「私に言ってくれれば良かったのに」というのは子供の言うべき言葉ではないからだ。



 それは決して悪しき言葉ではないし、決して下賤な言葉でもない。

 寧ろ良い言葉とすら捉えることも出来るだろう。

 だがそれでも、それは決して6歳になったばかりの少女が言うべきセリフではなく、6歳になったばかりの少女が言うセリフでもなかった。


「……お、お父さん?」


「……ご、ごめん。声量の加減を間違えた。いや、あれだ、あんまり良くない思い出ばっかりを思い出すのは良くないよ、って言おうと思ってね」


「……も、もう! びっくりさせないでよ! 胸が止まるかと思った!!!」


「ごめんごめん……。あと止まるのは心臓ね」


 謝りながら表情では苦笑する父だったが……彼の内面は複雑だ。

 彼は娘の『ズレ』が何なのかは分かっている。それはその類稀なる力に齎された『不敗』によるものだ。

 英雄の血筋によって齎された『身体能力』と、代々受け継がれている『氷炎舞流』。そしてこれらを使いこなす『才能』を生まれ持ったシャンプーは今まで何にも負けたことがなく、結果敗北を知らない。

 敗北を知らないがために、シャンプーは恐怖を知らなかった。

 故にシャンプーは『自らの行動の限界』がズレてしまっていたのだ。


 あってはいけない、あってはならない。

 それはきっと彼女をどこかで不幸にする。このズレは目に見えない『呪い』だ。

 だから、絶対にあってはならない。

 それは父も重々分かっている、分かっているのだが――


「もう……! でも、ちゃんと謝ったから許してあげます。もう今度はしないでね」


「……。うん、そうしたいと思うよ。……だからシャンプーも、出来ればもうしないでね」


「何を?」


「……いや、なんでもない」


「?」


 父は娘にそれを告げる術を持たなかった。

 なんと言えばいいのだろう、『必要以上に人を助けるな』と言えばいいのか。

 それとも『子供は無理に誰かの為に頑張らなくても良い』と言えばいいのか。

 シャンプーにとっては何も『必要以上』ではないのに? シャンプーからすれば何も『無理に』ではないのに?


 見つからない。

 探しても探しても、正しい伝え方が見つからないのだ。故に父はシャンプーにその呪いを伝えることは出来なかった。

 そもそも、6歳になったばかりの子供に『お前は普通じゃない』なんて言う訳にもいかないだろう。


「もう、変なお父さん。……何か疲れてるのならちゃんと言ってね? 出来ることなら私も助けてあげるから」


「……大丈夫、大丈夫だよ」


 だから父はせめて娘がズレきらないように願い……そして祈るしかなかった。

 正面から伝えてもそれをしっかりと受け止められる歳になるまでは、娘がズレきってしまわないようにと。


「……着いた! お! 今日のご飯はシチューだ! そういう匂いがする!」


「そうだね」


「お父さん! 早くお家入ろう! もう私お腹ペコペコ!」


「うん。……その前に、一つだけいいかな?」


「ん?」


「お父さんと、一つ約束しよう」


「……何で今?」


「今、思いついたからさ」


「……」


 父に出来ることは願い、祈るだけ。

 だからこそ、せめて遠くからでも父は少女に、娘に願う。



「シャンプー、あまり自分を見失わないでね」



「……、……?」


 明らかにシャンプーは、言葉の意味を理解出来ていない。

 出来ていないが……今はまだ、それでいい。いつか、いつかそれを伝える日が来るはずだから。

 今はまだ――それでいい。


「良し! それじゃあシチュー食べますか!」


「え? あ……うん! ……ただいま、お母さん! 寂しくて泣いてたりしてない?」


「ちょ、シャンプー!?」



              ×     ×



 それから、シャンプーと両親の別れの日が訪れたのはこの数日後のこと。

 つまり結局父は『約束』の答えを教えることは出来ず、道中で二人に交わされた『約束』が果たされることもなかった。

 だが、そんな代償を果てに一つだけ良いことがあったとすれば……それは父の願いが叶ったことだろうか。

 確かに父の願いは叶っていた。『恐怖』という束縛に心を縛られることで、シャンプーはズレきることなく16歳まで成長することは出来たのだ。

 ……だが、それは彼の望んだ結果とは、到底言い難いだろう。




 ―今―

「……」


 シャンプーは思い出す。

 『雪の帰路』を歩くたびに、あの別れの日と約束の日を思い出す。

 そしてその度に頭を悩ませるのだ。



『あまり自分を見失わないでね』



 その言葉の真意が分からない。

 その言葉の伝えたいことが分からない。

 『英雄の子』であるのを忘れるなという意味なのか、誉れ高き英雄の血を引いていることから逃げるなという意味なのか。

 もし、そうだとするのなら――



 ――私はなんて、親不孝な子なんでしょうか……。



 恐怖に縛られ戦えなくなった自分は、なんと悪い子なのだろうと。

 少女は、シャンプーは一人罪の意識に苛まれるのだった。

 それが途方もなく見当違いだとは―――気が付かないまま――。




【次回予告】

 ハル「うう……しっかし、こう寒いとかき氷が食べたくなってくるな」

 ジバ「僕の知らないうちに『かき氷』は違う食べ物になったのか?」

 ハル「そうじゃない! 暑い日こそラーメンが食べたくなるあれと同じさ!」

 ジバ「なんだその感覚は。そして『らーめん』とは一体」

 ハル「なッ!? かき氷、シチューはあるのに、ラーメンはないのか!?」

 ジバ「初めて聞いたよ」

 ハル「そんな……。くそ、ユウキめ、伝承するのサボりやがって……!」

 ジバ「トンデモ文句過ぎない!?」

 ハル「いいんだよ、それは! ……じゃあ、そばは知ってるか!?」

 ジバ「知らない」

 ハル「ステーキは!?」

 ジバ「知ってる」

 

 ハル「じゃあ! 次回、第81話『懐かしい絶望』は!?」


 ジバ「それは知ってる訳ねえだろうが!!!」

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