第62話 憤怒に燃える魔竜

「【憤怒】の使徒、暴魔竜アルファルド!!! なぜ、この谷に!?」


「アルファルド……?」


 空を泳ぐ赤い巨竜を見て、マイはその顔に困惑の表情を浮かべる。

 知識のないハルマの目から見ても、頭上の竜が普通ではないのは分かるのだが……『アルファルド』と呼ばれたあの竜が何なのかまではまるで知らなかった。


「何なんですか、あの馬鹿でかい竜……」


「今言ったとおりですよ。【憤怒】の使徒、暴魔竜アルファルド。……ハルマさん、『使徒』って知ってますか? 7つの大罪から権能を欠片を分けてもらった存在のことを言うんですが」


「! それなら知ってます! ……ていうか、なんなら遭遇してます」


「ホントですか!?」


「はい」


 それはシックスダラーでのこと。

 シックスダラーを犯罪の街にし好き放題やっていたギルドのマスター、クノープ・シグルスがその使徒だった。

 たしかクノープが持っていた欠片は【怠惰】、そして今頭上に居る竜はそれの【憤怒】版ということ……なのだろうか。


「それなら話は早いです! あの竜はその使徒とほとんど何も変わりません! 貰った権能の欠片が【憤怒】になっただけです!」


「分かりました! それで!? 【憤怒】の権能の欠片の力――うおわ!?」


 ハルマが言葉を言い切る前に、アルファルドがハルマ目掛けて一直線に飛んでくる。

 もちろんハルマがそれに対応出来るはずもなく、気が付いた時にはギラギラと光る爪がハルマの腹を引き裂く寸前だった、が――


「させません!!!」


「――ッ! あ、危ねえええええ!!!!」


 ギリギリのところでマイがハルマを助け出した。

 まさに紙一重のタイミング、あとちょっとでも遅かったら今頃ハルマの腹は3枚おろしにされていたことだろう。


「大丈夫ですか!?」


「はい! 大丈夫です!!! ジバ公は!?」


「僕も平気!」


「それは良かったです! では、このまま一旦安定した場所まで逃げるので! 暴れないでくださいね!!!」


「え? って、うおわあああああああああああ!!!!!!」


 マイはハルマをお姫様抱っこ状態で抱えたまま、素早く谷を駆け抜けていく。

 僅かに飛び出した岩や、ちょっとした木の枝も彼女にとっては全てが足場。

 一見足の踏み場もないような絶壁さえもスイスイと進んでいくのは、流石聖騎士団長(候補)といったところだろうか。


 一方、アルファルドもそんな身のこなしに追いつけない……なんてことはなく。

 そもそも翼で空を舞うことが出来るアルファルドには足場なんて関係なかった。

 マイが試行錯誤しながらなんとか進んでいくのに対し、アルファルドはただ真っすぐと確実に空中を進んでいく。


 故に、マイがアルファルドから逃げきることは出来なかった。


「よっと! よし、ここなら良いでしょう!!!」


「え!? ここなんかあるんですか!?」


 しばらく進んだ後、マイは逃走を止めハルマを降ろしアルファルドと向かい合う。

 そこは特に何もない場所のようにしか見えないのだが……。

 強いて違う点を言うなら、少し他の場所よりは足場が広いくらいだろうか。


「ここには別に何もありませんよ! ただ広いからここにしただけです!」


「あ、やっぱり!?」


「はい! ていうか、そもそも私達はどうやってもアルファルドから逃げきれません、ですのでソメイさん達と合流も無理です!!!」


「……それはつまり?」


「はい! ここで交戦するしかないでしょう!」


「やっぱりか!!!」


 ……なんとなくそんな気はしていたが、やはりそうなってしまった。

 というかもうマイは剣を構えて戦う気満々である。


「それにこれは考えようによってはチャンスとも言えます!」


「チャンス!?」


「はい、そうですとも! 世界中を脅かす暴魔竜の逆鱗を取って帰ったとあらば、それは通常の逆鱗とは比べ物にならない大物です! これから国を担う騎士になる者として、これ以上の勇気の証明はないでしょう!!!」


「……」


「ハルマさんはそこに居てください! では……参る!!!」


「――-----―――――――----――――――――――!!!」


 全身に咆哮を浴びながら、マイは暴魔竜へと飛び出していった。

 そのまま飛び乗ったのは背中。

 ごつごつと生えた赤い鱗を器用に足場として利用しながら、飛び交うアルファルドの身体を駆け抜けていく。


「―――------―――――――――――---――――――!!!」


 アルファルドは大気を震わせる程の大声を上げながら、素早く飛び回りマイをなんとか振り落とそうする。

 しかし、軽やかに動き回るマイには全く効果がなかった。

 普段は身体を守ってくれるのであろう全身の鱗も、こういう場面では役には立たない。

 それどころかマイの華麗な身のこなしの援護を一躍買ってしまっていた。


「甘い。その程度ですか、暴魔竜!」


「――----------―――――-----―――――--!!!」


 マイの言葉に反応するかのように、アルファルドはさらにスピードアップ。

 より一層複雑に、かつ素早く空中を動き回る……のだが。

 結果は依然として変わらない。

 少し速くなった程度でマイがペースを乱すことはなく、そのままとうとう逆鱗の元まで辿り着いてしまった。


「案外あっけないものでしたね!!!」


 そして、マイは容赦なく剣を逆鱗に振るう。

 そのまま逆鱗は斬り落とされ、現れた時の迫力とは裏腹に簡単にアルファルドは敗北する……かと思われたのだが。


「――! ダメだ! マイさん、下がって!!!」


「なッ!? 逆鱗が……斬れない!?」


 これは一体どうしたことだろうか。

 確かにアルファルドは他の竜とは比べ物にならないほど巨体で、それに比例して逆鱗も非常に巨大なものになっていた。

 だが、それでもマイの剣はしっかりと逆鱗に通り、途中までは確かに斬り込んだ。

 ところが半分程斬ったところで、突然逆鱗が淡い光包まれ始める。

 すると逆鱗は先ほどまでとは比べ物にならないほど硬くなり、ついさっきで通じていた剣がビクともしなくなってしまったのである。


「―――-――――----――――――!!!!!」


「ぐっ!!!」


 斬れなくなった逆鱗に対するマイの動揺と混乱。

 それはほんの一瞬のものであったが、その刹那の時間をアルファルドは見逃さなかった。

 身を捻りマイを吹き飛ばし、そのまま鋭い爪の一撃。

 マイは咄嗟に剣で受け止めるも無傷とはいかない。

 爪に引き裂かれた身体から赤い血が零れ落ちていた。


「マイさん!!!」


「大丈夫、これくらいどうということはありません!」


「なら、まあ……。それで、どうして急に逆鱗が斬れなくなったんですか!?」


「恐らく……権能の効果でしょう」


「権能……? アルファルドが持ってる、【憤怒】の?」


「はい。アルファルドの権能の効果は『怒りを強さに変える』というシンプルなもの……らしいです。多分今のは『逆鱗が斬られそうになる』という怒りを、そのまま『逆鱗の強度』に当てたのかと」


「――! じゃあアルファルドは攻撃すればするほど……」


「強くなる……と考えて問題ないでしょうね」


 なんて厄介な能力だろうか。

 攻撃しないと倒せないのに、攻撃すればするほど強くなるとは面倒くさいにも程がある。

 おまけに上がるのが攻撃力だけならまだしも、アルファルドの権能は『強くなる』なので上がる能力は攻撃力だけではないのだ。

 攻撃すればするほど、一撃の威力が高くなり、守備力は増し、より素早くなっていく。

 まさに悪循環だ。


「でも、弱点がない訳ではないです。一番分かりやすいのはやはり『怒りを』強さに変えるという点でしょう」


「? どういうことです?」


「つまり、強くなるには常に怒ってなきゃいけないんですよ。だから強くなればなるほど冷静な判断力は失われますし、逆に怒りがなくなればどんなに傷ついても強くはなりません」


「……なるほど」


 まさに【憤怒】が故の弱点ということか。

 がしかし、今のハルマ達にアルファルドの怒りを鎮める方法は存在しなかった。

 というか、そもそもこっちに殺意を向けるレベルで憤怒している相手を宥める方法など、仮にアルファルドではなく普通の人間相手だったとしても思いつかない。

 なら、今出来ることは……。


「マイさん。もしアイツが冷静さを失うくらいブチ切れれば、アイツの逆鱗を斬ることは出来ますか?」


「出来ると思います。……でも、いくらなんでもそんな簡単にそこまで怒らせることは……」


「多分、俺なら出来ると思うんですよ。だから、アイツが怒ったら後はよろしくお願いいたしますね!」


「え!? ちょっと!? ハルマさん!?」


 マイは困惑しているが、説明している時間はハルマにはなかった。

 マイが上手く察してくれることを願って、ハルマは走りマイと距離を取る。


「ハルマ! お前何する気なんだよ!?」


「言っただろ!? アイツをブチ切れさせるのさ!!! その後逃げる時はお前頼りだから頑張ってくれよ!!!」


「はあ!?」


 走り抜けて広い足場の端まで到着、マイとの距離はやく30メートル。

 これくらいならちょうどいいだろう。

 さて、くるっとハルマは振り返ると、マイに向かって行こうとしていたアルファルドに大声であることを叫びかけた。

 それは……。


「バーカ!!!」


「!?」


「このヘッポコ魔竜! 『最弱』の俺すら仕留められない底辺魔竜が! よくそんなんで暴魔竜なんて名乗れたもんだな!!! ダメ魔竜に改名したらどうだ!?」


「ちょ!? お前何してんの!? マジで何してんの!?」


 罵倒……だった。

 ハルマは何故か突然アルファルドを罵倒し始めたのだ。

 し始めた……のだが、罵倒慣れしていないのと(そんな慣れしていない方は良いが)語彙力がなさ過ぎるせいで、小学生レベルの罵詈雑言しか出てこない。

 もちろんそんなハルマの突然の奇行に、ジバ公とマイはただ目を丸くするだけだったのだが……。


「―――」


「……え?」


「----------―――――――――-----――――――――-――――――――-----―--------――――――!!!!!」


「えええ!?」


 当のアルファルドは信じられないほどにブチ切れた。

 その怒りっぷりは今までの比ではない。

 是が非でもハルマを殺さないと気が済まないというレベルの怒りっぷりだった。


「よっしゃ! 予想通り! さあ、逃げるからジバ公いろいろサポート頼む! その伸縮自在の身体でどうにかしてくれ!!!」


「無茶言うな!!! てか、なんでアイツあんなに切れたんだ!?」


「理由は結構たくさんある!!!」


「!?」


 全力で迫りくるアルファルドから必死に逃げつつ、ハルマは何をしたのか説明し始める。


「まず一つ! アイツはさっきマイさんが言ってたみたいに、アイツは【憤怒】の魔竜だ! だから人一倍……ん? 人? まあいいや! とりあえず切れやすい!」


「なるほど!?」


「次に二つ! アイツはこっちの言ってることが多分分かってる! マイさんが『その程度か』って言ったらスピードアップしたのがその証拠だ!」


「確かにそうだったな!」


「そして三つ! これが多分一番の要因だ! それは、罵倒したのが他ならぬ俺だったということ!」


「はあ!? どういうことだ!?」


「考えてみろ! 他の誰よりも何も出来ない『最弱』の俺に罵倒されるんだぞ! どう考えても世界一罵倒されたくない相手だろうが!!!」


 実際、馬鹿らしくあれどそれが事実だった。

 誰だって自分より出来ない奴に馬鹿にされれば『お前が言うな』と腹が立つもの。

 だが、ハルマの場合はそれが段違いで強烈なのだ。

 そもそも彼の『最弱』は、何もしなくても他人や動物にさえ警戒心を全く抱かせないというある意味神懸ったもの。

 故に罵倒に掛かるムカつき補正も信じられないものだった。

 そこに暴魔竜の2つの特性も重なるのだから……まさに効果覿面である。


「―――――------――――――――-----―――――!!!!!」


「凄い効き目だな、おい! これはもう能力と言ってもいいレベルじゃね!? 神懸った……いや、ここは某小説に肖って鬼がかった罵倒……鬼の罵倒……罵倒、バット? 鬼のバット! よし、この能力を『金棒の音』と名付けよう! 『鬼に金棒』的な意味合いも込めて!!!」


「そんなこと言ってる場合かーーーーーーーーーーー!!!!!!」


「―――――-------――――――------——————!!!!!」


 迫る、迫る、迫る。

 巨竜は確実に迫りくる。

 ジバ公が身体を伸ばし、岩や枝を掴んで器用にハルマを逃がしているものの、マイですら逃げられないような相手からハルマとジバ公が逃げらるはずがない。

 アルファルドとの距離は確実に縮まっていく!

 が――


「―――――------———————----!!!!!!!!!!」


「怒りに呑まれて一番気に掛けるべきものを見失うとは……愚かですね!!!」


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 アルファルドの身体を駆け抜けながら、マイはアルファルドの全身を余すことなく滅多切りにしていく。

 普段のアルファルドなら権能と鱗を駆使して、その斬撃から身を守ることも出来たのだろうが……今のアルファルドはハルマにご執心だ。

 そんな状態のアルファルドが冷静にマイの攻撃に対応するなど出来るはずがなかった。


「!!!!!!! !!!!!!! !!!!!!!!」


 痛みから身を暴れまわり何とかマイを叩き落そうとするアルファルド。

 だが、さっきほどよりもさらに動きの繊細さがなくなっている。

 痛みと怒りがまともな思考を吹き飛ばしてしまっているのだ。

 故にマイ程の実力があれば、これほどの暴走はどうということはなかった。


「はああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」


「……凄い」


 マイの見かけはハルマと同い年くらいの少女だ。

 普段は柔らかい雰囲気でいつも元気な普通の女の子に見える。

 だが、それでも彼女は確実に騎士だった。


 ハルマに出来るだろうか。

 空中を飛び回り、暴れまわる巨竜から落ちないようにしていることなど。

 ハルマに出来るだろうか。

 そんな巨竜の背中を血を浴びながら切り裂いていくことなど。


 ……出来ない、出来るはずがない。

 天宮晴馬は『最弱』云々以前に、普通の人間だから。

 恐らくどんなに強くなっても、彼女の様には振る舞えないだろう。


 だからこそ、ハルマは頭上の少女騎士を見て、改めて彼女に敬意を示すのだった。


「そろそろ終わりにしましょうか!」


「!!!!!!!!!!!!!!!!」


 全身に付けられた傷の痛みがアルファルドを確実に弱らせる。

 逆鱗に纏う淡い光もいつの間にかなくなっていた。

 恐らく、今の状態なら斬れる。


「これで、終わ――」


「おうわああああああああ!?!?!?」


「! ハルマさん!!!」


 斬ることは出来る。

 だが、マイはそれをしなかった。


 逆鱗を斬られる寸前アルファルドがとった行動は攻撃だった。

 しかし、その相手はマイではない。

 その相手は今にも自らの逆鱗を斬りそうなマイではなく、下で様子を見守るハルマの方だった。


 ……つまり、ハルマの『金棒の音』は効き過ぎたのである。

 あまりに強く強く怒りを買い過ぎたせいで、アルファルドは自身の闘争心の源である逆鱗を斬られることよりも、ハルマを殺すこと優先したのだった。


「くっ――!!!」


 もちろんそれはマイが見過ごす訳にはいかない。

 逆鱗を斬るのを止めてギリギリでハルマを救出し、なんとか他の足場に逃げることが出来た。

 のは、良かったのだが……。


「ごめんなさい! 俺のせいで……!」


「気にしないでください。ハルマさんが居なければそもそも斬ること自体出来ませんでしたから。……ですが」


「……」


「あれはどうしたものでしょうか……」


 再び空を見上げるハルマとマイ。

 そこにはマイですら届かない程高みに飛びあがったアルファルドの姿があった。




【後書き雑談トピックス】

 ハルマに煽られるのがどれくらいムカつくか分かりやすく言うと、『100回くらいやり直してようやく辿りついたRTAのラストステージなのにテレビの電源切られて、謝罪の言葉が「別にゲームくらい良くない?」だった』くらいです。

 ……分かりづらいな。



 次回 第63話「勇者の音」

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