第40話 ホムラ奪還作戦
寒い。
吹きつける北風が寒すぎて痛く感じる。
寒い、暗い。
目の前にはたくさんの明かりがあるけれど。
寒い、暗い、お腹が空いた。
もう何日もまともな食事は出来ていない。
『大丈夫、大丈夫だから』
暖かい。
その声はとても暖かい。
その声を聞くと、安堵して、安心して、安らげて。
とてもとても暖かい。
『何があっても、ホムラのことは兄さんが守ってやるからな』
好きだ、この声が好きだ。
いや、違う。
この声『も』好きなんだ。
だって私は兄さんの、全部が大好きなのだから。
物心がついた時からずっと辛かった生活。
お父さんも、お母さんも私達には居なかった。
暗い、寒い、汚い路地裏で私達は生活していた。
まともな服なんてないから、冬は寒くてたまらない。
帰る家なんてあるわけないから、雨風は常に肌で受ける必要がある。
ちゃんとした食べ物なんてなかなか食べられないから、時には汚い物でも我慢しないといけない。
辛い、辛い、辛い。
これじゃあ――
それに私達は普通の人とは違うみたいで、周りの人は私達を『半獣』と呼んでいた。
時には『半獣』という理由だけで酷い目に合わされることもあった。
特に私は『賢者』というものでもあるそうで、何度も捕まりそうになったこともある。
誰も私達のことなんて、考えてもくれなかった。
辛い、辛い、辛い。
これじゃあ何の為に――
『大丈夫だよ』
『兄さんがホムラのことは守ってみせる』
『絶対に、絶対にだ』
『お前を一人にはしない、置いていったりなんてしない』
『いつか……一緒に幸せになろうな』
暖かい。
声、ただの声。
されどそれがどれだけ僕の心を癒してくれることか。
生きている、生きていられる。
その顔で、その匂いで、その温もりで、その声で。
僕は、それだけで生きていられる。
『お前など私は知らない』
!!!
どうして……? どうして……?
それだけで、それだけで生きていきていけたのに。
ただ隣に居てくれるだけで生きていけたのに。
どうして、僕を置いていくの?
嫌だ、置いていかないで。
僕を一人にしないで……兄さん。
―作戦決行3時間前、夜―
「ほら、用意出来たぜ。俺のコネを使って本当は100万ギルトだったところを、特別に120万ギルトで買い取らせた。これだけありゃあなんとかなるだろう」
「サンキュー、ボサボサ」
ペイっと軽く手渡される分厚い札束。
多分ハルマが元の世界でそのまま生きていれば、一生縁のなかったであろう厚みだ。
お札もって「重い」と言えるような日が来るとは……悲しいがどこか感無量である。
「……お前、これネコババとかしてないよな?」
「しねえよ! このガーリック・モルドメインの名に懸けてな!」
「ガーリック・モルドメイン?」
「俺の名前だよ。そういやお前さんにはまだ言ってなかったな」
「だから『ボサボサ』って呼んでるんだよ」
なるほど、ボサボサはガーリック・モルドメインという名前なのか。
なんだか案外かっこいい名前だったことに、ハルマは純粋に驚く。
なんかこう、もっとそれっぽい名前だと思っていたから。
(それっぽい名前とは)
「……?」
「? どうした、ジバ公?」
と、ハルマの頭に乗っかるジバ公が訝し気な表情で何かを考えていた。
何かボサボサの名前に引っかかることでもあったのだろうか。
ジバ公は昔いろんな所を旅していたというし、実は知り合いだったとかか?
「うーん……。ガーリック・モルドメイン……どっかで聞いたことある名前なんだけどな……」
「昔の知り合いとかじゃないの?」
「だとしたら向こうが忘れてないよ。普通喋るスライムなんかと知り合ったら忘れないだろ」
「それもそうか」
「なんだったけかな……、うーん……」
自分の記憶にじれったいという感じで、ジバ公はひたすら悩む悩む。
まあそれに関してはハルマがどうこう出来るようなあれはないので、ただ見守るだけなのだが。
と、その時。
「怪我の具合はどうかな、ハルマ」
後ろから別の声が聞こえてきた。
そのシックスダラーには似合わない清潔感漂う声の主と言えば一人しかない。
「ああ、まあ大丈夫……かな? ありがとう、ソメイ」
ソメイ・ユリハルリス、聖王国キャメロットと呼ばれる国の騎士団長。
そして一切疑う余地もない心身両方のイケメンである。
あれか、こういう人の爪の垢を煎じて飲めば少しはハルマも変われるのか。
「なあ、今度爪の垢くれない?」
「……ハルマ、それは何指の垢がもっとも最適なのかな? 流石に僕も初めてのシチュエーションを20個の選択肢がある状態で自己判断しろというのは少し厳しいものがある」
「……冗談だよ、そんなマジで爪の垢貰う訳ないだろ。ガチになって考えるなよ」
「そうだったのか。うーん、君の冗談は少し分かりづらいな……」
「そうなのかな!?」
この場合おかしいのはソメイの方だと思うだが。
どうなんだろうか、もしかしたら異世界の常識的にはハルマの方がおかしいのか?
分からない……「爪の垢くれ」って言って「どの指が良いの?」は普通なのか!?
「ハルマ、もう一度確認しておくけれど」
「……、……あ、はい、なんでしょう」
「君はオークションに潜り込んだら、なるべく時間稼ぎつつ注目を集めるんだ。それがどこまで上手くいくかが今回の作戦の鍵になるからね」
「分かってるさ。なるべくに派手に目立ってやるよ」
「期待しているよ、ただ無理はしないでね」
さり気ない気遣い。
それが大事なポイントだと気づいたハルマは、早速脳内メモにバババっと記入。
次になんかの機会で使用するとしよう。
「……なあ」
「ん?」
「ちょっと気になったんだけど、ソメイはなんでここでこんなことに協力してるんだ?」
「え?」
「いやさ、ソメイは凄い国の凄い騎士なんだろう? ならなんかもっと他に仕事とかあるんじゃないかなと思ったんだけど。だってこれ、結局は下町の喧嘩のちょっと進化した版くらいのイベントだぜ?」
「……まあいろいろあってね。ちょっとした私用でこの辺りに訪れたら、少しばかり縁のあるガーリックさんに協力を頼まれたのさ。まあ今ここに居るのは完全に個人的な理由だよ」
「いいの? それ怒られないの?」
「問題ない……と思うけどな」
というかあのボサボサのおっさんとソメイに何かしらの縁があったことにびっくりである。
正反対とも言える2人なのに。
世の中人間関係とは難しいものだ……。
「さて、君はそろそろ寝た方が良い。作戦の決行は明日の未明だからね、もう少し時間はあるだろう」
「……分かった、じゃあそうさせてもらう……かな」
「? どうかしたのかい?」
「いや、なんでも。ちょっと最近夢見が悪いだけさ」
だがまあ、ただでさえ手負いの状態で体力の消耗が激しいのだ。
ここはしっかりと眠っておくべきだろう。
ハルマは悪夢に襲われないことを祈りながら、テントの中で瞼を閉じた。
―未明―
「起きろー!」
「おうわ!?」
突然、プニプニした感触が頬に激突してくる。
それがジバ公のタックルだと理解するのに3秒は掛からなかった。
「そろそろ出発するぞ!」
「起こし方! 前にも言ったけど優しさをくれ!!!」
これなら確実に起きられるけど、毎回目覚めと共に微妙な痛みを味わうのは嫌なのだ。
変な感触が肌に残って気持ち悪いし……。
「ハルマ、起きたかい? そろそろ行くよ」
「分かった……俺も準備は出来ている」
「そうか、それは頼もしい」
寝る前に準備は完璧にしておいた。
後は……作戦を見事遂行するのみである。
―オークション会場―
「さて! 次に商品はこちら!! 貴重な黒髪の半獣でございます!!!」
「おお……!」
会場にざわめきが走る。
その場に居る誰もが眼前に居るホムラを『人』としては見ていなかった。
当然だ、こんな所に喜んで居るような連中は、皆どうしようもない人でしかない。
「では1万ギルトから開始です! 皆さんどうぞ頑張ってください!!!」
ホムラの目に輝きはないが、その場に居る者は誰も気にしない。
いや、気付かない。
そんなこと彼らにはどうでもいいことだからだ。
「……」
されどホムラはそれに怒りや嘆きを感じることはない。
もう、そのまま流れるように流れていくだけ。
後のことなど、どうでも――
「10万ギルト」
「……え?」
「だから、俺はその娘に10万ギルト出すって言ってるんだ」
「……?」
その声と、その言葉をホムラは聞いたことがある気がした。
そうだ、確かマキラ大陸の貧民街でも、同じような言葉を……。
――ハルマ!?
視線の先に居たのは目慣れた少年。
同い年の男子と比べると小さい身体つき、女性のように整った顔、チクチクした茶色の髪。
疑う余地もなく、共に旅をしてきた少年……天宮晴馬だ。
ただし、今の彼は最後に見た時と違って酷く傷ついていたが。
「おい、小僧。ここはガキの遊び場じゃ――」
「これでも、文句あるか?」
パシンと10万ギルトの札束を床に叩きつける。
もちろんそれは偽物ではない。
れっきとした本物のお札である。
「なッ!?」
「これでもまだ文句があるか?」
「い、いや……金があるなら……文句はねえが……」
ハルマに声を掛けてきた大男は、少し驚いたような表情でハルマを見ている。
当然だろう、突然現れた手負いの少年が大金を床に叩きつけたのだ。
驚かないほうがおかしい。
「え、ええ……では10万ギルト、これ以上の額を出す方は居ますか?」
「……なら、15万ギルト」
「!」
「ガキ、残念だが世の中そう上手くいくとは限らな――
「18万ギルト」
「何!?」
「世の中そう――なんだって?」
「ぐっ――!」
細身の嫌な感じの男が忌々し気にハルマを睨む。
普段なら厄介なことこの上ないが、今は好都合だ。
何故ならこうやって張り合ってくれる分、時間を稼ぎやすくなるのだから。
「55万!」
「60万!」
「くそ、なら63万だ!」
「65万!」
そこからはひたすらいたちごっこ。
互いに少しずつ額を上げながら競争を続けていく。
嫌味な男はハルマがここまで対抗して来ると思わなかったようで、表情に驚きが分かりやすく見えていた。
と、いたちごっこが始まって15分程したその時、フードに隠れるジバ公がハルマに合図を送る。
(そろそろだよ、ここで一気にケリを付けて注目集めちゃいな)
(了解)
「畜生! なた80万でどうだ!?」
「おおっと! 一気に大きく出ました!! 果たしてこれに少年は――
「120万!!!!!!!!」
「……え?」
準備が整えばもう出し渋る必要はない。
持っているだけのお金全てで勝負するだけだ。
これで仮に負けてしまったら……どうすればいいのか分からないが。
「さ、さて120万ギルト、120万ギルトです!!! そちらの方はいかがなされますか!?」
「……そ、そんな額ある訳ねえだろうが! 小僧、てめえ嘘ついてんじゃねえぞ!!!」
「嘘なもんか! 疑うなら見せてやる!!!」
「!? てめえ何を!?」
ここからはソメイの仕事。
しかし、彼がやりやすくするくらいのサポートはしておくべきだろう。
ハルマは120万ギルトの札束を手に取り、思い切り――
放り投げた。
「なッ!?」
結果、札束は雨のようにひらひらと会場にばらまかれる。
そうすればどうなるのかは、分かり切ったことだ。
「よ、よこせ! それは俺のだ!!!」
「なッ!? ふざけんな!」
散らばったお金の奪い合い。
ハルマと嫌味な男の接戦を聞きつけて人が増えていた分、会場は大騒ぎである。
「ホムラちゃーん!!!」
「うわ!? ジバちゃん!?」
「ホムラ、今のうちに!!!」
「ええ!?」
そしてハルマは大混乱に乗じて会場を脱出。
後はソメイに任せれば大丈夫だろう。
「ハルマ!? 一体何がどうなって!?」
「説明は後! 今はここから出るよ!!!」
ホムラの手を取りハルマは長い廊下を全力で走っていく。
ちらっとホムラの方を見ると……やはりその頭には今まではなかった耳があった。
どうやら本当に半獣で、今まではそれを隠していたようである。
「……ハルマ、その」
「悪いけど話も後ね! 出たらたっぷり聞くし話すから!」
「分かった……」
「それは困りますねぇ」
「!?」
その時、正面から声が。
暗くて見えないが、確かに粘着質な男の声が聞こえた。
「どうも貴方はただの客ではないようですねぇ。何かしら良からぬことを企んでおいでのようでぇ」
「……」
「それは困るのですよぉ。なんせここは大事な大事な私のギルドな訳ですからぁ」
ねっとりとした嫌な声を響かせる男。
そいつは緑のおかっぱ頭に黒縁メガネ、そしてニヤリと嫌な笑みを浮かべていた。
服装も嫌味ほどに豪華で、どうしても生理的にハルマは受け付けない。
そんな男が誰かなど、言われなくても分かっている。
『シグルス』のギルドマスター、その名も――
「クノープ・シグルス!!!」
「おやぁ? 私のことをご存じなのですかぁ。しかしぃ、そうなのだとすれば不可解ですねぇ。貴方ぁ、私のことを知っているならぁ、私の権能のことも知ってるはずだと思うのですがぁ」
「ああ、知ってるさ」
「うむぅ……。ではぁ、何故このようなことをぉ? まさかぁ、勝てるとでもお思いなのですかぁ?」
ニヤリと、さらに嫌な笑みを浮かべながらにじり寄るクノープ。
しかし、その時だった。
「ああ、思ってるさ。思ってるから決行したんだ」
「!?」
声が聞こえてきたのは――上
つまり天井の上からである。
そして、次に声に対応するかのように天井がひび割れ……。
「おらぁーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
「なんとぉ!?」
ボサボサの男がハルマ達とクノープの間に割り込んだ。
「ムチャクチャだな、おい……」
「別にいいだろ? 問題はねえんだし」
「問題なら大ありですよぉ! 私の建物をこんなに破壊してぇ! どこの誰かは知りませんがぁ、こんなことしてただで――
「ただで――何だ? クノープ・シグルス」
「馬鹿なぁ! ありえないぃ、ありえないぃ! 何故ぇ、何故生きているぅ!? ガーリック・モルドメイン!!!」
「てめえに取られたもん奪い返す為に決まってんだろうが。俺があの程度でくたばるかよ」
動揺するクノープと不敵に笑うボサボサ改めガーリック。
どうやら2人の間にはハルマ達の知り得ない因縁があるようだった。
「この化け物めぇ!!!」
「化け物とは言ってくれるじゃねえか、まあ否定はしねえけどよ。さて……」
「――!」
「それじゃあ返すもん返してもらおうか! クノープ・シグルス!!!」
【後書き雑談トピックス】
あの後会場に居た連中は全員ソメイによって捕縛。
ついでに会場に居なかった少数も捕縛。
『シグルス』のメンバーはほぼ全員とっ捕まえてしまいました。
騎士サマ凄い。
次回 第41話「ガーリック・モルドメイン」
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