第19話 憤怒
「どうしてそんなに怒っているのか、教えてくれないかな? ジャックス長老」
穏やかに、されど心底不思議そうにキングはそう問いかける。
ハルマはその問いを聞き、全てを見通していそうなキングが状況を把握していないことに、おかしな意外さを感じてしまった。
それくらいキングの放つ雰囲気は『達観』に満ちていたのだ。
「……そうですか、ご存じありませんか」
キングの問いにジャックス長老……と呼ばれたモンスターの長は俯きながら、絞り出すように返事をした。
顔を上げようとしないのは、キングの問いに怒っているのだろうか。
しばし、ジャックスは顔を下げたまま、わなわなと震えていたが……。
「なら! お教えしますよ!! 15年前にこの森で何があったのかを!!!」
「――!」
突然、圧倒的憤怒と共に顔を上げて叫ぶ。
その顔は相変わらず布に隠れて見えなかったが、それでもハルマにもジャックスが今、『憤怒』と共に同じくらいの『悲しさ』を抱いているのがよく分かった。
……分かってしまった。
―15年前―
「よし、これで今回は十分だ。いつも悪いな」
「気にすることはないさ。お前さん達も生きていくのに木が必要なのだろう? なら、儂らに危害を加えられない限りは問題はない」
「ありがとうな」
15年前のある日、この日は数カ月に一度の『木こりの日』だった。
木こりの日とはまさに言葉のままで、スリームの住人たちがキングの森に入れてもらい、木を切っていく日のこと。
スリームの住民とモンスター達は協定を結んでいたので、この木こりはいつも円滑に行われている。
「……とはいえ、こっちも貰いっぱなしってのはどうにも申し訳ねえ。今度何か差し入れでも持ってきてやるよ」
「気にすることはないと言うておるのに。レオ、お前さんは本当にお人好しだのう」
「そうか? これくらい当然だと思うがな」
はっはっは、と二人でひとしきり笑う。
すると、遠くから作業が終わったとの掛け声が聞こえてきた。
「悪い、そろそろ行かねえと。それじゃ差し入れ……多分魚になると思うが、楽しみにしててくれ」
「おうおう。精々豪華な魚を持ってきておくれよ」
「へっ、簡単に言ってくれやがる」
ニッと笑いあった後、レオはその場を後にした。
しばし一人その場に残るジャックス。
すると今度は後ろから彼に向けて声が掛けられる。
「おー、ちょーろーここに居たかー! レオと何か話してたかー?」
「リークか。ああ、少し今度の差し入れの話をな」
「差し入れ! レオ今度何か持ってくるのかー?」
「らしいぞ」
「そっかー!」
もういい歳なのに子供のようにはしゃぐ『リーク』と呼ばれたモンスター。
リークは小さなジャックスとは反対に身長は高く、腕も足も逞しい筋肉でモリモリだった。
そんな彼はジャックスの一の親友だ。
昔、まだジャックスがキングの森に来る前。
ジャックスが他のモンスター達に襲われ、殺されかけていたところを助けてくれたのがリークだ。
リークはその後、瀕死のジャックスをキングの森まで運んで手当てをしてくれた。
さらに行き場をなくしていたジャックスに、この森という居場所を与えてくれたのも彼である。
ジャックスにとってリークはまさに『命の恩人』であった。
「なんでも美味い魚を持ってきてくれるそうじゃ。刺身にでもして皆で食おう」
「そうだなー! 楽しみだなー! レオ早く来ねーかなー!」
楽しみな未来を想像し、今から腹が空き始めてしまった二人。
そんな自分達のせっかちさを笑いながら、まだ来てもいない魚の調理法をいろいろ話し合いながら、二人は森の奥に戻っていった。
その日が訪れることがないなんて、微塵も思いはせず。
―夜―
深夜。
この頃から長老だったジャックスも、流石に眠っている時間。
そんな夜更けに、ジャックスは何故か目を覚ました。
「?」
がしかし、自分が何故目覚めたのか分からない。
朝はまだ遠く、何かやり忘れたこともありはしない。
「……」
少し変に思いながらも、再び横になるジャックス。
少しづつまた意識が眠りに落ち始めた、その時――
「――!?」
身震いするほどに不気味な風が森全体に流れた。
「な、なんだ!?」
気のせいだった……とは思えない。
あまりの不気味さに若干の吐き気があるくらいだった。
一体何が起きたのかは全く分からないが、絶対に良くないことなのだけは確かである。
ジャックスは急いで身支度を整えると、住処を飛び出し森の奥に向かって行った。
「ちょーろー! なんかやべぇーぞー!」
「ああ、分かっている!」
森の奥に走っていく途中でリークと合流。
相変わらずリークの雰囲気は変わっていないが、それでも表情には『困惑』と『動揺』があった。
走れば走る程に強くなっていく不気味な感覚。
心臓の鼓動がどんどん速くなっていき、二人は心臓が破裂してしまうのではないか、と思う程だった。
しかし――
「――――」
その心臓は、目の前の衝撃を前にして、寧ろ一瞬で動きを止めた。
「な……ああ……」
広がっていたのが地獄。
血塗れ、血みどろの地獄絵図。
大量に転がる仲間たちの死体と、森を赤く染めようとしているかのような血の海。
あまりの光景にジャックスは吐き気を抑えるが困難なくらいだった。
「あら?」
だが、吐き気は無理矢理にでも引き締まる。
なぜならそれ以上の感情がジャックスを縛り上げたからだ。
「まだ、こんなに大きな命を抱えた方がいらしたんですね」
凄惨な地獄の中心に立つ一人の女。
地獄のなか、彼女だけがその苦痛を味わっていない。
即ち、彼女こそがその地獄の生みの親だった。
「貴様……何者だ」
「私ですか? 私は7つの大罪、【憤怒】の罪を司る者です。噂を聞いてやって来てみたんですが……やっぱりそうでしたね」
【憤怒】、女は自らを【憤怒】だと名乗った。
【憤怒】は一見普通の人間に見えた。
長くも短くもない普通の赤髪。
大きくも小さくもない体格。
豪華でも質素でもない服装。
強いて言えば顔の美しさは目を見張るものがあったが……地獄の中ではそれは逆に不気味に見える。
だがそれ以上に、この地獄の中で平然としているその様子こそが、何よりも【憤怒】の不気味なとこであった。
「貴様は……何をしている?」
「何をですって? 簡単なことですよ、救済です。命という苦痛の根源たる足枷からの解放を行っているのですよ。ああ、ごめんなさいね。貴方達もすぐに解放してさしあげますからね?」
甘やかすように、安心させるように、『命を奪う』と宣告した【憤怒】。
ムチャクチャな理論と、グチャグチャの在り方がただただ不気味さを増幅させる。
ジャックスは怒りよりも、悲しみよりも、気持ち悪さが一番大きかった。
「ふざけるなよ、狂人! 貴様、このようなことをして生きて帰れると思うな!!!」
「そーだぞ! おれ達おこったぞー!!」
「あらあら、それは困りましたね。大丈夫ですよ? 死は一瞬で訪れます、痛みも苦しみもありません。だから怖がらなくても平気です」
「こわがってるんじゃねー!!!」
話し合っても無駄だと判断したのだろう。
リークはその剛腕で掴んだ棍棒を勢いよく【憤怒】に振り下ろす、が……。
「え、あれ……?」
棍棒は【憤怒】には当たらない。
否、当てられない。
何故なら――
「ほら、痛くないでしょう?」
そもそもリークの右腕がなかったから。
「リーク!!!」
振り下ろそうとして、リーク初めて腕がなくなっている事に気付いた。
いや、正確に言えば初めて『千切られている』ことに気付いた。
だが不思議なことにそれを認識しても痛みがない。
あるはずの痛みが全く出てこない。
ただ無造作に引きちぎられた腕のから血が零れるだけ。
痛みは、ない。
「な……なんでだ……?」
「そういう力ですから。苦痛から解放するのに、苦痛を与えては意味がないでしょう?」
「――ッ!」
リークの顔が青ざめる。
一見、『痛みのない傷』なんて弱く思えるかもしれないが、リームはその危険性を一瞬で察知した。
痛みは脳の危険信号だ。
危険な時に、『これ以上は止めろ』とサインを出してくれている。
だが、それがないということは今どこが危険なのか察知出来ないということ。
つまり、最悪の場合自分の行動で勝手に自滅してしまう危険性すらある。
「リーク! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……なのかは分かんねー……。でも痛くねーのは確かだなー……」
「痛くない……?」
「ちょーろー、気を付けろ……。アイツの攻撃は痛くねーんだ。超あぶねーから……気を付けねーと……死んじゃうぞ……」
意識が朦朧とし始めるリーク。
無理もない、痛みはなくても腕は確かになくなっている。
止血も出来ていないことから、どんどんと血は失われていき、確実に命を削っていっている。
苦痛なくして死が近づく奇妙な感覚がリークを襲っていた。
「さてさて。ここの方達は親切でしたから素早くことが進んだとはいえ、私にもそれほど時間はありません。そろそろ終わりにしても良いですか?」
ニヤっと笑いながら、【憤怒】は一歩一歩近づいくる。
死が、死が迫る。
苦痛のない、苦痛を与えてくれない死が。
ここのモンスター達は人間達を信頼していたが故に、簡単に事が進んで上機嫌な死が。
「く、くそ……! どうすれば……!!!」
勝ち目が見えなかった。
ジャックスは一体どうやって瀕死のリークを庇いながら、『痛みのない傷』を与えてくる【憤怒】を倒せばいいのだろうか。
もちろん【憤怒】の脅威は能力だけじゃない。
そもそもリークの剛腕を引きちぎる桁外れのパワーもあるのだ。
……勝機がない。
だからこそ、リークは躊躇わなかった。
「……ちょーろー、ごめんな」
「? 何を――リ、リーク!?」
「ちょーろー、元気でなー! みんなと仲良くなー!」
「リーク! 何を! リーク!!!」
残った左腕でジャックスを掴むと、リークは全力を込めてジャックスを森の外まで投げ飛ばした。
それはそれは凄まじい勢いで、簡単に森の外まで抜け出しただろう。
もちろんその様子を見て、【憤怒】はあからさまな不快感を露わにした。
「……酷い人ですね。貴方はあの人にこれからも『命の苦痛』を味わうことを強制されるなんて……。残酷残虐極まりない、少しばかり憤怒の炎が私の心に燃え盛りましたよ」
「? ――!? ああああああああああぁぁぁあああああああああああああああああああぁああああああああああぁぁあぁ!!!!!?????」
瞬間、痛みがなかったはずの右腕から信じられないほどの激痛が迸る。
だがその痛みはどう考えても右腕の喪失だけが原因ではない。
そんなレベルの痛みではないのだ。
「お仕置きです。甘んじて受け入れてください」
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!! がががががががががが」
痛みが、痛みが、圧倒的な痛みが蝕む。
脳を蝕む、魂を蝕む、命を蝕む。
何も思い出せない、走馬灯なんて見えやしない。
ただただ痛みだけが全てを支配し、リークは闇の中に堕ちた。
「ふう……。一人だけ解放してさしあげられませんでしたけど、まあ良しとしますか」
地獄を見て、『上出来だ』などとぬかした【憤怒】は、そのまま何処かへと消えていった。
―現代―
「それから……儂が村に戻ったのは次の朝じゃったよ。何も……何も残っておらんかった。一人も生き残りはおらんかった……。おったのは儂と、行商に森を出ていた数人だけ。森のモンスター達は老若男女問わず皆殺されたよ……」
「……」
「だから儂は誓った。もう二度と人間は森に入れないと、もう二度と信頼しないと! もう二度とあの悲劇は引き起こさないと!!!」
「――!」
それは強い強い叫びだった。
命と魂の籠った信念の叫び、そこに他者が介入する余地はない。
と、ハルマは思ったのだが――
「うん、ジャックス長老の言いたいことは分かったよ」
「!?」
キングは何の躊躇いもなく介入した。
「確かにそんな辛いことがあったなら、そういう気持ちになってもおかしくないね。誰も信頼したくないだろうし、目を背けたくもなる。でもね?」
「……」
「憎むべき相手を間違えないであげて欲しいんだ。レオ船長が、そこに居る彼が、君に何かをしたかい? すると思うかい? 今までたくさんの人を見て、その日からもっとたくさんの人を見てきただろうジャックス長老なら分かるんじゃないかな?」
若干ズレているような気がしないでもないキングの言葉。
確かに言っていることは正しいかもしれないが、無理があると言われてもおかしくはない理論だ。
「怖がって、恐れて、何もことを起こそうとしないのはダメだよ? それだと確かにマイナスにはならないかもしれないけど、プラスにだってならないからね。辛く苦しいことがあっても向き合わなくちゃ」
「なッ! 何を分かったようなこと――
「知ってるでしょう? 私が、本当に『分かっている』ことくらいは」
「ッ――! た、確かに……そうですが……」
黙り込むジャックス。
そんなジャックスに、キングはなおも言葉続けていく。
「辛いことや悲しいことにいつまでも捕まっていてはいけないよ。前に進んでいかないと。……リークに言われたんだろう? 『みんなと仲良く』って」
「――!!!」
「彼の最後の言葉、忘れてしまうのかい?」
流れるように綺麗に、されど確か強さを感じるキングの言葉。
ジャックスはこの言葉を聞いて……涙を零していた。
「……そうだ、分かっていた。最初から分かってはいたんだ……。こんなのただの逃げで、臆病でしかないって……。でも、でも、でも……怖かった……」
「……」
「もう失うのは嫌だ……もう失くすのは嫌だ……。だから何も得ないようにした……得なければ何も失わないと……」
「すまんリーク……、儂は……あまりにも弱かった……」
森に響く小さな鳴き声。
己の弱さと親友への想いを乗せた涙は、しばしの間流れ続けた。
薄暗い森に、その声を響かせながら。
【後書きモンスター図鑑:ゴブリン】
ジャックスやリークは通称『ゴブリン』と呼ばれるモンスター。
森の賢者と呼ばれるほどに賢く、会話も余裕で可能。
争いは好まず、基本的に森に隠れて暮らしている。
次回 第20話「そして新大陸へ」
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