~孤児! 路地裏の天使が舞い降りた~
路地裏の天使は空から舞い降りてきて――じゃなくて。
どこからか走ってきて、そのまま男を蹴り飛ばした。
「おりゃあああああああああ!」
しかも元気いっぱいに。
男は、ぐぅ、とうめくように私の隣に倒れた。私は慌てて逃げようとしたけど、身体に力が入らなくってすぐには動けない。地面に倒れたまま、天使を見上げた。
「て、てめぇ……ガキが……!」
お腹をおさえながら男が低く声を出す。
まるで口から呪いを吐き出しているみたいだった。
やっぱりこの男は人間ではなく魔物なんじゃないか。そんな風に思ってしまったけど、路地裏の天使は平気な顔をして男を見下ろした。
下からだと天使の顔が見えた。
頭からすっぽりと布をかぶっているけど、綺麗な金色の髪が見えた。でも、布はボロボロだ。裸足だし、手も汚れている。
だけど、瞳は青く綺麗だった。
同じ孤児のはずなのに、私とは違う綺麗に澄んだ瞳をしている。
かぶってる布の奥からはらりと金色の髪がこぼれた。
それも綺麗だった。
天使って言われるのが分かる。
いいえ。
きっと本物の天使なんだ。
「ぐ、くぅ……おまえから先に、タダで済むと思うなよ……ガキが」
「痛くてうずくまってるのに、何で強気なの?」
「て、てめぇ……!」
「うるさい、ばーか、変態」
天使はうずくまったままの男に向かって足を振り上げた。踏みつけるのか、と思ったけど違う。足を振り上げたんじゃなくて、蹴ったんだ。速すぎて見えなかった。
かくん、と男は顔をあげたかと思うとそのまま目をぐるんと上へ向けて気絶した。
「ひっ」
白目を剥いたその顔が恐ろしかったので、私は思わず悲鳴をあげてしまう。
たぶんだけど顎を蹴ったのかな。
速すぎて見えなかった。
「だいじょうぶ?」
天使が私を覗き込んできたので、私は慌てて立ち上がろうとしたけど……やっぱり足が震えて立てなかった。
「ダメか。じゃぁ、これ飲んで」
天使はどこに持ってきたのか分からないけど、小さな瓶を取り出した。水が入ってるみたいで、フタを開けると手渡してくれる。
それを受け取り、飲んでいいのかちょっと迷った。これって天使が飲むために持っていた水でしょ。だから私なんかが飲んでいいのかな、と思ってしまった。
「毒じゃないよ。ポーションだから」
えぇ!?
ポーションって回復薬のポーションのこと……だよね。
神殿で神さまにお金を捧げるともらえる水で、冒険者が買っていく薬だ。
孤児院にいた時に、何度も冒険者が買っていくのを見たことがある。でも天使はどうやってポーションを手に入れたんだろう?
……あ、そうか。神さまにお祈りを捧げるとポーションができあがるんだから、天使は――天使さまはポーションが作れるんだ。
だって、神さまの使いなんですもの。
天使って本当にいるんだ。
「ん……」
私はポーションを飲む。味は水と変わらない。でも、じんわりと身体が温まるような感覚があった。寒くて冷たくて痛かったのが、少しだけやわらいだ気がする。足の震えもおさまった。
ポーションってすごい。
「あ~ぁ、せっかくの食べ物が。もったいないなぁ」
私がポーションを飲んでいる間、天使さまは地面に落ちた食べ物を見ていた。土や砂が付いてしまっている。でも、天使さまは躊躇なく拾い上げて、砂とか土を払って食べた。
「んふふ~」
あぁ。
本当に路地裏の天使なんだ。天使も――天使さまも孤児なんだ。私と同じ、捨てられた子どもなんだ。
そう思った。
「そろそろ立てる?」
私は、こくん、とうなづくと立ち上がる。もう足は震えていない。横で倒れている男は怖いけど、身体が震えることはなかった。
「大丈夫そうね。でも、前は隠したほうがいいよ」
男に服を破られたので、肌が見えてしまっている。私は両手で破れた場所を掴むようにして前を隠した。
そして前を見たら天使さまの姿が無かった。
「え?」
慌てて探したら、少し先を歩いているのが見えた。
お礼とか、まだ言えてない。
それに、まだ食べ物は落ちていて残っている。これも全部天使さまに食べてもらいたい。
私は慌てて食べ物を拾う。
見失わないように顔をあげると、天使さまはこっちを見ていた。
でもすぐに歩き出したので、私は立ち上がって天使さまを走っておいかけた。でも、ある程度を追いついたかと思うと天使さまは走り出した。
「な、なんで」
逃げないで!
叫びたかったけど、私が声を出すと迷惑かもしれないから、何も言えなかった。
私と話すのが嫌なのかな。
そう思って足を止めたら天使さまの足も止まる。
ど、どういうことなんだろう?
私が追いかけているはずなのに、どうしてほとんど同じタイミングで天使さまは止まることができるの? 前を走っているはずなのに、私が歩けば歩くし、止まれば止まる。走ったら天使さまも走る。
しばらく止まってると、私に振り向いてくれる。
「付いて来いってこと?」
そう思って歩き出したら天使さまも歩き出した。
不思議。
私を見てから歩くんじゃなくって、前を向いてるはずなのに私の歩き始めてすぐに天使さまも歩き出す。
スピードもいっしょ。追いつこうと思っても追いつけない。でも、ゆっくり歩いても全然離されない。
やっぱり天使さまってすごい。本物なんだ、って思った。
私はそのまま天使さまに付いていく。路地裏を進んでいく。いつもなら、そこかしこに同じ路地裏で生きる大人たちの姿があるのに。今日は不思議とそんな人たちに会わなかった。
これも天使さまの力なのかな。
なんて思いながら歩いて行くと――外壁の近くにある家に到着した。少し大きめの家だけど、窓は見当たらない。倉庫みたいだ、と思った。
私は少し離れたところから天使さまの様子を見る。家の前……扉の前に立って、何かしてる。
手のひらを開いて、指を折るようにしていた。
数えてる?
なんか、扉がちょっと光ってるし……なにをやってるんだろう?
そう思ってたら扉が開いた。
「……」
天使さまはこっちを見て、おいで、と言ったような気がする。実際には聞こえなかったけど、そんな声が聞こえた気がした。
あと手招きもしていたし。
扉が閉まってから、私はまわりを確認してからその家に近づいた。
「ここ……?」
扉の前には人がひとり乗れるくらいの小さな板みたいなのがあった。金属製で、なんか靴みたいなマークが刻んである。
乗れってことかな。
そう思って上に乗ると、扉がほのかに光り出した。
「わ」
驚いていると、光の中に何か浮かび上がるのが見えた。
なんだろう?
数字? 記号? 文字が読めないから分からない。
でも――
『1+2は?』
って声が聞こえてきた。
扉がしゃべった!
えっと……1たす2?
「え?」
け、計算? 算数って言うんだっけ?
えっとえっと……そういえば、さっき天使さまも指を立てたり折ったりしてた……計算してたんだ!
「1だから、1立てて、そこに2だから……3!」
私は答える。
もしかしてこのぼんやり見えている文字みたいな物って数字かな。1と2ってこと? じゃぁ真ん中のが『たす』だ。
なんて思っていると、がちゃん、と扉が開いた。中から温かい空気が出てくる。孤児院でも暖炉があったけど、ここまで温かくは無かった気がする。
私はおそるおそる家の中に入った。扉は分厚くて重そうだったけど、私が中に入ると自動的に閉じた。
家の中は温かくて真新しい木で出来ているのが分かる。とても綺麗だった。
天井を見るとランプの明かりじゃなくて、なにか石みたいなのが光って明かりになっていた。魔法の明かりなのかもしれない。不思議。もしかして神さまが使っている家なのかも。
でもそれ以上に気になったのが、目の前にあるテーブルと巨大なケースに入った料理。
いいにおいがする。
お腹が空いた。
食べたい。
お皿が何枚も準備してあって、それを使うんだと思うけど……孤児院でも見たことないような真っ白で綺麗なお皿だった。
これも神さまや天使さまが使ってるお皿なのかもしれない。
私はお皿を取り、大きなケースの前に立った。透明なガラスで出来てて、パンと大きなお鍋があるのが見える。
でもなんか、違和感があった。
「……」
食べたい。
食べていいのかな。
ガラスのケースに入っていて開けていいのかどうか分からなかった。天使さまのごはんを勝手に食べたら、神さまに叱られるかもしれない。
でも、足元を見ると扉の前にあった靴のマークが刻んであるプレートと同じやつがある。
「もしかして」
上に乗ったらいいのかな。
そう思って乗ったら、またガラスがほのかに光って文字みたいなのが見えた。
『3+2は?』
また計算だ。
私は両手を使って一生懸命に計算した。片手で充分だったけど。お皿を落としそうになったけど。ちゃんと計算する。
「5!」
私が答えるとガラスケースが開いた。
そこで違和感が何か分かった。
透明なガラスじゃなくって、実は分厚い金属に描かれた絵だった。すごく上手に描かれていて、ぜんぜん分かんなかった。
天使さまが描いたのかな。
すごい。
「取っていいのかな」
何かケースの奥に文字が書いてあるのが分かった。でも、読めない。ルールが書いてあるのかもしれない。勝手に食べるな、とか。
「うぅ」
でも、美味しそうなにおいがする。私はお鍋のフタを開けてみた。そこには黄色い液体が入っていた。
おたまもあったので、ちょっとだけすくってみる。コーンスープだった。温かいままで湯気がほわりと出てる。美味しそうだった。
「もう、おこられてもいい」
そう思って、深皿にスープをいれて、お皿にパンを乗っけてケースから取り出した。
外に出て行こうかと思ったけど、この温かい場所から出るのは嫌だった。だから、奥に続く扉の前に移動する。また計算しないといけないのかな、と思ったけど普通の扉だった。
スープをこぼさないようにしながら扉を開けると――そこは大きな部屋になっていた。
そして、私の他にも孤児がいた。
一目で孤児と分かる子たちばかりで、みんなボロボロの姿だった。
でも。
みんなごはんを食べてたり、床に座っていたり、暖炉の前にいたりする。
毛布にくるまって眠っている子もいた。
その中に天使さまの姿はどこにもなかった。
「あなた、初めてね」
床に座っていた女の子が立ち上がって声をかけてくれた。
「う、うん」
「座って、ゆっくり食べてね。あそこに毛布があるから。トイレもあるから行きたくなったら言ってね」
それだけ言うと、女の子はまた元の位置に戻った。
私はおっかなびっくりとその子の隣に座って、温かいスープを飲んだ。
美味しかった。
「う、うぅぁ……」
涙が出るほど、美味しかった。
ゴミをあさって食べるんじゃなくて、落ちた食べ物を食べるんじゃなくて、冷えてしまったものでもなく、ちゃんと温かいスープが食べられるなんて。
嬉しかった。
孤児院でも、私が飲めたのは冷たいスープだったから。
温かいスープを飲めて、嬉しかった。
泣きながらごはんを食べおわると、ようやくまわりが見えた。壁には色々な文字が書いてある。数字じゃなくて、ちゃんと言葉の文字だと思う。読めないけど、何か書いてあるのは分かった。
その文字の下にはプレートがある。靴のマークが描いてあった。たぶん、あの上に立ったら何か起こるんだろうな。
そんな風に部屋の中を見まして、やっぱり天使さまがいないことに気付いた。
「あの……」
だから、声をかけてくれた女の子に聞いてみる。
「どうしたの? トイレ?」
「いえ、違うくて……その、天使さまはどこに? お礼がしたくて……」
私は自分で持ってきた食べ物を見る。土と砂にまみれた食べ物。こんなにも美味しいパンとスープがあるんだったら、天使さまはいらないかもしれないけど。
でも、私にできるお礼はこれしかない。
女の子は首を横に振る。
「どこにもいないわ。探しても見つからないの。みんな探してるけど、出会えたのは最初の一回だけ」
「そうなんだ」
「きっと本物の天使で、ここは天界なのかもしれないわね」
計算しないと入れない天界っていうのは変だけど。
女の子は笑う。
ここが天界っていうのは、そのとおりだと思った。
私は部屋の隅に折りたたんであった毛布を手に取る。新品じゃなくて、少しオンボロだったけど、こんなに温かい毛布なんて知らない。孤児院にあったものはもっともっと薄いペラペラの毛布だった。それさえも私は使えなかったけど。
「温かい」
こんなにも温かい物だったなんて知らなかった。
私はすぐにウトウトとした。
お腹がいっぱいになったのと、温かさと、そしてなにより、安全に眠れることが分かったので。
まぶたが重くて、おぼろげな状態で女の子が声をかけてきた。
「計算ができるようになりなさい。文字を覚えなさい。この冬の間に。朝にはこの家を出ていき、夜には帰ってきなさいな。そうすれば、また温かいパンとスープをあげましょう。あなた達が春には働けるように、努力をしなさいね」
真っ黒な長い髪に紅い瞳。
よく見たらぜんぜん孤児っぽくない綺麗な女の子だった。
数字を覚えます。計算もできるようになります。文字も覚えます。
がんばります。
「はい、天使さま。がんばります」
「わたしは吸血鬼ですわ」
「ふふ」
天使さまも冗談を言うんだ。
なんて思いながら。
私はすぐに眠りに落ちたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます