~孤児! どちらが冥府で地獄なのか~

 路地裏に逃げ出して、初めての冬がやってきた。

 寒くて痛くて泣きそうだった。

 ……違う。

 ホントは毎日、泣いてる。

 空気は冷たくて痛いし、お腹はすいてるし、足は冷たくて動かないし、手は痛くてかじかんでる。

 もう死ぬかもしれない。

 次に寝たら、もう二度と目が覚めないかもしれない。

 それが怖くて怖くて、泣きながら眠って……また起きてしまう。ほんとは二度と起きられないことを期待してて、でもやっぱり目が覚めてしまって。

 そして刺すような寒さにみを縮ませる。

 もう一度眠ったら、今度こそ死ねるんじゃないのか。

 怖い。でも、どこか期待してしまう。

 違う。

 嘘だ。

 死ぬのは怖い。


「……」


 諦めて起き上がった。

 目が覚めると、また泣きそうになる。

 まだここで生きなきゃいけないのかって。

 泣きそうになる。

 だったらもう、何もかも諦めて死ねばいいじゃないか。なんて思うけど、私のお腹はすくし、食べ物を探しちゃうし、少しでも体を温めようとする。

 死にたくないけど、死にたい。

 終わりたいけど、終わりたくない。

 つらくて苦しいから、もうやめてしまいたい。

 でも、やめられない。

 でも。

 でも。

 でも。

 あそこにいるよりマシだった。

 そんな気がする。

 殴られて、好き放題にされて、ごはんも取り上げられて、毛布もない。命令されて、笑われて、誰も助けてくれなくて、ただひたすらに耐えるだけの毎日。

 硬く冷たいベッドの上で眠れるだけで、そこに私の人間らしい生活は無かった。

 助けて、と訴えてもダメだった。

 誰も私を助けてはくれない。だって私を助けたら自分たちもターゲットになるから。暴力を受け、身体を好き放題にされて、人間じゃなくなってしまうから。

 私は道具だった。

 意思のある、動くだけの〝物〟だった。

 犬や猫のほうがマシだ。

 だって、蹴られたり殴られたりしない。餌をあさるだけで生きていける。肉奴隷なんて呼ばれない。無理やり痛いことをされない。苦しむ姿を見て笑われたりしない。虫を食べさせられない。椅子になれ、なんて言われない。舐めさせられない。泥棒をさせられたりしない。死ねって言われない。死にたいなんて思わない。

 私は犬以下で猫以下で、虫以下の死んでない物だった。

 親から捨てられただけなのに。

 同じ親から捨てられた人間に好き放題にされた。

 そこに理由なんて無かった。

 ただ、私が選ばれただけ。

 たまたま、その役目が私だっただけ。

 大人たちに訴えても、何にも変わらなかった。ただ行為がエスカレートしただけで、地獄が続くだけだった。

 もうそんな毎日が嫌で、逃げ出した。

 路地裏は恐ろしかったけど、毎日自分でゴミをあさったりして食べ物を探さないといけなかったけど、寝床を大人に取られたりしたけど。危ない目に何度もあったけど。

 でも。

 私のことを人間として扱ってくれる。

 虫より下の死んでいない生き物じゃなくて、ちゃんと孤児としてみてくれる。

 それはとても嫌な視線だったけど。

 ぜんぜん歓迎されていない雰囲気だけど。

 私を見てニヤニヤと近づいてくるあいつらより、よっぽどマシだった。

 毎日死にたくなっても。

 自分では死ぬことも許されなかったあの頃に比べたら。

 今は、どれだけ恵まれているか。


「……」


 そう思ったけど。

 やっぱり寒いのは辛くて痛くて嫌だ。

 冬がこんなにも苦しいものだなんて……知っていたけど、知らなかった。壁が一枚無くなって、薄い布団とベッドがなくなるだけで、こんなにも違うだなんて。

 知っていたけど、知らなかった。

 私はのそりと立ち上がる。

 夕暮れで、もうすぐ夜が始まる時間だった。一日が終わる時に私は起きる。夜は寒くて眠れなくて、気がつけば朝に眠るようになって、夜に起きる毎日になった。


「ギャハハハハ!」


 大きな笑い声にびくりと身体を震わせる。

 あいつらがやってきたかと思ったけど違った。冒険者だ。冒険を終えて帰ってきたみたい。


「あ、なんだ?」


 そっちを見ていたら睨まれた。

 私は慌てて逃げる。

 冒険者は怖い。武器を持ってるし、魔物を相手に戦うことができる人たちだ。

 私なんか殴られたら、一発で死んじゃう。

 だから逃げないといけない。

 日の当たる大通りから路地裏に逃げた。

 暗い暗い、冷たい闇の中に入り込んだみたいで、ボロボロの靴から冷たさが染み込んでくる。

 そんな中を静かに移動して、ランプを掲げている建物を見つけた。

 私はそのランプの下に移動する。

 窓の近くなので、建物の中から見つからないように屈んだ。ほんのわずかでも、ランプの温かさを感じていたいけど、少し離れるだけで冷たくて寒い。窓から漏れてくる温かさも壁が分厚くて感じ取れなかった。

 ここはダメだな、場所を変えよう。

 そう思っていたら建物の中から話し声が聞こえてきた。


「聞いたか、『路地裏の天使』の話」


 路地裏の天使?

 それってなんだろう、と私は移動する足を止めて、窓の下に留まり続けた。


「聞いたわ。あれでしょ? 路地裏に金色の天使が舞い降りた」

「それそれ。一度でいいから見てみたいものだ」

「本当なのかしらね。孤児だけを助ける天使なんて」


 孤児だけ?

 助けてくれる……?


「その天使も孤児らしい。だが、ボロボロの布からは金色の綺麗な髪が見えるそうだ」

「私が聞いたのは獣耳種の女の子らしいわよ。頭からかぶってる布にふたつの膨らみがあって、猫タイプじゃないかって」

「なんにせよ、孤児を助けるなんて」

「物好きな天使もいたものね」


 そう言って笑う男女。

 私はその場から離れた。


「路地裏の天使……孤児を助けてくれる……」


 もしそれが本当なら。

 私も助けてもらえるかも。


「……」


 なんて。

 そんな期待は持たない方がいい。

 だって、大人は誰も助けてくれなかったんだから。天使だって、きっと助けてくれるわけがない。

 それに。

 たった一度助けてくれたところで、意味はない。

 明日もあさっても、そのずっと先も。

 冬はまだまだ続くのだから。


「……寒い」


 路地裏をトボトボと歩く。

 いつの間にか色街に近づいて来てたみたいで、賑やかな声が聞こえてきた。ゲラゲラと笑うような声。きっと冒険者の男に違いない。もしかしたら商人かも。

 あの場所って男ばっかりだと思ってたんだけど、違った。女の人もそれなりにいる場所だった。男の娼婦もいるんだなぁ、なんて思った。

 勇気を出して、


「私も娼婦になれますか?」


 と聞いたことがある。

 そういう行為なら平気だ。

 だって散々やられたんだもの。

 だから私でもできるはず。

 そう思って、聞いてみた。

 娼館に連れていかれて、怖そうな男の人が部屋の中にいた。

 ジロジロと見られて、服を脱がされて身体も全部見られて、ダメだ、と言われた。年齢の割りにボロボロだから、と理由を教えてもらえた。

 これでは買ってもらえない。おまえは商品にならない。

 そう言われた。

 全部あいつらのせいだった。

 娼婦にもなれなくなったのは、あいつらのせいだった。

 私が娼婦になれるかどうかチェックしてくれた人は、私に食べ物をくれた。そして、二度と来るな、と言われた。あいつらに比べたら神さまみたいにイイ人だった。

 そんな色街からゲラゲラと笑いながら冒険者が歩いてきた。

 酔っ払ってるみたい。まだ夜になったばかりなのに。食べ物を片手に仲間と話をしながらこっちに歩いてきたので私は慌てて路地のすみっこに引っ込んだ。


「ああ?」


 でも冒険者たちは立ち止まった。怖い。どうしよう。私、何もしてないのに。また、何もしていないのに殴られたりする……!


「見ろよ、孤児だ。こんなカワイイ孤児が路地裏にいるなんて世の中間違ってる! だよなぁ!?」

「あ~、なんだ? おまえが領主になったらいいじゃねーか」

「おうよ、なってやる。オレが孤児を全員雇って平和で素晴らしい街にしてやるよ」


 ギャハハハハハ、と冒険者は笑った。


「こいつはその前祝いだ。受け取れ、孤児っ子」


 冒険者は私に持っていた食べ物を差し出した。サンドイッチにチキンにパンにたまご。こんなにくれるの?


「あ、ありがとうございます……天使さま」

「天使? オレが!?」


 冒険者はギャハハハと笑った。


「オレが天使なら、孤児っ子は……なんだ?」

「人間だろ」

「それだ。頑張れ、人間」


 バンバンバン、と肩を叩かれた。めちゃくちゃ痛かったけど、なんか嬉しかった。食べ物をこんなにいっぱいもらえたのは初めて。

 私は笑いながら去って行く冒険者を見つめた。

 たぶんきっと、路地裏の天使ってあんな人たちのことを言うんだ。

 冒険者が見えなくなったところで私はさっそくもらったパンを食べようと口に運んだ。一口食べて、パンの味ってこんなだったなぁ、なんて思って。

 また泣きそうになってたら――ドンと後ろから押された。


「え?」


 私はその場に転んでしまって、もらった食べ物が全部地面に落ちてしまう。

 あぁ、なんてもったいない。

 慌てて拾おうとしたところで手を踏まれた。


「いた!」


 声をあげて、驚いて、見上げる。

 大人がいた。路地裏で生きてる男だった。髭だらけな顔で、真っ暗な中で、目だけが血走ったように私を見下ろしている。


「なぜおまえだけ」


 何か言った。


「どうしておまえだけが喰い物をもらえる」


 何か言ってる。

 でも、手のひらを踏まれてて、痛くて、怖くて、良く分からない。


「どうしてだ!?」


 知らない。

 分からない。

 私、何にもしてない。

 ただもらっただけ。

 欲しいなんて一言も言ってない。


「ズルイ。ズルイ、ズルイ!」

「痛っ!? や、やめて!」


 髪の毛を引っ張られる。手が踏まれている状態で私の身体は動けない。引っ張られて立ち上がりたくても、立ち上がれない。

 痛い! 痛い痛い痛い!


「あげます! 食べ物あげますから! だからやめて! 痛い!」

「ズルイ、なんでおまえだけが! ちくしょう、ちくしょう!」


 ようやく手から足をどけてもらえたけ、髪の毛は離してくれない。ぶちぶちと何本か抜けたり切れた音もしてる。

 痛い。怖い。許して。もらったもの全部あげるから許して。


「なんとか言えぇ! あぁ!?」


 胸ぐらを捕まれて身体を揺さぶられた。ビリビリと服が破れる音がする。勢いに服が耐えれなくて破けてしまって、私はその場に尻もちを付いた。


「クソが! クソが! クソクソクソクソ!」


 転んだ私をそのままにして男は落ちていた食べ物に手を伸ばす。むさぼるようにサンドイッチを食べていた。


「はぁ……はぁ……」


 怖い。恐ろしい。

 この人は、本当に人間なのかどうか、分からなかった。魔物じゃないのかって思った。こんなの人間じゃないって思った。

 だから、私は逃げようと立ち上がろうとしたけど、膝がガクガクで立ち上がれなかった。でも逃げなくちゃ、と四つん這いになる。

 そのまま逃げようとして、泣きながら四つん這いで歩く。

 でも、足を引っ張れて地面に倒れた。


「な、なに……」


 身体がずるずると引っ張られる。

 振り返ったら男が私の足を引っ張っていた。

 そして這いずるように私に覆いかぶさってくる。


「女。女か。なんでもいい」

「やだ、やだやだやだ!」


 逃げようとしたけど殴られた。

 孤児院での思い出が蘇ってきて、身体が動かなくなる。ぶるぶると震えて、身体が上手く動かせない。

 服を引きちぎられる。

 嫌だ。


「やめて!」


 もう、嫌だ。

 無理やり犯されるなんて、もう嫌だ。


「いやぁ!」


 これじゃぁ、孤児院と変わらない。

 逃げた先でこれだと。

 逃げる意味が、なくなっちゃう。


「誰か」


 助けて。

 誰か。


「助けて」


 身体から震えが消えた。

 動かなくなる。

 心が身体から離れて、冷たくなる。

 私はただ、離れた場所で自分を見ることになる。

 いつものことだった。

 どうしようもなくて、ただただ自分が男から好き放題にされるところを、ただただ無感情に見るだけになる。

 まただ。

 またこんな風に自分を見るんだ。

 もう嫌だ。

 終わったら。

 終わったら、死のう。

 これだけ嫌なことばっかりの人生だったんだ。

 きっと、死んだら天使や神さまが私のことを助けてくれるに違いない。

 あぁ。

 早く終わればいいのに。

 さっさと死のう。

 そう思ってたら――


「おりゃああああああああああああああ!」


 天使がダッシュでやってきて。


「この変態がああああああああああああ!」


 男を蹴り飛ばしたのだった。

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