~卑劣! 師匠、お姫様とイチャイチャする~
お姫様の複雑な表情の意味。
それは――
「パルちゃんがいない? これはチャンスなのでは? 師匠さまと今、この瞬間、なにをやってもパルちゃんにバレない? ルビーちゃんもいないので、ほ、ほほほ、ほんとのほんとにチャンスなのでは!?」
ということらしい。
「全部声が漏れていますヴェルス姫」
「ワザとです、ルーラン」
「!?」
そんなやりとりをしているふたりを見て、マルカはため息を吐いた。
どちらかというと、お姫様よりルーランに対してため息に見える。
「ルーランは大丈夫なのか。俺でも心配になる」
「心配なので早めに入団させたのが裏目に出た感じだ」
ヴェルス姫の前に出したのが間違いだった、とマルカは天をあおぐ。
残念ながら、神さまへの祈りは届いていないだろう。なにせ、どの神に祈ればいいのか、さっぱり分からないのだから。
「ハッ……! こんなことをしている場合ではありませんよ師匠さま。早くパルちゃんを探しに行きましょう」
「落ち着いてください、ベル姫。今は夜です。探すのでしたら、明日がいいでしょう」
「そうなのですか? 夜は火のまわりに路地裏の方々が集まるそうです。それをひとつひとつ見てまわるのが効率的ではありませんか?」
確かに姫の言うとおりではある。
しかし、お姫様がみずから探し回るようなことではない。
「では、我々マトリチブス・ホックにお任せください。人海戦術が一番でしょう」
「分かりました。では命令します。パルちゃんを探して、連れて来てください。ルビーちゃんもよろしくお願いします」
ハッ、と了解したマルカとルーランが部屋を出ていく。
なんだかんだ言ってルーランも頼りになるのだから、間違ってはいないんだろうけど。経験不足というか、変な人格形成されているというか。
まぁ、そういうのを教育でなんとかしていくのが騎士団の役目か。
俺が心配することではない。
さて。
なんとなく部屋に取り残されてしまったのだが……
よくよく考えたらおかしくね?
王族のお姫様の部屋に盗賊の男を置いて出ていくとか、おかしくね?
「あら」
ヴェルス姫と視線が合った瞬間――お姫様がにちゃぁと笑った。
「こ、こここ、この状況! 師匠さま! マジでチャンスです!」
「なんのチャンスか俺にはさっぱり分かりません」
「嘘吐きは盗賊の始まりですよ。というか、師匠さまはすでに盗賊ですので嘘吐きです。決定です。チャンスが分かってるくせに分からないフリをするなんて。乙女に恥をかかせる気ですか師匠さま!」
ヴェルス姫が近寄ってくるので、俺は後退する。
しかし、部屋は狭い。
誰だこんな狭い部屋を一国のお姫様にあてがったやつ! もっと広い部屋を準備するべきじゃないのか、おい!
「やめてください、姫。冷静になってください。ここで一時の感情に身を任せて動くことがどれだけ危険なのか。あなたは充分に理解されているはずです!」
ジリジリと近づいてくるお姫様。
笑顔が怖いです。
「分かっています、分かっていますとも。ですが、今後このようなチャンスがあるとは思えません。一生に一度の機会を逃して良いと思いますか?」
ついに、俺は部屋のすみっこに追い詰められてしまった。
お姫様はゆっくりと近づいてくる。
まだ冷静なのか、手は後ろにまわしていた。感情と理性が戦っているように思える。負けるな、ヴェルス姫。がんばれ、ヴェルス姫。
未来の俺の平穏は、お姫様の手にかかっている。
「師匠さま、あぁ、師匠さま」
「調子に乗らないと反省したばかりではありませんか、ヴェルス姫」
「ですが、ですがお願いです」
ついにヴェルス姫は俺の目の前に立つ。少しでも体を動かせば、お姫様に触れてしまう。そんな距離感で、ヴェルス姫が俺を見上げた。
「せめて。せめて――だけでいいので」
ヴェルス姫のお願い。
「わ、分かった……」
それがお姫様の願いだというのなら。
仕方がない。
叶えよう。
それがパーロナ国の国民としての責務でもあるかのように、俺はヴェルス姫の頬にそっと手を添えた。
「あぁ、師匠さま。ひとおもいに……」
「分かってる。いくぞ」
「えぇ、どうぞ」
ギュッと目を閉じたヴェルス姫。
俺はそのままお姫様のほっぺを……むぎゅ~っとつまんだ
「いひゃひゃひゃ、いひゃいぃ~」
「これでいいのですか」
「はひ。ほへへふうふんへふ」
「なんて?」
「これで充分です、と言ったのです。あいたたた」
思いっきりほっぺたつねって、とは変なお願いだなぁ、まったく。
「夢から醒める思いです。痛みで冷静になると同時に師匠さまに触れていただく。とても素晴らしいアイデアですわ」
「やっぱりちょっとルビーに似てるので、俺は怖いですよヴェルス姫」
「ベルって呼んでください」
「ベル」
むふっ、とお姫様は満足そうにほっぺたに手を当てて。
体を左右に降り続ける。
可愛らしいんだけどなぁ……ほんと、なんで王族なんだろう、この娘。
ちょっと自由に――というか、庶民的に育ち過ぎやしてませんかね? 下手をすれば貴族の娘の方が王族らしい振る舞いをしていると思うぞ。
「では、私はルビーちゃんを越えねばなりませんわね。でしたらほっぺたではなく、ちく――」
「そういうところがそっくりなんですよ」
さすがに、言わせねーよ、とは叫べなかった。
「いひゃい」
その代わりほっぺたをむにむにとつまむ。
これほど王族の顔が丸つぶれになった顔を見た者はいるのだろうか。
なんかちょっと不安になったので、慌てて指を離す。
「もうちょっとしてもいいですのに。もしくは、こちら」
ぶぅ、と自分の胸あたりをさすりながらくちびるを尖らせるヴェルス姫。そういう表情はパルにそっくりなので、これまた厄介。というか、パルとルビーを合わせたような感じだ。
なんなの、もう。
俺が嫌いになる要素がないじゃないですか。
もう。
どうしてヴェルス姫が末っ子姫なんだろうか。そうじゃなければ、今ごろは……ちくしょう!
「どうしました、師匠さま?」
「いいえ、なんでも」
「うふふ」
俺を見て笑うお姫様。
しまった……してやられた……!
今さら気付いても遅い。
恐らくだが、ほっぺたを触らせたのは策略だ。もっと凄いことを願うかと思いきや、ほっぺたをつねる、という何てことはない願い。
簡単にできる。簡単にできるからこそ罠だったのだ。
こうやって触れても許される、ということが最初の一歩となり、一度触れるも二回目触れるも同じこと、という認識に頭の中が支配される。
事実、俺は何にも言われてないのに二度もほっぺをつねってしまったのだ。
ならば、ほっぺも手も足も同じ皮膚。そこに触れて良いのなら、どこに触れても良い。
そうなってしまう。
欲求が止まらない。
一度甘味を知ってしまったら、もう一度食べたくなってしまうのは仕方がないこと。
つまり。
一度でもお姫様の甘美な誘惑に負けてお願いを聞いてしまったら。
今後もお願いを聞き続けてしまう。
「うふふ。次はどこを触ってもらおうかしら」
「でもさっき、俺はヴェルス姫の手とか足とかふくらはぎとか触ってましたよね」
「うふふ……え~っと、もっと触りたくありません?」
「触りたいのはもともとです」
「ぐぬぬぅ」
というわけで、お姫様に完全勝利した。
負けたと思ったけど勝っていた。
良かった。
「仕方がありません。敗者は勝者の言いなりです。奴隷です。姫奴隷です。どうしますか、ご主人さま」
「なんにもしませんよ。姫奴隷とか言わないでください。パルがマネします」
「パルちゃんは弟子奴隷です」
「弟子奴隷って響き、最悪ですね……」
なんかこう、下僕って感じする。
「私もそう思いました。ごめんなさい」
ヴェルス姫といっしょに、今もどこかで路地裏生活を続けるパルに謝った。
「では、今夜は眠ってしまいましょう。どうぞ、師匠さま。ベッドを使ってください」
「いえいえ、そこはヴェルス姫が使ってください。俺は床で充分です」
「ここではベルと呼んでください、と申してますよ師匠さま」
「では、ベル。遠慮なくベッドを使ってください」
「大好きな師匠さまを床で眠らせるなんて……そうだ、いいことを思いつきました」
かわいらしく、手をパンと打ち鳴らすヴェルス姫。
「いっしょに寝ましょう。狭いベッドですけど、抱き合うようにくっ付いて眠れば問題ないですわ」
ぴょん、と飛び乗るとお姫様は、さぁどうぞ、と布団を持ち上げてくれる。
超魅力的空間がそこに広がった。
「なるほど、さすが末っ子姫。素晴らしいアイデアです」
俺は吸い込まれるように、そこへ――行くわけがない。
「……とでも言うと思いましたか」
「あはは! 乗ってくれる師匠さまが大好きです」
「はいはい。もういいですよ、マルカさん」
俺がそう声をかけると、マルカが普通に入ってきた。気配を消そうともしないで入口にずっといるので、なんというか、ちょっと怖かった。
「危うく姫様の想い人をこの手で始末するところでした」
「やめてください、死んでしまいます」
殺されるので死ぬのは当たり前だが。
しかし、こんなところでそんな理由で死にたくない。
「もう少し姫を敬ってください、エラント」
「そうしたいのですが……そうじゃないほうが喜ばれると思って。不敬を許して頂きたい」
「マルカ。私が願ったことなのです。お城の外ではいいではないですか?」
しかし……と、マルカは言葉を濁らせた。
「それに、これから相手をするのは路地裏で生きてきた子ども達です。他人を信用してこなかった子ども達です。そのような孤児から、簡単に敬う言葉は出てきません。私も、他の大人たちと同じ『敵』として認識される可能性もあります。口汚く罵られるかもしれませんよ」
いくらお姫様だと言っても、膝を付いて挨拶するような教育も教養も無いかもしれない。
いや。
無いと思っていた方がいいだろう。
「そんな孤児に剣を抜けば終わりです、マルカ。師匠さま程度の砕けた対応に目をつぶれないのであれば、今すぐルーランと役目を代わってください」
「失礼しました」
ヴェルス姫の言葉に反論することなくマルカは返事をした。
主への理解を深めてくれる良い近衛騎士だ。
まぁ、主がなかなかの人間であるのは間違いないのだが……やっぱり末っ子ともなると、自由に育つというか、放任主義になってしまうというか。
評判はいいんだよなぁ、末っ子姫。
兵士にも優しいとか気さくに声をかけてくださる、とかで。
でも実際はヒマだから退屈しのぎで見物して、面白そうだから首を突っ込んであれこれやってる、感じなのかもしれない。
難しいところだ。
まぁ、気安くて良い子なのは事実。
できれば、このまま真っ直ぐ育って、良い相手の元へ嫁ぎ、俺のことなど忘れてくれるのが一番なのだが……
「では、マルカ。護衛を頼みます。師匠さま、寝ますよ。添い寝の任務を言い渡します」
「お断りします」
「なんでですか、添い寝中は偶然を装って触りたい放題ですよ! 朝起きたら、ちょっと衣服がズレていることなんて日常茶飯事ではありませんか?」
「俺はマトリチブス・ホックではないので」
「マルカ、今すぐ師匠さまの入団を許可してください」
「エラント殿が女性であれば、許可しますよ」
「師匠さま、今すぐ女になって――あ、でも、そうしたら、う~ん?」
そこで悩んでくださるのがイイ人の証明でもあるのだが。
俺は苦笑しつつも、部屋から出ていくことにした。
罰ゲーム中だ。
こんなところで世話になるわけにもいくまい。
「おやすみなさい、ベル」
「おやすみなさいませ、エラント」
その挨拶だけでも、お姫様が嬉しそうなので。
何となく気分を良くしながら、俺は夜の街へと戻ったのだった。
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