~卑劣! ぐんにょり姫~
簡素なベッドにお姫様がうつ伏せで寝かされていた。
ぐんにゃりしている。
パっと見たところ、毒でも盛られて痺れているのかと思った。全身を弛緩させているし、瞳には生気を感じられない。息はしている様子なので、緊急性は無いとは思われるが……
そのベッドの近くには同じような様子でマルカさんが座り込んでいる。精根尽き果てたかのような感じに思われた。王族の隣で近衛騎士が座り込むなどあってはならないことなのだが、それゆえに毒を盛られた感じが殊更に強調されるのだが。
毒。
本当に毒なのか?
しかし、周囲の者たちがなにひとつ慌てていないし、メイドさん達は通常業務中。特に問題が起きたかのような様子は無かった。
いや、街の簡素な宿において、メイドの仕事なんてなにひとつ無い。逆に仕事を見つけてわざわざ掃除している人までいるので、宿の人も少し迷惑だろうに。こういうのを、ありがた迷惑と言うのだろうか。
もっとも。
綺麗になって困ることは無いので、いいんだろうけど。
「それで、どうしたんだこれは」
王族の前で不敬な態度、ではあるんだが……ベッドの上でやる気なく寝ころんでいるお姫様の前でどんな態度を取るのが正解なのか、さっぱり分からん。
いっそのこと普通でいいんじゃないだろうか、というわけでヴェルス姫ではなく後ろから付いてきているルーランに説明を求めた。
「盗賊にやられました」
「なんだと?」
「その際、マルカはヴェルス姫を守れなかった、ということで落ち込んでいます」
「やはり毒か」
俺は慌ててヴェルス姫の元へしゃがむと、彼女の首筋に触れる。
「ふにゃん」
ヴェルス姫から奇妙な声が漏れ聞こえたが、呂律がまわっていないのかもしれない。
とりあえず無視して脈を取る。
首筋に人差し指と中指を当てると――問題なく脈が打っているのが感じ取れた。やはり今すぐ命に問題があるようではない。
では、痺れ毒か。
「ヴェルス姫、俺が分かりますか」
「わかりまひゅ」
うつ伏せで、ほっぺがぷにっと押し潰されたまま姫が返事をする。やはり呂律が怪しい。しかし、それほど深刻ではなさそうだ。
軽度な麻痺毒といったところか。
「お体に触ります。うつ伏せでは苦しいでしょう」
「はひ」
俺はゆっくりとヴェルス姫の肩を持ち上げ、反転させる。仰向けになったお姫様の様子を確認してから、そっと片足を持ち上げるようにして、足に触れた。
なにやら姫様が、ひええええ、などと声を発しているが、麻痺状態で上手く言葉を喋れないのではないか。そう思いつつもヴェルス姫の足に触れる。
「触っているのが分かりますか」
「あ、はい」
「どこを触っています?」
「こ、小指です。あ、いまはふくらはぎを……」
ふむ。
触覚に問題はなし。
足の先端である小指や重要な部位であるふくらはぎに感覚があるのなら大丈夫。
「では姫。手を握ってください」
「はい、ぎゅっと握りますぅ」
ヴェルス姫の手を持ち上げるようにして、軽く手を握る。
姫はギュッと力を込めるのだが……あまり強くない。
少女の力にしては弱すぎる。
王族で力仕事なんてまったくしていない、ということを加味しても握力が弱いな。
全身ではなく、上半身に痺れが片寄っているのか?
先ほどは呂律が怪しかったが、多少はマシになっている様子もある。
時間経過で痺れの部位が変わる?
そんな毒が有り得るのだろうか。
分からん。
「う~ん」
俺はヴェルス姫の瞳を覗き込む。まるで風邪をひいた時の子どもみたいに潤んでいた。
と、同時に頬が赤く染まる。
一見して物凄く健康的に見えるのだが……毒への反応で体が熱くなっているのかもしれない。
王族のドレスは体を締め付けるものが多い。
しかし、今着ているものはドレスではなく普通の一般的な服。もちろん庶民が着るにしては上等な生地を使っているのは一目で分かる。随分と簡素なデザインの貴族服、とでも言おうか。
こんなところにいるのだから、平民に変装していたのだろう。
もちろん、盗賊の俺から言わせてもらえば、こんなものは変装とは言わない。
単なる『お着替え』である。
今そんなことを言っても意味はないが。
「失礼。少し服を緩めます」
とりあえず、少しでも楽にしてあげよう。
俺はヴェルス姫の服のボタンをひとつ、ふたつ、みっつと外し――
「あぁ、ついにこの時が来たのですね……ありがとうございます、神さま。この運命に感謝します。今から私、大人の女になりますね」
とても元気そうに神に祈るヴェルス姫を見た。
そして――
「なにをしている貴様」
マルカさんに顔面を鷲掴みにされた。
「いだだだだだだだ!?」
頭蓋骨がきゅ~っと収縮して、顔がなくなるかと思った。
さすが王族の近衛騎士。
お姫様とは比べ物にならない握力ですね。
「ちがっ! 俺は別に、ちが! いだだだだだだ!」
「言い訳無用だ、変態め!」
顔が! 頭が! 収縮する! 無くなっちゃう!
「助けてぇ!」
というわけで、ヴェルス姫がマルカさんを制止させるまで、鷲掴みにされっぱなしだった。
ちょっと小顔になったかもしれない。
痛かったぁ……
ちなみにルーランは部屋の隅で無言で直立不動に立っていた。
「邪魔してはいけないと思いました」
状況をきっちり説明をしない新人騎士が悪いと思う。
俺とマルカが怒ったのは無理もない。
「いいえ、ルーランは悪くありませんわ」
ほっぺを紅く染めたお姫様がかばってしまったので、それ以上は責められませんでした。
ちくしょう。
ドホネツク家、覚えたからな。
パルの泥棒修行に使ってやる。
「一生の思い出です。嫁入りしても今夜のことは忘れません」
「旦那さまのために忘れてあげてください」
「イヤです」
「えぇ……」
未来のヴェルス姫の夫に同情するしかなさそうだ。
というわけで、お姫様からいろいろと事情を聞いた。盗賊にやられた、というのは真実らしく、なんとあのジュース屋さんがここまでふたりを追い詰めたそうだ。
「私、どんどん調子に乗っていたようです。それを注意されました」
「それがショックだったのか」
「いえ、正しい注意です。怖かったのも事実ですが、調子に乗っていたことも事実です。増長していたのは本当だと思いますわ。高慢な女になっていて、すべて思い通りになると思い上がっておりました。まるで騎士小説に出てくる意地悪な貴族令嬢みたいです」
騎士小説にそんな登場人物がいるんだろうか。
「そこまで自分を卑下しなくとも……」
「いいえ、反省させてください師匠さま。悪い女にはなりたくありません」
真正面から性格悪いぞ、と言われてしまったら……まぁ、これくらいは反省するか。
残念ながら、盗賊なんてやっていると卑怯や卑劣は当たり前。嘘をついて当然であり、正直者でいることの方が損をするパターンも多く見かける。
清廉潔白は貴族や王族の務めではあるが、それだけではやっていけないのも事実。
平民に迷惑をかけていない分、貴族同士で色々あるんだろう。
是非とも巻き込まれたくないものだ。
盗賊以外は『いい人』だけの世界になれば、さぞかし魔王の悪さが目立ってくれる。そうなると勇者の活躍も世に轟くことになるので、そういう意味でも、正しい世の中になって欲しいものだなぁ。
「まぁ、ヴェルス姫は分かった」
「師匠さま、今はベルとお呼びください」
「いや、しかし――」
「王族にあるまじき失態を犯したのです。姫と呼ばれる器ではございません。なので、ベルと呼んでください」
「……分かりました、ベル」
「……」
くちびるがひくひくと震えている。
「エラントに会えて嬉しさが滲み出ているようなので、ひとつも反省していないのではないですかヴェルス姫」
「ルーランちゃんは黙っていなさい。これは命令です」
「ハッ!」
命令で都合の悪い話を黙らせるのは非常に王族らしいですよ、ヴェルス姫~。
「問題はマルカさんですね」
俺をアイアンクローで痛めつけたあと、マルカはまたしても座り込んでしまった。
近衛騎士のリーダーがぐったりと倒れたまま。一応、こっちの話を聞いているんだけど、ショックで体が動いていないように思える。
絶対に部下に見せちゃいけない姿なんだけどなぁ、これ。
「マルカなら平気です。失敗した時はときどきこうなって、私といっしょにベッドで寝ることも多いです」
そうなんだ。
仲良しなのはいい事だな。
「ほら、マルカ。師匠さまを見つけることができました。いいんですか、乙女がそんなだらしない姿を見せて。せめて座りなさい」
「はい、ベル姫」
反省終わり、という雰囲気でマルカは立ち上がると何事も無かったかのように扉の横まで移動して、スっと直立不動になる。
まるで、今までずっと護衛をしていましたが?、という雰囲気を出した。
凄いなこの切り替えっぷり。
むしろ見習いたい。
「よろしい。今日の反省は後日たっぷりしましょう。よろしいですね、皆さん」
ハッ、と返事が多方から聞こえてくる。部屋の外からも聞こえてきたし、窓の外に待機していた騎士も返事をした。寒い中ごくろさまと声をかけたい気分だ。
落ち込んでいたのはマルカだけではなく、護衛をしていた皆さんもそうなんだろう。実質、油断していたのは確かではあるし、盗賊という存在を舐めていたのも事実。
増長していた、というのは本当なのかもしれないな。
お姫様だけでなく、護衛する近衛騎士も含めて。
それに釘を刺したというジュース屋のお姉さん。
恐らく、ワザとなんだろう。
盗賊を舐めるとどうなるかっていうのは、それこそ分かりやすい例を示してくれたわけで。
事実、世界は安全ではない。
平和に見える街中も、悪意はどこにだって転がっている。
仮にだが、末っ子姫を誘拐してくれ、なんていう依頼が盗賊ギルドにあった場合。
俺なら可能、ということを忘れないで欲しい。
まぁ、そんな依頼はないだろうし、お断りするし、どう考えても戦争の引き金になるような他国からの依頼だろうから、やらないけどね。
人間種が一丸となって魔王に対抗しないといけないというのに、人間種同士が戦争を始めるなんて愚かなことだ。
平和ボケにも程があるというもの。
そうならないことを願うばかり。
「それで、ベル姫はどうしてジックス街へ?」
「よくぞ聞いてくださいました、師匠さま」
ちゃんと目的があったみたいで安心した。
もしも、俺に会いに来た、とか言われたら今度こそ国王に処刑されるかもしれない。私刑で死刑なんぞシャレにもならん。
お姫様は自分の計画を話してくれた。
「――というわけなんです」
すでにそこそこの準備を終えており、今はその最終段階というところか。
「王族らしいというか、崇高な目的じゃないですか」
「それが調子に乗っている原因ですわ、師匠さま。いいことをしているから、と上から目線になっておりました。助けてあげてるんだぞ、という意識はあまり良くありませんからね」
上から目線は王族なので当然なのだし、助けてあげてる、という意識を持っても当たり前ではあるのだが。
本人の意識次第というものか。
難しいニュアンスだな。
「しかし、そうなると……パルの協力が不可欠ですね」
「はい。ちょうどお願いしようと家を訪ねさせて頂いたのですが」
「留守だった、と」
それでジュース屋のお姉さんに情報を求め、手痛い目にあった、ということか。
「ではパルちゃんを呼んでくださいな、師匠さま」
「申し訳ない、姫」
「はい?」
俺は正直に言った。
「どこにいるのか知らん」
えええええ、とお姫様は何とも言えない表情で驚くのだった。
驚き半分、嬉しさ半分。
口元が緩んでる。
「ちなみにルビーもどこにいるのか知らん」
驚きが更に小さくなり、ほとんど喜びの表情になったお姫様。
王族らしからぬ、感情がダダ漏れ状態であり。
俺はちょっと心配になりました。
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