~卑劣! 少女と追いかけっこ~

 視線。

 視線を感じる。

 実はこれ、かなり曖昧な物だ。誰もが視線を感じたことがあるはずなのに、それがどの程度明確な物なのかは、誰も証明できていない。

 事実、視線に物理的なものはない。もしも視線が物理的なものがあるとすれば、視線が合えば眼球が痛いはず。チクチクと視線が刺さる覚えがあるはずなのに、好きな子と見つめ合っても目がつぶれるはしない。

 そうはならないのだから、そうではない。

 視線とは物理的ではなく精神的、もしくは魔力的な反応と思われる。

 なにせ、視線から感情が読み取れるのだから。

 一番わかりやすいのが殺気だろうか。害意のある視線というものは、それだけ力が込められている。その力とは魔力的なもの……呪いでもある。

 たとえばだが、相手を指差してはならない、というマナーがある。失礼にあたる、という行為だが、実際には相手を指差すことは呪いである、という話を聞いた。

 実際に相手を指差した程度で呪いになるわけがないのだが、そこに視線を乗せればどうだろうか?

 呪い殺したい相手を呪詛を込めて睨みながら指をさす。

 少なからずとも相手に影響を与えるはずだ。

 呪いを恐れるか、反感を買うか、それとも意にも返さないか。

 どれを選んでも必ず影響は出る。

 無視をしたとしても、無視をした、という選択が残る。

 つまり他者によって行動を選択させられたわけだ。それが呪いではないのなら、なんと言おう。

 それが、指をさしてはいけない、の大元ではないかと思う。

 それだけ視線に力が込められるというわけだ。故意にしろ、故意ではないにしろ、視線には魔力が込められてしまう。

 盗賊では、その視線を相手に気取られないように訓練しないといけない。

 スリをする相手に害意を感じ取られればアウトだし、暗殺なんて持ってのほか。視線に意思を込めないようにするのが大事だ。

 だからこそ。

 今、俺を追いかけてきている人物は盗賊ではない。


「……」


 路地裏を足早に移動しながら、いくつかの角を曲がる。角を曲がり、視線が切れるたびに速度をあげていくが――追跡者の視線は切れない。

 間違いなく俺を追ってきていることが分かる。

「願わくば美少女に追いかけられたいところだ」

 弟子には聞かせられないセリフだが、追いかけてくる人物がパルでもルビーでもないので仕方がない。

 ちなみにだが、一番恐ろしい視線は赤ちゃんのものだ。

 あの濁りのまったく無い純真無垢な瞳で見つけられると、自分がどれだけイヤな人間なのか思い知らされるようで恐ろしくなってしまう。

 しかも自分が無条件で愛されると思っているので、こんな俺にも屈託の無い笑顔を向けてきたりする。

 それもまた申し訳なくなってしまうので。

 ほんと、赤ちゃんは恐ろしい。

 やっぱり幼女がいい。

 同じ純粋で無垢な存在でも、可愛らしい幼女はとても良い。

 うん。


「おっと」


 あまりに不可解な状況だったので思考が暴走してしまった。

 反省をしつつ、もう一段階速度をあげて角を曲がった。


「フッ」


 相手の視線が途切れたところで、少し息を吐き急加速。地面を蹴り、飛び上がると建物の屋根に手をかけた。

 娼館の裏手にある住居だろうか。屋根が低くて丁度良かった。

 素早く体を屋根の上まで引き上げ、身を隠す。


「――」


 盗賊スキル『隠者』。

 気配遮断をして、呼吸を潜ませる。それこそ、視線に気をつけながらちらりと下界をうかがった。

 狭い路地を俺を追いかけてきたのは……なんと少女だった。

 黒く長い髪かと思ったが、一部に青色が混ざっているという不思議な髪色をしている。染めているのかも知れない。そんな髪からは、ぴょこんと丸みを帯びた耳が生えていた。

 どうやら獣耳種らしいが、どのタイプの動物なのかは分からなかった。

 年齢は成人くらいだろうか。見た目ではルビーとそう変わらない年齢に見える。12歳くらいかな。

 まだあどけなさが残るような顔立ち。少し釣り目がちな瞳はランランと輝いており、勝ち気な意思を見せている。

 服装は――少し良い物を着ているようだ。肩を出した上着、腰に巻き付ける革製のコルセットベルトにスカート。しかし、その下にはズボンを履いており、編み上げのロングブーツが見える。しっぽがあるんだろうけど、スカートに隠れて見えないのでやはりどの動物の獣耳種かは分からなかった。

 左腰に帯びている剣は汎用品だろうか、特殊な装飾は無い。ただ、スカートの形をくずしてしまっているのが残念に思える。

 身綺麗にしているのに、無頓着な様子。


「……」


 一瞬、貴族の娘かと思った。衣服が上等な物であり、一般民が着ている布の服とは違う雰囲気がある。

 だが剣を持っているということは、貴族ではなさそうだ。なにより貴族ならば見た目を気にするので、剣でスカートの形が崩れるのを嫌うはず。

 なにより単なる貴族が俺を追跡できるとは思えない。相当に訓練されているのが分かる。この年齢で立派なものだ。

 ならば――冒険者か?

 しかし、それも上等な服を着ている時点で奇妙なことになる。冒険者がお金をかけるのは装備品であり、武器であり、防具だ。

 普段着に力を入れるなど有り得ない。

 ましてや、ルーキーとも言える年齢の少女。どれだけの成功をすれば、ここまで立派な服を着れるというのか。

 なので冒険者とも考えられない。

 ならば――


「くっ」


 結論を出す寸前で少女がこちらを見上げた。

 気配遮断を看破してくるとは、腕と直感が良い。

 後転して身を起こすと、屋根の上を走り出す。娼館の中でお楽しみ中の人がいたら、騒がしくして申し訳ない。

 一晩だけの恋を邪魔するつもりはないので見逃して欲しい。

 なんて思いながら屋根の上をジャンプして隣の娼館に飛び移る。ちらりと後ろを覗けば、少女が追いかけてきた。

 屋根の上に登る身体能力もあるのか。綺麗な服が汚れることも厭わない様子。

 そして、正面から向き合うことで、彼女のパッツンとした前髪が跳ね上がるのが見えた。

 綺麗に切りそろえられた前髪からランランと輝く瞳が見えた。

 これはもう決定かな。

 だがそうなると……


「ますます追いかけられる理由が分からん」


 鬼気迫る、という感じではないが、それなりの迫力がある。なにより、一切こちらに声をかけてこないところを見るに、あまりおおやけにしたくない事情があるのだろうか。

 とにかく不気味だ。

 敵意もなければ害意もない。それなのにこちらを追いかけてくる。

 う~む。

 なんにしても厄介事には違いないので、逃げ切ったほうが良さそうに思える。

 しかし――そうなると狙われるのは俺ではなくパルになる可能性もあるか。ここ最近の自分の行動は単独ではなくパルといっしょのことが多い。

 ディスペクトゥスに用事があるにしても、俺が捕まらないと考えるとパルに向かう可能性も充分に考えられるな。

 ふ~む。

 リスクを天秤にかけると……ここはしっかりと応対して、この子から話を聞き出した方が得策か。

 現時点でパルにも追っ手が差し向けられている可能性もあるしな。

 さっさと目的を聞き出した方が得策だろうか。

 予定変更。

 まったくもって、考えをまとめるのが下手というか、決定が下すのが早いというか、バカの考え休むに似たりというか。

 こんなだから勇者パーティの賢者に鼻で笑われるのだ。

 いつかパルを送り込んで、陰からこそこそと鼻で笑ってやりたいものだ。

 まぁ、バレたら余計に嫌われるかもしれないのでやらないけど。むしろ、致死量の毒といっしょに時間遡行薬を飲ませて幼女にしてやろうか。そしたら愛でられる。

 ……いや、やっぱ無理。


「フッ」


 次の娼館はここより高く、三階建て。思い切りジャンプして屋根の縁に手をかけると、勢いのままに体を引き上げた。

 そのまま振り返ると、同じように少女がジャンプしてくる。


「直進してくるとは」


 無謀だな、と思いつつも隠し持っていた投げナイフを投擲する。路地裏生活者が持っているわけがないのだが、パルとルビーの目をごまかして持ってきていた。ごめんね。

 しかし、少女はそれを手の甲で弾くと体を反転させて屋根の縁へと手をかけた。そのまま逆上がりの容量で足をあげると、俺を蹴るようにして屋根の上へと着地する。

 曲芸染みた行動だな。

 盗賊的な身のこなし。

 この獣耳種少女が『騎士』ではないか、と予想していたのだが……なんだか外れている気がしてきたぞ。

 盗賊スキル『みやぶる』、失敗か?

 なんにせよ、そう簡単に拘束できそうにもないので距離を取る。屋根の上という限られた場で、壁は無い。

 状況的には剣が有利か。

 ひとまず投げナイフをかまえると、少女は静かに剣を抜いた。やはり装飾など無いシンプルな剣だ。そこもまた、騎士ではないかと予想した根拠が揺らいでしまう。

 騎士といえば、やはり盾を思い出すが――剣もまた彼らの象徴でもある。主を守るために立派な剣を誓いに立てるので、装飾品のような華美な剣を持ち歩くことも多い。

 しかし、少女の剣はそういったものではなく非常にシンプルな物。それでいてよくあるロングソードのような既製品ではなく、剣幅や柄の握りを調整したと思われる特注品の様相が見て取れた。

 身のこなしは盗賊に近いが、それでいて盗賊らしからぬ視線。貴族のように立派な衣服を身につけながら、それを汚しても気にならない。消去法から騎士かとも思ったが、シンプル過ぎる剣。

 まったくもって何者なのか分からない。

 それゆえに、まったくもって目的も分からない。

 ナイフをかまえ、対峙する。

 少女は剣を真正面にかまえた。

 堂々としている。それこそパルとそう変わらないような年齢であるはずなのに、地に足が付いているというか、まるで揺らぎを感じない。

 ……試してみるか。

 半身になり、相手の死角となっている左手でこっそりと持っていたポーションの瓶を静かに取った。腰に巻く布紐に引っかけるようして持っていたものだ。

 ちなみにこれはパルにも持たせている。


「おっぱいが大きかったら、隠すところが増えていいのに」

「そんな気持ち悪いことを言わないでくれ」

「師匠はぺったんこが好きですもんね」

「おう」

「堂々とロリコンしてますわね」


 ルビーがゲラゲラと笑っていたので、ルビーにはポーションをあげませんでした。

 どうせいらないし。

 というか『ロリコンしてる』ってなんだよ。

 まぁいいや。

 さぁ、盗賊らしい戦闘を見せよう。


「――っ」


 相手の呼吸の意を突き、その場でしゃがむ。それを攻撃と捉えた少女はこちらに一歩踏み出した。

 罠にハマってくれる程度には青いらしい。

 不用意に飛び込んできた少女の顔に向かってポーション瓶のフタを親指で弾くようにして飛ばした。


「むんっ!」


 それを少女は剣で払う。先ほどの投げナイフを弾いたのと同じく、速い。剣速は、それこそ一流に匹敵している。

 だが、防御で一手を損失したのは失敗だったな。

 俺は瓶を振り上げるようにして、ポーションの中身をぶちまけた。盗賊の持っていた液体だ。毒の可能性が高いことを重々承知しているのか、少女は目と口を守るように腕でかばった。

 その隙に転がるようにして少女の死角に飛び込んだ。

 盗賊スキル『影走り』。

 この場合は、走っていないので……影飛び込み前転だろうか。まぁ、同じようなものだ。

 とにかく少女の背後に移動した俺は素早く立ち上がり、魔力糸を顕現。ぐるりと彼女の腕を巻き付けるように胴体を縛った。

 ふむ。やはり防具は身につけていないらしい。魔力糸で縛った部分で体のラインが浮き出た

 見た目通りの衣服らしく、マジックアイテム的な効果もない。ましてや、服の下に防具を着込んでいるようなこともなさそうだ。

 ますます奇妙だ。

 どうして剣だけ持って防具は装備していないんだ?

 まぁ、とりあえず。

 少女の胸が慎ましやかなのが分かって、俺は満足です。いや、誓って触ってないよ。ただ、魔力糸で胸の引っかかりが少なくて油断すると、上にスルンってなっちゃいそうなので気をつけないといけないので、確認しただけです。

 他意はありません。

 本当です。

 信じてください。


「くっ!」


 俺が素早く神さまとパルに言い訳していると少女が拘束を切断しようと剣を動かす。が、それを阻止するように俺は少女の手首を取った。

 残念ながら俺の捕縛術はスキルにまで昇華できていない。せいぜい、一瞬拘束できていれば良いレベルだ。

 思った以上に少女の力が強いが――少女に逃げられたならば盗賊の名折れ。

 俺は小指を取って捻るように背中へまわした。


「え!? いた、いたたたた!?」


 驚いたように声をあげる少女。

 落ち着いた雰囲気があったものの、痛みには弱いのだろうか。一気に年相応になったように思えた。


「よし、動くな」

「は、はい、動きません」


 ……えらく正直な返事だな。

 まぁ、それでも警戒させてもらうけどな。というわけで、少女の手から剣を落とし、足で弾いた。屋根の上を滑る剣を見届けておく。

 もしも屋根の上から落ちて、下に人がいたら大変なので。

 安全に、安全に。

 両手を後ろで拘束してから足も拘束する。その手と足を繋ぐようにエビぞりにして、そっと屋根の上に寝かせた。


「うぅ。敗北してしまいました。お強い」

「そいつはどうも」


 まったくもって邪気がない少女だなぁ。

 目的が不明すぎる。


「では、正直に答えるならば命の保障はする」

「ありがとうございます」

「……あ~、え~っと、俺に何の用だ?」

「探しておりました」

「あ、はい」


 なんだろう。

 なんか思ってたのと違う。

 もっとこう、なにをする離せ! みたいな展開もあるかもと予想していたんだけど、なんというか、めちゃくちゃ素直な子ですね。


「探していたのは分かるので目的を教えてくれ」

「探して来いと言われたので、探しました」


 ですが……と、ここで初めて少女の歯切れが悪くなったように思える。


「上司の命令でも主人の命令でもないので、果たして実行して良かったのか。今でも迷っています」

「独断か?」

「一応そうなりますね。処罰の対象でしょうか?」

「いや、俺に聞かれても困る。それこそ上司か主人にでも聞いてくれ」

「はい」


 やっぱり素直。

 なんというか、好感の持てる子ではあるんだけど、いまいち扱いに困る感じかなぁ。

 上司と主人も困ってるんじゃないかな。

 というか誰だよ、上司と主人って。

 聞いたら教えてくれるだろうか。


「上司か主人の名前を教えてくれ」

「マルカとヴェルス姫です」


 はい、分かりました。


「マトリチブス・ホックじゃん!」


 娼館の屋根の上で。

 俺は少女に全力でツッコミを入れるのでした。

 俺の心の中のルビーが笑う。


「娼館で少女に突っ込むのはツッコミではなくておちんち――」

「いわせねーよ!?」


 俺の心の中の俺が、全力で心の中のルビーにツッコミを入れてくださいました。

 あぁ。なんでだろう。

 パルに会いたい。

 なぜかそう思いました。

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